エピローグ:スライムは手紙を贈る
【色欲】の邪神アスモデウスを【吸収】したことで進化した。
進化しただけではなく【色欲】の邪神のスキルも得ている。
その中には、俺の変身能力を強化させるものがあり、人間になるという目標へと大きく近づいた。
体積に応じて、消費魔力、制御難易度が跳ね上がるという問題があり、大賢者マリン・エンライトの全盛期の力を取り戻すことはできず、仕方なく十代前半の少年の姿になった。
その姿でも人間であることは間違いないので、夢は半分かなったと言えるだろう。
だが、オルフェに変身を解いてスライムに戻るところを見られてしまった。
「スラちゃん、今、男の子の格好してたよね? どういうことなの?」
「ぴゅー、ぴゅぴゅぴゅぅ」
口笛を吹きつつ顔を逸らす。
「ちゃんと答えて。スラちゃん!」
オルフェがすごくまじめな顔で覗き込んでくる。
ごまかしはできないようだ。
俺はピュイっと鳴いてから変身スキル【創成】を使う。スライムボディが波打ち、少年の姿を形作る。
「僕は【無限に進化するスライム】。進化の果てに、変身能力を得た。オルフェたちとお話したくて人間に変身したんだ」
まだマリン・エンライトと名乗るには早い。
だから、あくまでスラちゃんのままで通す。
「そうなんだ。これからはスラちゃんとお話できるね。かしこいって思ってたけど、やっぱり人間と同程度の思考能力があったんだね」
「うん、僕はスライムのときから思考能力は獲得してた。言葉を伝えられなくてもどかしかったんだ」
こうやって面と向かって話していると、マリン・エンライトと気付かれかねない。だから、あえて幼い印象を与える声音と言葉遣いを選んでいる。
「私もスラちゃんとお話しできてうれしいよ。……でも、驚いちゃった。スラちゃんって男の子だったんだね」
「普段から、僕は勇ましくてりりしかったよね!?」
思わずツッコミを入れてしまう。
というか、雌と思われていたのはそれなりにショックなんだが。
「だけど、変身したスラちゃん、だれかに似てる気がする……」
オルフェが目を細めてじっと俺を見る。
これはまずい。
少年時代とはいえ、マリン・エンライトの姿をしているのだ。このままではバレてしまいかねない。
よし、力技で行こう。
俺は元のスライムの姿に戻る。
「ぴゅふぅひぃ(疲れたぁ~)」
そして、でろんっと溶けて垂れスライム状態になり全力で疲れたアピール。
「スラちゃん、変身で疲れちゃったの?」
「ぴゅいっ」
「そうなんだ。これだけ高度な変身だから疲れるのも当たり前だよね。また今度おしゃべりしようね。スラちゃんのこと、もっとたくさん知りたいの」
「ぴゅいっ!」
元気よく頷く。
今まで以上にオルフェとの距離が縮まるだろう。
「じゃあ、みんなのところへ帰ろうか。スラちゃん、おいで」
オルフェがおいでおいでと手招きしたところにスライム跳び、オルフェの腕の中に納まり、ぎゅっと抱きしめてもらい、二人で馬車へ戻る。
帰り道、いつも以上にオルフェは俺に語り掛けていた。
ちゃんと言葉が通じていると確信出来て、会話のし甲斐があるのだろう。
◇
馬車にたどり着く、ニコラとヘレンが出発の準備をしていた。
「あっ、オルフェねえ。おかえり」
「ただいま。ニコラ」
「スラ、勝手にいなくなっちゃだめ。みんな心配する」
「ぴゅふぃ(ごめんなさい)」
ニコラが俺を撫でる。
彼女にも心配をかけたようだ。
「そうだ、ニコラ、ヘレン姉さん。スラちゃんがね、変身能力を身に付けたんだ。さっき、男の子に変身してたんだ。おしゃべりもできたんだよ」
「オルフェねえ、それってすごい」
