38 想い人
私は、動揺するフランカを明るいうちに、家に帰しました。近衛兵の方々のおかげで、無事エミリオ邸に着きましたので、そのまま王宮に向かいました。
(フランカのお立場は、守らなくちゃ)
ジェイに、ジェイだけに、伝えなくちゃ。フランカへの想いを消さないように、ジェイに上手く伝えなくちゃ。
東宮では、王族居室の応接室で、待つことになりました。
〈私邸〉と呼ばれる区画です。東宮には私邸と公邸、そして東宮官僚が働く公務邸とに別れています。
ジェイは、仮眠を取っているそうで、勇んで来た私は、肩透かしを食いました。
(昨夜は寝ずの番をしてくださったのだもの。当たり前よね)
先触れなしの無礼を詫びて、待つように言われた私は、所在なくぽつんと座っておりました。
が。
「ロゼッタ姉様!大丈夫?」
「姉様!」
と、賑やかな声と共に、王子王女がやってきて、私への見舞いを口々に下さいます。
まだ、小学部の彼らは、ジェイとは歳が離れています。
それが、王太子と王妃の仲を表している、なんて噂も流れました。
今は、仲睦まじいのですから、いいじゃないの、と、私なんかは思うのです。私は空白の三年間以外は、こちらによく滞在しましたから、デボラ妃殿下がどれだけ王太子殿下を慕っているか、子供ながらに感じていましたから。
可愛い一団が過ぎた後は、デュランが訪ねて来ました。
「ロゼッタ、大変だったね!
大丈夫かい?
もう、夜に出歩いてはいけないよ。何なら、東宮で当分暮らしては如何かな」
いつも通りの、デュラン殿下ですが。
私は、昨日、どうしてこの人に、話してはいけないと感じたのでしょうか。ぴりぴりと頬の皮膚に、電気が走るようにうぶ毛が立ちます。
デュランは、本当に案じて下さっているようなのです。それでも、私には、真綿の上から豆を踏んだような違和感が残るのです。
「ご心配かけました。ジェイのおかげです」
「そうか……ジェイは凄いな」
「ええ。
死人が出ていますから」
「……」
デュランは侍従に、しばらく過ごす、と告げて、給仕を呼びました。
「君がいらしたと聞いて、持参したよ。珍しいお菓子だ、ほら」
そう言って、ゴツゴツした干菓子のような塊が乗った銀皿を私の前に置かせました。
「……なあに?」
「食べてご覧。ほら」
毒はないよとばかりに、彼は口に入れて、コリコリと噛みます。私も、そおっとかじってみました。
「まあ!
美味しい。変わった風味の、これは、木の実?」
「南の地方の特産物の木の実だって。シロップに漬け込んで、黒砂糖で包んだそうだ」
「見た目を裏切るわね」
南。何処だろう。
「洒落た菓子より、私はこういうのが好みなんだ」
「貴方らしいわ」
「女性もそう。着飾った淑女より、自分で馬を駆り、自分を守れる淑女が好み」
私の手が止まります。
「……お戯れを」
「私が戯れを言うとでも?」
「必要に駆られれば」
「手強いな」
苦笑するデュランに、私は、猫が総毛を逆立てたかのように、警戒しました。
彼は、真顔で真正面から、
「君は自分で考え、自分で切り拓く女性だ。
君を尊敬する。昨夜の件は、賞賛に値する。
掛け値なしに、私はそう思っている。それだけは覚えていて欲しい」
と、言います。
デュランは、冗談でこんな話をする方ではないと承知しています。
さっきのさっきまで、フランカと心の両思い、と思っていた私は、急な展開にくらくらします。
「デュランお兄様」
私は敢えて、お身内だと言明しました。
どうしたのでしょう。
今まで、私を妹扱いすることはあっても、女扱いすることは、1度もなかったではないですか。
「賛辞はお受けいたします
……義従姉妹として、貴方の嗜好については、聞かなかったことにしますね」
「私は君に相応しくないかな。
ジェイを補佐し、国の安寧を願っている私にも、幸福になる権利があると、思ってはいけないかな」
「貴方も、ジェイも、優秀です。
エラントは、当分安泰ですわ」
