66 悪意の影
タマちゃん達が居ないのでシリアス気味。
白兎の悪魔は地球に向かい、魔王が鳴りを潜めたことで一時的な平和を取り戻したはずのイグドラシアでは、それと入れ替わるように奇妙な事件が起こり始めていた。
「…………」
人族が住む都市の外周を警備する兵士達は、異様に緊張した面持ちで槍を握りしめながら、見えない何かに怯えるように警戒を続けていた。
少し前までは突如世界に現れ、瞬く間に幾つもの国家を滅ぼしてきた【魔王】を恐れていたが、それでも魔王・白兎は配下を持たず常に単独で行動していたため、白兎が狙う世界樹の若木がある首都以外を警備する兵士達は、襲撃で生活を失うことを恐れてはいても怯えてはいなかった。
今は大国が連名で勇者達に魔王討伐を依頼した結果、勇者達は攻めあぐねているようだが、勇者達が動いたことで魔王が警戒して膠着状態になっていると噂されている。
ならば、兵士達は“何”に怯えているのか?
「……来たぞっ!」
「確認……邪妖精ですっ!」
暗い森の奥から、寂れた墓地から、崩れかけた廃墟から、朽ちかけた遺跡から現れるようになったその魔物は、20センチほどの人型の体躯に昆虫のような羽を持つ、所謂【小妖精】と呼ばれる存在に酷似していたが、その赤黒く血走った巨大な目に痩せ細った長い手足を持ち、非常に好戦的な残虐性を持つことから【邪妖精】と呼ばれるようになっていた。
その邪妖精は突然世界各地に現れ、村や町を無差別に襲い、家畜や亜人奴隷や住民達を殺していた。その厄介な部分は神出鬼没な事と並の兵士以上の強さを持っていたことだろう。しかも1匹ではなく数匹から30匹以上が一度に現れるので兵士達は数名程度の巡回では被害を増やすだけの結果になり、兵士達は固まって対処するしかなかった。
「冒険者はっ!?」
「こっちに向かっていますっ!」
その対処に人族国家は冒険者ギルドに邪妖精を集中的に狩るように依頼を出した。
元々冒険者ギルドは、ここ数十年で人族の都市を襲うようになった魔物に対処する為に生まれた組織なので、このような事態には適していた。
だが邪妖精はどこから来るのか分からず、彼らは受けに回らざるを得なかった。
「隊長! 冒険者達が……」
「どうしたっ!」
「途中で正体不明の一団に襲われ、……全滅しました」
「なんてことだ……」
絶望した兵士の声が闇に響き、そうしてまた何処かの村が壊滅する。
邪妖精はどこから来たのか? 暗躍する謎の一団の正体は何なのか?
現れた当初は魔王の配下であるとの噂が出たが、その謎の一団の件と、邪妖精と対峙した【剣聖】の勇者から、『邪妖精から彼女の匂いがしないから違う』との報告がなされ、魔王との関与は否定された。
ならば、その原因は何なのか?
*
「失礼いたします、陛下っ、廃墟跡に潜んでいた一団を討伐したと、第三騎士団より報告が上がりましたっ!」
執務室に来た騎士からの報告に、書類の決裁をしていたトゥーズ帝国皇帝ティーズラルは、手を止めて訝しげに顔を上げる。
「討伐? 捕縛を命じていたはずだが、どうなっている?」
「は、…はいっ」
報告をしていた騎士の顔色が変わり、額に汗が浮かぶ。
「申し訳ございませんっ! 容疑者達は降伏勧告に応じず徹底抗戦の構えを崩さず、捕縛に成功した者も全員が服毒して死亡しましたっ!」
その説明に皇帝は重い息を漏らす。
「……そうか。ご苦労だったな。身元は分かったか?」
「容疑者達は、例の魔法陣の資料以外は身元が分かる物は所持しておりませんでした。現在、各国に照会して確認を急がせていますが、手配書にあったヴァーレンの脱獄者に酷似していると報告がありましたっ!」
「分かった。もう下がって良いぞ」
邪妖精の発生はトゥーズ帝国でも起こっていた。
その原因も粗方判明している。魔王が鳴りを潜める以前に世界中で発生していた重犯罪者の脱獄事件。その重犯罪者の潜伏先を突き止め突入した騎士達は、そこで人族や亜人などの大量の生け贄を捧げられた邪悪な祭壇と、異様な魔法陣を発見する。
重犯罪者達は決して投降せず、最期は自分の命さえも生け贄にした。ただその者達が残した資料から、その魔法陣が邪妖精の発生に関係があると判明したが、彼らの真の目的はいまだに明確に判明してはいなかった。
「茶をお持ちしましょう。若様」
「若はよせ。爺」
いつまで経っても自分を甘やかそうとする老執事にティズは苦笑を漏らす。
老執事が煎れた香り高い茶にティズは表情を緩ませると、深く椅子に背を預けた。
「アレはまだ見つかっておらんか?」
「はい。アレの父親が匿っている様子は見られません」
元はティズの護衛騎士でありながら、その目に余る行動から罷免され軟禁状態だったサリアが消えてから、その足取りは一向につかめていない。
立場や才能があるからと処分もされずに生かされてきた狂人達は、何者かによって野に放たれ、何やらおぞましい計画を企てている。
「……『妖精王』……か」
脱獄者達の残した資料に数点だけ残っていたその単語。
狂人達の目的がそれの召喚であると一部の専門家達は言っていたが、妖精王の存在自体が危ぶまれて、さらに裏があるのではないかと疑っている。
妖精王自体は、子供向けのお伽話などに出てくるもので、精霊や悪魔がいるこの世界の歴史を紐解いても、過去にその存在を証明する物はない。
そんな物が本当に存在するのか? 存在するとしてそれを呼び出して狂人達は何をしたいのか? それさえもフェイクである可能性は無いのか?
