最っ高っ
天乃宮香織は、死にかけていた。
もし死んだならば、死因はこのように書かれるだろう。
「あはははははははははは――ひひゃひゃひゃああああああ、――あぐっ、ははははは――苦し、ふはははははは――息、できな――ふふふ」
大爆笑による呼吸困難からの窒息死、と。
「笑いすぎはよくないよ、香織ちゃん。周りにも迷惑が」
「くふふふふ――げほっえっほ! だ、大丈夫、よっふふふ、防音、結界はははは、張ったから――ひははははは」
「聞こえないから良いってわけじゃないから! ここまでガマンしたのは偉いし、喫茶店に配慮できるのもスゴいけど、聞いてて気分良くないから」
「ふふふ、分かった、ふは、分かったから、はははは、ちょっと待って」
拳を握りしめると、己の心臓を強く叩く。
低く鈍い不快な低音を二度、三度と鳴らすと、呼吸困難を伴うほどの大爆笑はすっかり収まっていた。
「――ふう。いやー、最っ高っの、喜劇だったわね。人生でもトップレベルに愉快だったわ。ライカも指摘ありがとう。放っといたら一日中ああだったろうし」
「収まったならいいけど……一日中? そこまでだったの? 私は周りの目とか、悠太くんに向けられた殺気とかが怖かったけど……」
「もちろんよ。ああも真っ正面から落第点を押されて、取り巻き共含めて何もさせないとか、さすがは剣聖って言わざるを得ないわ。それに、不得意だって明言してる破城剣で脅したのもポイント高いわ。――けど、一番のハイライトは、主流から外れた奥伝に仲裁された所ね。あのデカすぎる借りをどう返すのか、見物だわ」
「……鋭利な刃物で斬ったみたいになってたの、見間違いじゃなかったんだ」
三剣の一つ、破城剣。
他の二つに比べ最も難易度が低いとされる理由は、身体能力を魔導術式で代用できるからだ。身体強化は、断流剣と祓魔剣の再現術式には組み込まれないことがほとんどなことからも、破城剣に身体強化術式が必須であることが分かる。
悠太が苦手とするのも、身体強化術式が使えないという点に他ならない。
「一時間も剣を振っていれば、呼吸法による一時的な身体強化は充分に機能しますが、論点はそこじゃありませんよ。破城剣の有無に関係なく、首に剣を当てられて頭が真っ白になっている部分が未熟なんです。フーでさえなんとかしようと頭を回すというのに」
「兄貴にはさんざん、斬られてるから慣れるわよそりゃ。――けど、頭に血が上ってた割には手加減はしてるわよね。破城剣じゃなくて、断流剣にしたら確実だったのに」
三剣の一つ、断流剣。
魔導術式の破壊を可能とする剣であり、その真価は魔導障壁での防御不可にある。
魔導師であることの最大の有利こそ、魔導障壁という防御があるからだ。切斬や打撃を含む対物理、魔導術式による干渉を防ぐ対魔導、毒や気圧の変化などから身を守る対環境などなど、脆弱な肉体を守るために魔導師は心血を注いできた。
魔導師の命綱とも言える障壁を、断流剣は斬り裂くのだ。
「殺すのはさすがにマズいからな。不殺だけなら祓魔剣でいいんだが、あっちだと意識がなくなるだろう? あと、観測されづらいのも今回はマイナスだった。だからわざわざ、一呼吸分のためが必要な破城剣にしたんだが、斬られた本人が意図をまるで理解しない。中伝ならそれでもいいが、奥伝は実質的な免許皆伝。あれで名乗らせるのは論外だ」
三剣の一つ、祓魔剣。
悠太が最初に習得した武仙流の奥義であるが、最も習得難易度が高い三剣である。
理由は数多くあるが、代表的なものが観測自体が非情に困難であるという点。
精神や霊体を斬る剣であるが、人間の目はそれらを観測できるだろうか?
仮に観測できたとして、魔導抜きの生身で干渉する術を思いつくだろうか?