その後デュランは何かを言いかけましたが、侍従がジェイの入室を告げたので、口をつぐみました。
「ロゼッタ!どうして屋敷に居ないんだ!出歩いちゃ駄目だろ」
開口一番、お小言です。
「……ジェイ」
私が半分べそをかいているのを見て、すかさず兄王子に目を向けたジェイに、
「ごめんね。私が口説いてしまったのだよ。
どうも私は隠し事が出来なくて、お顔を見たら、口が動いた」
と、デュランが、済まなそうに言いました。
「口説く、って」
絶句するジェイに、デュランは、
もう少し後に来てくれたらね、
と、呟いて立ち上がりました。
「ロゼッタ・バルトーク嬢」
ビクッとする私に、デュランは軽くため息をついて、
「唐突でした。
でも、本心ですから。
ご機嫌よう」
そう言って、会釈し、去っていきました。
……どうして、人は自分の気持ちを押し付けるんでしょう。
フランカといい
デュランといい
本心だったら、許されるとでも言うのでしょうか。
お相手を思っていれば、許されるとでも言うので、しょうか……
「……大丈夫?」
泪がなくても、私の泣きべそ顔を知っているのは、ララとジェイくらいです。
「大丈夫。
……怖かったの。
あのくらい、あしらえなくちゃ、夜会で泳ぐのは無理よね」
「後で窘ておくよ。
昨日の今日なのに、不謹慎な」
ついこの間まで、不謹慎極まりない放蕩王子が、言うのですから、私はふふ、と笑いが零れました。
ほっとしたジェイは、
「で?
無理を押して、ここに来たのは何があった?」
そうです、そうです。
本来の目的を全うしましょう。
男女二人では、密室にはできません。ジェイは、報告も聞いて欲しいからと、彼の影…随行を呼び寄せました。
廊下の扉、更に、部屋の中扉を閉めさせます。
「フランカが思い出したわ」
私は切り出しました。
フランカ曰く
「私が相続する領地は、高い山地があるわ。
平野を満たす河川の上流、水源地にあたるところの地形を利用すれば、水の落差で水力発電が可能だと考えたの。
そこで、その分野に明るい教授にフィールドワークをお願いしたかった。
でも、一学生で、しかも女。
私の力では、無理があったわ。
それで、お父様に依頼状を作って頂いたの。だから、お父様の封蝋を使ったわ。
そこに、私の手紙もいれたわ。如何に教授のお力が必要か、を訴えたかったの。
それを教官室に持参しました。兄と一緒に。兄も学生だったから。
願わくば、二人で面会を、と。
でも、お留守で。それでやむなく封書を受け箱に投函したの。その際」
「成程。
自分の名を書いた、と
……その教授、とは?」
私は、ちょっと間を置いて、言いました。
「……マルベル教授」
「ごめん、よく覚えてない」
はい、はい。お勉強から逃れてましたものね。
「発電や、蒸気機関など、動力の研究者。
まだ二十代にして、実学研究の第一人者として、大陸でも注目の方よ」
「へぇ、そうなんだ……で?」
「別の日にお会いできて、結局、現地調査を快諾なさって、それからこの2・3年、お付き合いがあるらしいわ。
デュランの、その……卒論の話をしていたら、フランカが封書を思い出して……」
私は上手く話を着地出来るでしょうか。
「デュランの卒論、指導教官がマルベル教授だったの」
私は背中に汗を感じました。そこまで言って、カップを持ち視線を淡い黄金色の水面に移していると、
「成程」
とだけ、ジェイは言いました。
私が顔をあげると、
ちょっと、ほんのちょっと、
苦い顔をしたジェイがいました。
でも、それ以上、彼は言いません。そして、私も。
それでも、私達は、茶を飲みながら、多分同じシーンを思い出していたのでしょう。
窓からの日差しに黄金が照り返すフランカの身体。
黒い分厚い本。
そっと珊瑚色の唇に白い指が触れ、
その指が、文字をたどる。
デュランの署名
の、下の、指導教官の署名
マルベル教授のお名前に、フランカの指がゆっくりなぞる。
多幸感に溢れるフランカの表情。
そうです。
フランカの想い人は、マルベル教授でした。




