第一話:スライムは望まぬ再会をする
アッシュポートの屋敷に戻るなり、ヘレンからの手紙が届いた。
オルフェの肩によじ登り手紙を覗く。
ヘレンは、数万人以上の被害を出した流行り病の治療のためにミラルダ共和国に向かっていた。
本来、自国でこういったものは対応するのだが、自分たちでは手に負えないと救援を求めてきたのだ。
俺たちがいたグランファルト王国も、隣接する国の病が自国にまでやってきてはたまらないとヘレンを送り出すように依頼してきた。
何万人も死んでいるような病が蔓延している土地に足を踏み入れるのは自殺行為だ。治療をしにいった医師が病にかかる危険性がある。もし治療法を見つける前に病が進行してしまえば助からない。
だが、それでも行くのがヘレンだ。
あの子は、いつも命を救うということに対して全力だ。
「さすがヘレン姉さんだね。ミラルダ共和国で何万人も死んだ病の特効薬を作っちゃったみたいだよ。向こうの医師団が匙を投げたっていうのにすごいね」
「ヘレンねえなら当然」
ニコラが自分のことのように誇らしそうに言った。
実のところ、その話は聞いていた。
俺の死の間際にヘレンがやってこれたのは、特効薬の開発と検証が終わり、増産体制に入ったからだ。
もし、解決の目途がたっていなければヘレンは戻って来なかった。
ヘレンには命を救うことに対する責任感がある。
「ニコラはよくヘレン姉さんと共同開発してたもんね。ヘレン姉さんの力を一番理解してるのはニコラかも」
「ん。【医術】と【錬金】は結構近い。お互い、いろいろとアドバイスができる」
ポーションなどを作る際には、【医術】と【錬金】を跨ることが必要になる。そのため、ヘレンもある程度【錬金】を学んでいるし、ニコラも【医術】を学んでいる。
とはいえ、スペシャリストには劣る。お互い、困ったときはそれぞれの知恵を借りていた。
不愛想で、コミュニケーション能力が低いニコラだが、作った剣を振るう担い手であるシマヅや、共同開発する機会が多いヘレンとはうまくやっており、可愛がられていた。
「ヘレン姉さんについていかなかったのが不思議なぐらいだったもん。いつものニコラなら、ヘレンねえを助けるって言って一緒に行ったのに」
「……ヘレンねえに止められた。特効薬ができる前にニコラが感染したら救えないからって。『ニコラは私と違って死んじゃいますわ』って言われた」
それがヘレンの優しさだ。
危険がある場所に妹を連れて行かない。
ニコラに言った、私と違ってというのはヘレンに課せられた呪いだ。
ヘレンは死ぬことができない。
そういう存在だ。そのことを知っているのは、俺とエンライトの姉妹だけ。
おそらく、この地上で唯一の不死。もし、不死であることを知られればヘレンは実験動物にされてしまう。命が絡むことでの特異性は絶対に口外できない。
「ぴゅいー」
「どうしたのスラちゃん、難しそうな顔をして?」
「ぴゅいぴゅっ!(なんでもないよ)」
ヘレンの体のことを思い出していた。
ヘレンの不死は恩恵ではなく呪いだ。
不老不死ではない、ただの不死だ。老いもするし怪我もするし病にもかかる。
今はまだいい。だけど、年老いていけば死ねないことは悪夢へと変わる。壊れて老いた体で苦しみ続ける。治療ができない病にかかったりすれば最悪だ。
これは、エンライトの姉妹すら知らないことだが、ヘレンの【医術】の研究は人を助けるためであり……同時に自らを殺すための方法を探すためのものでもある。
「オルフェねえ、他には何か書いてあった?」
「えっとね、私たちが元気かどうか返事がほしいっていうのがあるのと。ゴーレムについてる薬を飲んどけって。特効薬が出来ても増産ペースがぜんぜん追いつかなくて、感染が止まらない。もしかしたら、私たちのいる国まで病が届くかもしれないって書いてある」
「ヘレンねえらしい。いつもニコラたちの心配をしてる」
言われてみるとゴーレム鳩の手紙を左脚には、瓶が括り付けられていた。
ヘレンが作ったのはミラルダ共和国で猛威を振るう病に対する特効薬であり、体に抗体を作る予防薬でもあるのだろう。
これは二人だけでなく、エンライトの姉妹たち全員に送られているはずだ。
さっそく、オルフェとニコラが飲む。
二人はヘレンの仕事を疑ってはいない。
「うわっ、にっが」
