29 新しい国
地球の某国、とある製薬会社の第七研究所に勤める、主任研究員――最近はもっぱら副所長ブライアンの秘書をしている女性――オードリーは、先ほど同僚が面白がって見せてきた“映像”が頭から離れずにいた。
「まさか……いや、でも…」
VRMMOの架空世界と認知されている異世界、イグドラシア・ワールド。
その世界から【魔素】と呼ばれるエネルギーを回収するプレイヤー達を送り込む為、十年前より人族国家に干渉し、各地に魔素回収とプレイヤー復活地点である【神殿】を造らせていた。
人族達はそれを『知識をもたらす神』の神殿として建てたが、その実態はデジタルアライズされた機器と送り込まれた社員により、魔素や資源の研究と世界の監視が行われていた。
AIに制御され、隠密に特化した十万機の【義体】ドローンが、世界中の地形と気候を観測しながら飛び回っており、稀に勘の鋭い魔物などに襲われ、大破する場合もあるが、多くの情報を地球へ送っている。
ドローンのAIは、各地で異変が起きたと判断した場合、現場に急行し録画する事を義務づけられており、中央大陸西北部のトラスタン王国王都にいたドローンが、オークションが行われていた場所で異変を察知し、その一部を撮影していた。
オードリーは副所長室の手前にある自分のデスクに着くと、携帯端末にコピーされた録画データを視聴覚のみのVRで再生する。
そこに映っていたのは、オークション会場で多数の大人達と戦う、小柄な少女の姿だった。
霧や煙のような白いノイズがあり、対象の移動が異様に速かったことから不鮮明ではあったが、対象が風の魔術で吹き飛ばされたわずかな時間、一瞬だけ少女の横顔が撮影されていた。
その後すぐにドローンが霧に包まれたように真っ白な画面になって故障したので、それ以降の映像は存在せず、オードリーの同僚は、もし白いノイズが無ければVPに使えたかもしれないと残念がっていた。
「…………」
だがオードリーは、その少女に既視感にも似た感覚を覚えた。
白い肌に白い髪……そして真っ赤な瞳。アルビノのような特徴だが、獣人のような長い耳があるせいで、まるで兎のようだと思った。
でもそれ以上に兎の少女の横顔は、とある少女を思い出させた。
「……【№13】…」
裏αテスターとして最後まで生き残り、今は精神が消滅して植物状態のまま施設に収容されている、能力持ちで実の母親に『悪魔』と呼ばれたアルビノの少女。
オードリーは、その個人情報報告書に添付されていた、睨むような写真が強く印象に残っていた。
よく似ているだけの別人。
普通に考えればそうなのだが、何故か兎の少女と【№13】の印象を切り離すことが出来ず、嫌な予感を感じながらも、オードリーはその不安を心の底に押し込め、無理矢理それに蓋をした。
***
オークション会場から抜けだし、素早く野次馬に紛れた私は……
ポニョンポニョン。
……私とタマちゃんは、そこらで隠れたりせずに建物の上に登って屋根を飛び移り、丁度駅から出発しようとしていた高速鉄道の屋根にへばりついて、そのまま王都を脱出した。
丸一日列車の屋根で過ごし、次の街で私の情報が届く前に、今度は普通に列車のチケットを買って、普通に国外へ逃亡することが出来た。
チケットはお金さえ出せば、あとはチラリと冒険者登録証を見せるだけで特に本人確認をされることはなかった。
不思議に思って列車が来るまで、話し好きそうな売店のおばちゃんと世間話をしてみると、この登録証は持ち主の魔力を覚えていて、盗んだ盗賊などが使用出来ないように本人以外が持つと黒く染まるらしい。
要するに大きな街に外から入る時には調べられるけど、街の中では持っていることを見せるだけで通してもらえる、とんでもザル警備だった。
あ、もちろん、あの目立つ赤い外套は途中で捨ててるよ。
今回乗った列車は、トラスタン王国の東の方角にある、アンヌーフという小国に向かう列車みたい。
ただし隣の国なんて簡単に言うけど、地球みたいに生息可能な平野に敷き詰めるように国があるんじゃなくて、世界樹の若木というチート存在の側に国はあるから、距離は結構離れていて、ノンストップの高速鉄道でも丸々三日はかかる。
いや、それでもこれ、リニア並みに速いんじゃないの? 潤沢に使える魔力で結界を張っているのか、窓を開けても心地よい風しか感じないのに、周囲の景色がとんでもない速さで流れていく。
まぁ、遠くの景色を見ている分には飛行機と変わらないけど……。
国家間を通る列車は、八両編成で人が乗る車両は三両。客室は12で今回は7組しか客が居なかったので、私でも一つの部屋を一人で使えた。
