第十話:スライムは頼りになる
村の中に案内してもらった。
村人たちはヘレンのことを信頼……いや尊敬しているようだ。
ヘレンが住んでいる家に俺たちは招かれる。
「ふふっ、可愛いですわね。この子」
「ぴゅい♪」
ちなみに、俺はさきほどからヘレンに抱きしめられている。
圧倒的な母性を感じる。
オルフェも立派なものを持っているがヘレンはそれを上回る。加えて、労わりの心だとか、暖かさだとか、いわゆる強い母性を感じる。
……ただ、完全にオルフェを上回っているわけではない。
柔らかければいい、大きければいいというものでもない。
オルフェのものは、スライム的にベストフィット。そしてオルフェのぎゅーには心を満たしてくれる何かがある。
つまるところ、ヘレンも最高だが、やっぱりオルフェが一番いいということだ。
いや、やっぱりヘレンも捨てがたい。いっそのこと、二人に挟んでほしいぐらいだ。
「あっ、スラちゃん。また変な顔して。もしかして変なこと考えてる?」
「ぴゅっ、ぴゅいぴゅい!」
そんなことは考えていない。言いがかりは止めてもらおうか!
「本当にオルフェたちは元気そうですわね。お父様の死で一番落ち込むのはオルフェかニコラだと思っていましたわ。元気すぎてちょっと驚きました」
「落ち込んだよ」
「ん。悲しくてしかたなかった」
オルフェとニコラは素直に頷いた。
だけど、その言葉には続きがある。
「だけどね。落ち込んで何もしないとお父さんに嫌われちゃうよ」
「父さんが好きなニコラたちでいたい」
やっぱり二人ともいい子だ。
この子たちのためにも一刻も早く人間に戻り、これまでのことを全部話してあげたい。
人間に戻る訓練も今まで以上にがんばろう。
◇
居間にやってきた。お茶が運ばれてくる。
ヘレンがごほんと咳払いしてから会話を始めた。
「さて、どこから話しましょうか……二人は私が流行り病を治すためにミラルダ共和国に来ていて、先日治療のためのポーションの製作に成功。量産体制に入ったというところまでは教えましたね」
「うん、そこまでは手紙で知ってるよ。ヘレン姉さんが作ってくれたポーション、ありがたく飲ませてもらってる」
「ん。ヘレンねえはすごい。完成品を分析して驚いた。ニコラじゃ絶対に開発はできなかった」
ヘレンが苦い表情をする。
本来ならヘレンの仕事はほぼ終わり。
あとは薬が国中にいきわたるのを見届けるだけのはずだったのだ。
「それからのことだけど、王子様が視察に来たのです。そのタイミングで研究所が襲撃されました。……七罪教団とこの国の軍に」
オルフェとニコラが目を丸くする。
七罪教団はともかく、この国の軍というのは予想外だったのだろう。
「流行り病が広まったのは人為的なものだったのですわ。この国に封じられていた【色欲】の邪神アスモデウスの力。そして、七罪教団の狙いはこの国の中枢の掌握。……病をまき散らし、その病の特効薬を七罪教団だけが持っているとなれば、彼らに抗えるものはいません。事実、気付いたときには権力者の大半が彼らに屈していました」
そうなるだろうな。
どんな聖人君子だろうと自らの命、あるいは大切な人の命を盾にされれば逆らえない。
事実上、七罪教団の連中はミラルダ共和国内で生き残る人間と死ぬ人間を選別できる。
今は、権力者を狙い撃ちにしているが、そのうちに教団に入信したものだけが救われるなんてやりかねない。
それは、ミラルダ共和国だけに留まらないだろう。
この国を支配下に置けば、さらにその次の国へと食指が伸びていく。
「ひどいことをするね。でも、なんでわざわざ研究所ができてから潰したんだろ? 権力者を操れるなら、もっと早く潰せば良かったのに」
「たぶん、自分たちに逆らう権力者をいぶりだしたかったのね。それに邪神の病を癒せるはずがないと高をくくっていたのでしょう。薬が出来たと情報を掴んで慌てて潰しにきた。……私も愚かでしたわ。敵が見えていなかった。ただ、救うことだけしか考えていませんでした」
このことでヘレンを責めるのは酷だろう。
七罪教団は秘密裡に行動していた。そしてヘレンの専門は【医術】。
政治のことなどわからなくて当然だ。
「でも、ヘレンねえはレシピをグランファルト王国に共有してる。研究所が潰されても、グランファルト王国で量産すればなんとかなる」
そうなのだ。
ヘレンはグランファルト王国から派遣されており、定期的に研究成果を自国にも報告している。
つまるところ、研究所が潰されても大した問題にはならない。
「それがね、グランファルト王国との連絡役があいつらの仲間だったみたい。薬が完成したことを七罪教団に真っ先に伝えたのもそいつ。グランファルト王国に不審に思われないように改竄して報告している可能性が高いですわね」
