41 睡蓮宮のセリア妃殿下
翌日、訪問の許可を取って、睡蓮宮に足を運んだ。
睡蓮宮は、お爺様の側室の宮だったんだけど、宿下がりし、主がない離宮だった。そこをセリア妃が側室となって誂えられた。
夏の庭が美しいと、その季節には、幾度も茶会や夜会が開かれる。
大広間からテラスに繋がる中庭には、蓮池があり、昼には水面に木々の緑が映り込み、夜には計算された灯火が、蛍火のように水面を撫でる。
セリア妃を『睡蓮』と称したのは、デレク王太子……若き父だ。
私から見れば、セリア妃は、儚げな夕顔のようだと感じるが、あの方に潜む静かな情熱を愛したという。
母と三人の泥池のような関係の中で、静かに咲く睡蓮は、咲き終われば水面から沈む。
それを許さず手折ってしまった父も、罪な男なのだ。
母の懊悩と嫉妬は凄まじかっただろう。それでも母はセリアが好きだったし、セリアは常に母の影を好んだ。
二人の関係は、私にはよく分からない。でも、
兄デュランと私の関係は、そのせいでより複雑なものとなっている。
(だから、精霊が憑いたんだもんな)
初夏のテラスは、何とも心地よい。
午前の訪問という、少し不調法となったのだが、緑を基調としたテーブルセッティングは完璧だった。
「ジェイ殿下。
……ここ数日の厄災とお働き、お見舞い申し上げます。
危機に人が出ると申しますが、貴方の本領が表れましたね」
この女性は、お世辞を言わない。
私は訪問のお許しに感謝し、東宮の白薔薇をお渡しした。
セリア妃は、嬉しそうに受け取った。
「貴方も、ひとかどの紳士ね」
そう言って微笑む妃殿下は、とても御歳50にならんとする女性に見えない。
勧められるままに、東の茶を頂いた。添えられた干菓子がとても合う。
居心地がいい。
押し付けたもてなしでない。気配りが行き届いた空間と、女主人の巧みな話術。
言葉少なに、相手に話したいことを話させる。
「……殿下、私にお訊ねされたいのでしょう?」
話が途切れた時、遂にセリア妃から切り出してきた。
「デュランの事ですか?
それとも、私の?」
「……お応え頂けるのでしょうか」
セリア妃は、瓶覗色の、淡い淡い水のような袖に眞白のレースのショールをまとった。少し陽の差し方が変わった。
「デレク殿下がお口添えされたのかしら。
結論から申し上げると、デュランは愚かです」
あまりに直截な仰りようで、ついていけない。
「私がこういう境遇になった事、ジェイ殿下は、ご存知ですわね……もうこんなに大人になられたのですから」
私が頷くと、セリア妃は、にっこりと微笑んだ。
私の中の父の血が、彼女の存在を好ましいと訴えてくる。
そして、母の血が、油断するなと訴えてくる。
「公言して来ました通り、私は正妃たるデボラ様をお支えする立場です。
すなわち、エラントの利得が第一。息子をどう扱おうと、王や王太子殿下がお決めになられれば、それに従うまで。
嫡子の貴方がこちらにわざわざいらしたとなると、息子が何かしたか、しようとしている、と、推察しました」
つまり、セリア妃は、
国家に忠実で、可愛い一人息子はエラントの為に産んだのだから、煮るなり焼くなり自由だし、自分は何か問われれば、嘘偽りなく話す
と言うんだな。
では。
「昨日、デュランから不思議な菓子を頂きました。
黒砂糖、かな、に包まれた、何かに漬け込んだ木の実の菓子です。
存じ上げなかったので、物知りの給仕に尋ねたら」
そこで、一呼吸。
「国境近くのヴェールダム領の菓子だそうです。そこの昔からの郷土菓子らしくて。
いや、王都でも売り出して欲しいな。大人の菓子でした」
セリア妃の表情は、全く変わらない。かなり注意して観察していたけれど。
流石だ。
「……ヴェールダム領。
二十年前までは、王領オーガスタンテ地方と言われていました。
林業が主の、そう豊かではない土地でしたが、細々続けていた採掘で金脈が発見され、見る間に人口が増え栄えました。
今では、小さな領ながら、エラントになくてはならない地方となっています」
