40 動き出す世界
第三章【逆襲編】のエピソードとなります。
VRMMORPG『イグドラシア・ワールド』のβテストが開始されてから三ヶ月が経過し、予定されていた半年を待たずに正式版の発売が正式に決定された。
この正式版早期発売の理由は、表向きにはβテスターからの評判もよく、テスター選考に漏れたユーザー達からの声に応えて、とされているが、事情を知る一部の者は出資をしている政府関連からの意向によるものだと考えた。
実際にユーザーからの求める声は多く、裏で政府より開発を急かされていたことは確かだが、その裏には、上層部しか知らないさらなる理由が隠されていた。
製薬と軍事産業の複合企業。その第七研究所が所有する末期患者用医療施設にて、公表はされていないが、職員のほとんどが死亡する事故が発生した。
その死傷者の数は700余名とされ、警備員全員を含めた被害者は鋭利な刃物で殺された者もいたが、そのほとんどが完璧に湿度と温度管理がされていた室内で『凍死』という形で発見された。
どれほどの冷気が押し寄せたのか、窓から逃げられた幸運な者はごくわずかで、その大部分が窓に辿り着く前に凍結し、また凍てついて開かない窓に絶望の表情で凍りつく氷像と化していた。
だが上層部の興味を惹いたのはそこではない。室内で凍死というオカルトじみた死因には興味を惹かれたが、それ以上にそれを成した『存在』に興味を惹かれた。
兎の耳をつけた、赤いドレスを纏う白い少女。
その姿は、イグドラシア・ワールド内で発見され、単体個人で試作型の魔物兵器を複数台撃破した兎獣人の少女によく似ていた。
生き残った者の証言や、レンズが凍結して破損する前の監視カメラの映像から、魔物アバター実験の被験者であり、精神崩壊を起こして植物状態で収容された【№13】と酷似しているとの情報もあったが、外見年齢が違うので不確定情報として処理された。
政府や企業の上層部は、人型での高い戦闘能力にも注目していたが、それ以上に、向こうの世界と地球を行き来できる能力があるのではないか推測し、現地で【彼女】を捕獲する為の“眼”として、プレイヤー達を利用することを考えた。
ゲーム購入予定の潜在プレイヤー人口は最低三百万人とされ、【彼女】を【悪】とするラストボスエネミー【魔王】と設定することで、プレイヤー達に率先してウサギ狩りをさせることにしたのだ。
その為、イグドラシア・ワールドMMORPG完成発売の発表会では、プレイヤー達と戦闘していた映像だけではなく、一部魔物アバターとの戦闘場面や、秘密裏に処理された、施設内での赤いミニドレスの姿で人々を襲うシーンまでも編集されたVP映像が公開され、その惨殺シーンを高画質CGとして観たユーザー達は、【彼女】への興味を加速させた。
βテストから正式版になっての変更点は以下の通りとなる。
テスト版では死亡すると蓄積した魔力値が半分に低下したが、よりゲームを楽しみ、より気安く死亡出来るように、デスペナルティが三割に抑えられた。
課金による外見変更と、死亡時に落とさない専用装備の追加。
一部プレイヤーから出ていた移動の問題は、高速鉄道の本数追加と割引パスチケットを配布し、基本的には現実の国と変わらない広さがある、所属国周辺でまず遊んでほしいと告知するに留まった。
都市部での犯罪行為により逮捕拘留された場合は、即座にキャラクターが削除されると正式に通達され、あまりにも悪質で他のプレイヤーに迷惑が掛かると判断されたプレイヤーは、アカウントの削除があると誓約書に追記された。
そして一部のプレイヤーが待ち望んでいた【魔物アバター】の解禁である。
そして今日もイグドラシア・ワールド専用VRチャット掲示板では、正式版の話題について盛り上がっていた。
