第62話 オズマとデボラの思い出
『君は我が公爵家の中心で星のように輝く赤い宝石だった』
その言葉を最初に聞いた時、思わず彼女はフッと皮肉な笑みを洩らした。よくもこうまで嘘を並べ立てることができるものだ、と。
デボラは王太子妃になるためだけに生まれ育てられたのだ。彼女がマウジー公爵家の中心になったことや、家族に囲まれて幸せな団欒の時を過ごしたことなど過去一度もない。当然、兄から愛情を与えられた想い出も。
だが、続く言葉でその皮肉な笑みも消え、表情も身体も固く凍りついた。
上の兄、オズマ・マウジーからの手紙には、デボラが初めて一人で遠方への公務に出ることになった際、彼が何と言ったか覚えているかと書いてあったのだ。
(覚えているわ、勿論!)
◇
以前マムート王国が持つ鉄鉱山で大規模な崩落事故が起き、多数の死傷者が出たと連絡があった時のこと。
王家が所有する鉱山ゆえに、救助隊を引き連れて王族の誰かが慰問に行くべきだとなり、アーロン王子に白羽の矢が立った。だがしかし、荒くれ者が多く治安があまり良くない地域への慰問を王子は「あんな所へ行っても面白くない」と渋っていた。
そして出立の前日になって「熱が出たから予定をキャンセルする」と言い出したのだ。
鉄鉱山は王家にとって、税収を除いては最も大きい収入源である。それなのに誰も慰問に訪れないのでは現地で大きい不満が噴出するだろう。下手をすれば王家に対して反乱さえ起きるかもしれない。
やむを得ず、アーロンに同行する予定だったデボラが一人で鉱山へ向かうことになった。勿論、一人と言っても護衛の騎士が何人も付く。彼女が危険な目に遭う可能性は万にひとつだと思われる。
「――――万にひとつだが、お前が襲われるようなことがあればこれを使え」
出立の日、デボラの上の兄、オズマは随分と古びたネックレスを彼女の目の前に掲げてみせた。
「これを、ですか?」
「ああ、ここを押すと開けられるようになっている」
兄がネックレスの宝石を指で押すとパチリと小さな音がして窓のように開いた。中には黒く小さな丸薬が入っている。
「自決用の毒だ。苦しむのはほんの少しの間で、すぐに死ねる」
「……!」
デボラは絶句したが、無表情だった為に気づかなかったのか、それとも彼女の気持ちなど気にかける必要は無いと思っているのか、兄は淡々と説明を続ける。
「誘拐されたり純潔を奪われそうになったりしたらすぐに飲め」
「……はい……承知致しました」
デボラはその指示を受け入れた。次期公爵である長兄の言葉を否定することなど許されないからだ。だが道具として扱われることに慣れていた彼女でも、流石にこの言葉は胸に突き刺さった。
そのショックを面には出さず、デボラは鉱山へ向かい公務として慰問を立派に成し遂げる。
国で一番の美女が救助隊や医者と共に現れ、重い怪我をした鉱夫に優しく声をかけて労る様を見た男たちは勇気づけられたし、王太子の婚約者は素晴らしい女性だと誉めそやしたのだ。
護衛がきちんと仕事をしてくれたこともあり、デボラは特に危険な目には遭うことなく無事に慰問先から戻ることができた。そしてネックレスごと毒薬は兄に返却されたのだった。
◇
デボラは自分の身体から血の気が引くのを感じながらも素早く考えた。アシュレイは続く文面を読み上げている。父と兄達はデボラを取り戻す為に尽力しているという内容だったが、きっとそれも嘘だろうと思った。本当ならば毒薬のことを示唆する必要がない。……寧ろ。
(逆でしょう。私の口を完全に塞いだ方が良いとお父様とお兄様は判断したのね)
この時点で彼女はマムート王国で何が起きているかを知らない。
しかし祖国の状況がわからなくとも、この手紙が嘘にまみれていることはわかる。更に言えば『星のように輝く赤い宝石』という、まるで恋文に使うような大仰な表現は不自然だ。そこでデボラは思い出した。
(……あの、星のような模様の入った紅玉の指輪……)
