第二十話:大賢者は娘を癒す
俺とオルフェが死闘を演じている間、ヘレンがニコラを治療してくれた。
さすがは【医術】のエンライトだ。
この短時間で、邪神の毒を治療してしまうとは。
そして、治療だけではなく実際に邪神の毒に触れて、邪神を殺す方法を見つけたと断言した。
どんな方法で奴を倒すのか。興味深い。
ヘレンが、オルフェの体内に自分の魔力を流し込み、無理やり叩き起こす。同時に自己治癒力の促進をさせつつ、体力回復ポーションを飲ませた。
気絶していたオルフェがわずかな時間であれば戦えるようになる。
「ヘレン姉さん、全力でサポートするね」
脂汗を流しながら、オルフェが声を張り上げる。
もう、彼女に【憤怒】の邪神サタンの黒い炎を使う体力と精神力は残っていない。
だが、今まで自らの魔力ではなく【憤怒】の邪神サタンの黒い炎を使用していたため、魔力は温存している。
決め手はなくとも、ヘレンのサポートは可能だ。
「ええ、頼みますわ。オルフェ、ニコラ、二十秒、邪神の動きを止めてくださいな」
ヘレンがそう言うと、オルフェとニコラの二人が頷き行動を始める。
オルフェと同じように、ニコラも万全の状態からは程遠い。ニコラは病自体は癒えても、闘病による憔悴は隠せていない。
それでも、二人は自分ができる最善を行い続ける。エンライトの娘たちはそうするように教育を受け、その教えを守っている。
「ニコラ、ひたすら砲撃を続けて! ダメージは与えられなくても足止めにはなるから」
「ん。わかってる。銃身が焼け落ちるまで撃ち続ける」
ニコラが砲撃を繰り返す。出し惜しみなしだ。さきほどから絶え間なく砲撃音が続いている。
大口径の弾丸は【色欲】の邪神アスモデウスの体内にめり込み、爆発を起こす。
奴の体がはじけ飛び、はじけ飛んだ肉体がくっついて再生を繰り返す。奴は再生に必死で攻撃に出る余裕はない。
ニコラの砲撃で動きを止めている間にオルフェの詠唱が終わる。
ほとんどの魔術をオルフェは無詠唱で放てる。そのオルフェがわざわざ詠唱をしたのは、次に放つ魔術が規格外の大魔術だからだ。
「蒼穹より来りて、その風の腕で邪悪なるものを叩き潰せ! 【聖風瀑布】!」
己の魔力とあたり一帯のマナすべてを使った魔術。
遥か天空から、強烈なダウンバーストが降り注ぐ。邪神は砕こうが斬ろうが回復する……そんな相手にオルフェが選んだ攻撃手段は押しつぶすこと。
「グアアアアアアアアアアアアアアア」
圧縮され、摺りつぶされた【色欲】の邪神アスモデウスが苦悶の声をあけるが、その声すら風に塗りつぶされて聞こえなくなった。
圧倒的な破壊の力、やつは指一本動かせない。
対応できる形に変わろうとし、細胞がぼこぼこと泡立つが風の圧力に変形しきる前に潰されていく。
もし、この力を使い続ければいずれ奴の細胞全てを潰しきれたかもしれない。
「ヘレン姉さん、たしかに二十秒、がんばったよ。あと、お願い」
しかし、それを実行するための力がオルフェには残っていない。オルフェが崩れ落ちた。
【魔術】のエンライトと言えど、人の身で扱える魔術には限度がある。
天変地異にも等しい大魔術、そうそう長くは持たない。
ましてや、消耗しきった状態で放ったのだ。気を失うのは当然だ。
ニコラも木によりかかって気を失っていた。ここまで精神力だけで立っていたようだ。約束の二十秒が終わり、緊張の糸が切れた瞬間に意識が落ちた。
「二人ともよくやりましたわね。あとは私に任せなさい」
オルフェとニコラは【色欲】の邪神を倒せなかった。
それでも、ヘレンが奴を倒すために必要な条件がそろった。
ヘレンの手には薄い透明な魔力に包まれた虹色の液体がある。
俺にはわかる。あれはニコラが侵された邪神の毒。
それを変質させたもの。
あれこそが、ヘレンが造り上げた邪神の殺すための武器。
ヘレンが走る。
風に縛り付けられ、摺りつぶされた【色欲】の邪神はピンク色の細胞を膨らませて再生させながら、肉の槍をいくつもヘレンに向けて、放つ。
ヘレンはそれらすべてを躱す。ヘレンの体術は【剣】のエンライトのシマヅに次ぐ実力がある。
