42 悪の決意 後編
【悪魔】とは、何だろう?
私にとって悪魔は、神様と同じ居ることを証明出来ない存在で、【義体】兵器の実験体として選ばなければいけない『魔物』の一つに過ぎなかった。
でも今の私は、この世界で生まれ変わって【悪魔】になった。
見た目だけは奇跡的にも以前と同じ姿になり、さらに成長もしているけれど、私はもう“人間”じゃない。
でも私は“本物”の悪魔なのだろうか。
私の知っている悪魔とは、人の心に付け込み堕落させて、魂を奪う。
前から感じてはいたけど、もしかして悪魔が人を堕落させるのは、悪い魂のほうが経験値が高いからではないだろうか?
私は【吸収】の能力で命を吸う。敵の命を奪うことに抵抗もなくなった。
私と言う存在は多分、人間の欲望と想いと偶然で生み出され、世界樹によって調整された『人造の悪魔』だ。
だから本来の悪魔と、限りなく近くて根本で違う。
私は、【私】という根本を残したまま、『シェディ』という悪魔になった。
だから私は……『誰か』の為に【悪魔】になれる。
***
ラントロワ公国は、人口も少なく、主な産業も山の斜面を利用したチェリーによるワインのみと言う牧歌的な国だ。
それでも平和的に暮らしていけるのは、人族が世界樹の若木という無限に魔素を放出する存在によって飢えることなく、他者から奪う必要がなかったからだ。
中央大陸ではそれだけで飽き足らず、名声や快楽を求めて利権争いなどが起きているが、この南部大陸では大国二つがいがみ合っている程度で大きな争いはなく、ラントロワ公国にも奪う利権がないため、亜人を奴隷にして働かせることで最低限の利益を得た人々は、他国の富を羨ましいとは心で思いつつも、過度な労働をすることもなく平和を謳歌していた。
そんな平和な国でも軍や騎士が存在するのは、他国を警戒するのではなく主に魔物に対処するためだった。
魔素の多い世界樹の若木周辺では、森などに『魔素溜まり』が発生し、そこから弱い魔物が際限なく生まれる。
街や農村などは潤沢な若木の魔素を用いて結界が張られているが、街や国を繋ぐ街道沿いに出没する魔物を倒すために、騎士や兵士達は日々警戒を続けていた。
その他にも重要な仕事は、その『魔素溜まり』を発見し破壊することだ。
周囲の森を肥やそうとする、若木から漏れ出る魔素溜まりを破壊することで、より若木に魔素が溜まり、人族が使える魔素が増えると言われている。
それでも騎士や兵士の仕事は単純で楽なものだ。見回りをして見かけた女の子に声を掛け。もし危険な魔物が出たのなら、亜人奴隷に戦わせればいい。
そんな騎士家の五男として生まれたロランには、門番の仕事しか残っていなかった。
最低限に稼ぎがあれば生きてはいけるので焦ってはいないが、このまま名ばかりとはいえ貴族でなくなれば、最低賃金にも違いが出てくる。
そうなれば良い女と結婚することも、見た目の良い亜人女奴隷を買うことも難しくなるだろう。
そんな時、街の外からやってきた奇妙な女を見かけた。
街で売っているような外套で全身を覆い、フードで顔を隠していたが、そのきめ細やかで抜けるような白い肌と、その足下が貴族の令嬢のようなハイヒールを履いていたので、どこかのお忍びの貴族かとロランは考えた。
ご令嬢に伴がいないのは不自然にも思えたが、フードから覗かせる整った顔立ちや気の強そうな真っ赤な瞳を目にして、こんな女を自分の物にしたいと強く思った。
ロランは自分の容姿や話術などに自信はあったのだが、半日ほどしてもその女の素っ気ない態度は変わらず、唐突におかしな話をはじめたその女に、焦れたロランが強引にどこかへ連れ込もうと考えた時、その女が、いきなり氷の魔術を太守館の正門に撃ち放った。
「ひああっ! な、なんだっ!?」
凍えるような冷気の余波を受けて、悲鳴をあげて吹き飛ばされるロラン。
正門は門番ごと一撃で凍りつき、急激な温度差の収縮で崩壊していく悪夢のような光景の中で、ロランはその魔術を放った女の声を聴いた。
「さあ、死にたくなければ退きなさいっ」
脚と背中を剥き出しにした、まるで血のように赤い真紅のドレスを纏う白い少女。
だがその格好の奇抜さよりも、ロランや周囲の一般人達は、その少女の頭部にある、真っ白な長い耳と、腰にある愛らしい小さな丸い尻尾に目を奪われた。
「……獣人?」
まさか家畜に過ぎない亜人が人族である自分を騙していたのか? 一瞬少女の魔術のことも忘れて憤りを感じたが、同時にロランは、亜人なら強引に自分の物にしても問題がないことにも気が付いた。
だが、あの長い耳は何だ?
