1-16 願いは叶う〜異世界に来ましたが"叶えたい願い"を忘れました!邪神って何のこと!?
うっかり系女神様に異世界転移させられた。
「いってらっしゃい。邪神には気をつけて〜」
と言われても困る!果てしなく困るっ!!
どうやら私には叶えたい願いがあったらしい。そのために女神様が異世界に送ってくれたようなのだけれど、残念なことに記憶がさっぱりない。
田舎の領主様のお世話になり、そこのご令嬢とも仲良くなったのだけれど、私の"願い"っていったいなんなの?
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異世界転移した主人公が、刀剣大好き男装令嬢や、物腰は柔らかいが性格の悪い世話役と楽しく過ごしているうちに、とんでもない陰謀に巻き込まれ、筋肉バカに絡まれたり助けられたりした挙句、なんだかんだで望みを叶えてハッピーエンドになる話です。
「あなたの望みを叶えましょう」
キラキラと輝くその”女神”様は、私にそう告げた。
えっ? これ、夢か何かですか?
……と思いたいけれど、これは夢ではないという実感だけは、目の前の存在が本物の女神だという確信とともにある。
そんなものなくていいのに。
「でも、あなたの望みを叶えるためには、あなたは一度すべてを忘れる必要があります。ああ、でもそれは先ほど十分に説明したからもういいですね。ごめんなさい」
よくない!
説明って、何のことでしょう!? 全然覚えがありません。
「大丈夫! 今度は行った先の世界の最低限の常識と言葉はわかるようにしておきました」
前回は本当に申し訳ありませんでした、と丁寧に謝罪されたのだけれど、”前回”って何??
「私もうっかりが多い方だけれどちゃんと反省と改善はできるんです。偉いでしょう!」
えっへん、と胸を張る女神様から漂う隠しきれないポンコツオーラ。これは……まさかとは思うけれど、この残念女神様、私の記憶を消す範囲とタイミングを致命的に間違えているのでは?
「でも、気を付けてくださいね。これからあなたが行く時代にも邪神が出現します。ですが今回はあなたを送り届けるので精一杯なので、前回のようにあなたに強い加護を与えることができないのです。一度倒したことがあるからといって慢心してはダメですよ」
一度倒したって何のことですか!?
「では、いってらっしゃい。あなたが願いを叶えられますように」
”願いを叶える”って最初に言ってませんでしたか、女神様!?
どうして女神様が祈っているんですか! 結局、自分で叶えないといけないんですか!?
というか私の願いって何〜っ!?
§§§
残念女神様との一方的な対話?のあとで、私が送り込まれた先は僧院の一角だった。
お告げっぽい夢に驚いた尼僧長様が明け方に飛び起きると、不思議な輝きが葡萄畑で瞬いていて、その下に私が倒れていたそうだ。
女神様、それなんて置き配……。
これはただ事ではないと、私はすぐに丁重に保護された。
しかも、当日はちょうど僧院の一番の後援者(檀家?)である領主様がいらっしゃる日だった。
人はいいが公文書は苦手な尼僧長様は、これ幸いと私という面倒事を領主様に丸投げした。さすがあの女神様を奉じる僧院の尼僧長様。ややこしい案件を右から左に投げる思い切りが良い。
私を引き受けてくださった領主様は、この地方では一番有力な貴族だった。連れてこられたのは立派な城館。陳情者や出入りの商人など来客も多く、領主様はおおいに多忙だった。にもかかわらず、領主様は丁寧に私を受け入れてくださった。
「事情はわかった。正直なところ、あなたの言葉がどこまで正しいか確認することはとても難しい」
そうですね。ただの行き倒れや食い詰め者の狂言という方が、現実的なのはわかります。
「だが、私はあの尼僧長が女神に関することでこのような雑な嘘をつくとは思っておらんのだ」
だから、その話を信じたことにして行動するから安心するように、と領主様は仰った。……雑じゃない嘘ならつく可能性はあるのかな? と気になりはしたが、私は素直にご厚意に感謝した。
何と言っても身よりも記憶も資産もなしで、見知らぬ世界に放り出されたら、確実に詰む。偉い人の庇護下に入れるかどうかは生死に関わる。
「ここに慣れるまで、しばらくゆっくり過ごしなさい」
領主様はそう言って、館の使用人に世話を命じて衣食住の保証だけし、私を放置した。館の一室を与えられた私は、特に何の義務も束縛もなく、領主館に滞在することになった。
……え? こんな都合のいい展開ってあるの?
さすが女神様の奇跡! とも思ったが、ここがゴールだとは思えなかった。
女神様は私が自分の望みを叶えるために、最善のスタートラインを用意してくれたのだろう。だとすれば、ここからどう行動するかが肝心だ。
まずは信用を失わないこと。
今、何一つ持たない自分にあるのは、尼僧長様由来の信用だけ。尼僧長様と領主様にご迷惑をおかけするような非常識な行動は厳に慎むべきだろう。
と、ここで問題が一つ。
常識がわからない!
なけなしの記憶を検証すると、どうも明らかに異なる文化の常識に関する知識があるので困った。
食事の前は手を合わせて「いただきます」なのか、指を組んで食前の祈りなのかは、周囲の様子から推測できるが、細かい慣習がわからない。お辞儀の角度と上座の概念はこの場合どれが正解!?
