1-06 なまくら騎士と野生の姫の革命譚
ジェイ・ブローニュは神聖栄誉騎士、グラン・シュバリエの地位にまで上り詰めた剣の天才だ。しかし、同時に目標を失った彼は、次第に人を殺すことを恐れるようになってしまう。そんな彼を、周囲はしけった花火と揶揄し、放逐した。
故郷の農村に帰り、用心棒として怠惰にすごしていた彼だが、ある日山賊の討伐を依頼される。そこで出会ったのは一人の少女。貴族然としたいでたちで貴族らしくない荒々しい口調の彼女は、キャロル・フォン・ローゼンハイムと名乗る。謀殺された前王の娘こそ、自分であると。
「私は、人を殺さない騎士が欲しい。いいか、殺せないじゃなく、殺さない騎士だ。私の革命のためには、それが必要だ」
騎士として死んだジェイは、彼女の言葉で再び剣を取る。
空は突き抜けるように青い。雲一つなく、伸びっぱなしの前髪の隙間からちらちらと、太陽がまぶしく目をさしてくる。なんだ、文句でもあるのか。俺は酒瓶をぐっとあおった。果実酒の豊かなにおいの中で、日差しにあっためられたせいか、渋みがやけに舌に残った。
夏真っ盛り。視線を下ろせば緑がむわりとしている。顔見知りのジジババが額に汗して野菜の収穫にいそしむ中、俺はさらに酒を飲む。何しろ用心棒だ。魔獣も来なければ賊も出ないのだから、腰のこの剣を握って目立つところにいるだけで、みんな安心して働けるというものだろう。老人たちが作業の合間にする世間話を聞きながら、あぜ道のど真ん中で堂々としているのが、今の俺の務めだった。大儀そうに、額ににじむ汗をぬぐう。
「よぉ、ジェイ。一つ仕事を頼みたいんだが」
「うぉっ、じいさん。いつの間に」
汗をぬぐって目を開けると、いつの間にか目の前にロイじいさんがいた。思わず一歩下がってしまって、足を踏み外しそうになる。
「……珍しいじゃないか。仕事だなんて」
「そうさ、珍しいだろう。珍しすぎてカカシになるところだったんじゃないか」
「カカシだって案外いいものだろう。文句も言わず役に立つ」
「だがカカシには、酒樽の役目はないぞ」
ロイじいさんはにこにこと、俺が片手に提げた酒瓶を指でつつく。昔からこのじいさんには敵わなかった。
もちろん、剣の腕であったり、単純なケンカだったら負けるわけがない。だが、畑仕事で日焼けした、ごつごつしたげんこつで俺を殴り、にこにこと叱ってきた思い出がどうにも。今は年老いて、衰えたげんこつは腰の後ろで組まれるばかりだが、それでもロイじいさんはロイじいさんなのである。
俺は酒瓶を足元において、腰にはいた剣の柄頭に空いた手を置く。さっさと要件を済ませてしまうに限る。
「それで、仕事の話は」
「あぁ、それだそれだ。噂に聞こえた話なんだが――」
◇◆◇
俺が隠居しているトラスという村は、平凡な農村だ。大都市フェーデからコルケー山を一つ挟んだところにあり、雨は少なく、フェーデから離れるほど土地は乾いて荒れていく。はるか遠くには異国の民が住むと聞いたことはあるが、交流はない。それゆえ、誰が何をしに来るということもなく、トラスからフェーデへ野菜を売りに馬車を出すとして、それを襲う賊などいなかった。
「そんなところにお貴族様が、ね」
山道をそれ、草木の間に分け入る。邪魔な枝を短剣で払い、蜘蛛の巣をよける。虫の羽音や、小動物の動き。生き物の気配というやつが耳をくすぐる。
ロイじいさんが言うには、こんなコルケー山に貴族がやってきていて、しかも賊に襲われたようであるというのだ。にわかに信じがたくはあるが、山道には確かに、轍の跡があった。しかも、どうも途中で山道を外れ、斜面を転がっていったような痕跡だった。そしてロイじいさんの話の根拠は、山の中で採集をしていた村人が、真新しい馬車の残骸を見かけたというもの。
信じられない話ではあるのだが、今のところ辻褄はあっている。
――関わりたくはないな。
なんだか変な状況だった。ロイじいさんは、山賊を追い払ってくれと、お前の実力なら大丈夫だろうと簡単そうに言われたが。馬車に乗っていたはずの貴族はどうなっているのか。数日たった今である。生きてはいないだろう。生きていたとしてもろくな状態じゃないだろう。そんな、死体か半死体かになってしまった高貴なお体を、どう扱えば波風立たずに済むのか。
けれども、頼まれてしまったものは頼まれてしまったのである。
腰に伸ばした手が空ぶる。そうだ。さすがにと思って酒瓶は置いてきたのだった。生真面目な自分を不当に呪いつつも、耳にかすかな音。
音は、近づいてくるように感じた。木の陰に身を隠す。いつでも剣を引き抜けるように。やがて、かすかな音は明確な会話へと変わる。
「さぁ、キャロル様。こちらへ」
「ちょ、引っ張るんじゃねぇ。レディは丁重に扱えよ!」
この暑いのに、黒い外套をかぶって姿を隠した集団だった。いや、一人だけ違う。中心にいるのはドレスの少女。きらびやかな金髪を背に遊ばせた、豪奢で華奢な少女だ。そんな彼女が縄に縛られ、キャンキャンと吠えている。どうやら、さらわれているらしい。
これは、山賊ではないな。