「びっくりしちゃったよ」
ニコラが興味津々という顔で俺のほうを見てきた。身の危険を感じてしまう。
「スラは人間より丈夫だから、いろいろと無理な実験ができる。……ただ、意思疎通が難しくて集められるデータに限界があるのがネックだった。でも、人間になっておしゃべりできるなら完璧。実験し放題」
「ぴゅひっ!?」
ニコラの研究者のダークサイドが顔を出した。
気持ちがわかってしまうのが悲しいところだ。
「そう、びっくりですわね。でも、男の子ならこれから一緒にお風呂に入るのは止めたがほうがいいかもしれませんわ」
ヘレンが意味ありげな顔で俺のほうを見る。
たぶん、この子は俺がオルフェにどんな言い訳をしたかも含めて、だいたいの状況は察しているのだろう。
「うーん、男の子って言ってもスラちゃんはスラちゃんだしね」
「ん。可愛い弟みたいなもの。恥ずかしくはない」
「ぴゅいぴゅいっ!」
スラすりすり。良かった。娘たちとのお風呂は俺にとって大事な癒しだ。
一緒に入ってもらえなくなると悲しい。
「スラちゃん、くすぐったいよ」
「そんなに、ニコラたちと一緒のお風呂が嬉しい?」
「ぴゅいっ!」
二人に可愛がられる。
人間への変身能力がばれても今まで通りの生活がおくれそうだ。
……ただ、お父さんとしてはそのガードの緩さが気になってしまう。これからもより一層害虫駆除には精を出さないといけない。
◇
ヘレンのいた隠里に帰ってきてから三日経った。
とうとう昨日、邪神の肉と毒を原料に、邪神の病を駆逐するたのめ病が完成した。
本来なら、最低でも二か月ぐらいは実証実験をするのだが、そんな悠長なことを言っていられない。
オルフェ、ニコラも協力しての実証実験を終わらて、作り上げた病を拡散させる。
感染ルートは空気感染と経口感染の両方。
まずは、病を広めるために蚊などの羽虫に感染させて空に放つ、虫たちにより人間の生活圏に病が広まっていくだろう。一人感染すれば、その人間と同じ生活圏の人間たちへと広まる。
虫たちの他にも俺の偽スラちゃんたちにも感染を広めさせていた。
この三日の間に偽スラちゃんたちは【色欲】の邪神アスモデウスの死骸を食べきり、【進化】の際に全滅したストックを何割かは補充してくれていたので人手はある。
俺たち三人は空に放たれる虫たちを見送ったあと、お風呂を楽しんでいた。
……これが最後の家族団らんだ。
明日、オルフェとニコラはアッシュポートの屋敷に戻る。
「ヘレン姉さん、本当にここに残るの?」
「ええ、それが私の【医術】のエンライトとしての義務ですわ」
「オルフェねえ、しつこい。ヘレンねえは一度言い出したら聞かない」
「それは事実だけど、姉妹で一番頑固なニコラには言われたくないですわね」
湯船にぷかぷか浮かびながら、俺も温泉を楽しんでいる。
温泉は気持ちいいが、目の保養も万全だ。
すごく大きい、大きい、小さい。それぞれ魅力的だ。
ぴゅふぅー、極楽。
「スラ、あとで変身して見せて。どんなふうになるのか気になってた」
「ぴゅいっ!(いいよ)」
初めて変身した日は疲れ果てていたこともあり、あれ以上変身できず、村に戻ってからはヘレンの手伝いでそれどころじゃなかった。
おかげで、ニコラとヘレンには俺の少年モードの披露はまだされていない。
「スラちゃんの人間姿は可愛いよ。誰かに似てるって思ったんだよね……あっ、そうだ。思いだした。スラちゃんの男の子になったときの姿、お父さんに似てたんだ。幼くて、可愛い感じだけど、お父さんの面影があったよ」
「ぴゅひっ!?」
オルフェが突然、大きな声を上げた。
今になって、それを言い出すのか!?