客室側の窓から見える白い雪を被った山脈を見ながら、ようやく一息ついて、私は食堂車から買ってきたご飯をタマちゃんにあげながら、自分の“進化の結果”を確かめてみることにした。
【シェディ】【種族:ミストラル・ネージュ】【上級悪魔(下)】
・北海に荒れ狂う霧の悪魔。知性ある精神生命体。
【魔力値:1950/1950】415Up
【総合戦闘力:2145/2145】457Up
【固有能力:《再判定》《電子干渉》《吸収》】
【種族能力:畏れ】
【簡易鑑定】【擬人化(人間国宝)】【収納達人】
……さて、どこからツッコミいれようか。
まず、階級がようやく【上級悪魔】になった。戦闘力的に見ると多少強くなったかな?って程度に感じるけど、密度が増えたというか、霧が濃くなったというか、一撃が重くなった感じがした。
多分、地力が増したって感じかな。種族も上位種になった感じでネージュ? 確か、“雪”とかそんな意味だっけ? これは新しく得た固有スキルも関係すると思う。
あの黄色い魔石。あれを取り込んだことで【№17】の能力も取り込めた。
固有スキル【吸収】……確か、私達のアバターが持つ敵を倒して魔素を吸収する元となった能力で、【№17】の力はさらに色々吸収出来るみたい。
私の場合は、霧を使う事で生命力の吸収がさらに容易になって、それだけじゃなくて周囲の“熱”を吸収して冷気を発生出来るようになった。
これだけで戦いの幅が随分と広がったんじゃないかな。
後は……【擬人化】がまた妙な具合に上がっている。……上がっているんだよね? 何よ、この“人間国宝”って。……評価の意味が分からない。
中身は相変わらず霧のままだけど、表面上はどう見ても人間と区別は出来ない。
でも身体が成長したのは、多分、進化して密度が増えたからだと思う。
最初は10歳程度で身長135センチくらいだったのに、次で140センチになって今は145センチくらいになっている。
ただ身長が増えただけじゃなくて、これは人間国宝の成果か、頬とか少しスッキリして、身体も女の子らしく丸みを帯び、ちゃんと12歳の見た目に成長していた。
でもウサ耳。ちゃんとウサ尻尾も残ってる。
おかげですっかり兎の獣人と勘違いされちゃった。
実はビックリ、どこかの皇帝だったティズも、兎が珍しかったのか、奇妙な宣言までかましてくれた。どこまで本気か分からないけど。
それでも暴れたから凶暴な兎で指名手配とかされてそう。この世界の情報伝達がどの程度か知らないけど、入国で調べられる前に逃げないと拙いかも。
その点、あの時『エルフ族の秘宝』を手に入れられたのは幸運だった。
見た目は綺麗なだけの銀細工のネックレス。でもこれは魔道具らしく、出品リストの説明によると、自分の気配を意思で抑える効果があるみたい。
生粋の狩人であるエルフらしい宝物だね。
私は、そうだとしたら【鑑定】も誤魔化せるんじゃないかと考えた。
確か【鑑定】は相手の情報を盗み見るような性能じゃなくて、私の主観で相手の名称がコロコロ変わるように、観察力と感知能力で相手の能力値を察する能力だ。
だとしたら、気配を丁度良いくらいに抑えれば、相手の【鑑定】も誤魔化せるんじゃないだろうか?
少なくとも、不審には思われても悪魔だとはバレないと思う。
もしかして、これがあのエルフの子達が言ってた奪われた財宝かもしれないけど、もう返すあてもない。
これからの事だけど、無事にアンヌーフ国に入れたら、最後の【№08】の魔石の情報を集めないといけない。
残り猶予、二十日……。
これでもし、他の大陸とかだったらお手上げだ。でも三人で合流することを考えていたら、きっとこの大陸に居たはず。
手っ取り早いのは……やっぱりβプレイヤーとの接触だろうなぁ。
彼らに真実を話すという選択肢もあるけど、多分信じてもらえないと思う。私だってあの極限状態で、同じ極限状態だった【№01】の言葉だから、この世界が異世界だとギリギリだけど信じられた。
それに私が【№13】だとバレたら、地球にある私の本体が処分されるかもしれない。
だから私が裏αテスターだと知られずに、現地人……彼らにとってのNPCとして接触する。
……毎度のことだけど、自分でも行き当たりばったりがすぎると思う。
情報を得られても遠かったらまた旅費が必要になる。お金も稼がないとなあ……あの人買いから戴いたお金も、残り大金貨1枚と小金貨3枚しかない。
外套も予備に残していたこの1枚だけで、あとはローブが一着しかないから、どこかから手に入れたい。
……色々面倒。
その二日後、アンヌーフ国の玄関である港町に列車が入り、入国管理局の兵士が列車の中を調べに来る前に、私は霧になって抜け出し、街の中に紛れた。




