槍が許さない
100話から朱い妖精の話になったけど、一年以上続けてたとこれを書いていて気づきました。
妖精さんの章は、もうちょっと続くけど、しばらくお付き合いください。
異界とは、魔導師が目指す極致の一つ。
世界を創造するという大魔導ではあるが、単一で存在できるほど安定してはいない。
故に、手間はかかるが、閉じることができる。異界を展開できる魔導師さえ残っていれば、同じ異界を創造することも出来る。異界よりも魔導師の命を優先することは合理的な判断であるが、朱い妖精は正気を失っていた。
「……砕いた、僕が、槍を? ……なん、て……なんてこと、を……」
ヴァルハラ異界は、異界の中でも特殊な部類である。
神の槍を核とし、神造兵器の補助を受け、異界をアストラで満たすことで、ようやく冥界のレプリカとして機能していた。
朱い妖精は、多くを失った。
槍の根幹こそは残っているが、人の魂を加工して組み上げた素材はほとんどが砕けた。
無理やりに異界を崩したことで、アストラの九割が消失した。
神造兵器は悠太達によって破壊された。
いっそ狂ってしまった方が救いであるが、妖精と一体化した槍が狂うことを許さない。
叡智とは理性にて扱うもの。槍より叡智を与えられた者は、賢者たり得なければならない。呪詛よりも強力な権能による逆説が、妖精を狂わせない。正気を失うことはあれど、理性を手放すことは許されない。
「……ま、だ……まだ、手は残っている。時間はある……また、エインヘリャルを集め、槍を復元して、欠片から神造兵器を作れば……時間さえかければ……時間、……どれだけ、かければいい?」
叡智が問いの答えを導き出す。
ラグナロクから現代まで、それと同じ時間をかければヴァルハラは再建できる。
「……ああ、あ……ああああ、ああああああああああああああああ!!」
寿命を超越した化け物であっても、精神までもが化け物であるとは限らない。
化け物の中でも、妖精はまともな部類である。人に近しい精神性と、魔導師の理論で動けるだけの理性を持つが故に、一から同じことを繰り返せ、と言われれば狂ってしまう。
日本の地獄には、賽の河原という罰がある。
親よりも先に死んでしまった幼子が受ける罰で、河原で石を積み上げ、ある程度積み上げたところで鬼に崩されてもう一度最初から、を何度も繰り返すというもの。崩されるまでの過程が長ければ長いほど、激しい徒労に襲われる。
狂ってしまえば、理性を手放せば、忘れてしまえば救われるが、叡智の槍が許さない。
何度狂っても正気に戻され、何度理性を捨てても新しく与えられ、何度忘れても再び叡智を授けられる。
「でも、でも、……手は残っている。……なら、やらないと」
妖精にとって、これは初めての失敗ではない。
羽虫から化け物に至るまで、幾度となく失敗を積み重ねた。
化け物に至ってから異界を得るまで、数え切れないほど失敗を繰り返した。
異界の創造に成功してからも、失敗からは無縁ではいられなかった。
この程度で足を止める者が、化け物に至ることはないのだ。
「愛らしいのですね、あなたは」
「――アンサズ」
焼き殺した。
異界を失おうとも、朱い妖精は化け物。
人を殺すことに躊躇はなく、造作もなく、容赦もない。
「労しいのですね、あなたは」
「帰りたいのですね、あなたは」
「狂えないのですね、あなたは」
ルーンを描く指を止めたのは、慈悲の心ではない。
集団の異質さ故に、である。
「なんだ、お前達は」
「諦めないのですね、あなたは」
「止まれないのですね、あなたは」
「見えないのですね、あなたは」
一人や二人ではない。
背丈も、性別も、国籍も、服装も違う集団が、何十人の群れとなって迫ってくる。
異質ではあるが、よくあることだ。支配する魔導術式など五万とあり、魔導を用いぬ洗脳でも同じことができる。
興味を失った妖精は、再び指を動かす。
「っ、……無駄なこ……とっ?」
心臓があった箇所から、ナイフが生えた。
