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1-03 百年後、妹が勇者になるようです

――百年後、妹が勇者になるらしい。


 女神からそう聞いて、桜庭仁介さくらばじんすけは困惑していた。

 三つ年下の妹・志乃しのは病弱で、とてもではないが、勇者の役割を果たせるとは思えない。案の定、女神のシミュレーションでは、志乃が魔王封印に成功する確率は一万分の一程度。魔物、病気、賊……ありとあらゆる死が妹を待ち受けているようだった。


「仁介を呼び寄せた理由は一つ。異世界に転生し、百年後までに、志乃の死ぬ要因を排除してもらいたいのです」


 元の世界には戻れない。志乃が勇者になるのが避けられないなら、仁介に迷う理由はなかった。


「妹を守る。そのためなら、僕は何だってやります」


 タイムリミットは百年後、残機は十五。

 様々な困難が降りかかる異世界で、仁介はひたすら転生を繰り返す。妹がスムーズに魔王を封印し、平穏な人生を過ごしていける未来を目指して。

 処刑台から眺める民衆の顔は、今の空模様のように、なんだか泣き出しそうに見えた。


 底抜けに明るいパン屋のおばさん。些細なことで怒鳴る肉屋のおじさん。駄菓子屋のおばあさんなんて、足が悪くてろくに出歩けなかったはずなのに、今は群衆の中で杖をついている。みんな揃って同じ顔だ。


「――第一王子ハイジン・グロムウェル、十歳。最期に貴様の命乞いを聞いてやろう。内容によっては、聞き入れてやらんこともない」


 おかしなことを言うものだね。

 そもそも処刑人の彼には、斧を振る義務こそあるけれど、処刑自体を取りやめる権利などないだろうに。


「何を笑っている!」

「あぁ、ごめん。命乞いだったね」

「そうだ。あまり長くは待たんぞ」


 今回の処刑を決めた者は分かっている。うちの国を土足で踏み荒らしたルドベキア帝国軍の司令官だ。

 だから、処刑人の気分が僕の結末を左右するとは思えない。民の前で命乞いをさせるのは、単純にこの処刑を盛り上げるためだろう。つい先程も、大人の王族たちがまったく同じ流れで殺されていったし。


 それにしても。処刑というのは、もう少し恐ろしいものだと思っていたけど。不思議と、今の僕の心は凪いでいる。


「――グロムウェルの民。僕の愛する臣民よ」


 処刑台には拡声魔術の込められた魔道具が設置されているから、僕の声も遠くまで響く。どうか一人でも多く、この言葉を聞いてほしい。


「僕が生まれてこの十年、ひたすら頑張ってきたことがある。それは、()()だ」


 僕の言葉に、王都の広場は微妙な空気に包まれた。まぁ、それはそうなるよね。


「公衆浴場や公衆トイレの設置に始まり、都市の出入り口には装備品の洗浄所を。国中に上下水道や汚水処理施設も作った。香り付き石鹸に至っては、この国の特産品にまで成長した……もちろん臣民のみんなが、王族である僕のワガママに苦笑いで付き合ってくれていたのは理解しているよ。また王子様の()()()()()が始まったって」


 まぁ、常識が違うから仕方ないとは思うけど。

 この世界には日本とは違い、ちゃんとした衛生観念というのが根付いていない。人糞が道端にポツンと鎮座していることもよくあったし、酷い体臭をキツい香水で誤魔化している人もたくさんいた。


「だけど、みんな気づいているかな。衛生に気をつけていたこの数年……身の回りで、病気にかかる人が激減しているってことを」


 僕がそう言えば、民衆はハッとした顔で周囲と目配せしている。よしよし、この反応をしてもらえたなら、これまで頑張ってきたかいがあるよ。


「僕はもう記憶に残ってないけど、母様は病で亡くなったらしい。それで色々と調べたんだ……どうやら病魔というのは、不衛生な環境が好きらしくてね。だから、みんなには衛生に気をつけて過ごしてもらったんだ。僕の愛する臣民が、母様と同じように、病魔に(むしば)まれることがないように」


 僕がそう言えば、民衆の中には泣き崩れる人が出てきた。

 まぁ、僕の母親はけっこう人望があったらしいからね。利用してしまって申し訳ないけど、今ここに至っては手段を選んでいられない。


「僕が死んだ後も、公衆浴場や公衆トイレなんかが世界中に設置されるといいなと思ってるんだ。そうしたら、病魔なんてこの世からいなくなるかもしれないから。みんなよろしくね」

「王子。そろそろ」

「あぁ、待っててくれてありがとう。じゃあ、最後に一つだけ……みんな、これからも清潔に気をつけて、病魔を遠ざけて、健康に長生きしてね。手を洗って、風呂に入って、歯を磨いて。それで、身体を温かくして、穏やかな気持ちで床についてほしいんだ。今までありがとう。どうかみんな、お元気で」


 そうして僕が一礼すると、隣にいた処刑人の目からはポロリと涙がこぼれ落ちる。


「お、俺は……」

「僕の首を刎ねるのが貴方の仕事だよ。気に病む必要はない。処刑人が貴方で良かった」


 そうして、僕は静かに目を閉じた。


「殿下!」

「ハイジン様!」


 民衆の叫び声が聞こえる中。

 ためらいを振り切るように、処刑人が息を止める。そして首筋に冷たい衝撃を感じると、意識が急速に闇に沈んでいく。痛みは感じないから、なかなかの腕前だ。


 うん。これで()()()()()は終わりかな。


  ◆   ◆   ◆


 あれはまだ、第一王子ハイジンとしての人生が始まる前のことだった。


――妹が、勇者として異世界に召喚される。


 女神からそんな話を聞いて、僕は言葉に詰まっていた。

 いや、目の前にいるのが本当に女神かどうかは分からないんだけど、少なくとも人間離れした美貌を持っていて、神々しいオーラを纏っているのは確かだ。逆らえる気がまったくしない。


