1-17 異世界Vtuber騒動記
都内某市。
井田池神社が祀られる小高い山の麓に、そのビルは存在した。
株式会社ユグドラシル。
困窮した女性を保護し、自立支援を行う会社。
表向きにはそうなっている。
しかし、その実態は──
「ねえ宮太ぁ、抱っこして」
「だぁっ、ダメですって。ぼくはフォリさんのマネージャーなんですから!」
「宮太君。下着の紐に尻尾が絡んじゃった。解いて」
「またですかテリアさん。今週三度めですよ」
──異世界から落ちてきた人たちを、人種を問わずに匿う施設である。
そこでは衣食住が保障され、当人が希望すればユグドラシルが経営する中堅Vtuber事務所「マロードプロ」に所属することになる。
そんなマロードプロの寮に住む異世界人たちと、新人マネージャー尾神宮太の心温まる……
「ねえ宮太ぁ、猫缶ちょーだい♡」
……お騒がせな日常が、今日も始まる。
初夏、都内市部某所。
梅雨入り近い半月の夜。
中堅Vtuber事務所「マロードプロダクション」が所持するマンションの八階。
ネットでの配信を終えたフォリが防音室を出てリビングの窓を開けると、まだ涼しい夜風がフォリの白い頬の熱を拭い去る。
マンションの近くに森がある恩恵だ。
冷蔵庫から掴んできたサイダーのキャップを開けたフォリは、そのまま勢いよく口に流し込んだ。
「ふう……しゅわしゅわ美味しい」
この味に出会えたことは、フォリがここに来て良かったと思えることのひとつだ。
生配信の疲れとサイダーの爽快感に、フォリのおしりの尻尾も心なしか上機嫌だ。
窓から訪れる夜風を浴びながらサイダーを楽しんでいると、おしりのポケットがブルっと震えた。
「ひゃっ!?」
驚いたフォリが尻尾で自分のおしりをまさぐると、スマホが入れっぱなしだったのに気づく。
「ふゅ〜、忘れてた」
パソコンの前にずっと座っていたのにおしりのスマホの存在に気づけなかった自分に少しだけ恥ずかしくなる。
震え続けるスマートフォンの画面には、尾神宮太と表示されている。
着信ボタンをタップしたフォリは、先制攻撃とばかりに零す。
「んもうっ、宮太ったら。またボクのおしりにイタズラ?」
八つ当たりである。
しかし電話の向こうの声は、明らかに動揺していた。
「え? え? おしり……ええっ!?」
「なんでもない、コッチの話。で、どうしたの」
「あ、あの、配信終わったようなので、お夜食はどうするのかなーと」
「食べる。ツナ缶」
即答するフォリに、通話の向こうの宮太は苦笑した。
「わかりました、買っていきますね」
「ん、待ってる」
フォリは、ツナ缶を買って全力疾走してくるであろう宮太の姿を思い描いて、ぴこぴこと猫耳を揺らした。
五分後。
「はあ、はあ……フォリさん、買ってきましたよ」
コンビニ袋を掲げて部屋に駆け込んできた宮太に、フォリは思わず笑ってしまった。
「ふふ。まるで初めていっかくうさぎを討伐した新米冒険者みたい」
「知りませんよ、ここは平和な日本なんですから」
「えー、いくら平和でもいっかくうさぎくらい退治するでしょ。畑とか荒らしちゃうんだから」
「この世界のうさぎにツノは生えてませんっ」
「この前動画で見た馬にはツノがあったよ」
「アニメだからです。この世界の実際の馬にはツノは生えてません」
「そうなの? あんまり外に出る機会ないから知らなかった」
ケラケラと笑って、フォリはリビングのソファに寝そべる。
そんなフォリに嘆息した宮太は、コンビニ袋をキッチンへ持っていく。
「ね、ね、ツナ缶はやくっ」
「はいはい、ただいま」
小さなダイニングテーブルに手早くランチョンマットを敷いた宮太は、三軒目のコンビニで見つけたツナ缶をリーフレタスを敷いた白い深皿に盛る。その横には、同じくコンビニで買ったロールパンを添える。
「はいフォリさん、いつものセットです」
「やった……って、あれは?」
「あちゃー、マーマレードですね。すぐ持ってきますっ」
