第十六話:スライムは王子を生暖かい目で見る
王子に突き落とされたヘレンがオルフェとニコラを抱えて戻って来る。
彼女は大きく白い翼を広げ空を飛んでいた。
ヘレンは天使と呼ばれる白翼族。その翼は飾りではなくその気になれば人を抱えて飛ぶこともできる。
ただ、あまり翼を使いたがらないので、ヘレンが飛べることを知るものは少ない。
「ふう、危なかったですわ。オルフェ、ニコラ、あなたたち重くなりましたわね。運ぶのが大変でした。太りました?」
「成長だよ! 太ってなんかないもん!」
「ん。同意。むしろ父さんにはもっと肉をつけろと怒られてる」
二人とも十四歳であり、まだまだ育ちざかりだ。
オルフェはここからまだ成長すると思うと戦慄するし、ニコラはこのまま成長が止まるとまずいので、もっと肉を食べて運動してほしい。
それにしてもオルフェもニコラもなかなか図太い。
一歩間違えば死ぬ罠にかかっても平然としている。
いや、それも当然か。オルフェは風の精霊と意識を同調し、落とし穴の存在に気付いておりニコラとヘレンにもこっそりそのことを伝えていた。風を使えばニコラとヘレンにだけ声を届けることは容易い。
二人ともヘレンが助けてくれるとわかっていた。
つまるところ、この一連の流れは王子をつり出すための罠だ。
「なんで」
小さく、王子がつぶやく。
「なんでとは?」
「いつから僕が裏切り者だと気付いてた!? 僕を警戒したから翼が使えないふりをしたとすれば計算が合わない。あの研究所を出るときに聞いたんだぞ」
気が付けば王子の口調が変わっていた。
おそらく、こちらの口調が王子の素なのだろう。
「えっと、最初からですわね。正しく言うと、私がわかっていたのは、初対面からずっと嘘をついている。私に対して後ろめたいことがある。研究所が襲われても命の危険を感じていなかった。私に救われて脱出したときから恐怖しはじめ、私が安全と太鼓判を押した集落についたときが恐怖のピークだった。封印の地に近づき安堵していた。ぐらいでしょうか?」
王子が絶句する。
それだけ見抜かれていれば、王子が裏切りものだということは明白だ。
なにせ、研究所が襲撃されても命の危険を感じないのは襲撃者と通じているからに他ならないし、集落に逃げのび当面の安全を確保したのに恐怖するのは仲間と引き離されたから。
さらに言えば封印の地に近づくにつれて安堵していたのは、本当の仲間と合流しヘレンたちを始末できるからと推測できる。
実際のところ、俺も王子をずっと監視しており、娘たちのピンチには飛び出す準備をしていたのだ。
「なっ。それだけわかっていて、どうしてここに案内させたんだ」
「封印の地に関する話と、ここに邪神がいるというのは本当のようでしたから。それだけでここに来るのには十分ですわ」
「僕は何一つ失言していない。なぜわかる!!」
「あっさりと認めますのね」
「うっ」
ヘレンがにっこりと微笑む。
「言葉にしなくても人は、その気持ちを体で表すものですわ。そもそも私は医者です。いちいち言葉を真に受けたりしません。体温、心拍数、汗、匂い、口調、仕草、表情、そのすべてが真実を語っておりますの。言葉よりずっと体は素直ですのよ?」
王子が絶句する。
彼からすれば信じられないことだろう。
ヘレンには嘘が通じない。
「ははっ、いい医者は怖いな。それで僕をどうするつもりだ」
「当初の予定通り邪神のいる場所まで案内してください。それまで暇なのでフランク王子が何を考えて、国と民を裏切って七罪教団に協力をしたのかを話していただきましょうか。あなたにとっても都合がいいはずですわ。……なにせ、こうして私たちと話して仲間がくる時間稼ぎをするぐらいですから」
王子が渇いた笑いをする。
そこまで見抜かれていたとは気付いていなかったのだろう。