「うわぁ、ずるい」
「研究成果の改竄なんてひどい」
それぐらいの手は打っているか。
……なら、話しは簡単だ。
この状況で打てる手は一つだけある。
あとはオルフェかニコラが気付くかどうかだ。
「ヘレンねえ、提案がある。アッシュレイ帝国の貴族に親しい公爵がいる。クリスって名前。クリスには予備のゴーレム鳩を持たせてるし、ニコラのゴーレム鳩にはクリスの魔力波長を覚えさせてるからここからでも手紙を届けられる。ヘレンねえの研究成果をクリスに伝えればアッシュレイ帝国で薬が量産できる」
「それはいい考え。ただ、簡潔にまとめてもゴーレム鳩が運べるかは怪しいですわね」
「ページ番号を振って何往復かさせる」
それが現実的な考えだろう。一往復にだいたい三日かかる。
運べる量から換算して三、四往復で十日から二週間だ。
それでもやっておいたほうがいい。
「ニコラ、お願いしますわ。私は私で別の取り組みをしています」
「それ、気になる。どんなの?」
「大規模な施設がなければ、国民全員にいきわたる量の薬を作ることは事実上不可能です。……そして、あの研究所が破壊され、権力者たちを押さえられている以上、今後も大規模な施設を使えるようになることもないですわ」
「うん、私も同意だね。一つ二つなら自分たちで作れちゃうけど、大きな施設と人手がないなら数は揃えられないもん」
俺も同意だ。
どれだけ優れた錬金術士が集まろうと個人では作れる数に限界がある。
研究所が壊された今、国民すべてを救うことは絶望的だ。
……普通の方法では。
「私は治療ポーションを配布する方法を諦めていました。ニコラのおかげで国外の生産力を当てにできそうですが、そちらは保険です。本命は新たな病を作ることですわ」
「ぴゅふっ」
思わず声が漏れた。
面白いことを考えるものだ。
「邪神の病と同系統ですが、感染力がより強く、自己治癒力で回復でき、さらに体に抗体を作らせる病を人工的に作り広めます。あとは、病気が自然と広まれば連鎖的に抗体を国民たちへと持たせることができますの……薬を量産できる環境があるうちはリスクがあって避けていた方法です。体の弱い人が耐えられない可能性や、病が完成の途中で変異することだって考えられる……だけどこれしかありませんわ」
めちゃくちゃだ。
だが、実現できればこれ以上即効性がある手段はない。
なにより、病さえ作れればあとは少人数でも国民すべてを救える。
「ヘレンねえ、そんなこと可能なの?」
「私は【医術】のエンライト。すでに理論上は出来上がっていますわ。あとは作るだけ。……なのですが、一つだけ材料が足りませんの」
「その材料は?」
「邪神の肉ですわね。病原体の本体が欲しい。邪神の病の感染者の血肉ではダメでした」
まあ、そうなるよな。
病をもって病を制するなら、その本体が必要だ。
「なら、簡単だね。私たちで邪神を倒しちゃおう」
「ニコラも賛成。ニコラ達なら勝てる」
ヘレンが笑う。
邪神に挑むのは自殺行為だ。
ヘレンが姉妹で二番目に強いと言っても、一人で挑めば無駄死にだ。……呪いで死ねないが何も出来なくなる。
だから、ここで期を伺っていたのだろう。
「オルフェ、ニコラ、ありがとう。あなたたちの力と命あずかりますわ。……私だけではこの国は救えません。みんなで救いましょう」
オルフェとニコラが強くうなずく。
邪神の病をなんとかしてから、邪神を倒す予定が逆になった。
しかし、それでいいと思う。
わかりやすい展開だ。
さあ、一瞬でケリをつけてやろう。
邪神を倒して、血肉を得て新たな病をばらまけばすべてが解決する。
「そのまえに、さっきから言うの我慢してたけどヘレン姉さん臭いよ」
「ヘレンねえ、何日もお風呂入ってない匂い」
オルフェとニコラの言葉を受けて、ヘレンが顔を赤くする。
恥ずかしそうにしながら俺たちと距離を取った。
「なっ、なっ、なにを言いますの……と言いたいところですが、ここでは水が貴重なのです。水を汲みにいくのも敵に見つからないために最小限にしていますのでお風呂なんてとても」
「そうだったんだね。なら、今からお風呂入ろ。安心して、スラちゃんはすごいんだから」
「スラのお腹の中には綺麗なお水がいっぱい、スラが作った湯船もある」
大人びた表情のヘレンの顔が緩む。
そして、俺のほうを物欲しそうに見る。
「スラさん、お願いしたらお風呂に入れてくれますの?」
「ぴゅいっ!」
「きゃああああ、さっそくお願いします。お風呂、なんて素敵な響きなのでしょう!」
ぴゅふふふ。
娘が喜んでくれる。これ以上幸せなことはない。
特製のスライム温泉。
楽しんでもらおうか。