最低限の常識と言葉はわかるようにしたと女神様は言っていたが、最低限というのが、どの身分でなのかわからないのは怖すぎた。
常識って、同一社会でも階級と業界と立場で全然違っちゃうんですよ、女神様。
ご迷惑をおかけしたくないので学びたいと、執事さんにお願いしたところ、なんとここのお嬢様と一緒に家庭教師の講義を受けることになった。いいの? こんな素性のわからない女なのに!?
「イーカリオス卿が良いとおっしゃっているので、気にすることはありません」
ウィレムさんは、廊下を先導しながら、私にそっけなくそう言った。
ちなみにイーカリオスというのは領主様の名前だ。館の使用人さん達は"旦那様"と呼ぶが、ウィレムさんは領主様を名前で呼ぶ。
この人は領主様のお供で僧院に来ていたせいで私のお世話係に充てられてしまった可哀想な人だ。ヘーゼルベージュの少しウェーブした髪と特にこれと言った特徴のない顔立ち。物腰が穏やかで私よりは年上な気はするが、領主様よりたぶん10歳以上若い。
彼は私と同じ歩調で歩きながら、私が問題にはならない理由を並べた。
「あなたは風変わりですが、きちんとした上質な身なりだったと伺っておりますし、言葉遣いも発音も上流階級のものです。それに手先や足裏からもかなり良い家のお嬢様であったろうと推測されます。ですからそれほど気にすることはありません」
確かに、私の手は全然労働したことがなさそうなツルンとした手で、足も素足では外を歩けないやわやわの足裏だ。
「たまに見慣れない習慣の所作も見受けられますが、基本の立ち居振る舞いはお美しいので、適切な指導を受ければすぐに問題のないようになられるかと」
そんな風に言われてしまうと面映ゆい。
「あの……信頼いただいているのはありがたいのですが、もしも私が実は害意のある者でしたら、こちらの大切なお嬢様と同席させるのはよくないのではないでしょうか?」
「おや、害意があるのですか?」
「もちろん害意は全然ないです……でも、それを私は証明できません」
「大丈夫ですよ。害意を秘めて身元を装っていらっしゃる方は、そのような質問をなさいません」
ウィレムさんはチラリとこちらを見て面白そうに目を細め、職業的なものよりちょっとだけ深めの笑みを口元に浮かべて、私を安心させた。
「それに、万一あなた様に害意があったとしても、お嬢様に暴力を振るうことは不可能でしょうから」
「ああ、ちゃんと護衛の方がいらっしゃるんですね」
「いえ……」
彼は足を止めて、ちょっと困ったような微妙なニュアンスで口籠った。
「お嬢様ご自身がたいそうお強いので」
事実、そのとおりだった。
§§§
セリーヌ様はカッコいい系女子だった。
御年17歳。涼やかなキリリとした目元、ほっそりした頬に引き締まった表情、女性にしては高めの身長。美女というよりイケメン枠が似合いそうなタイプだ。女子校にいたら確実にモテるだろう。
「淑女教育などつまらん。剣の稽古をしていたほうが良い」
そう言って鍛錬で振る剣は木刀ではなく真剣。しかも女性向けの短刀や細刃剣ではなく、しっかりした刀身の長剣だった。
「ちょうどいい。お前が私の代わりに授業を受けておいてくれ」
鍛錬場になっている中庭まで挨拶に出向いた私に、彼女は面倒そうにそう言った。そういうわけにはいかないと応えると、彼女は顔をしかめた。淑女教育は心底嫌いらしい。
「武門の生まれなんだから武に生きたっていいじゃないか。こんな婚約者もない行き遅れが今さら淑女教育なんて無駄以外のなにものでもない」
17歳が行き遅れとかいうのやめてもらえます!?
「習得して無駄な知識なんてありません。貪欲に学んで生かす方が、できることは豊かになりますよ」
「あ? ……おお」
「なんて偉そうな事を言ってしまいましたが、私、色々と忘れてしまっている身なのです。お屋敷で個別にレッスンを受けるなんて、どうして良いか見当もつかなくて……よろしければ見習わせていただけないでしょうか」
「お……おお」
「できれば、行儀作法だけではなく、剣の方も」
「そうか! もちろんいいとも!」
ぱっと表情を明るくしたセリーヌ様はたいそうお可愛らしかった。
「お嬢様の扱いがお上手ですね」
「そういうのじゃないわ。女の子同士は共感と経験の共有が大事なだけよ」
レッスンに必要な諸々の学用品を部屋まで持ってきてくれたウィレムは、「そうですか」と言って、なにやら丈夫そうな飾り気のない服らしきものを取り出した。
「なあに?」
「鍛錬用の着替えです。明朝からお嬢様の剣の鍛錬にご一緒なさるということですのでご用意いたしました」
親切そうな柔らかい業務用の微笑み。だが感じる。その目は絶対面白がっているだろう!
いいだろう。受けて立つ。
正直に白状しよう。
私の身体は初日で悲鳴を上げた。