これぐらいは躱せる。
ヘレンの右手が光り始めた。どんなメスよりも鋭利な手刀だ。
「イモウト、シヌゾ」
奴が再生させた人の顔があざ笑い、人の言葉を放つ。
「っ!? オルフェ、ニコラ!」
オルフェとニコラに無数の肉の槍が伸びていく。
自分に向かう槍を躱せても、槍を止めることはヘレンには難しい。そして、二人を助けに向かえば邪神を殺すチャンスは失う。
しかし……。
「ぴゅいっ、ぴゅ(俺を忘れてもらっては困る)」
スラウィングを展開し、すばやくオルフェとニコラを拾い肉の槍を回避。
俺はさきほどから、大地と一体になり魔力と体力を回復させながら、姉妹たちを見守っていた。
この邪神はいやらしい手を好む。これぐらい想定内だ。
「お手柄ですわよ。スライムさん。これで、心おきなく手術ができますわ」
ヘレンが突き進む。
翼を飛行ではなく、推進力として加速に使う。
無数の肉の槍をよけきり懐に入る。
そして、光る右手で腹を貫いた。開腹だ。右で切り裂いて露出した邪神の腹の中に左手をねじ込む。左手には光の膜で包まれたヘレン特製の毒がある。毒を体内に放ち、魔術により毒を深く深く浸透させる。
直後、ヘレンはその場を離れる。
彼女のいた位置に、邪神が唾を吐いていた。溶解液のようでどろどろと地面が溶ける。浴びていれば即死だっただろう。
邪神の体が硬直し、震え始める。
「終わりましたわ。スライムさん、オルフェとニコラを連れて帰りましょう。邪神の肉のサンプルも十分、……流行り病を治すための流行り病もなんとかできそうですわ」
ヘレンがオルフェとニコラを背中にして構えている俺のところに来る。
彼女は終わったと言ったが邪神はまだ健在だ。
ヘレンが奴の体内に放った何かの効果で硬直はしているが、再生は進んでいる。今度は馬の姿になろうとしている。俺たちを絶対に逃がさないように馬の速さが欲しいのだろう。
再生が完了し、震えまで止まった奴が踏み出す。
次の瞬間だった。ぼこっと間抜けな音が聞こえた。馬の顔にこぶがいくつかできて膨らみ、そのこぶが破裂していく。こぶは顔だけじゃなく体中にできる。そしてぷくぷく膨らみ破裂、それを繰り返す。
「スライムさん、私たちは勘違いしていたのです。邪神は再生していたのではないですわ。細胞を望む形に進化させ続けていた。結果として傷が癒えていた。そして、邪神の強みは明確な頭脳がないことですわね。細胞の一つ一つが判断力を備えて、すべてが同格の司令塔になりえて、一瞬で全細胞に命令伝達可能。しかも一つ一つの細胞がどんな役割も果たせる。なので細胞をすべて破壊しつくさないと殺せない」
それは俺も気付いていたことだ。オルフェもそれがわかっていたからこそ黒い炎を作った。
「ですが、それは明確な弱点でもありますの。強力な細胞間の情報伝達ができるということは、相手の細胞一つを騙して、全細胞に偽情報を伝達させてしまえば、進化の方向を歪めることもができます。……【色欲】の邪神の死因はアポトーシス。進化の果てに行きつくのは、自己保全のための自殺ですわ」
「ぴゅむ(なるほど)」
アポトーシス。
多細胞生物に存在する。個体をより良い状態に保つために引き起こされる細胞の自殺プログラムのことを言う。簡単に言えば進化するための自殺という機能。
奴の細胞の一つにアポトーシスをするように命じ、それを細胞全てに伝達させた。
いかに外部から攻撃に強くても自殺には耐えられない。
……奴の強みである細胞すべてが頭になりえる機能、それが致命傷になった。
破裂を繰り返し、すべての細胞が砕けちり、【色欲】の邪神アスモデウスが滅びる。
不死性を司る機能、それが奴の弱点になるとは皮肉が効いている。
「スライムさん、帰ったら邪神の病を駆逐する流行病づくりを手伝ってくださいませ。最後の材料も手に入りましたし、三日あれば作って見せますわ」
「ぴゅい!」
喜んで協力しよう。
娘がどれだけ腕を上げたか見るのは楽しみだ。
そういえば、【色欲】の邪神アスモデウスを【吸収】し忘れていた。
……細胞が自殺したあとの残骸でも、しっかり能力を得られるだろうか?
