後日談05 悪魔ブライアン
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『――会いたかったよ……ウサギちゃ~ん――』
雪に埋もれた広大な大森林を侵食するように広がっていく“灰色の粘体”から、突然そんな“思念”が脳に響いた。
その口調……その狂気の思念はまさか――
「ブライアンか……ッ」
異世界部門の責任者の一人で、私を含めた百人の孤児の運命を弄び、私の反撃で身体と精神に傷を負って私だけに執着したブライアンは、最後に邪妖帝フィオレファータさえも呼び出し、“祝福”されて悪魔になったところを私が殺した。
それが何故、復活しているのか? 完全に滅ぼしたと思っていたけど、悪魔化したその“核”がどこかに残っていたのか……。
【ブライアン】【種族:邪妖精(苗床)】【―悪魔―】
・高位の悪魔に祝福され、穢れきった魂が悪魔化したもの。
【魔力値:****/****】
【総合戦闘力:****/****】
完全に悪魔に堕ちている……。それでも悪魔としての格は低いはずだが、群体なのかやたらと質量が大きいせいで鑑定もできない。
『ウサギちゃあああああああっんっ!!』
見渡す限り広がっている灰色の粘体――悪魔の祝福体が、ブライアンの思念と同時に沸き立つように波立ち、無限とも思える数の触手を私へ伸ばす。
コイツは危険だ。悪魔としての格は低くても、悪魔への備えの無いこの世界では、脅威度は高位悪魔に匹敵する。放置していれば全てを侵食して全てを喰らい尽くしてしまうだろう。こんな存在は、この世界でなくても、どこの世界であってもこれを一欠片も残してはおけない。
迫り来る触手の群に、私は《因果改変》と《餓喰》で辺りの光や熱を食い尽くし、自分の中にある魔力と練り合わせて、両方の手の平に生まれた白い塊を叩き潰すように手を合わせる。
パンッ!
「――【真・極界】――」
その瞬間に飛び散る極限の冷気が触手を一瞬で凍りつかせ、周辺数キロメートルに渡って原子の塵に変える。吹き荒れるダイヤモンドダストがさらに数キロメートル彼方まで凍てつかせ、極寒の森林を極低温の地獄に作り替えた。
「…………」
半径数キロメートル、深さ百メートルにも及ぶ、白く凍結したすり鉢状のクレーターになったその中央に浮かびながら、私は目を細めるようにして周囲を睨め付ける。
――ウサギ――ウサァ――ウサギィ――うさぎちゃ――ウサ…――ウサギちゃん――ウサギ――うさぁ――うさぎちゃーん――うさぁ――ウサぎぉ――うさぎぇ――ウサギ――ウサァ――ウサギィ――ウサギちゃぁ――うさぎちゃ――ウサ…――ウサギちゃん――ウサギ――うさぁ――うさぎちゃーん――うさぁ――ウサぎぉ――うさぎぇ――ウサギ――ウサァ――ウサギィ――うさぎちゃ――ウサ…――ウサギちゃん――ウサギ――うさぁ――うさぎちゃーん――うさぁ――ウサぎぉ――うさぎぇ――ウサギちゃぁああああッ――
そのさらに周辺から津波のように押し寄せてくる“灰色”の波から無数の思念が発せられ、そこから羽虫のように無限とも思える“邪妖精”を吐きだしはじめた。
おそらくあの灰色の粘体は、アメーバのような小さな菌の集まりなのだろう。その菌の一つ一つが、【悪魔ブライアン】なのだと推測する。
だけど、その思考はどうなっている? その思考も菌が脳のような組織を構成しているの? ううん、違う。悪魔である以上、どこかに“核”は存在しているはず。
それなら異世界への門があったこの地にあるのかと思ったけど、ここに“核”は無かったのか……
フィオレファータとは別の意味で厄介な敵だ。力も魔力も強くない。でもその代わりにこの世界、地球の生命を生け贄と依り代にして、その魂を魔力代わりにしている。
このままでは地球の生命が食い尽くされる。その猶予はどの程度残っている? ブライアンはどこまで広がっているのか?