まるで“ウサギ”のような長い耳を見て、どこかで見た微かな記憶が揺さぶられたロランに、周囲の者達から漏れた声が聞こえた。
「ウサギ……大金貨五千枚っ!」
その声に、そこに居た者達は、数週間前に届いた、中央大陸のトゥーズ帝国から出された手配書を思い出した。
霧の魔術を使う白い兎の獣人。それを捕まえた者には大金貨五千枚が支払われる。
普通に生活していれば絶対にお目に掛かれない大金に、目が眩んだ者達がフラフラと誘われるように、素手や護身用のナイフで一斉に襲いかかった。
『ウサギっ』
『兎獣人っ』
『大金貨五千枚っ!』
人々の声は伝言ゲームのように瞬く間に広がり、次々と男だけでなく、それを聞きつけた、包丁を構えた主婦や石を拾った老人が、太守の館前に殺到しはじめた。
*
「大金貨っ!」
襲ってきた太った主婦を蹴り飛ばすように飛びはね、人の波を躱す。
耳を見せれば混乱するかと思ったけど、まさか主婦や老人までも襲ってくるとは思わなかった。
私は軽く跳びはねながら、人の頭を踏み台にして逃げ回っていると、ようやく太守の館から兵士達が現れた。
「これは何ごとだっ!」
その中央にいる偉そうな人は誰だろう? その声に百人近い住民が一瞬動きを止め、商人っぽい住民の一人が慌ててそちらに向かい、何ごとか男に話し出すと、その偉そうな壮年の男はニタリと笑って私を指さした。
「なるほど貴様が、トゥーズの若造が手配書を出した兎獣人だなっ! 大人しく儂に捕まれっ! あの若造には渡さず、儂が飼ってやるぞっ!」
「………」
若造ってティズのことか。この人はこの国の太守? まさかすぐに出てくるとは思わなかった。
太守が捕縛を命じたことで住民達が気後れしたように武器を下ろす。
でもその向こうから、さらに数百人の住民が駆けつけてくるのを見て、私は住民達にウサ耳を揺らすように微笑みかけた。
「あら、あなた達は大金貨をいらないの?」
「…………」
「い、いるに決まってんだろっ!」
「そうよっ! あんな太守よりもお金のほうが大事だわっ!」
数人の住民達が声をあげると、それを聴いた太守が目を剥いた。
「貴様ら、誰のおかげで生活が出来ると思っているっ! 碌に税金を納めない穀潰し共めっ!」
「なんだとっ!」
「うるせぇ! ぼんくら太守っ」
「魔素の使用料金ばかり値上げしようとしたのは忘れてないわよっ!」
「また自分の贅沢に使うつもりじゃろっ!」
ここの太守はよっぽど人気がないのね。追加の住民達がやってくると彼らが気を大きくして口々に太守の文句を言い始めた。
その言葉に顔を赤黒くした太守は、剣を抜いて振り回す。
「ええいっ! 邪魔する者は斬り捨ていっ!」
そして住民達に兵士達が走り出した瞬間、私は広範囲に濃霧を発生させた。
「なんだ、突然霧がっ!?」
「何も見えないっ、ウサギはどこっ!?」
「確かこっちに」
「お、俺じゃ…ぎゃああああああああああっ!」
私が数人に攻撃を仕掛けると、怯えた住民や兵士がデタラメに武器を振り回し、次第に同士討ちが広がっていった。
これが冷気の霧なら纏めて倒せるけど、今回は範囲を優先して切り離した持続状態にしてあるので、視界を遮る程度の効果しかない。