「シェディだけでも頭が痛いというのに……」
平和だったこの世界を襲う混乱の数々。
数十年前から発生した魔物達の人間国家への攻撃。
魔王白兎による世界樹の若木破壊による国家の滅亡。
重要な労働力である亜人奴隷達の反乱。
活性化する准魔王級の魔物達。
そして、今回の重犯罪者達による邪妖精召喚のテロリズム……。
それらによって順調に回っていた人族の経済が停滞し、各方面で問題が起き始めている。今はまだ若木から得られる無限の魔力によってどうにかなっているが、このまま流通が止まり、難民も増え続ければいつか破綻するのは目に見えていた。
「邪妖精の発生原因……脱獄者達の情報だけでも開示できないものだろうか」
「それは……難しいかと」
各国から脱獄した者達の中には、あまりにも非道な行いをして処刑されたことになっている者が多く、特に大国の上層部はそれらの情報が民に漏れることを嫌った。
そのせいで情報を知る者は騎士の中でも隊長格以上か、暗部と呼ばれる諜報と暗殺を行う者達にしか知らされなかったせいで、常に後手に回っていた。
「…………」
ティズは冷め始めた茶の表面を見つめながら考える。
この世界に何が起きているのか? その根本に何かしらの原因があるのではないか?
最後に見たシェディの瞳は、狂気の色も後悔もなく、何かの目標を持つものが得る強い意志のようなものを感じさせた。
ティズは思う。何か……根本的に重要な何かを見落としているのではないかと。
***
薄暗い地下鉄の中で、軽い振動に身を任せながら私は携帯端末から【電子干渉】を使い情報の操作を行う。
私がこちらに現れたことに気付いたような動きはなく、あの警備員が消えたことも単なる行方不明として処理されていた。本当に気付いていないかどうかなんて分からないけど。
命を奪ったのは顕現するために必要だったとは言え、彼らの持ち物を売ったのは軽率だったかもしれない。資金が必要なら街に出てからチンピラでも狩ったほうが後腐れはなかっただろう。
「…………」
すらすらと出てきた自分の考えに自分で苦笑する。
少し前までこの世界の人間だったはずなのに、今はその人間に対して『鹿を狩って毛皮と角を売ろう』程度の感覚しかない。
これが【悪魔】になるって事なのだろうか。……ううん、違うか。どっちみち私は初めから“まとも”ではなかったのだから。
バタンッ。
私しか乗ってない車両の扉が開いて、がたいのよい黒人と白人の二人組がゲラゲラ笑いながら私のほうまで歩いてくる。
そのうちの一人である白人が、席に座らず外部ドアに背を預けたまま携帯端末を弄る私を見て、微かに口笛のようなものを吹いた。
今の私は真っ白のパーカーで顔を隠しても、下はデニムのミニスカートとスニーカーに履き替えていた。これは単純に少年の格好よりも少女の格好のほうが油断してもらえるという単純な理由だったけど、女の子だとこんな弊害があるのを忘れていた。
「ヘイ、ガール。女の子がこんな地下鉄に一人で乗ったら危ないぜぇ?」
「俺達みたいなのが居るしなっ。ヒヒヒ」
「そういうこった。なぁなぁ俺らこれから非番なんだ。ちょっと付き合えよ」
「失せろ」
私が操作している携帯端末から顔も上げずにそう言うと、一瞬空気が凍り付いたように止まって、その後に彼らから怒りを表すように熱が伝わってきた。
「こ、この……」
「失せろ」
私が少しだけ顔を上げると、私の瞳を正面から見た彼らの顔色が目に見えて悪くなって、わずかに一歩下がる。
「……ちっ、行こうぜ」
「お、おう……」
男達はそんな捨て台詞を残して足早にこの車両から出て行った。
……無駄に殺しはさせないで欲しいなぁ。私は快楽殺人者じゃないんだから。まぁ、自分の外見を忘れていた私も悪いけど。
少し脅しすぎたかな? 気配を抑えるネックレスがないとやっぱりまだ上手く気配を隠せない。でも、まぁいいか。
私はIDカードを取り出し、【電子干渉】で情報を読み取る。……うん、当たりだ。
このIDカードはさっきの男の物で、スリ取っておいた。この地域にはあの企業の第十二研究所があり、上手くすれば地下鉄に関係者が乗ってくるかもしれないと思っていたけど、初回で上手く当たりを引いた。
全身霧化すれば侵入は容易だと思うけど、気密室とかあったら入れないし、下手に壊して私が存在をバラすのも面白くない。
……まぁ、結果的に暴れれば私の存在もバレるのだけど、それまでに出来るだけの情報を得てしまおう。
ゆっくりと地下鉄が止まり静かに開く扉からホームに出ると、そのまま駅を出て第十二研究所のほうへ夜の街を歩き出した。
イグドラシアの世界はどんどん切羽詰まってます。
次回、第十二研究所。