異質な集団に紛れて忍び寄った何者かに、刺突されたのだ。
「いない?」
探知のルーンを起動しても、どこにもいない。
白昼夢だったと言われた方が納得するが、刺されたナイフが現実だと教えてくる。
「いえ、いえ、おりますよ、ここに」
背後ではない。
朱い妖精の正面に、彼女はいた。
赤い女が、そこにいた。
「何者だ?」
「ワタクシは、ワタクシ達の代表に過ぎません。名前にも、意味はありません。あなたを斬ったのはワタクシの一人で、忍ぶことに特化した奥伝なのです。あなたの心臓を貫いた剣聖様にも、一太刀を浴びせるほどの猛者ですよ」
「――羽虫の関係者か」
追っ手と考えれば不思議はない。
異質な集団で目眩ましをし、潜むことに特化した暗殺者を送り込むことは、妖精からしても合理的な行為だ。心臓という急所に一撃を受けていることも、妖精の考えを補強した。
だが、赤い女は否定した。
「いいえ、違います。剣聖様ではなく、ワタクシがあなたに用があったのです。まずは、こちらを」
異質な集団が割れ、出来た通路から現れたモノを、妖精はよく知っていた。
「神造兵器……――何を望む、女」
「睨まないでください。新たにワタクシとなったこの子達が、あなたを心配していたので、こうして連れてきたのです。――さあ」
赤い女に、敵意はない。
赤い女に、恐怖はない。
赤い女に、打算はない。
彼女にあるのは、深い深い、底が見えないほどに深い、慈愛だけ。
「…………神造兵器を救出したことには感謝しよう。再建の時間が大幅に減ったからな。――それで、お前は何を望むのだ?」
妖精は、返却された神造兵器を背後に控えさせる。
三体しかいないことに嘆きを感じるが、ゼロだった今までとは天地ほどの差がある。
立て直しが千年単位で短縮したことに気をよくしたのか、警戒心を解かぬまま問いかける。
「望み、ですか? であれば、この子達の抱擁を受け入れてください。本当に心配をしていたのですよ?」
「……まあ、いいだろう。釣り合いは取れないが、望みだと言うな……――ら?」
三体の神造兵器は、抱擁と同時に朱い妖精を刺した。
歯車で作り出したナイフを、深々と、妖精の身体に沈めるように。
「……お前、達……なぜ? あの方の、復活は……」
「ワタクシになろうとも、創造主の復活を望む気持ちに代わりはありません」
「ワタクシになったからこそ、分かったのです」
「あなたもワタクシになることが、現状、もっとも優れた道であると」
神造兵器は正気であった。
ワタクシに浸食されているが、神の手による被造物。
変質はしても、正気を塗り潰されることはない。
「女……何だ、これは? この呪詛は……」
「ワタクシになる前は、妖刀《綿霧》と呼ばれていたアーティファクトです。今は、斬った方をワタクシにするだけの力しかありません」
赤い女は、妖精を抱きしめた。
神造兵器のように、ナイフで突き刺すようなことはしない。
慈愛の心で、神造兵器ごと、朱い妖精を抱きしめた。
「ですが、不思議なことに。ワタクシになっている方を抱きしめていると、心だけでなく、身体もワタクシとなるのです」
肉が、溶ける音がする。
肉が、潰れる音がする。
肉が、混ざる音がする。
「あり……え、ない……なんだ、これは」
「申し訳ありません。ワタクシでは、その問いに答えることは。ですが、もういいのですよ。もう、苦界にて抗うことはないのです。全てを受け止めますので」
人は、理屈の分からないことでも、利用する生き物だ。
理屈の解明は暇人の賢者の仕事であり、活用している者には関係がない。
このまま抗うことをやめ、意識を手放すことが出来れば、妖精は苦しむことなく終わったであろうが、叡智の槍が許さない。
現体が崩れ、溶け落ち、赤い女と混ざり合う最後の一瞬まで。
朱い妖精は余すことなく、その様を知覚し続けたのであった。
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