「オルフェねえ、父さんは棺桶にスラを敷き詰めて、自分の死体を食べさせた。たぶん、スラは父さんの肉体情報、遺伝子情報を持ってる。人間に変身するときに、その情報を使った可能性がある」
「ぴゅいっ、ぴゅい!(そうそう、そんな感じだよ!)」
言い訳をする前に、ニコラが推論を言ったことで全力で乗っかる。
嘘ではない。人間に変身するときは、遺伝情報、肉体情報を使用している。一からそれらを組み立てるのは不可能に近い。
「そっか、それなら納得だね。実はスラちゃんの正体が父さんかなんて思っちゃった」
「それはない。父さんならニコラたちに教えてくれる。それに、スラは着替えのときとか、お風呂のときとかも一緒にいる。胸に飛び込んできたり、スキンシップも多い。父さんならその辺りは気を遣ってくれる」
「だよね。もし、スラちゃんがお父さんならスライムに化けて覗きとかエッチなことをする変態さんになっちゃうね」
「あの父さんに限ってそれはない」
「ぴゅい……」
ますます、正体を話しずらくなる。
今までの旅のことを思い出す。いろいろとやらかしている。……ちょっと、弁明が難しいかもしれない。
「……でも、いろいろと謎がとける部分はある。今まで、ニコラたちのピンチのときに父さんはいつも現れてくれた。ニコラたちのピンチに駆け付けられるのは隣で見守ってくれていたのかもしれない。……それにスラはかしこすぎるし、人間くささを感じるときがある。スラ、スラは父さん?」
「ぴゅんぴゅん」
全力で首を振る。
「屋敷に戻って設備とかが確保出来たら、全力で分析してみる。【無限に進化するスライム】はもともと研究してみたかった。調べるときに、父さんかどうか調べるとしても工程数はあまり変わらない」
「あっ、それいいね。私も手伝うよ。【魔術】と【錬金】二人でやろう」
「ん。肉体方面はニコラがやる。オルフェねえは精神と魂をお願い」
「おっけー。スラちゃん、どうして震えてるの? ただ、ちょっと調べるだけだよ。痛いことはしないから」
オルフェが泳いで距離をとろうとする俺をがっちりつかんでぎゅっと抱きしめる。
それはいつもの抱擁ではなく、逃がさないようにしているようで……。
「ん。スラ、逃がさない」
ニコラも近づいてきて退路を塞ぐ。
「ぴゅひいぃぃぃ」
もしかして、疑いではなく、すでに確信している!? いや、考えすぎだ。
本気で疑っていれば、お風呂から追い出すだろうし、そもそもこうして裸なのに抱き着いてきたりしない。
「オルフェねえ、ニコラにもスラをぎゅっとさせて、スラのひんやりしてぷにぷにしたからだ、お風呂で抱くと気持ちいい」
「あっ、それわかる。はい、ニコラ」
「ありがと」
「ニコラ、次は私もぎゅっとしたいですわね」
「ん。わかった。じゃあ、次はヘレンねえ」
オルフェ、ニコラ、ヘレンと次々に娘にお風呂でぎゅっとされる。
どんどん、取り返しのつかないことになっているが、今は間違いなく天国にいる。
ぴゅふぅー、幸せ。
◇
翌日の早朝、ニコラがゴーレム馬車のエンジンに火を入れる。
すでに荷造りも終わっており、あとは出発するだけ。
オルフェに抱かれて、俺も馬車に乗り込む。
窓を開ける。
ヘレンが見送りに来ていた。
「オルフェ、ニコラ、短い間だったけど、一緒に過ごせて楽しかったですわ」
「私もだよヘレン姉さん」
「アッシュポートで待ってる。ヘレンねえ、絶対後で来て」
姉妹たちが、名残惜しそうしながら言葉を交わし合う。
いつまでもこうしてはいらない。
別れの言葉は終わりだ。
「じゃあ、行くねヘレン姉さん」
こくりとヘレンが頷いた。
馬車が動き始める。
俺は馬車から身を乗り出す。
そして、昨日用意した手紙を投げる。
「ぴゅいっ、ぴゅうー、ぴー(甘えたくなればいつでも呼べ)」
ヘレンが手紙を受け取り、中を見て目を見開き、微笑んだ。
そして、涙を瞳に貯めて全力で手を振る。
「スラちゃん、手紙なんて書けたんだ」
「ぴゅいっ!」
万が一にも手紙をオルフェやニコラに見られるわけにはいかないので、渡すのがこのタイミングになってしまった。
「文字まで使いこなすなんて、ますますスラに興味が湧いた。帰ったら分析がんばる」
……墓穴を掘った感じはあるが、どうしてもヘレンに伝えたいことがあったのだ。
馬車はアッシュポートに向かって走る。
アッシュポートに戻れば、久しぶりにゆっくりできるだろう。
せっかく、少年モードを手に入れたのだ。久々に、人間の楽しみを謳歌したいものだ。
~スラの手紙~
ヘレンへ
ヘレン、言いつけを守り、長女として、あるいは母のように妹たちを支え導いてくれて感謝をしている。そんなおまえを誇りに思う。
だが、おまえに甘えすぎていたと実感した。
ヘレンは妹たちにも、患者にも弱さを見せれずに押しつぶされそうに見えたのだ。
もし、誰かに甘えたくなったらゴーレム鳩で手紙を送ってこい。
そのときは俺が飛んでいく。俺は父だ。父の前では弱さを見せていい。
それは恥じることではない。俺はおまえの強さも弱さも愛おしいと思っている。
最愛の娘へ
マリン・エンライト