逆にヘレンは、そのことに気付きつつも目的を達成するために、あえて挑むつもりだ。
そうでもしなければ邪神のもとにたどり着きすらできない。
封印の地まではいくつも分岐がある一大迷宮、王族の案内なしに突破はできない。
王子はしばらく考え込み、諦めて案内すると言った。
◇
「フランク王子。今、わざと道を間違えましたね」
「……本当にそこまでわかってしまうのか」
来た道を引き返す。
さきほどから、こういったことがちょこちょこある。
王子の精一杯の抵抗だろう。だが、即座にヘレンはその嘘を見抜く。
「あまり、強引なことをさせないでください。あなたの意思を奪うぐらいの真似、やろうと思えばできますの。それをしないのは王家への敬意。そして、あなたが救いを求めているように見えるからですわ。いったい、フランク王子は何から救われたいのでしょうか? 答えてください」
ヘレンが裏切者である王子に対して甘いとも言える対応をしていることが気になっていたが、今納得した。彼が救いを求めているからか。
救いを求める以上、ヘレンは救おうとする。
「……僕は救われたいなんて思っていない。むしろ僕がこの国を救おうとしているんだ」
「七罪教団を招き入れ、これだけ病をまき散らし、民を苦しめ殺しておいて、よくそんなことが言えますわね」
王子は昏い笑いをする。
「必要な犠牲だ。この病の力を使って、ミラルダを馬鹿にしたすべての国、そして恥知らずな民どもに僕の国の力を見せつけてやる」
「まさか、この国でまず病を流行らせたのはただのカモフラージュですの?」
「その通りだ。僕の計画ではこの国で病を流行らせ、次に他国にも病を広げ、それから七罪教団の作る治療薬を武器に世界を牛耳る。そのはずだった!」
効果的な手段だ。
最初に病が流行ったのであれば、最もはやく薬ができてもおかしくない。疑われることなく強気に交渉ができる。
「なるほど、私のような他国の医師を呼び寄せたのは薬の完成を期待するものではなく、薬が作れてしまえそうな他国の医師を始末するためでしたのね」
「そうだ。……なのに、こんなに早く薬を作ってしまうなんて想定外だったよ。君たちが自国に送るデータの改竄には苦労させられた。邪神の病は性質を変えることができるけど……。予め七罪教団が作りためた薬が使えなくなってしまう。それはまずいし、僕たちすら危なくなる」
王子はぺらぺらと重要な情報を漏らしていく。
邪神が病の性質すら変えられないというのを不思議に思っていたが、薬を用意する側の都合だったのか。
「フランク王子、そんなことで他国に対してイニシアチブをとってもどうにもならないですわ。結局、あなたは七罪教団に利用されているだけですわ。自国民すら犠牲にしながら何も得られていない」
「利用されているなんてことはわかっている! だけど、僕がそうしないとミラルダの誇りは守れない!」
王子が叫ぶ。
「この国はミラルダ王国だった、ずっと、ずっと何百年も! だけど、あの愚かな父は民主主義なんて馬鹿なことを言いだして、王族の威厳を地に落とした。僕たち王族はもはや飾りだ」
ミラルダ共和国。
共和国というのは、君主が存在しない国のことを差す。本来王族は存在しない。
この国はほんの十年前まではミラルダ王国と呼ばれていた。
貧しい土地、めぼしい産業もない。他国から安くて質のいい製品が流れ込み仕事が奪われ、より貧しくなっていく。
民の不満は爆発寸前だった。そこでミラルダ王は決断した。民の不満により反乱がおこる前に政治を民に渡してしまおうと。
その後、ミラルダ王国はミラルダ共和国となった。
混乱は小さくなかったものの、共和国化により以前よりも景気は良くなった。今や王族はただの飾りになり、わずかな年金とイベントに参加する際の報奨金で暮らしている。