その混乱の中で人をすり抜けながら館のほうへ向かうと、突然私の前に誰かが立ち塞がった。
「ここに居たかっ、ウサギめっ!」
太守が単独で前に出てくるとは迂闊な人……。
一国の王といっても、規模的には大きな街の領主だし、こんなものか。
私が立ち止まると、それを観念したと思ったのか、太守がニタリと嫌らしい笑みを浮かべて近づいてくる。
「これから儂が……が、」
霧の中で突然太守が前のめりに倒れた。
何が起きたのだろうと思っていると、その後ろから血塗れの剣を構えたロランが奇妙な笑みを浮かべて私を見ていた。
「お前は俺のモノだ……そうだろ?」
「…………」
意味が分からないけど、そろそろ限界か。見つけたドローンは潰しているけど、これ以上時間を掛けると、また運営から魔物アバターを送り込まれる危険がある。
私はニタニタ笑って近づいてくるロランにそっと手を伸ばすと、その先にいるであろう多数の人間を巻き込むように、盛大に冷気を撃ち放った。
*
館の外は霧を残してきたのでまだ同士討ちの混乱が続いている。
でも館の中は使用人程度しか残っていなかったので、途中で襲ってきた数人を凍りつかせると、すぐに誰も邪魔をしてこなくなった。
館の広さはかなりあり野球場ほどもあったけど、【若木】のある場所は誰かに尋ねるまでもなく、すぐに分かった。
誰でも足を踏み入れられる館の中庭に、世界樹の【若木】が立っていた。
「………」
高さ十数メートルの大きな樹木。でもその樹皮は剥がされて何本もの金属の杭が差し込まれ、葉は全てむしられ、また生えてくるそばから葉の収穫をしていた作業員達を、私は一瞬で凍らせた。
うん、痛いよね。私もよくされていたから分かるよ。
大丈夫よ。すぐに楽にしてあげるから。
私は若木の幹に手を当て、ゆっくりと凍結させる。すでに枯れかけていた枝が落ちて塵となり、次に【若木】そのものが塵となって消滅した。
その瞬間、空気そのものが変わったのを感じた。
館に灯っていた照明や空調が次々と止まりはじめ、館の中から戸惑いが伝わってくるのが分かった。まぁ、本当の混乱はこれからだけどね。
私は最後に残っていた消えそうなラインに乗って、新たに生まれた【若木】の所へ跳ぶと、誰も入らないような深い森の中で周囲の木々に隠されるように、30センチほどの小さな苗木が生まれていた。
だいぶ離れているし、多分これなら人族に見つからないと思うけど、念の為にタマちゃんと二人で腐葉土をてんこ盛りにして隠してやると、そこから何か小さな白い魔石が飛び出して私に吸い込まれた。
え……何これ?
【シェディ】【種族:バニーガール】【准大悪魔級-Lv.2】
・人を惑わし運命に導く兎の悪魔。ラプラスの魔物。
【魔力値:14200/15600】3600Up
【総合戦闘力:15700/17100】3900Up
【固有能力:《因果改変》《電子干渉》《吸収》《物質化》】
【種族能力:《畏れ》《霧化》】
【簡易鑑定】【人化(素敵)】【亜空間収納】
……レベルが上がってる。
何故か上がったレベル。吸い込まれた魔石は何なのか?
次回、魂の魔石。