情報が足りない。
「【炎華】ッ【氷華】ッ!」
左手から霧を、右手から吹雪を直線上に放ち、その場で回転しながら迫ってくる邪妖精どもを凍りつかせ燃やし尽くすと、私は情報を求めて音速を超える速度で空へと登り始めた。
高度千…二千五百…四千……青みがかった白い空が青みのある黒へと変わり、真下を見下ろすとここがユーラシア大陸だと分かった。
成層圏では多くの電波が飛び交っていたが、私の能力でもそこから直接情報を引き出すことは難しい。だから私は、その電波を辿って近場にあった軍事衛星の一つに転移をして取りついた。
ほぼ真空の成層圏で衛星に取りついた私は、真っ赤な爪を機体にめり込ませるようにして《次元干渉》を使い、世界の電子網にアクセスする。
「……なんてこと」
ユーラシア大陸を中心として、電子網が発達した国で邪妖精の苗床である灰色の粘体が各地で現れていた。今はまだ、被害が酷いのはユーラシア大陸の中心だけで、出現する邪妖精も各地の軍隊で対処できる程度で済んでいる。だけどそれも時間の問題だ。
悪魔は魔力がなければ顕現状態を維持できない。今はそれをこの世界の生命を取り込むことで維持しているから、この世界の武器でもなんとか対処できているけど、悪魔の撃退はできても滅ぼすことができていない。
早急に手を打たないと……この世界が食い尽くされるより先に、混乱したこの世界が自滅する。
その瞬間、軍事衛星の監視網と私自身の探知能力に何かが見えた。
高速で飛来する飛行体……ミサイルかっ!
弾道から計算すると発射元は先ほどの国の軍隊だと思う。百近い数のミサイルが成層圏まで昇り、弧を描くようにして灰色の粘体がたゆたう森に突き刺さって、大量の炎を撒き散らした。
「…………」
沢山の火はある程度の破邪効果があると聞いたことはあるけど、ミサイルの炎でもそれは有効なのか?
「ッ!」
その時、一瞬通り過ぎる大量の思念波に、私は思わず片手で頭を押さえる。
結論としては炎は効いている。この世界の物質を元にして顕現しているから、ある程度の効果は見込めるけど、実際に効果があったように見えるのは、炎が粘体の餌になる森を焼いてしまったからだ。
さっき感じた大量の思念は、森に生きていた生物の断末魔の悲鳴だ。それが発する負の感情は“障気”を生み、悪魔を活性化させる。
火に焼かれ、餌がなくなり停滞したように見えた灰色の粘体だったが、障気を取り込んで再び動き出し、餌がなくなったその場に留まることを止めて“贄”を求めて周囲に拡散しはじめた。
やはり核を見つけて滅ぼさないとダメだ。だけどそれはどこにある? どうやって見つける?
「――《次元干渉》――」
能力をフルに使って周辺で魔力の多い部分を捜す。だけど見つけられない。それでも捜すしかないと探知を続けていると、再び飛来する飛翔物体に気づいた。
またミサイル? でもおかしい……さっきは百近いミサイルを撃ったのに、飛んでくる飛翔物体は一つだけだ。
この熱量……まさか…
「核弾頭……」
核ミサイルでも同じことだ。ブライアンの“核”に直撃でもしない限り、どれだけの熱量で焼いても、一時的な停滞効果しか見込めない。それ以上に環境に影響が出過ぎるとこの星自体にダメージが入ってしまう。
それはダメ。私が護りたいのは、この星の人間ではなく“地球”そのものなのだ。
私は取りついていた衛星から離れてその飛翔体に向かって飛び出した。
体内の魔力を吹き出すように推進力に変え、弾道ミサイルを追う。成層圏を越えて落ち始めた弾道ミサイルの速度は秒速数キロにもなる。成層圏を空気の摩擦で真っ赤に燃えながら後を追い、ミサイルに追いついた私は、渾身の力でミサイルの土手っ腹を蹴り上げ、核弾頭に真っ赤な爪を打ち込んだ。
「――《餓喰》――ッ!!」
爆発する核弾頭。真っ白な光が空間を焼き尽くし、私の《餓喰》がその熱も光もすべて吸い込んで喰らい尽くす。
「……ふぅ」
神化した私に放射能も熱も効かないけど、兵器という人の“悪意”を食らったせいか、精神が疲労していた。
だけど休んでもいられない。私の冷気なら星にダメージを与えず、上手く拡散を抑えながらブライアンを探せるはず。そう考えて移動を始めると、今度は複数の反応が私のほうへ近づいてくるのに気づいた。
「……戦闘機?」
近づいてきた数十機の戦闘機は、私を見つけると互いに通信のようなものをして、私へ攻撃を開始する。
この国は私を敵と認めたのか……。それ自体に文句は言わない。彼らからしてみれば私も自分の国で暴れ回る悪魔にしか見えないのだと思うから。
私に彼らの上層部を説得するつもりはない。政治家との話し合いなんてどうせ自分の利権を求めるだけだから、そんなことに何十時間もかけるのは時間の無駄だ。
だから最初に言っておく。
「……ごめんね」
亜空間収納に収められていた適当な武器を投げ放ち、戦闘機の一機を撃墜しながら、私は神霊語で意思を放つ。
『死にたくなければ私の邪魔をするなっ!』
次回、たぶん最終。地球との決着。
次は年末くらいです。




