32 バルトーク邸の夜
さあ、それからが大騒動。
東宮からは、大集団が到着。それより速かったのは、勿論バルトーク伯父上だ。
ロゼッター!を連呼し、医者ー医者ー!と叫びながら、娘をベッドに押し込んだ。
私の肩をバンバン叩きながら、感謝を連呼。
東宮からは、一個師団がバルトーク邸を取り巻いた。
医者には先ずはフランカを診察し、貧血との診断で、一昼夜看護師が客間で介抱となった。
ロゼッタは無傷。でも、心のダメージが大きくて、医者が処方した睡眠誘導のハーブティーで、横になって貰った。
エミリオ公爵家からは、一つ上の嫡男が駆けつけた。
この兄は、ポンコツの私からしても、凡庸で温厚な方だ。でも、何しろ人柄がいい。私にひたすら謝辞を並べ、妹の手を取り泣き、伯父上に介抱の感謝を述べ、私から事件の内容を聞いた辺りで、
「なんて恐ろしい……殿下が同伴されなければ、今頃」
と、言った辺りで、貧血を起こし、応接室のソファで気付けの酒を貰ってぐったりしていた。
グレンは、現場に少尉を置いて、バルトーク邸に来た。
「馬車を油で焼かれ、馬を外す間に、動ける敵は逃亡しました。向こうは、逃亡7名死傷者4名
こちらは……2名死者が出ました。残念です」
「家族には丁寧に頼む。
捕獲した者は、話せるか」
「自害されました。重傷者の意識が戻ったら、尋問を始めます」
現場の痕跡は、調査中です、そこまで報告したグレンは、再び戻った。
夜を徹して臨戦態勢をとり、私と伯父上は朝を待った。
その時間になってようやく、震えが襲ってきた。と、同時に、どっと冷や汗が吹き出した。
……良かった
良かったああ!
フランカもロゼッタも、
自分の今世も、大丈夫だ!
暗殺術と護身術、真面目にやってきて良かった!型やルールに縛られた剣術や体術より、自分に向いてたから、ちゃんとやってたんだよな。
おかげで剣術も体術も、授業や試合では、ぼちぼちだったけど。
それにしても、どうして。
このタイミングで、どうして。
「お疲れでしょう」
濃い珈琲を伯父上が手ずから渡してくれた。
礼をして受け取った。砂糖は2杯。
「よくぞ守って下さいました。
貴方でなければ、娘は……いえ、エミリオ嬢も……
命が助かっただけでなく、未遂にせよとんでもない醜聞が湧くところでした」
あ、そうか。
もしも拐かしであったなら、淑女にとっては万死に値する。
私が同伴して正解だったわけだ。
「私にとってロゼッタの命は、自分より重い。ロゼッタが無事、婿をとって、身分も女性としても、幸せになることが私の願いなのですよ」
「……伯父上は、妻を娶ろうとは思われないのですか?」
バルトーク公爵は、ふふ、と軽い笑いを漏らして
「私の母は、私を産んで三年ばかりで亡くなった。幼い私を引き取って育てて下さった王妃からは、これ以上ない慈しみを貰いました。
人はあの人を烈女と言うし、大変厳しくしつけられましたが、私はあの人から深い部分の愛を受けていました。
早々に臣下に降りた後も、あの人が気にかけているのを察していました。
私にとっては、あの人は産みの母より大切だ」
……この伯父ならば、そう思うのだろう。情の深い方だし。
それでも、弟の父を立て政務に勤しむこの方は、単純な思考の人ではない。様々な思いを折り重ねて、その結果、お人好しな親バカ公爵を演じている。
なれば、お祖母様を慕う思いは本当なのだろう。
「ロゼッタとは、王妃の私室で引き合わされた」
公爵は続ける。
「ロゼッタは、3年もの間、虐待されていた。両親の愛を注がれて育った子が、公爵家の子ではないと貶められ、下女同然の扱いを受け、学校はおろか外にも出られず……
やせ細ったロゼッタは、白髪のような銀髪にギョロリとした目で怯えていた。
義母が着替えさせたドレスはガバガバにダブついて……
言葉も出しにくいようだった」
想像して、喉が詰まった。
あの、おきゃんで陽気で世話焼きなロゼッタが……。
「この子の父になって欲しい、と、王妃に言われた時、思わず私は感謝したよ。
一目見て、私はロゼッタを愛したいと切望していたのだから」
しみじみとした声音の伯父は、
「私の手の中で、羽化するかのように育つあの子は、私の宝だ。
義母……王妃は、私にも
ひょっとしてこんな感情をお持ちなのでは、と、思うことも幸せだった」
「ええ、きっと。
ロゼッタはよい娘です。
妹や嫁いだ姉よりも、私が信頼する幼なじみです
……私もロゼッタが幸せになって欲しいと願っています」
そんな私の言葉を伯父上は、ちょっと目を見開き、その後、くしゃっと笑った。
「そうですね……これからのあの子を幸せにする者は」
誰なんでしょうねえ……
そう呟いて、伯父上は珈琲にブランデーを垂らした。
いや。
私と話をするオヤジは、どうして皆、酒に向かうんだ??
徹夜で状況を掴む筈の伯父上が、珈琲+ブランデーで、本格的に呑む方に傾き、そして酔った。
珈琲飲んで寝入るなんて、もう……
コチ コチ
時計の振り子の音が響く。
執事が伯父上に毛布をかけて、何か召し上がりませんか、と言ってくれた。
珈琲ばかりでは胃を悪くするので、温めたミルクと軽食を所望した。
さて。
この事件はどう考えればいい?
王子暗殺。
であれば。
フランカとロゼッタを巻き込む意図はなんだ?
民衆党にとって、どんな利益がある?
フランカの誘拐若しくは暗殺
……は、無理がある。
何も王家の固い警備が付く東宮の馬車でなくても、良い時機を狙えばよい。
ロゼッタの誘拐及び暗殺
も、フランカと同じ。
大体、ロゼッタを狙う意図が不明。
(いや、待てよ)
単体ではなく、三人ともが、狙いだった、とか。
……フランカはエミリオ公爵と帰る予定だったし、ロゼッタは家から迎えがある筈だった。
(それを私が送ることにしたんだ……公爵が酔いつぶれたから)
……西南のエミリオ邸の方が近いけれど、ロゼッタが、婚約者を先に下ろしてどうするの!と、先に遠いバルトーク邸へ向かった。
(乗り込んでからの変更だから、待ち伏せできない……できない!)
襲撃は、周到な準備なしに、唐突に決まった。そして、待ち伏せでなければ……
(私の馬車を……追跡したんだ)
で、なくては、あの小路の襲撃はありえない。でも
(人数……と、油……覆面……
敵は、いつでも襲撃可能な体勢をとっていたということか)
ぶるっ、とひとりの客間で武者震いが出た。
今までの人生では、直接出会わなかった民衆党との対峙。
私は今世、戦うんだな。
(それから……)
私は気を引き締めた。
東宮に居る。
私の動きを把握し、暴漢を揃え、指示を出した人間が。
その者が、何故、今宵を選んだのか、そこが肝心だ。
私は、フランカは、ロゼッタは、
今日、何をしたか
何を言ったか
それは誰に
……。
私は重い鎧戸で守られた窓の、ほんの少しの隙間から、朝日が差すまで、黙考し続けた。