俺は振り返る。
それと同時に、ヘレンの心臓に肉の槍が突き刺さりヘレンが崩れ落ちる。
肉の槍を突き刺したのは【色欲】の邪神アスモデウス。
奴の細胞伝達には時間差があった。あいつは最後の最後の抵抗で、中心部、もっとも伝達が遅い細胞で攻撃した。
「きひいいいいいいいいい」
奴が笑った。
「ぴゅいっ、ぴゅうううう!(よくも、ヘレンを!)」
あいつは放っておいてもアポトーシスで死ぬ。
それはわかっているが、感情を抑えきれない。
奴に飛びかかる。
俺にこいつを滅ぼすための手札はない。だから、【吸収】してしまう。
もとの巨大なサイズでは不可能だが、最後に残されたやつの欠片はスライムボディと同程度、口を広げて飲み込み【吸収】して血肉へと変える。
どくんっ、どくんっ、力が湧いてくる。
新たなスキルを得る。進化が始まる。
……その進化を荒業で押さえつける。やつを吸収して変化を始めたスライム細胞を切り離し【収納】することで、進化を後回しにした。
進化は体力を消耗する。そのまえにやるべきことがあるのだ。
「ぴゅいぃぃぃ(ヘレン)」
ヘレンが倒れていた。
心臓を貫かれている。常人であれば即死。だが、ヘレンは呪いにより不死だ。死にはしない。だが、問題は邪神の毒によって引き起こされる病。
邪神は最後の一撃に最高純度の毒をぶちこんだ。
ニコラに使ったのとは違い、ただ殺意を込めて殺すことだけを考えたもの。
感覚でわかる。これは不死すら殺す毒だ。
「スライムさん、失敗しましたわね。ごふっ、昔からお父様には詰めが甘いと言われていましたが……悪い癖が出てしまいました。だけどうれしくはありますわね。……偶然ですが、ずっと探していた私が死ぬ方法が見つかるなんて……この毒、きっちり分析したいですが、無理そうですわね」
ヘレンなら、この毒ですら癒せるだろう。……健全な状態なら。
ヘレンが倒れた今、この世界に【邪神】の病を癒せるものなど存在しない。
俺を除いて。
【収納】から【進化の輝石】を取り出す。
最後の最後に取っておいた一つ。これを使えば俺はもうマリン・エンライトに戻れなくなる。
だが、知ったことか。娘は俺が守る。ここで使わずにいつ使うというのか?
【進化の輝石】をかみ砕いた。
力が満ちる。
魔術回路が充実する。
思考が急激にクリアになる。
魔力上限の上昇を確認。
進化した魔力回路をさらに効率化。全盛期の自分を再現開始。
スライムの体から四肢を伸ばし、疑似神経、疑似魔術回路、疑似筋肉の形成が完了。
質感、色の完全再現。
疑似頭脳構成完了、仮想頭脳との多重化。
ありし日の自分を取り戻す。
俺の知る最強の存在、大賢者マリン・エンライトを形作る。
「何を言っている。死ぬにはまだ早い。ヘレン、おまえには妹たちを見守るように頼んだはずだぞ」
俺はマリン・エンライトの姿を形どり、ヘレンに笑いかける。
「……お父様、どうして」
ヘレンの体を触診する。
解析魔術の使用。ヘレンの体調と同時に毒の成分を分析。
予め、【収納】し分析していた邪神の毒を元に作っていた解毒剤の有効性を確認する。
この特別な毒は癒せないが有効成分はいくつか存在。
ヘレンの血を採取。ヘレンが持っている何十種類もの抗体の中から、特に有用なものを選択。
手持ちの薬剤、毒を持つ魔物の体液、霊草などと調合。
魔術により変質と強化を繰り返す。
「約束したはずだろう。がんばって、がんばって、それでもダメなら俺がなんとかしてやるって。ヘレン、おまえはよく頑張った。よく、ニコラを救い、邪神を倒した。だから俺がおまえを救ってやる」
生成した解毒薬を血管に注射により投与。
血流を加速、解毒剤の回りを早くする。
魔術によりヘレンの痛覚信号の完全遮断を実施。
毒による肉体へのダメージは止まったものの、すでにいくつかの重要な臓器が壊れたあとだ。魔術だけでは治せない。
外科手術が必要となる。
「お父様……ほんとは、まだ死にたくないです。助けて」
「安心しろ。俺が絶対に死なせない。まだ、おまえには教えないといけないことが残っていた。切られながら学べるか?」
意識を完全に落とすのではなく、痛覚だけを遮断したのはこのためだ。
「ええ、自分の体で学びますわ。お父様の医術、体に刻んで覚えます」
「いい子だ。いくぞ」
