1-18 不治と天呪 ~いつか病で死ぬ男と神様に呪われた少女~
旅の傭兵ルオーガは趣味の湯治で訪れた田舎町に滞在中、謎の集団に襲われていた獣人の少女、ウールを助ける。
彼女は生まれながらに太陽神の呪いを受け、太陽と月の光を浴びると火傷をする体質だった。太陽神を信仰する創世教会から異端者として追われる彼女の境遇を理不尽だと思い、ルオーガはウールと行動を共にすることにする。
――それが、世界を創り出した創世神達と、神々を信仰する代行者達との敵対を意味することだとしても。
「わたしは何のために生まれて、何のために生きているのかな」
「いいか。人間ってのは、ただ生きているだけで素晴らしいんだ。俺がお前に、生きる喜びを教えてやる」
必ず病で死ぬと生まれた時から定められ、それでも一秒でも長く健康に生きようとする男と、
神からの呪いを生まれた時から受けて、生きる意味を知らぬ少女。
二人の出逢いが世界を大きく動かすことになることを。今は未だ、誰も知らない。
「逃げなさい、ウール。貴方が生きたいと願うのなら、それを邪魔する権利なんて誰にもないわ」
……それが、あの人の最期の言葉だった。
走る。走る。ただ走る。
向かう場所は分からない。目指すべき導はない。あてどもなく、ただ走ることしかできなかった。
辺りは一面の闇に包まれている。遥か遠くに、光が等間隔に並んでいるのが視界の端をかすめている。
生き物の気配はどこにもなく、青く白く輝く2つの満月だけが天から地べたを見下ろしていた。
それは、一見すれば白い塊のように見えるだろう。
白い影が恐ろしい速度で草原を駆け抜けている。目が良いものが見れば、その影が人の姿をした140cmほどの小さい子供だと気づくはずだ。
全身を隠すように身に纏ったフード付きのローブは元は真っ白だったのだろうが、薄汚れて灰色のぼろぼろになっている。フードから覗く手足や顔には包帯が巻かれ、顔の包帯は口や目が露出しないようにびっしりと巻かれている。包帯の上から鼻から首元までを隠すように覆面までつけている徹底ぶりだ。
フードから覗く場所だけではない。覗いていない場所も含め、全身を包帯で巻かれている。
全身に大怪我を負っているというよりは、まるで自分の素肌を隠しているかのようなその恰好はあまりにも異常すぎるだろう。
フードがめくれたところで包帯まみれの頭部しか見えないというのに、わざわざ片手でフードがめくれないように抑えながら走る姿もどこかおかしい。
だが、その速度は決して普通の人間の子供の出せるものではなかった。
彼女はそれが異常なことだとは知らない。
彼女は普通の人間が走る時の速さを知らなければ、全速力で走り続けることもこれが初めてだったのだから。
既に三日三晩飲まず食わずで走り続けて、息一つ乱すことなく追跡者から逃れられている異常さも、彼女は知りもしなかった。
彼女は逃げていた。
自分を殺そうとする者達から逃げていた。
どれ位走ったか分からない。どれくらい逃げたかも分からない。彼女に分かるのは、捕まったら殺されるということだけ。
自らの背丈ほどもある草が生えた草原を、隠れるように逃げている。彼女には走ることしか道は残されていないのだから。
後方には、彼女を追う追跡者が四人。
皆全身を闇に紛れる漆黒のパワードスーツで身を包み、背中に取り付けられた飛行ユニットを使って、少女の後を追いかけていた。
頭部を覆うヘッドギアに目元はバイザーをつけているためこちらも顔が隠されている。伸縮性に富んだボディスーツと関節を補強する防具を身に纏った姿は余りにも異様。見る者が視れば、彼らの装備が全て最新鋭の技術と魔法によって作られた隠密戦闘用の迷彩服だと類推できただろう。
『予定通り、このままなら<<異端者>>はポイントアルファに後30秒で到達。タイミングを間違えるなよ』
『了解』
『まったく、処刑命令だったらもっと楽に済んだものを……。特級異端認定を受けているのに、どうして代行者様はさっさとあのガキを殺さないのか』
『私語は慎め。不敬だぞ』
ヘッドギアに施された通信魔法によりやり取りする追跡者達の会話は少女にとって理解できない言語によるものだった。
彼らが何を話しているのか、少女には聞こえていても分からない。だが、その意味が理解できなくても、追跡者が自分に着実に迫っているという事実は彼女の内心を焦らせる。
それでも、彼女はただ全力で走るしかない。
捕まってしまったら、またあの地獄のような日々に戻ってしまう。
終わりのない責め苦。耐えることのない苦痛。なぜ自分がこんな目に合うのかも分からず、朝も昼も夜も続く拷問。
あの毎日に戻ることだけは、何とかしても避けなければならなかった。
しかし、彼女の逃走劇もここで終わりを迎えることとなる。
ある地点に彼女が一歩足を踏み入れた瞬間、
『起動!』
追跡者の一人が声高に宣言する。静まり返った夜の草原にその声はどこまでも響き渡り、少女の足元に巨大な魔法陣が展開した。
「えっ……ああっ!?」