計画的に、彼女を狙っての襲撃だったのだろう。あの人形のよう少女は、おそらく政治的に価値を持つに違いない。あの口の悪さだから、何か生まれに事情のあるお嬢様なのか。とにかく、このまま山を出ればもう、トラス村に迷惑がかかることもないだろう。
黒い集団は近づいてくる。俺が入ってきた山道に、逆に出るつもりなのかもしれない。このまま息を潜めてやりすごすことにした。立ち去るとしても、たどる道が同じならば背中から襲われかねない。俺は剣から手を放し、気配を殺す。
少し、ためらう気持ちもある。あの少女はこの先、ろくな目に合わないだろう。正義の心が助けてやれよと訴えている。
しかし、相手は生身の人間であって――
「おい、待て!」
気づけば、とらえられていた少女が駆け出している。
体当たりをかまして、縛られた縄の端を引きずりながら。大したお転婆だ。
しかしそれでも森は走り慣れていないらしい。危なっかしい。
案の定、地面に転がってしまった。奇しくも俺の足元に。
「冗談だろ……」
後ろからは黒い集団が迫る中、少女が俺に気づいた。
勝気な瞳が俺を見上げる。気まずくて目をそらす。
仕方なくしゃがみ込んで、声を潜める。
「すまんな。俺は逃げるぞ」
「なんだよ、悪漢に追われる可憐なお姫様を救って、白馬の王子様になるチャンスだぜ」
「可憐なお姫様が、そんな酒場の荒くれみたいな話し方をするものかよ」
本人曰く可憐な顔に土をつけながら、少女は笑った。その胆力はすさまじいと思う。
だが、それでこの局面がどうなるというものではない。現実は非情である。いまだ何か言いたげな少女を放って、俺は立ち上がる。少女もまだ諦めるつもりはないらしく、芋虫のようにもぞもぞと動きながら立ち上がろうとする。こいつが走り出したら、それとは別の方向に走りだそう。
彼女は最後に、俺の腰に提げた剣を一瞥した。
「お前が、あのジェイ・ブローニュであったならな」
別に俺に聞かせるつもりもない呟きだったのだろうが、つい言葉を返してしまう。
「ジェイ・ブローニュ? お前、まさかジェイ・ブローニュを探しに来たのか」
「なんだよ、知ってるのか?」
「知ってるも何も、そりゃ俺だ」
「あぁ?!」
少女が大声をあげてから、しまったと後悔する。このまま行かせてしまえばよかったのに。
「なに? 誰かいるのか」
おかげで、俺の存在は黒い外套のやつらにも気づかれてしまったらしい。剣を構える気配に、俺は降参の意思として両手をあげ、木の陰から姿を現す。
「すまない。通りがかりだ。すぐいなくなるから気にするな」
「こんなところを通りがかるやつがあるか。どちらにせよ、生かしておくわけにはいかない」
「ま、そうだよなぁ」
改めて人数を数えると、四人いた。全員が一斉に剣を抜く。少女は俺の背に隠れるように身を寄せてきた。頼むから勘弁してくれ。
「おい、あんた本当にジェイか? あの神聖栄誉騎士のジェイか」
「あぁ、別名しけった花火のジェイさ」
「そっちのほうはどうでもいいんだよ!」
敵は広がりながら、囲いつぶすようにじりじりと迫ってくる。
「数々の武勇を残し、最年少で神聖栄誉騎士になったんだろ? あんなやつら敵じゃないだろ」
「騎士になったとたん、てんでダメになったから、しけった花火なのさ」
事実、俺は神聖栄誉騎士のジェイ・ブローニュで間違いない。もうその称号ははく奪されたが。
飽きるほど剣を振るった。飽きるほど人を殺した。その結果、目標を達したら剣を振ることに、人を殺すことに飽きてしまった。ジェイ・ブローニュとはそれだけの男だ。上げた両手はすっかり震えていて、剣など握れたものじゃない。
打ちあがるだけ打ちあがっておいて、咲いて開くことのない、くだらない花火だ。
「そんなしけった花火だから、私はお前を探しに来たんだぜ、ジェイ」
芯の通った声が、俺の背中を打つ。
「私は、人を殺さない騎士が欲しい。いいか、殺せないじゃなく、殺さない騎士だ。私の革命のためには、それが必要だ」
「革命? 冗談にしたって笑えないぜ」
「冗談じゃない。そして話を遮るな」
この少女は、確かキャロルと呼ばれていたか。キャロル嬢は死の恐れがないらしかった。背に隠れてしまったせいで顔は見えないが、その声色に恐れはない。
「いいか。お前はしけった花火じゃない。まだ開く時が来ていないだけだ。そのまま誰より高く上がっていって、そのあとでお前はやっと花開くんだよ」
「で、そのまま燃え落ちるってか?」
「人生で一瞬も光らないより、ずっといいだろ?」
「はっ、言うじゃねえか」
それこそ人生で一度も輝いたことのないだろう子供のセリフじゃない。
「ジェイ、できるだろ。例えばそこの四人くらい、殺さず黙らせることくらいさ」
まぁ、だからこそ。背伸びしたガキの口車に乗るのも一興だろう。殺さなくていいと考えるだけで、手の震えは幾分マシになった。
「四人いるからな。一人につき、酒を一本おごってもらおう」
「女の駄々は神様のお使いなんだぜ。そんなせこいこと言うなよ」
「ったく、憎たらしいお嬢様だ」
笑いを口の端でかみつぶす。そして俺は、久しぶりに剣を抜いた。





