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{第4章} 由良とゆらゆら二人旅(その1)

 妹の所属する『3LDK』のマネージャーになってはや一ヶ月。

 仕事の要領もわかり始めた頃、そろそろテレビ局も顔パスで通れ……


「すいません、通行証見せてください」


 まだ顔パスではありませんでした。

 今日テレビ局に来たのは千歳が出演する秋のドラマの会議のため。

 会議室にはすでに見たことのある人が多々座っていて、テレビっ子の俺は早くもテンションマックスだ。


「千歳、後でサインもらって来てくれよ」


 千歳に向かって静かに囁くと、すごい剣幕で睨まれてしまった。


「お兄ちゃん、ちゃんと仕事して」

「分かってるよ、冗談だって」


 俺は慌てて訂正する。


「じゃあ全員揃ったようなので始めたいと思います」


 かっちりスーツに身を包んだ30代前後の男性が立ち上がり、進行役を務めている。

 テレビ局で働く人の服って様々なんだな。

 こないだのプロデューサーみたいな人もいれば、今目の前にいる人のようにスーツを着ている人もいるし、ラフな格好の人もいる。演者の方の格好もまちまちでカジュアルな格好の人もいれば、いかにも高そうな服を着ている人もいる。

 千歳は相変わらずの黒いスウェットに白いTシャツ。

 女の子のする格好じゃないよな。


 しかし、それはあくまでも神野千歳の姿であって()()()()()()()()()()()()()()()()だった。


 会議が進み、実際に演者が脚本の読み合わせをする時、彼女の演技力を生で見た俺は武者震いが止まらなかった。座っているからどういう動きがつくのかはわからないが、セリフの読み合わせをしただけでも素人でもわかる演技の上手さだった。