「薬だから仕方ない」
「これで病気になることはないって思うと安心するよ」
ニコラは自分の分の瓶をあえて少し残している。
きっと帰ってから分析するつもりだろう。ヘレンの技は勉強になる。
それに、ニコラなら量産化できるかもしれない。薬を完成させたあとの工程については、ニコラのほうが数段上だ。
おそらくは無駄になる作業。
それでも万が一ヘレンが助けを求めたときのことを考えて、ニコラは準備をするだろう。ニコラはぶっきらぼうで不器用だが、思いやりの心をもっている。
「ヘレンねえが元気で良かった。オルフェねえ、スラっ、ニコラたちはニコラたちのやることをちゃんとしよ」
「だね、こっちでの生活基盤をちゃんと作らないと!」
「ぴゅいっ!」
さあ、街に出よう。
ヘレンに負けないように俺たちも頑張らないと。
……ただ、ヘレンから連絡がきてレオナのことが気になり始めた。
あの子は昔から、連絡をなかなか寄こさない。
四女ながら、一番のしっかりものだ。大丈夫だとは思うが……。
連絡をよこすように手紙をオルフェに書いてもらおう。
【王】のエンライト、レオナ・エンライト。あの子の抱えている仕事は大仕事だ。
なにせ、一つの国を救っているのだから。
◇
ポーションを納入してきて、代金を受け取った。
かなりの大金だ。
やはり、手に職があると強い。
「まさか、おじさんに泣かれるとは思わなかった。びっくり」
「店に入るなり、やっと戻ってきてくれたって言ってニコラに抱き着こうとしたのは驚いたね」
「スラ、ナイス。スラが飛び込んでくれなかったら抱き着かれてた」
「ぴゅいっ!」
ニコラに抱き着いていいのは、家族だけだ。
そこらのおっさんに触れさせてなるものか。ニコラに泣きながら飛びついてきた店主とニコラの間にスラボディをすべりこませ、ニコラをかばった。
まあ、店主が抱き着きたくなる気持ちはわかる。
ニコラは極東に向かう前に多めにポーションを納入し、一月ほど留守にすると伝えており、きっちり一か月で戻ってきた。
多めに納品したのでポーションの数は足りているはずだった。
だが、ニコラの作るポーションは非常に質がよく、評判が評判を呼びあっという間に完売。
店主は毎日次はいつ入るのかと客たちに詰め寄られていたらしい。
今後は単価を上げる代わりに、なんとか増産してくれと頼まれ、ニコラは了承している。
「これで収入が増える。だから、今日のケーキは二つ頼む」
「お金のことはいいけど、太るよ?」
「糖分は脳が使い切る。いくらあっても足りない」
「……うらやましい」
「オルフェねえは綺麗。ぜんぜん太ってない」
「それは努力してるからだよ。ニコラと違ってね」
ニコラは昔からどれだけ食べても太らなかった。運動をしている様子もない。
彼女の言う通り、錬金術の研究ですべて糖分を消費してしまっているのかもしれない。
いや……。
「ぴゅふ? ぴゅむぴゅむ」
とんでもないことに気付いてしまった。
成長が遅いのは、成長のための栄養も脳に消費されているからかもしれない。
「スラ、なにか失礼なことを考えてる?」
「ぴゅんぴゅん」
「ならいい」
ぶんぶんとスラボディをひねって、否定を表現した。
危ない、発育のことに関してはニコラは指摘されると怒る。
「ニコラ、服とお菓子、どっちを先にする?」
「お菓子がいい。お腹空いた」
「実は私もぺこぺこ、じゃあ。先にお菓子を食べにいこっか」
「ぴゅい♪」
今日は何を食べよう。
この前食べたお菓子のクリームが素敵だったから、ショートケーキがいいかもしれない。
だけど、もしかしたら他のお菓子も美味しいかも。
だったら、冒険を。いや、滅多にお菓子店になどこれないのだ。確実に美味しいものを……。
人間だったら両方頼むのに。スライムな今はおねだりできるのは一つ。
非常に悩ましい。
「ぴゅへっ」
「ん。なんだ?」
そんな考え事をしていたせいで、人にぶつかってしまった。
オルフェとニコラが目を見開いている。
「「「なんで、ここに?」」」
三人の声が重なる。
俺がぶつかったのは、オルフェとニコラ……それに通称成金デブ。
俺たちの屋敷を奪った憎い豚のヨブクだった。
いったい、こいつはアッシュポートに何をしに来たのだろう?
もし、娘たちを害するつもりなら、そのときは容赦はしない。




