54 剛剣の勇者 ①
お待たせしました。
東部中央大陸の真ん中にある大国、トールアーン皇国。
百年ほど経っていない比較的新しい国でありながら、数百年前の勇者の子孫を自称する皇族が治める、【勇者】を信仰する国……だとガイドブックに書いてあった。
その皇族の最初の人がどこからか流れてきてそう言ったそうだから、本当か嘘か分からないけど、実際に現代の勇者の一人がこの国出身みたい。
「勇者か……」
本当にそんなのがいるの……?
噂によると本物のドラゴンよりも強いとか言われているそうだけど、人間から魔物になった私としては、人間のままそこまで強くなれるなんて信じられない。
『ムッキー』
「はい、おねがいします」
そこでこの世界に詳しいモノトン猿のパン君が先生になって教えてくれた。教科書はカーシーズ(滅)のお城で失敬してきた歴史書です。
基本的にこの世界の生物の強さは、保有する魔素の総量で変わる。
それでも私のような精神生命体はともかく、生物である限りは通常の動物と同じように、保有出来るエネルギー量は肉体の大きさに依存する。
その中でもトンデモ生命体であるドラゴンは身体も大きく肉体も強靱で、体内に精霊力を宿すので特に魔力量が大きいから強いらしい。
でも、それなら肉体に縛られない私みたいな精神生命体は最強じゃない?と思うんだけど、精霊ならその元素がない所では存在出来ないし、悪魔は悪魔で“契約”のような存在するための“理由”が必要になるっぽい。
まぁ、数千年も生きたような悪魔は、違う属性を得たりとか色々と裏技を知っているらしいし、私の場合は“世界樹”との“契約”があるからね。
「はぁ……賢いペットですな。それ、モノトン猿でしょう?」
「うん」
暇なので近くで一緒に授業(本を開いて指さすだけ)を聞いていた行商人のおじさんが、感心したようにそう言った。
私は今、そのトールアーン皇国に入国するために並んでいる。
この国に来たのは、タマちゃんやパン君のお薦めだったこともあるけど、最近あれほど派手に複数の若木攻略をしたので、大国がどのような警備状況になったのか確かめる理由もあった。
それと、そろそろ情報収集をしておきたい。色々と状況も変わってきているし、そろそろ市販のガイドブックだけだと心許ないからね。
「モノトン猿は賢いからペットとして人気があるんですよ。お嬢さん、その猿を私に売って貰えないかね? 小金貨10枚なら出しますよ」
「やだ」
行商人のおじさんの提案をバッサリ斬り捨てる。
賢いパン君のお仲間は人気らしいけど、原生地は南部大陸や南西部の大陸らしくて、私がそっち方面を引っかき回したから、最近は手に入りづらくなっているみたい。
パン君でこれなら、もっと珍しいタマちゃんは狙われるかもしれないね。
「そうか、残念だよ。さぁ、そろそろ君の番だよ」
「うん」
残念そうにしながらもあっさり引き下がったおじさんに促されて、私は入国審査をしている兵士のところへ向かった。
今までの経験から、いきなり首都ではなく地方都市に入るのなら、入国審査はそんなに厳しくないことは知っている。
この世界は魔導列車による貨物の運搬はあるけれど、庶民用の商品を売る中小の商会だと、運搬費が高くつく魔導列車よりもまだまだ魔導馬車が主流だ。
そんな商人達だけでなく、近くで狩りをする冒険者もたえず出入りするので、地方都市の入場審査は、登録証をチラ見せするだけで通れるガバ警備が売りだったんだけど、私が懸念したとおり、こんな地方都市でも身分証を確認するようになっていた。
「……よし、通っていいぞ」
それでも魔法的な何かで検査することもなく、タマちゃんの“お召し替え”で栗色髪の人族に変装している私は、冒険者証を見せるだけであっさり入る事が出来た。
以前だったら、ティズと一緒に作った冒険者証は危なかったんだけど、人族がいなくなった後の冒険者ギルドで、亜人のレジスタンス達が私用の冒険者登録証を作り直してくれた。
「それでは冒険者のお嬢さん、機会がありましたらまた会いましょう」
しばらく暇潰しの話し相手になってくれていた行商人のおじさんは、そんな挨拶をしながら離れていった。
このおじさんや門番達の反応から見ても、フードを脱いでいても私の変装を不審に思った感じはしない。これならギルドとかに入っても大丈夫かな。
こっちの世界に来てからこれまで全くゆっくり出来なかったので、少し観光気分で街を見て回る。
このトールアーン皇国というか東部大陸は、地球で言うと中東のような雰囲気があった。新たに本屋さんで購入した『イグドラシアの歩き方』とかいう、各大陸ごとに分かれたガイドブックによると、この国が百年程度しか経っていないのに大きく発展したのは、地下深くから溢れてくる獣脂や植物油とは全く違う黒い油、通称『燃える水』を魔力で精製することで、軽くて強度のある素材を作り出せるようになったかららしい。
……それ、プラスチックだよね?