自分の宝石箱に見慣れぬ指輪が入っていたのはこの為ではないかとデボラは推察する。今すぐにでも確かめたかったが、この屋敷の人々に毒薬の存在を覚られてはならない。
デボラは素っ気ない返事を書いた。「ご心配なさらず」で文を結んだのは、どちらとも取れるようにだ。オズマならば、今まで父と兄に従順だったデボラが今回も素直に命令に従ったと思うだろう。
そして彼女は部屋に戻り、シェリーの目を盗んで指輪を確認した。
彼女の予想通り、指輪はあの古びたネックレスと同じ仕掛けがされていたのだ。
「……」
デボラは素早く指輪の台座を閉めると、衣装部屋から出てきたシェリーに微笑んで見せた。だが、シェリーは口をへの字に変える。
「まあ、また愛想笑いになってますよ!」
「そ、そうかしら?」
「最近はかなり減ってきたと思ったんですけどねえ」
「……」
この屋敷に来てから少しずつ本心を素直に出せるようになってきた彼女にとって、これは皮肉な結果だ。だが今は何としても誤魔化し続ける必要がある。彼女は曖昧な笑顔のままシェリーに言った。
「今日は本を読みたいわ……そうね、最初の頃にミセスローレンが用意してくれた小説があったでしょう?」
シェリーは少し躊躇う素振りを見せる。
「良いんですか?……その、あまり読みたくないのでは?」
「いいえ、そんな事はないわ。それに折角用意してくれた本をちゃんと読まなかったのは良くなかったと思うの」
「それならすぐに用意しますね」
「シェリー、ありがとう」
デボラは以前は読み飛ばしていた恋愛小説に没頭するふりをして、ゆっくりとページをめくりながら考える。
(どうすればいいの……)
勿論、デボラは兄の言いなりで死ぬつもりなど毛頭ない。祖国ではわざと心を鈍くし、道具として扱われてもひたすら現状を受け入れていた。だが今の彼女は、シスレー侯爵家の皆が心から温かく接してくれたことで生まれ変わったのだ。
(あの返信で時間を少しは稼げるとは思うけれど)
手紙を受け取ってすぐにデボラが死ねば、そこに因果関係を見出だす人もいるだろう。詳しく調べられてデボラが嘘の理由で実質追放されたと明らかになれば元も子もない。
だから1~2ヶ月は何も動きがなかったとしても、オズマも焦りはしない筈だとデボラは推測する。しかしそれ以上時間をかければ催促の連絡が来る可能性が高い。あの兄ならば最悪、刺客を密かに差し向けるぐらいの事はやりかねない。
(でもたった2ヶ月の間に何ができるというの)
死ぬのは勿論ご法度だが、侯爵家から逃げ出すのもダメだ。それではリオルドの命でデボラを預かっているシスレー侯爵の失態になってしまう。
一番良いのは侯爵を通じてリオルドに「祖国へ帰りたい」と伝える方法かもしれない。人質をあっさり帰すなど普通ならあり得ないが、そもそもこの人質扱いはフォルクスが求めたのではなくマムートが押し付けた、普通ではない状況なのだ。
「あの、デボラ様」
おずおずとシェリーが声をかけてきてデボラはハッとする。深い悩みのあまり、ページをめくる手が止まっていた!
「やはり無理をされない方が。そのお話を読むと辛い思い出を思い返してしまうのでしょう?」
「え?」
「デボラ様を自由にする為に、病気の王子様がわざと婚約破棄のお芝居をしたから……」
デボラの大きな目がさらに大きく、丸くなった。
「何故、それを、知ってるの?」
「あっ、ローレンさんから聞いたんです。でも有名な話ですよ。街の人達も噂してますし」
「街の……って、こちらの国までその噂が届いてるって事?」
「ええ。最近になってからですけど」
デボラは持っていた本で思わず顔を隠す。シェリーは素直な子だ。きっと顔を見せなければデボラが悲しんでいるとか恥ずかしがっているとか都合良く解釈するだろう。今の醜くしかめた顔を彼女には見せたくない。
(……そう言うこと)
デボラは漸く、父と兄の思惑に辿り着いた。