 いつもは家でソシャゲのガチャ回してSSRが出たら飛んで喜ぶくらいちょろい妹が、こんなシリアスな表情で、抑揚のついた言葉を喋るなんて。

 若干の感動を覚えた。


「お兄ちゃん、どうだった?」

「俳優の佐藤さんってほんとイケメンだよな、あと女優のアリスちゃんも顔小さくて可愛かった。初めてこのバイトやって良かったって思ったよ」

「あっそ」


 会議が終わって、テレビ局の廊下を千歳と話しながら駐車場へ向かう。

 どうだった? って聞かれたから正直な感想を言ったのに、なんでヘソ曲げるんだよ。


「なぁ、なんか機嫌悪くなってないか?」

「なってない」


 また始まったよ。


「とりあえず、これで今日の仕事は終わりだけど、家帰るか?」

「うん」


 手帳を取り出して今日のスケジュールを確認する。

 予定よりも早く終わったからスーパーによって夜ご飯の食材でも買って帰るか。


「ああっ!」


 俺は手帳の内容に気を取られていて前は見えていなかったが、その声ですぐに誰かわかってしまった。

 そして廊下の先からパタパタとこちらに向かって走ってくる音。


「お兄さん〜」


 ほーらやっぱり、由良だ。


「人前で抱きつくな」


 腕にしがみついた由良を俺は懸命に剥がす。

 千歳は相変わらず不貞腐れたような顔でスマホの画面を見ているふりをして、時々チラチラこちらの様子を伺っている。


「人前でダメってことは、家ならいいんですね」

「そもそもお前とは同居してないから」


 やっとのことで由良を引き剥がすと、向こうから青山さんが由良を追いかけてきた。


「やぁ、神野兄妹。そう言えばちぃちゃんのドラマの会議もここの局だったね」


「由良の方はなんの仕事ですか?」

「バラエティーの収録だよ。あっ、今回はゲスト出演だから変なヤラセはないよ」

「新曲の番宣だからね。座ってればギャラが入いるんですよ」


 俺の腕にしがみついて頰をスリスリさせながら由良が答える。


「お前、今芸能界の大半敵に回したぞ」


 強引に再度由良を引き剥がす。

 こいつ、ほんとよく干されないよな。


「由良ちゃんは収録中もずっとこんな感じだから。でもこの歯に衣着せぬ発言が結構人気なんだよ」

「さすが、よく分かってるね。青山は」


 由良が青山さんに向かって親指を突き立て、にこりと笑う。


「青山“さん”ね。次そう呼んだら送迎一回お休みだからね」

「いいよ〜。そしたらお兄さんに送ってもらうから。同伴出勤ってやつ?」


 そう言って由良は俺の腕にまたまたしがみついてきた。

 俺の横で実妹がものすごい勢いでスマホをタップしている。

 これは帰りにコンビニでペイカード買ってやらないと機嫌直らないやつだわ。


「お兄さんとちぃねぇは、これで今日のスケジュール終わりですか?」

「そうだな。今日は千歳のドラマ会議だけだから」

「じゃあ、みんなで夜ご飯でも食べに行きましょうよ!」

「いいね」


 丁度、夕飯の献立を考えるのが面倒くさかった俺は、その提案に賛成したのだが、千歳は少し頰をムッとさせている。


「私は帰る。青山さん、送って」


 千歳は青山さんの手を引っ張って駐車場の方へ歩いて行ってしまった。


「あ〜あ。お兄さん、ちぃねぇ追いかけなくていいんですか?」

「だいたい俺何か悪いことしたのか?」

「鈍感野郎」

「今何か言ったか?」

「いえ、別に。じゃあ行きましょうか」


 由良は俺の手を掴んで歩き出した。

 なんで俺15歳の女の子に手握られただけでドキドキしているんだ。

 由良だぞ。落ち着け、俺。


  それから、俺たちはお台場の海が見えるレストランのテラス席に腰掛けた。


「ここからの眺め綺麗ですよね。ここ、カップルに人気なんですよ」

「こんな人気の店に変装の一つもしないで入るお前の度胸がすごいよ」


 さっきから他の客、チラチラお前のこと見てるぞ。


「スーツ着ている人と私がこうやって食事していると援助交際みたいに見えますかね」

「おい、やめろ。本当に通報されたらどうするんだ」


 援助交際って、そんな単語どこで知ったんだよ。


「冗談ですよ、ちょっと若いお父さんと食事している風にしか見えませんって」

「ならいいんだが」

「それよりも見てくださいよこの魚、美味しそう」


 由良が目の前の大皿に乗った白身魚のアクアパッツァを見せてくる。


「はぁ」

「どしたんですか? ため息なんかついて」

「いや、千歳カンカンに怒ってるだろうなって」

「まだ気にしているんですか?」


 俺は無言でスマホの画面を由良に見せる。

 電源を押すと、千歳からの通知メッセージが表示された。


『お兄ちゃん、お腹空いたんですけど。妹を家に放っておいて、どこの誰と遊んでいるんですかね』


 八つ当たり以外の何物でもない。


「ふふっ、ちぃねぇは本当にブラコンですもんね。お兄さんが東京に来るまで私たちはずっとお兄さんの話を聞かされていたんですよ」


 そういえば前に青山さんもそんなこと言っていたような。

 なんか変なこと言われてないよね?

 あとで確認しとこう。


「ブラコンっていうよりも、いいように使われているんだよなぁ」

「もしお兄さんに彼女とかできたらどうなるんですかね」

「いや、俺に彼女ができて千歳が怒るのはあまりに理不尽だろう」


 第一それだったらお兄ちゃん一生彼女できないよ? 

 童貞のままだよ?


「しかもしかも、その彼女がちぃねぇの知り合いだったらどうですかね」


 由良は艶めかしくオレンジジュースの入ったグラスの縁を指で撫でながらニヒルな笑みを浮かべて見てくる。

 JCロリがそんなことしても色気なんて微塵もない。


「やけに具体的だな」

「お兄さんもお兄さんですよ」

「俺のどこに非があるんだよ。マネージャーやって家事もこなして十分すぎるくらい良い兄だろう」


「好きな人とか、いないんですか?」


 由良が上目気味で言う。

 不意にも俺は目の前の中学三年生にドキッとしてしまった。

 そして、数秒お互いの視線が重なる。

 先にそらしたのは俺の方だった。


「お、お前さ、あんまり大人をからかうなよ」


 ここは一回気持ちを落ち着けよう。

 グラスの中の水を一口含むと、


「からかっていませんよ。もしかしたら私にも勝機があるかなって思っているんですよ」


 俺は盛大にむせた。


「おい、それはどういう……」

「だから、お兄さんのこと、愛しているって言っているんですよー」


 由良は頰杖をついて俺の方を見ながら笑顔で言う。

 また目が合う。

 普段目が合ってもなにも感じないのに、今夜はなぜか彼女の視線が胸を締め付ける。

 顔が沸騰するように赤くなるのを自分でも感じた。


「やっぱお前、大人をからかっているだろ!」

「さぁ、どうでしょうね。そろそろお会計して帰りましょうか。ごちそうさまでした」


 由良はそう言うとさっと席を立って出口の方へ歩いて行った。

 え? 由良さん、ここのお会計全部俺もち?


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