「ヘレン、君は僕が民を犠牲にしたと言ったな。どうでもいいんだよ。王族を捨てた民なんて。僕はね、七罪教団の力を借りてこの国を再びミラルダ王国にする。ミラルダ共和国の民なんていらない。一掃して、新たなミラルダ王国民を集める。そして、強いミラルダ王国を作り上げるんだ。そのためには、邪神だって、七罪教団だって利用して見せる! 僕はあの腰抜けの父上とは違う!」
ヘレンは冷笑を浮かべる。
一片たりとも、王子の言葉に共感していない。
……王子は気付くべきだった。今、この瞬間もヘレンは王子を品定めをしていることに。
トリアージというものがある。
どんな天才医師でも、すべての患者を救えるわけではない。同時に救う対象が現れたとき、多数の人間を救うために誰を切り捨てるか……その決断をするのも医師として必要な才覚だ。
ヘレンは王子を救いたいと思っているが、すでにミラルダ共和国の民と王子を天秤にかける必要があると思い始めている。ヘレンはお人よしの救済フェチだが同時にリアリストだ。
「それは覚悟とはいいませんわ。傲慢、あるいは子供の駄々と言うのです。あなたが無能と蔑んだ父親よりもよほど劣っている」
「違う、僕はやり遂げる。強いミラルダ王国を作る。あの腰抜けとは違うんだ」
父とは違うと繰り返す。
「一つ質問をしましょうか……その強いミラルダ王国とやらは、あなた以外の誰が望んでいるのですか?」
王子は絶句する。
これは王子の急所を突く質問だ。
本来強く豊かな国はそこに住む人々を幸せにするのだが、その民を皆殺しにして新たな民を集めると王子は言った。
つまるところ、そんなものができて喜ぶのは王子だけだ。
「新たな民が望んでいる。僕が作る強いミラルダ王国にくる新たな民だ!」
「それは誰ですの? あなたにはちゃんとその民の顔が浮かんでいるのですか?」
王子は頭を抱える。
浮かぶわけがない。そんなものは王子の妄想の中にしかない。
「今から、僕に協力するならおまえたちを僕のミラルダ王国の民にしてやる」
「嫌に決まっていますわ。いつ、フランク王子がやり直したくなって捨てられるかわかりませんもの。わかりますかフランク王子。あなたは気に入らないからやり直そうとしているだけです。人の命をチップにして、自分だけは傷つかず」
「違う! 僕は血を流した。反対する父上を殺して、愛する民を犠牲にして。父すら殺して覇道を進む僕には誰よりも覚悟がある」
王子は涙を流して絶叫する。
「フランク王子、あなたは勘違いしていますわね。血を流したのはあなたじゃない。あなたの父親とこの国の民ですわ。あなたは今、民どころか父親すら愛することができない自己愛の塊だと打ち明けただけですわよ」
フランク王子から表情が抜け落ちる。
そのあとは、ただ黙々と進んだ。
そして、大きく開けた場所に出る。その奥にはもう一つ扉がある。邪神がいるのはあの奥だ。
気配でわかる。
部屋の中央で王子は振り返る。
「僕は間違っていない。間違っているのはおまえだ。だから……、僕は目的を達成する。僕を馬鹿にするおまえたちは死ね!! せっかく、僕はおまえたちを僕の国に迎えようとしてやったのに!!」
王子が絶叫すると、無数の陰が現れた。
その影は女の顔をした獅子になっていく。邪神の眷属たちだ。
そして、七罪教団らしき影が部屋に潜んでいたらしく俺たちを囲む。
ここからが正念場だ。
ずっと黙っていたオルフェが口を開く。
「ねえ、ヘレン姉さん。どうする? フランク王子をまだ救いたい?」
「ショック療法は失敗してしまいましたわ。残念ながら、フランク王子はもう救えません。ここにいる人たちを全員倒して、邪神に挑みましょう」
「わかった。ヘレンねえ、オルフェねえ、がんばる」
オルフェが杖を構え、ニコラが刃の自動防御装置を起動、ヘレンが翼を広げる。
俺はぴゅいっと鳴いて威嚇する。
目の前にいるのは、邪神の前座に過ぎない。速攻ひねって邪神に挑もう。