多分、魔素の使いすぎだと思うけど、その結果百年足らずで森が消えて砂漠が増え、樹木の代わりにプラスチックを使用した製品が主流になり、尚更砂漠が増えるという悪循環によって今の気候が出来たそうな。
ガイドブックでは、不思議だね、困ったね、で済んでいるけど、あと数百年で本格的に砂漠だけの土地になりそう。
そんなだから、食料は他の大陸からの輸入に頼っているし、プラスチック製品は軽くて強度があるから高く売れるみたいだけど、その原料である『燃える水』を捜したり、掘り出したりするのも大量の魔素が必要だから、この地域から【若木】がなくなれば、あっと言う間に国は潰れる。
まぁ、私のやることは『若木の破壊と再生』であって『人族の根絶』ではないから、正直どうでもいいんだけどね。
「それにしても……」
街を見て、綺麗だな…とか、カッコイイ建物だなぁ…とか思うけど、思ったよりも感動が薄い。
私が元々、家族とお出掛けした記憶もなく、押し入れやベランダ、そして施設に移ってからも沢山の二段ベッドが置かれた部屋や、実験施設と言った狭い世界しか知らず、図書館でしか世界を知らなかったから感動出来ないのかなって思ったけど、街を歩いていると何となくその理由が分かってきた。
私は氷を触れば冷たく感じるし、炎も熱さを感じる。当たり前だと思うかもしれないけど、炎程度で私の身体を焼くことは出来ないし、寒さ程度で凍えることもない。
街中で日除けの布を被り、薄着でないとまともに暮らせない人々を見ても、画面越しの風景を見るように、『へぇ大変なんだね』程度しか感想を持てない。
その感覚はまるで、この世界がまだ現実だと気付かないプレイヤーみたい、と思ったけど、その理由の大半が私が人間とは違う超越種である『上位悪魔』だからだと気が付いた。
以前はともかく、完全に悪魔となった今の私は、人間とは“幸せ”の感じ方が違うらしい。
人間だった頃は、ひもじいからご飯が欲しいとか、寒くない布団で眠りたいとか、傷みが早く消えて欲しいとか、沢山思っていたんだけど、そんな欲求がなくなっちゃったのよね……他にも色々となくしているけど。
「…………」
そんな適当なことを考えながら歩いていると、肩に乗っていたパン君が変な奴が尾行していると教えてくれた。
私やタマちゃんでも視線や気配は分かるんだけど、それが興味か悪意かは理解できないのが困りもの。
以前ならそれとなく身を隠すところだけど、少し興味が出て裏路地に誘い込むことにした。私が人間じゃなくなってなくしたもの……その一つが“恐怖”だと思う。
私を取り巻く気配の中に、一つだけやたらと大きな“力”が混ざっていて、私はそれに興味が湧いた。
「よぉよぉ、お嬢ちゃん。この辺りは危ないぜ?」
裏路地に入って少し進むと、尾行していた三人の男達がそんな博物館級の古びた台詞を投げかけてきた。
「お兄さん達、なに?」
「なぁに、ちょっとした警告さ。その猿、モノトン猿だろ? この地域じゃ意外と希少種なんだよ。そんなペットをあからさまに連れていると、悪い奴に狙われるかもしれないから、お兄さん達が預かってあげるよ」
「綺麗なお嬢ちゃんにも良い仕事を紹介してやるぜ? 貴族の狒々爺の相手をするだけでいいからさ」
「給金は紹介料として俺らがいただくけどな。ハハハハハハハッ」
何がおかしいのか、男達は声を揃えて嗤う。
パン君って結構人気なんだね。あの行商人のおじさんも小金貨10枚とか言っていたから、考えてみるとその数倍はしてもおかしくない。
普段ならすぐさま凍らせてタマちゃんのおやつ(アイスバー)にでもするところだけど、私は無言のまま何もせずに彼らの出方を待つ。
そんな私が怯えて声が出ないとでも思ったのか、男達がニヤニヤした顔で脅すように左右に揺れながら近づいてくる。
「そうそう、大人しくしてれば痛い目には……」
「ぎゃっ!?」
近づいてきた男の一人が不意に悲鳴をあげて倒れた。
「な、なんだっ」
「ぐあっ」
最初の男が驚いて振り返ると、もう一人の男も呻いて崩れ落ち、最後に残った男も慌ててナイフを取り出すが、飛来した何かがナイフの刃を砕き、続けざまに男の頭部に直撃して意識を刈り取った。
「……ひぃっ!」
瞬く間に三人の男達が倒れると、路地の影から一人の男が悲鳴をあげて飛び出した。
あの優しそうに見えた行商人のおじさんだった。売ってくれと言った割りにはあっさり引き下がったと思ったら、あのおじさんが噛んでいたのか。
背を向けて通りのほうへ逃げていく背に、また何かが飛んでおじさんの意識をあっさりと刈り取る。
飛礫――何かで飛ばした小さな小石が、あっと言う間に彼らの意識を奪った。
私がそのまま動かずにいると、通りの方角から背も横幅も大きな男が逆光の中に現れ、そのままズカズカと近づいてくると、いきなり怒鳴り声を上げた。
「コラッ! 若い娘が無警戒に裏路地なんかに入るんじゃないっ! そのくらいの歳になれば、悪い男に気をつけるくらい出来るだろうっ! 幾つになったっ!?」
「11歳」
「若すぎだろうっ!!?」
突然助けられて、突然お説教をもらって、正直に答えたら仰け反るほど驚かれた。
それがこれから何度も顔を合わせることになる男との出会いだった。