 僕の最後の記憶では、三つ年下の妹と夜行バスに乗っていたはずだ。それが寝ている間に、真っ白な空間に連れてこられていた。天国かな、と思っていたけど。


「百年後、私の管理している世界で、魔王の封印が期限切れになります。ですので急遽、地球に暮らしている勇者、桜庭(さくらば)志乃(しの)を呼び寄せることにしたのです」


 女神が腕を一振りすると、その場に志乃が現れた。中学生にしては小柄で、あどけない顔をしているけど……まるで凍りついたようにピクリとも動かない。


「事故で死ぬ間際だった志乃を連れ出し、こうして百年後まで時を止めることにしました」


 そして、女神は僕に額に指を置く。


「仮想世界で未来を予測してみました。貴方に分かりやすく言うのなら、シミュレーションです」

「脳に直接記憶を送ってるんですね。しかしこれは……魔物や魔族に殺されるのはもちろん、病死したり、山賊や宗教団体に殺されたり、魔法の暴走に巻き込まれたり……ちょっとハード過ぎるな」

「魔王封印に成功する確率は一万分の一程度。魔王と対峙すれば確実に封印はできるのですが、それまでの道のりがあまりに困難なのです」


 脳内に流し込まれる記憶に、胃が重くなる。

 そもそもこの世界自体が少し歪に見えるかな。魔法や魔術が便利すぎるせいで、科学技術があまり発展していない。病弱な志乃には、衛生面だけを考えても生存は厳しいだろう。


「女神様。志乃はようやく心臓の病気を克服して、長く暮らした病棟を出て、これから人生が始まるところなんです。嬉しいことも、楽しいことも、これからたくさん経験するはずだった。勇者の役目は、他の者ではダメなのでしょうか」

「残念ですが、魔王を封印する資質のある者は他にいません。それに志乃や仁介を元の世界に戻しても、高速バスの事故ですぐに死にますし」


 つまり、志乃が勇者として異世界召喚されるのは避けようがない、か。


「仁介を呼び寄せた理由は一つ。異世界に()()し、百年後までに、志乃の死ぬ要因を排除してもらいたいのです」

「異世界転生……僕が?」

「はい。私は神として、現世に直接的な介入をすることはできませんので」


 ただの高校生に過ぎない僕に、そんな大それたことができるとは思えないけど……まぁ、多少なりとも志乃の生存率を上げることができるなら、やる価値はあるか。


「分かりました。僕は志乃の兄ですから……妹を守る。そのためなら、僕は何だってやります」

「ありがとうございます。お願いしますね……貴方には特別に、十五の命を授けましょう。これは、今の私に可能な最大限の支援です」


 そうして、女神の指先から溢れ出た十五の光の玉が、僕の中に入ってくる。


「十五の命……つまり十五回までは死んでもやり直せるって理解でいいですか?」

「えぇ。しかし、どのような環境に生まれつくかは予想できません。一番最初の人生だけは私の方で選びますが、その後はランダムだと思ってください」


 なるほど。タイムリミットは百年後、残機は十五。少ないわけではないけど、無駄にすることはできないだろう。


「最初の人生は、とある国の王族にしようと思います。何を進めるにしても、人に対して広く影響力のある立場が望ましいでしょうから」


  ◆   ◆   ◆


 王族としての人生で、僕の目的はそれなりに果たせたと思う。一応は「衛生」という概念を広められたから、百年後に志乃が病死する可能性が多少は減ったはずだ。

 とはいえ、イージーモードはここまで。これ以降の人生は、女神でもコントロールできないランダムな転生になる。


 次に対処するのは、宗教団体かな。本当は王子のうちに着手したかったんだけど。

 この世界には主要な宗教が三つほどあって、それぞれ国を従えて戦争を起こしている。教義はご立派なのに、やってることは欲にまみれた陣取りゲームだ。百年後には各々の理由で志乃の命を狙うことになるし、放置はできない。


 なんて思っていると。


「ゴ%&#t@+*ンガ?」


 聞き覚えのない言葉が耳に飛び込んできて、僕は驚いてしまった。というのも、最初の人生でだいたいの言語は習得したから、今後もう言葉に困ることはないと思っていたんだ。


 そして、うっすら目を開けると。


「ゴリン&%¥dn#@メメン%@#!」

「ウリー!」

「ウリー!!!」


 そこにいたのは、()()()()とその家族だった。僕を抱えて笑ってるのは、たぶん父親だろう。


 なるほど、二回目の人生は魔物か。

 うーん、これは……どうしようかなぁ。



〈勇者召喚まで90年/残り転生回数14〉


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見事な、人心を掴む演説で……敵からしたら、早々に処刑しないといけない人物でしたね。 いくら妹のため、交通事故という崖っぷち理由のためとはいえ、兄の覚悟が決まりすぎてて、後で妹が事情を知ったら、号泣しそ…
魔王と対峙すれば確実に封印はできるのに、成功確率は一万分の1以下ですか、大変ですね。 同道して守るのかと思いきやなんという遠隔操作でしょうか、大変ですね。 王子の演説が可愛らしくてツボでした。 こ…
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