『正式版の価格は、通常版が69ドル。初回限定【1/6バニーちゃんフィギュア】付きが198ドルだっ』
『たっけーよっ、限定版っ! 買うけどっ!』
『ああ、あの運営がファンアートフィギュアの利権奪った奴ね……』
『でも制作者は専属契約して、例の大人バージョンも製作しているらしいぜ』
『バニーちゃんが魔王なら勝手に販売させないか……』
『えっと……フィギュアAが推定12歳普段着タイプ? Bが推定14歳ドレスの魔王バージョンのほうだろ?』
『まさか、ゲームのラスボスが、プレイヤーイベントにしれっと混ざっていたなんて、頭おかしいだろこのゲームっ(褒め言葉)』
『あれ、バニースーツ? ドレスみたいだけど』
『スカート以外はバニースーツっぽいね』
『やべぇ……どっち買うか迷う。最初の子供バージョンも捨てがたいし、十代半ばのほうはちょいエロい』
『悩むんなら両方買っちゃえよ。早くしないと転売ヤーに買い占められるぞ』
『ついに魔物アバターが解禁されたけど……どういう感じ? 別アカウント必要?』
『追加の高難易度ダウンロードコンテンツが必要で、19ドル80セント。ただし制約が異様に多くて、プレイヤーのサブキャラで使えるそうだけど、人間に見つかるとほぼ100%敵対されるらしい』
『なんだそれ、しんどいな。人間プレイヤーと戦闘出来るの?』
『このゲームの仕様からすると、人間プレイヤーどころか、人間NPCも襲い放題じゃない? そして討伐隊が組まれるまでが流れです』
『ひょっとしてさ、バニーちゃん側になれるとか?』
『運営もそれを期待しているのかもね。まずはバニーちゃんを発見出来ないとダメだけどっ』
『あ、なんかやる気出てきたっ! バニーちゃんのペットになりたいっ!』
***
「どこかなぁ……ウサギちゃ~ん」
第七研究所では、どんなに部下達が忙しくてもリアルは絶対に削らないと有名だった副所長ブライアンが、わずかな時間を見つけてはVRに接続し、義体ドローンの映像を血走った目で監視していた。
一ヶ月ほど前、健常だった彼の右脚は突然失われ、現在は【義体】システムを利用した義足に変わっている。
義足のおかげで以前と変わりない生活を送れているが、今でも幻肢痛が彼を苛み、足を奪った【彼女】への憎しみで、非常に危うい精神状態になっていた。
まだ実用段階とは言い難い、一般用魔物アバターの解禁は、ブライアンの提案によるものだ。
憎しみのあまり【彼女】を恋する男のように追い求めていたブライアンは、【彼女】の映像を美しく編集させ、一般プレイヤーに彼女を捜すように仕向けた。
魔物兵器の稼働問題の洗い出しと動作パターンを増やすためとして、上層部に解禁を認めさせた一般魔物アバターは、成長しても軍用魔物アバターの六割程度の性能しか得られないが、無害な魔物なら逆に【彼女】も油断するかもしれない。
人族やドローンを警戒して姿を見せない【彼女】だが、好意を見せて近寄ってくる魔物アバターになら気を許す可能性があった。
見つけさえすれば、そのアバターを起点にして軍用魔物アバターを送り込むことも出来る。油断をしているのなら【彼女】の側で、魔力暴走で自爆させるのもいい。
「ど~こ~かな~、出ておいでウサギちゃ~ん」
上層部を騙してさえも、そんな事を企んでいるブライアンに、秘書のオードリーさえ近寄ることはなかった。
***
そして予約数230万本。当日購入を含めると343万本が発売され、その約六割がキャラクターメイク後にログインをした直後、プレイヤー達だけに、唐突に緊急イベントのアナウンスが流れた。
『南部大陸、ラントロワ公国の【若木】が【魔王】により破壊されました。これによりラントロワ公国の【神殿】は機能を失います。同国のプレイヤーの方は早急に最寄りの国へ移動を推奨します』