セリア妃は、そう解説して、
「ヴェールダム閣下と私の関係をお話しなければなりませんね」
と、ひとつ深い呼吸をして、話し始めた。
「私はデレク王太子の婚約者だったコレット・ヴェールダム様の侍女でした。
コレット様は、全力で、デレク王太子との12年間をただの政略ではない……愛と誠実に満たされた12年間だったと証明なさいました。
そして」
妃殿下は、少し頭を下げてから、程なく上げて庭を見た。
「コレット様は、その恋を抱えて旅立たれました。
今思うと、なんて狡い、なんて酷い方だろうと思います。
デレクにもエミリオ閣下にも、デボラ妃殿下にも、そして私やヴェールダム公にも、深い罪悪感と言いようのない喪失感をもたらしてしまったのですから」
私は口を挟まず、聞き役に専念した。
「ヴェールダム公は、一人娘を失ってお早い隠居生活を望まれました。ご自分の領地を返上し、現ヴェールダム領での隠棲を決められました。
私には、良い結婚をと、仰っていましたが、私は閣下のお側に居たいと思っておりました。
けれど、そのどちらも適わず、王妃殿下の采配で、私は次の主、デボラ様のもとに参りました。
……後はもう、ご存知ですわね。
ヴェールダム閣下とは、そこで縁が切れてしまいました。
私がデュランを産んだ頃、祝いの過分な品々が閣下から届けられ、間もなく閣下は、今の地に引き込まれました」
「ヴェールダム閣下には、二つの罪悪感が残りました。
金山と娘の命を対価にしてしまった……いえ、破談は呑むしかないことだったのですけれど……
そして、私をその復讐の道具にしてしまったこと」
「私がデレクを愛してしまったのは、決して公や王妃殿下のせいではございません。
また、デレクが私の中に、コレット様を探しているのとも異なります
……僭越ですが、そう思います。
ですから、公が私に負い目を感じられることはないのです」
最後にセリア妃は、
「もし、菓子が届けられたのであれば、それはヴェールダム公の意図は、何一つ入ってはおりません。
デュランを貶めたい者が動いたと、私は確信いたします」
と、強い口調で言って、目を閉じてしまった。
……ヴェールダム公。
グレシャム伯爵のパトロンと目されている御方。
エラントに恨みがあるであろう方で、エラントでも指折りの資産を有する方。
菓子の送り先は、セリア妃ではなく、デュラン本人だったか。
なら、デュランは菓子と共に、脅しを貰ったのだろう。
セリア妃の名誉に関わる事か?
それとも……
「兄上は、賢くて真面目です。
あの日向ぼっこを装ったタヌキ親父とは似ても似つかない」
「あれでもデレクは、若い頃はお馬鹿さんでしたのよ?
……そうね、中身はジェイ殿下、貴方に似ていらっしゃるわ。
デュランは外見が似たのね」
髪色と瞳が、父譲り。
っと、……え、私は、若い父の阿呆に似ているって?まあ、良いけど。
「デュランは脅されていますね
……多分。
殿下、貴方は、どの程度掴んでいらっしゃるの?」
「誰に?と、貴女に問うてもいいのですか?」
「思うに、ヴェールダム公の周囲の者。
公の利権のおこぼれに預かっていながら、公への忠誠はない者。
王家を中から壊したい者。
脅しの内容は、
多分、デュランが疑いながらも切り捨てられない、誰にも問えない事でしょうね」
私の推理と、セリア妃の思い至った事は、同一のようだ。
だからこそ、私からは口にできない。それを承知していて、彼女は話してくれている。
父上。
貴方の女性の嗜好は、とても良いと思います。
「デュランは、こう告げられたのでしょう」
睡蓮と呼ばれる貴婦人が、厳かに言う。
『殿下は、セリア妃とヴェールダム公爵とのお子です。
王家に対する、お二人の復讐の産物なのですよ。
貴方が王になる事で、エラントの血は絶えるのです』
そんな所かしら」
毎日更新キツいですが、もしかしてずっとお読み頂いてるかな、と思うと頑張れます。
よろしくお付き合い下さい。