慌てて冷蔵庫に跳ぶ宮太の背中を、フォリは愉快そうに見つめていた。
ダイニングテーブルに夜食の用意が済むと、フォリは宮太と向かい合って座る。
「ねえ、宮太」
「なんです」
「どうして宮太はVtuber事務所のマネージャーになったの?」
「……その質問、何回めですか」
「いいじゃない。何度でも聴きたいの」
困り顔の宮太を見て、フォリは満面の笑みを浮かべる。
さすがは登録者数百万人を超えるVtuber、恋愛経験の乏しい宮太のあしらいはお手の物だ。
「わかりましたよ……きっかけは、とあるVtuberさんの配信動画を見たことです。その時ぼく、ものすごく落ち込んでいて──」
宮太が語るその話は、もう慣れた感じだ。
なんなら最初の頃よりも話が上手くなっているし、ちょっとアレンジが加えられている。
「──で、ぼくは、憧れだったフォリさんのマネージャーになりたいなって、そう思ったんです」
「んん、宮太ぁあああああ」
突然抱きしめられた宮太は、脱出する隙も与えられずにフォリの頬擦り責めに遭う。
獣人離れした白く肌理細やかなフォリの頬っぺたが、容赦なく宮太の頬に擦り付けられた。
「や、やめてくださいよぉ」
摩擦ではない熱が、フォリと宮太の頬を赤くする。
フォリはその熱を感じながら、さらに宮太に強く顔を寄せた。
「だーめ。今夜はあたしのおしりにイタズラした罰をたくさん与えるんだから♪」
悪戯な笑顔を浮かべるフォリは、宮太を寝室に引きずっていく。
斯くして、入社一年目の新米マネージャー宮太と所属配信者フォリの夜は更けて──
「ふゅ……きゅうたぁ……」
──どうにかフォリを寝かしつけた宮太は、フォリのマンションの屋上に立っていた。
「今夜は異常なし、かな」
双眼鏡を片手で構えて、周囲に視線を這わせる。
事務所のオフィスに異常なしとチャットを送った宮太は、そのままマンション横のビルの屋上へ飛び移った。
【株式会社ユグドラシル】
Vtuber事務所「マロードプロダクション」の運営会社の社名が銘打たれた鉄扉を抜けて、非常灯のみの暗い廊下を歩く。
そのまま階下に降りた宮太が灯りのついた部屋をノックすると、女性の声がした。
「社長、失礼します」
「お疲れさま、尾神くん」
「チャットでの報告のとおりマンショ……居住区には異常ありませんでした」
「そう、ありがとう」
木製の大きな執務机に座るのは、明らかに地球の人類とはかけ離れた美貌の女性だ。
蛍光灯の光をキラキラと反射する銀髪、白磁にも似た透き通る肌。
そして、くっきりと整った目鼻立ちに、長い耳。
宮太が社長と呼んだ彼女──クリスティーナは、エルフだ。
そのクリスはスーツに身を包み、執務机に置かれたパソコンの画面を見つめていた。
「社長、『森』のほうに異常は」
「今のところ大丈夫よ。あちらからのお客の姿はないわ」
「ならよかった。それで、昨日保護した黒髪のお客さまは」
ソファーのテーブルに紅茶を用意する宮太は、手を動かしたままクリスに目を向ける。
眉間をつまんで軽く目を労ったクリスは、紅茶の香りに誘われるようにソファーに腰を下ろした。
「まだ保護室で眠っているわ。目が覚めたら言語翻訳のスキルを付与するつもりだけど……食事が先かしら」
ティーカップに口をつけて、少し熱かったのかクリスは咄嗟にカップを離す。
そして今度は慎重に、少しずつ紅茶を飲み始めた。
「健康状態は?」
「次元の狭間を通ってきた影響で極度の疲労状態だけれど、生命に別状はないわ。ただ」
「何か気になる点でも?」
お茶請けのクッキーと自分の紅茶を用意した宮太は、座面を波立てないようにソファーに座った。
「あの子、ヒト種の割に異様に魔力値が高いのよ」
「となると、こちらの社会での生活は」
「難しいかも知れないわ」
さく、とクリスは小気味良い音を立ててクッキーを啄んだ。
「もしかしたら、神の子かもしれないわね」
「神の子……ですか」
久しぶりに耳にした言葉に、かつて英雄と称された宮太の胸はざわめいた。