祓魔剣とは無形を斬る剣。無形とは、文字通り形がないということ。人が干渉するには形が必要であるが、干渉するための形が無く、そもそも観測すらできないのが無形だ。
人が本来干渉できないものに干渉し、斬る形の無いものを斬る剣こそが――祓魔剣。
故に、最も習得難易度が高いのだ。
「ふーん、……まあ、いいんじゃない? キレ散らかして取り返しが付かなくなるよりは」
「あ、やっぱり悠太くん、怒ってたんだ? ……それは、つまり、……成美ちゃんの作った術式を粗末に扱われたから、でいいのかな?」
「違いますよ」
失敬だと言わんばかりに鼻息を荒く、食い気味に否定をする。
「剣聖の一人、武仙流の一人として、断流剣を粗末に扱われたことは頭にきましたけど、後輩の術式だからではありません。後輩以外の再現術式であっても、同じ事をしました。――そう、鼎の軽重というやつです」
「そ、そうなんだ……鼎の軽重、なんだ」
「もちろんです。ただ、それだけで剣は抜きません。断流剣を三とするなら、残りの七は鏑木さんを軽視した点です。小さく、小利口にまとまった小者ではありますが、制限とっぱらった俺に二度も土をつけています。大勢で事に当たった結果とは言え、これは奥伝でも上澄みに位置しなければ成せない偉業です。自分で言うのもなんですが、本当にすごいことなんです。それを派閥だのなんだので軽視するなど、位階に対する権威の崩壊に繋がる愚行そのもの。剣人会という抑止力の崩壊に繋がると気付いているのかいないのか」
「兄貴-、本気で頭にきてるのは分かったから、いい加減戻ってきて」
フレデリカに促されて、口を閉じる。
言い足りないのか不満を露わにしているが、蒸し返さない限りは何も言わないだろう。
「確認するけど、兄貴の数少ない地雷を踏んだ論外さんが、例の奥伝候補でいいのよね?」
「ええ、そうよ。退魔技巧の名家、鏑木家本流の中で、唯一奥伝に手をかけてる秀才――鏑木修司。大学一年生で、学部は魔導科。魔導師としても優秀で、次の試験で魔導三種と取るのは確実って言われてるわね」
「え、マジで? ……兄貴に論外って言われたから舐めてたわ」
高校入学前に取得しているフレデリカが感心する。
本人がコレを聞けば煽られていると思うかも知れないが、魔導資格は国家資格でも難関の部類だ。魔導三種は比較的取りやすくはあるが、プロとして活動するために必須の知識と技量がなければ合格できない。
大学の魔導学部を卒業しても取れない者がいるほどで、二種ともなればプロとして実績を積み、技量を磨いた上で取得する上位の資格。
そして魔導一種ともなれば、才能あるプロが何十年かけても取れないほどである。
「――って、待って。本流で唯一って言った? 名家なのに?」
「悲しいことに、没落真っ最中なのよ。江戸時代に力をつけたのは良かったんだけど、明治維新で勝ち馬に乗り切れず、魔導師としての力を失う。剣人会に所属し続けて何とか立て直そうとするも、武闘派として吹っ切れることができず、気付けば才能のある子供は鏑木修司一人だけという始末。没落するって怖いわね」
「詰んでるわね。そんな状況で、傍流とは言え奥伝を冷遇してるって言うの? 農家の出だからかもしれないけど、没落するの当然じゃないの。奥伝になった傍流に後継がせて、血縁があるのを弟子して育てるくらいしか、立て直せないと思うんだけど」
「ほんと、それ。鏑木家って中途半端なのよ。一流の魔導師と剣士を両方輩出した全盛期を忘れられず、あっちこっちに手を出した結果の没落よ。剣士が残ったなら剣士だけを、それもダメなら商売や地主として生きれば良いのに」
盛者必衰こそ世の真理。
鎌倉時代や平安時代よりも前、古代から続く人の理である。
だが、過去の栄華を忘れられないのも、人である。
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