第24話 庭師はあの女性(ひと)の夫
庭師は奥へと二人を誘う。最初に一歩足を踏み入れた印象どおり、温室の中は奥の方も緑と茶色が大半を占めており、観賞用の花は殆どない。また、苗木も数多く置かれている印象である。
「これは、何の苗ですの?」
土から芽吹いたばかりの細長い若葉を見てデボラが質問をすると、庭師はこう語る。
「ああ、それは品種改良中の小麦です」
「小麦の?」
「この領地で多く作られている小麦の品種は甘味が強い代わりに冷気に弱いのです。ですから北地方で作られている小麦と掛け合わせて、冷気に強い品種が作れないかと」
「ああ! それは私の国でも試していましたわ。上手く行かなかったみたいですけれど」
「本当ですか!?」
庭師の声色が明らかに興味を帯びたものに変わった。デボラは反射的に相手に合わせた話題を提供する。
「ええ、ご存知かしら。マウジー公爵領はマムート国の中でも一番豊かな農作地を持っていますのよ。国の南方ですからまだ比較的温かい地域ですの。それでも時々冷害に小麦がやられる事はありましたから、品種改良が必要だと父は言っていましたわ」
「そんなことを隣国に話しても良いんですかい?」
「!」
庭師の鋭い眼がデボラを射貫く。だが彼女は怯まず、得意の美しい愛想笑いが浮かんだ。冷たい目で見られ、腹の内を探られるのには慣れっこだ。
「あら、私は人質ですもの。訊かれればなんでも答えますわ。……自分の命が危険に晒されそうな事を除いて、ね」
「なるほど。勿論その中には嘘も紛れているかもしれないですな」
「そうかもしれません。でも……侯爵様も、皆様も、私にとても良くしてくださるから……できるだけ嘘はつきたくありませんわ。それに」
「それに?」
「小麦の品種改良がうまく行かなかったことくらい、重要な情報とは思えませんもの。……そうね、うまく行ったなら隠すかもしれませんが……それを父が隠しているならどのみち私は知らないことですわ」
庭師は薄い唇をほんの少しだけ上にあげた。
「……なるほど。確かにそうですな。いや、失礼致しました。年を取ると疑り深くなっていけねぇや」
「いいえ、貴方が疑問に思うのも尤もでしょうから」
「デボラ様は随分と話術がお得意なようだ。だが少々お人が悪い」
「え?」
「こんなにぺらぺら喋れるなら、最初っからそうしてくれりゃあいいものを。うちのが昨晩は随分と悩んでいましたよ」
「うちの……つまり、奥様? あっ、ミセスローレン!」
「はい。うちのローラ・ローレンです」
ローレン夫人と結婚している庭師は悪そうな笑みを作った。
「まあ、ミセスローレンを悩ませてしまったの? それは申し訳なかったわ……でも私、そんなに難しいことを言ったかしら?」
「はは、うちのからは色々聞いてますよ。恋愛小説を読んで落ち込んだり、メイドの真似事をしてみたいと言ったり、玉ねぎの皮まで剥いたそうですね?」
「まあ!」
「いつも突然突拍子もない事を言い出すのに、昨日は少し話を聞いただけで勘が冴えまくって次々と図星を突いてみせるんで、うちのが混乱したそうですよ」
「あら……」
デボラは上品に首を傾げ、少しだけ考え込んだ。
「ああ、シュプリム伯爵の件を聞き出した事が良くなかったのかしら。私は侯爵様が『もうピアノを弾かないで欲しい』という口実を作られたのかと思って、質問をしただけですのに」
シスレー侯爵の目尻に皺が寄る。彼はくっくっと笑いながら答えた。
「それはミセスローレンが回答した通り、君の誤解だよ!」
「そうみたいですね。でもそれで混乱させ、困らせたのなら本当に申し訳なかったわ。後で謝っておきます」
「使用人に謝るんですかい?」
庭師の率直な疑問が飛んできた。デボラは彼に向き直る。ローレンの目つきは先ほどと変わらず探るようなものだった。
デボラはほんの一瞬躊躇ったが、フッと力を抜いた。シスレー侯爵の「できるだけ本心を見せてほしい」という願いにも応えたかったし、今の気持ちを素直に表しても「命を危険に晒される」ような内容では無いはずだ。
「そうね。今までは……マムート王国の中では使用人に謝ったことなど一度も無いわ。でも今は違うもの」
「違うってのは何が?」
「ここの人たちはマウジー公爵邸の使用人とは全く違うし、それに私は人質であってここの女主人では無いでしょう?」
「ほう、そうですね。だがそれがどう繋がるんで?」
「私は親切にしてくれるここの皆に感謝をするべきだし、困らせてしまったなら謝罪すべき立場じゃないかと思うの。違うかしら?」
最後の言葉を言う時ににっこりと愛想笑いを作ったデボラを見て、庭師は目を丸くした。そして主人であるシスレー侯爵を見る。
「……旦那様。俺も、うちのも、あんまり他人の事を言えた義理じゃねぇと思うんですが……」
「どうしたローレン?」
「この方……物凄く変わり者じゃぁありやせんか?」
侯爵はぶはっと吹き出し、腹を抱えた。
「ははは……、いや変わり者というならマギーだって貴族らしくない変わり者だったさ」
「前の奥様とは違いまさぁ。なんというか……」
庭師は頭をボリボリとかいて、気まずそうにデボラをチラと見る。
「?」
「さっきの言葉に嘘はありやせんね?」
デボラは内心ドキリとしたが、嘘はついていないはず、と切り替えた。
「ええ。どうして?」
「いや、普通の貴族のご令嬢なら、これから俺が言う内容に怒りだすと思うんで……けど、ここの皆に感謝するべきというなら言わせて貰います。ちょっと失礼かもしれませんがね、怒らないでくださいよ?」
「あら、『変わり者』は失礼じゃないのかしら?」
ローレンはニヤっとした。
「そりゃご尤も。あんたのそういう気の利いた返しは、色仕掛けで落ちない男でも話していていい気分にさせる。本当に大したお嬢さんだ」
「まあ、褒められたわ。私は怒るんじゃなかったの?」
「ははは。でもこれから怒らせますよ。デボラ様、あんたその愛想笑いはおやめになった方がいい」
「え?」
「あんた本当は滅多に笑わない人なんじゃありやせんか?」
「!」
デボラはほぼ初対面のはずのローレンに真実を見抜かれ、驚いた。