起動した魔法陣から無数の鎖が具現化し、少女の身体をがんじがらめに縛りつける。
突然の事態に少女はなすすべもなく拘束され、そのまま地面に縫い付けられた。
『目標の拘束を確認。第二段階に移行する』
『了解』
少女が魔法陣の罠に捕まったのを確認し、追跡者のうち二人が飛行を止め地面に降り立ち、残り二人は魔法陣を中心に辺りを警戒するように旋回する。
鎖を外そうと懸命にもがくも、鎖は外れるどころか緩む気配すらない。
地に倒れ伏したまま、自由になる首や手足を必死に暴れさせるけれども、事態は何一つ好転しない。
「くっ、ううう……!! 外れ、ない……!!」
そんな彼女をあざ笑うように、地面に降りた追跡者の一人が腰から長い棒状のものを抜いた。
一見すれば、長方形の細長い真っ黒な棒にしかみえない。しかし、追跡者が手元のスイッチを押すと、光の刃が形成された。
『さて、よくもここまで手間取らせてくれたものだな。異端者が』
追跡者がカチカチと手元のレバーをスライドするたびに、光はより強く鋭くなっていく。過剰に注がれたエネルギーが空気と爆ぜて、バチバチと電流のように音を鳴らしている。
夜の草原でひときわ強い光を放つそれを、追跡者は容赦なく少女の足に振り下ろした。
「ああああああああああああああ!?!!!?」
絶叫。
余りにも痛ましい悲鳴は少女の激痛を物語っている。
振り下ろされた光の刃は少女の両足を文字通り断ち切った。おびただしい量の鮮血が切断面から噴出して、それら全てが瞬く間に黒い煙をあげながら蒸発していく。
膝から下の感覚が消えた衝撃で思考が弾ける。今まで一度も感じたことのない苦痛はショック死してもおかしくなかった。彼女が意識を失わなかったことは奇跡だった。
ただ、それが僥倖というわけでもない。拘束されているために燃えるような激痛にものたうち回ることすらできず、絶叫はのどを引き裂くほどに迸り、包帯で隠された目の下から滂沱のごとく涙をあふれさせながら。
切断面の包帯がほどけ、生身の部分が包帯の隙間から覗いた瞬間、さらなる絶叫がこだまする。
「ああああぐぁああああああぎいいいぐじゃあああああ」
もはや、人の言葉のそれではない。
切断された両足から黒い煙が吹き上がりながら、彼女の露出した部分の肌が焦げていっているのだ。
熱源などどこにもないというのに、まるで空気に触れて肌を焼かれていくかのごとく、彼女の肉を焦がしていく。
そんな、痛みでまともな思考すらできなくなっている獲物の姿に、追跡者たちは情け一つかけることはない。
足を斬ったのとは別の追跡者が懐から二枚の札を取り出すと、それを切り落とされた足へと投げつけた。そのまま札が足に触れた瞬間、轟っ!と音を立てて両足が発火する。触れたものだけを燃やす炎は彼女の切り落とされた足を塵一つ残さず燃やしつくしてしまった。
だが、痛みに喘ぐ彼女はそのことに気づいていない。ただ、己の身に降りかかる痛みに、声をあげることしかできなかった。
『よし、このまま転移を開始する。お前たちは変わらず周囲を警戒しろ』
『了解』
足を切り落とした男はほか三人に指示を出すと、男は手にしていた刃を消してただの棒に戻った杖を構える。転移の魔法を起動し、少女を連れて帰り任務を終わらせようとして、
『グリューネス、エンケープ発動。場じょぐああぁっ?!』
詠唱は、最後まで唱えられなかった。
――――この時、何が起きたのか理解できたものはいなかっただろう。
周囲を警戒していた二人も、
すぐ隣に立っていた男も、
鎖に縛られ倒れる少女も、
殴られた当の本人でさえ。
気が付いた時には、杖を構えた男が軽く十メートル以上は吹き飛ばされていたのだから。
そこには、つい先ほどまでいなかった男が一人、立っていた。
2mは優に超える、人間にしては高い背丈。全身を分厚い筋肉で覆われた筋骨隆々の肉体は、闇に溶け込む漆黒の旅装の上からでも隠し切れないほどに膨れ上がっている。
彫りの深い鋭い翠緑の眼差しは一切の感情が抜け落ちたかのように周囲を睥睨し、見る者を畏怖させる迫力に満ちている。
全身から溢れ出た闘気により燃えるように赤い髪が逆立ち、空気がバチバチと音を立てて悲鳴を上げていた。
『なっ……、貴様、一体どこかばべっ!』
一撃。
突然現れた第三者に、周囲を警戒するため飛行していた刺客が慌てて近づこうとして、赤毛の男の拳一つで地面に叩きつけられた。
目に追えないほどに素早い動き。宙を浮かび、数メートルは離れていた刺客との距離を瞬きの間に詰めて制圧した男の視線は、拘束され身動きが取れなくなっている少女へと向けられていた。
更に、男の闘気が吹き上がる。
男の激しい怒りに呼応するように、強く、強く。
『てめえら、こんなガキ相手に、一体、何をしてやがる――――!!』
少女の耳に届いたのは、そんな、怒気を孕んだ誰かの恫喝。
――――この瞬間を、生涯忘れることはない。
生まれてからずっと、闇の中で暮らしてきた。暗闇の世界に初めて差し込んだ、一条の光。
彼女はこの日、運命と出逢った。