土魔術でメスを錬成。ヘレンの肌を切り裂き完全にダメになり自己治癒の見込みがない臓器の摘出。瞬時に魔力で無理やり内臓機能を代替し延命している間に付近の細胞を使い再生魔術で臓器の生成、内臓の代わりを果たしていた魔術の機能を停止、生成した臓器との接合。拒否反応のチェック、魔術により適合を強める。
この一連の工程を繰り返す。
解析魔術にて再度の検診を行う。これ以上の外科手術は必要ない。
毒の力が思ったより強い。解毒薬を追加で投与。
「……スライムさんの正体が、お父様でしたのね。そんな気はしていましたわ」
一分一秒を争うほどヘレンの容体は悪く、一度森に隠れてから変身なんて余裕はなかった。
だから、正体がばれることを承知したうえでヘレンの前で変身をした。意識が朦朧として見逃してくれることを期待したが、やはりそううまくはいかないか。
「ヘレンも知っての通り、マリン・エンライトの肉体を維持することは不可能だった。だから、別の肉体に魂を移すことで生き延びた」
ヘレンは本当の俺の死因を知っている。
マリン・エンライトは表向きは病死だが、その実は強力な神々の呪いを受けていた。
ただの病であれば、俺とヘレンであれば治療することができていた。
「なら、言ってくださればよかったのに」
「今、人間の姿を取り戻せているのは【進化の輝石】でスライムの変身能力を極限まで上げてるからにすぎない。その【進化の輝石】も使い切った。……すぐにスライムの姿に戻るし、人間の姿に戻ることはできなくなる。父親がスライムになり果てたと知ったら娘たちを悲しませる。それに俺がいれば、これ以上おまえたちは成長できない。そろそろ、おまえたちは自分の力で歩き始めるころだ」
切り裂いた皮膚を繋ぎ合わせて自己治癒力の再生強化で傷跡を消す。
血をふき取り、消毒。
ヘレンの痛覚遮断を解除し、体力回復ポーションと栄養剤を飲ませる。
「お父様の手際、凄まじいですわね。嫉妬をする気すら起きませんわ。だいぶ、追いついたつもりだったのに……まだまだ届かないですわね」
「俺が何十年鍛えて、ここまでたどり着いたと思っているんだ。ヘレンはまだまだこれからだ。だから、生きろ。そして追いつけ。……最後にお前を殺した毒のサンプルは残してある。おまえなら、この毒を分析して死ぬための毒は作れるだろうが、せめて俺より年を取ってから使え」
ヘレンに、治療前に抜き取った毒に感染した彼女の血を渡す。
「そうしますわ。お父様、お願いがありますの」
しっかりもののヘレンらしくない、自信がなさそうな、心細そうな顔で俺の顔をヘレンが見つめてくる。
こんなヘレンを見るのは何年振りだろうか?
「なんだ?」
「抱きしめてください。お父様が死ぬ前から、ずっと躊躇いなくおねだりできるオルフェたちが羨ましかった。もし、また会えたら、ちゃんと甘えようと決めていたのです」
「……一番のしっかりものだと思っていたが、まだまだヘレンも子供だな」
ヘレンがぎゅっと抱きしめてくる。
病でぼろぼろで弱り切っているはずなのに、俺を抱きしめる手は強かった。
「お父様と二人きりのときだけ、こんなふうに甘えん坊でいられるんです。患者の前でも妹の前でも、弱いところは見せられないですから」
首筋に冷たい水滴がこぼれてくる。
ヘレンは泣いているのか。
そうか、強い子だと安心していたがずっと我慢していたのか。
ずっと、こうしてやりたい。
だけど、そろそろ時間だ。
「ヘレン、そろそろ奇跡の時間は終わりだ。俺はスライムに戻る。俺はスライムでいる間は、使い魔のスラちゃんとして振舞う。そう決めている」
「ええ、わかりましたわ。オルフェとニコラには秘密にしておきます。オルフェの使い魔としてあの子たちを守ってあげてください」
「……わかってくれて嬉しい。今は正体を明かすつもりはないが、やがて、いつか自力で人の姿になれるようになれば、そのときは」
そこまでだった。
制限時間が来る。
体がどろどろに溶けた。ドロドロに溶けた体をかき集める。
いつもの可愛いスラちゃんの体に戻った。
そんな俺を見て、ヘレンは泣きながら微笑みかけてくれた。
「おとうさ……スライムさん。オルフェとニコラを馬車に運ぶのを手伝ってください。二人が目を覚ましたら出発しましょう」
「ぴゅいっ!」
ヘレンはお父様と言いかけてやめた。
俺をスライムと扱ってくれるヘレンに今は甘えよう。
そして、やがてちゃんと人間になれるようになったら、また抱きしめてやろう。
そう心の中で誓った。




