最終話 優しい風に包まれて
◆◇◆
「お母さま!!」
シスレー邸の庭にて。温室のすぐ側に作られた菜園で泥と汗にまみれて畑仕事をしていた赤毛の女性は、同じ赤毛と薔薇色の頬、そして父譲りのスカイブルーの瞳を持つ少年の高らかな声を聞いて顔を上げる。
「まあ、ジョアン、どうしたの?」
「見て見て! さっき届いたんだよ!」
彼は身に着けた服を自慢しようと、上機嫌で畑の横をくるりくるりと回って見せる。だが、ふとした拍子に足がよろけバランスを崩した。
「あっ!」
倒れかけた彼をしっかと支えたのは能面のような硬い顔をさらに硬くし、小言を言う初老のメイド長だ。
「ジョアン坊ちゃま! だから菜園に行くのは我慢しようと言ったでしょう!?」
「ご、ごめんなさい。ミセスローレン……」
「私に謝るのは筋が違います。せっかくのお召し物が泥で汚れたら、この服を作った人はどんなに悲しむと思いますか?」
「!」
ジョアン少年はメイド長の言葉にハッとなり、背筋をピシッと伸ばして今後は転ばないように気合を入れた。つい先ほど、この服を届けてくれた職人の誇りと喜びに満ちた顔を思い出したのだろう。
「そうね。それ、トムが一部分を担当してくれたのでしょう? 飾り刺繍やボタンホールがとびきり良い出来だって、ここから離れて見てもわかるもの」
少年の母親は、彼の服を汚さないよう畑から出ずに、しかしじっくりと眺めてそう言った。
「私も負けるくらいの出来だと思うわ」
「そんなことないよ! お母さまの刺繍は最高の腕だもん! 僕、あのウェディングドレスがこの国で一番凄いドレスだって思うんだ!」
ジョアンはこの屋敷に保管されている、母の純白のドレスを頭に思い浮かべた。
母はこの国に来てすぐにこの屋敷に嫁入りしたが、事情があって結婚式を挙げたのは1年半後だったと聞いている。そのぶん、彼女は時間をかけてヴェールやドレスの一部に手ずから刺繍を施したのだそうだ。それ以外の部分も、母の教え子や、その更に孫弟子達が集まって皆が心を込めて針を刺した。
完成したウエディングドレスの刺繍はあまりに素晴らしい出来栄えで、結婚式に参列した王子妃(後の大公妃)ヴィオレッタ様が褒めたたえたくらいだ。他の貴族令嬢や夫人から「どこの職人に作らせたのか」と訊ねられ、母は「私と、領民の皆で刺しました」と正直に話した。
それがきっかけで、以降母の弟子や孫弟子達に刺繍の注文が王国内のあちこちから来るようになった。今や刺繍は農作物に次ぐ、シスレー領の名産品である。
「ジョアンは本当にあのドレスがお気に入りね」
「そうだよ! 僕、将来結婚する時は僕のお嫁さんにあのドレスを着て貰うんだ! あとね、マギーの結婚式も!」
「まあ、それはちゃんとお嫁さんやマギーに訊いてからになさいな。ふふっ」
そう言って母親であるデボラ・シスレー侯爵夫人は微笑んで見せた。見る者の心を惹きつける美しさは昔と変わらないが、そこには昔のような作り笑顔は欠片もない。幸福に満ちた、周りの心をも温かくするような笑顔だった。
ざあ、と突如として強めの風が吹き、木々を揺らす。
傍で見ていた乳母のシェリーの腕の中で赤ん坊が「みゃあ」と小さくむずかる。ジョアンの妹だと一目でわかるほど、綺麗な顔立ちがそっくりな子だ。彼女の声を聞いたデボラが、やはり泥で汚さないように距離を取りつつも愛娘の顔を覗き込んだ。
「あらあら、マギーが起きてしまったみたい」
「さっきまでぐっすりお休みだったんですけどね」
そこで庭師が声をかけた。
「奥様、風も出てきましたし、マーガレット嬢ちゃんにも良くないと思いますんでそろそろお戻りになっては。後は俺がやっときやすんで」
「ありがとう、ローレン。そうさせて貰うわ」
庭師にも微笑みを返してから、デボラはふと空を見上げた。彼女の艶やかな深紅の髪が風に揺れている。
「でもこの風……いやな風じゃないわ。とても優しい、私たちを見守ってくれているような……」
ハッと息を呑み、デボラを見つめたのは執事のアシュレイだ。横にいたシェリーが赤ん坊のマーガレットを抱えた肘でちょこっと彼をつつく。
「もう。奥様に見惚れたりして!」
むくれた彼女に、慌てながらも声を潜めて言い訳をするアシュレイ。
「違う! そうじゃない! そうじゃなくて……あの、信じてくれないと思うが……」
「なによ!?」
「その……マギー姉さんがいたような気がしたんだ」
「マグダラ様が?」
シェリーのへの字口が緩み、代わりにゆっくりと目尻が下がって口角が上がった。
「そうかもね……」
「デボラ、やっぱりここにいたか」
「旦那様!」
「あ! お父さま!」
庭の向こうからこの屋敷の主人が現れると、ジョアンは父親に駆け寄り、嬉しくてたまらないという顔をした。
「ジョアン! おお、その服はお前にぴったりだな。恰好いいぞ!」
「へへ。ねえ、お父さま、今日のお仕事はもう終わり?」
「ああ、急いで終わらせた」
「お母さまもお庭仕事終わったって! 皆で遊ぼうよ!」
「いいぞ、何をしようか?」
「旦那様、ピアノを弾きましょうか?」
「ああ、マーガレットとも一緒に聴きたいな。じゃあジョアン、まずは母さまのピアノを聴きながらおやつを食べよう」
「うん! じゃあね、そのあとは……」
父子の会話にデボラも混ざり、三人で楽しそうに午後の予定を考えながら屋敷に向かって歩いて行く。その後をマーガレットを抱えてゆっくりとついて行くシェリーは、幸せな家族の後ろ姿を眺めてアシュレイに言った。
「だってマグダラ様はこんな光景を望んでいたと思うもの」
わたしもそれに賛成よ! と言わんばかりのタイミングで。
腕の中でマーガレットが「きゃっ」と笑った。
これでこのお話はおしまいです。もしかしたらまたサイドストーリーなどを書くかもしれませんが……(アシュレイとシェリーの馴れ初めとか)
第18回書き出し祭りに参加した時から、マグダラの死因や、オズマが自殺を指示すること、小麦の凶作をきっかけに公爵家と王家が没落するざまぁの設定を既に考えていたのですが、
ざまぁにデボラが積極的に加担するのか、それともリオルド王子とシスレー侯爵の策略をあまり知らされないまま、なんとなく指示された通りの役割を演じるだけなのかの2択でラストは迷っていました。
48話くらいを書いているあたりで「デボラは積極的にざまぁするタイプじゃないだろう。多分リオルドが裏でなんやかんやしている間に、一生懸命ゲイリーを口説き落としているに違いないwww」と思うようになり。そちらをとることにしました。
デボラのお話はいかがだったでしょうか。私にしてはコメディー色が薄い作品だったので、面白いと思っていただけたならとても嬉しいです。
この長いお話に最後まで付き合ってくださった皆様に、大きな感謝を。
誠にありがとうございました。












