第二十四話:スライムは【嫉妬】を喰らう
【刻】の魔法で時間の流れが違う空間を作った。
すべては、ニコラに時間を与えるために。
俺の【刻】の魔法は、巻き戻しまではできないが、こうして時間を与えてやることはできる。
とはいえ、大賢者マリン・エンライトでいられる時間は五分と少し。
その五分を限界まで引き延ばしても、ニコラに用意してやれる時間は二時間弱しかない。
……この魔術はさほど使い勝手のいいものではない。
まず、起動する段階で、今のちっぽけな魔力のほとんどすべてを使い切る。
さらに【刻】の魔法は繊細だ。こうして儀式魔術で時の流れが違う部屋を用意するのが精一杯。空間ではなく、動き回る個人を対象になんてできない。
加えて、この空間は、ひどく繊細だ。異物が入る。あるいは、この空間内のものが外に出る。それだけで、この空間は壊れてしまう。
これだけの制約があっても使いどころを間違えなければ役に立つ。そう、この瞬間のように。
「父さん、手を止めないで聞いて」
ニコラと二人で、ゲオルギウスを組み立てていた。
分担作業を行う。
手を止めて、意識合わせなんて必要はない。
お互いの手を見れば、何をしようとしていて、何を欲しているのかがわかるのだ。
絶妙の呼吸で俺たちは作業を進める。
……それだけでなく、俺はニコラを導いていた。
今のニコラでは気付けない発想と技術をあえて使う。
説明せずとも、ニコラは俺の意図に気付き、作業手順を変更し追随する。
いい子だ。
ニコラは、今、この時も成長をし続けていた。
「父さんは本当に死んだの? ニコラは信じられなかった。父さんが”たかが”病気で死ぬなんて。父さんとヘレンねえがいて治せない病気があるなんておかしい」
するどいな。
ニコラの予想は正しい。
俺が死んだのは、ただの病気ではない。
「本当に死んだかと聞かれれば、その通りだと答えよう。そして、ただの病気かどうかは答えられない。ニコラならわかるはずだ。俺が答えられないと言った意味が」
ニコラは息をのむ。
暗に俺は、知らないほうがいいと言っているのだ。
「……わかった。これ以上は聞かない。でも、いつかすべてを調べる。それから、一番大事なことを教えて。父さんとは、また会える? こうして、がんばって、がんばったら、また会いに来てくれる」
心臓がどくんと嫌な音を立てる。
また、会えるかどうかか……
「わからない。できる保証はない。ただ、俺は約束を守りたいと思っている。それだけは信じてほしい」
残りの【進化の輝石】はたった一つ。
新たに作らない限り、マリン・エンライトの姿になれるのは、たった一回。
自力で人間の擬態を目指しているが、まだまだ遠いし、本当に自力でマリン・エンライトを再現できるかすら怪しい。
「わかった。ありがと。もう会えないかもしれないことを理解した。だから、奇跡のような、父さんのくれた時間、全力で噛みしめる。それが、いまのニコラにできること」
ニコラは、目に涙を浮かべながら、それでも【錬金】のエンライトとしての役目を果たす。
幼さを感じさせない強さが、今のニコラにはあった。
この子を娘にしてよかった。
改めて、そう思う。
話している間にも、二体分の破片と予備パーツをつなぎ合わせ、ゲオルギウスは形を取り戻していく。
いや、形を取り戻すだけではない。
改良されていく。
ニコラのゲオルギウスを理解しつくし、俺の知識と経験で飛躍させる。
そのための作業すらニコラは、俺の初動から改良プランを読み取り、最適なフォローをしてくれた。
一時間五十八分、それだけの時間で新しいゲオルギウスが完成した。
改良のほかにも、【嫉妬】の邪神レヴィアタンを食べて【分析】した結果をフィードバックした専用武装を搭載した。
間に合って良かった。
マリン・エンライトでいられる五分を、この【刻】の空間で引き延ばしたが、それももう限界だ。
「父さんは、やっぱりすごい。まだまだ父さんに追いつけてなかった。でも、父さんが導いてくれたから、少しだけ近づいた。このままがんばって、いつか、父さんにちゃんと追いつく。だって、ニコラは【錬金】のエンライトだから」
ニコラはこの時間が終わるとともに俺が消えることがわかっているのだろう。
涙で顔をくしゃくしゃにしながら、ニコラは俺を超えると、一番聞きたかった言葉を言ってくれた。
「ニコラなら俺を超える錬金術士になれる。俺が保証する」
錬金の才能は俺以上、なにより努力家だ。
彼女を抱きしめて、頭をぽんぽんとしてやる。するとニコラは俺の胸に顔を押し当てしがみついてきて、嗚咽をあげる。
「ニコラ、お別れだ。もう、この【刻】の違う空間は維持できない。この空間だけじゃなくて、俺自身も限界だ」
「どうしても、これ以上ずっといられない?」
「どうしてもだ。……だけど約束する。そばにいなくても、ちゃんと見守っているから」
マリン・エンライトとしてではなく、スラちゃんとして俺は娘たちを守り続ける。
「ん。父さん、さよならは言わない。……またね」
そういうと、涙でくしゃくしゃの顔のまま、ニコラは俺の胸から顔を離して、笑った。
胸が締め付けられる。
すべてを話したい。その気持ちを押し殺し、【刻】の部屋を解除する。時の部屋を弄り消える瞬間に閃光を放つようにした。
光が収まらないうちに、最後の力で距離をとり、隠れる。
体がどろどろと溶け始めた。
【進化の輝石】の効果が切れて、マリン・エンライトの姿が保てなくなったのだ。
スラちゃんに戻る。
……また、人間になりたい理由が増えてしまった。
「ぴゅいっぴゅー(早く人間になりたい)」
スラちゃんの姿になった俺は、急いでニコラたちのところに戻る。
感傷に浸るのは後だ。まだ、やるべきことが残っている。
◇
スライム跳びでみんなのもとに戻る。
「あっ、スラちゃん。どこ行ってたの? 心配したんだからね」
「ぴゅいー(ごめんなさい)」
素直に謝っておく。
すでにニコラは、【刻】の止まった部屋で何があったかを話し終えたようだ。
「ニコラ、よく頑張ったね。ゲオルギウスがあれば追いつける」
「ん。父さんのおかげ、父さんが手伝ってくれた」
「父さんは、やっぱり約束を守ってくれるんだね。これからもがんばらないと、父さんが約束を守ってくれるんだもん。私たちも……ね」
オルフェとシマヅには悪いことをした。
彼女たちも駆け寄って来たかっただろうが、【刻】の空間に入れば、魔法が解けることを知っているから、彼女たちは近づけなかったのだ。
「ん。頑張りぬく。だから、まずは【嫉妬】の邪神を倒してクリスを助ける」
ニコラはちゃんとやるべきことが分かっている。
それはオルフェとシマヅも一緒だ。
「問題は誰が乗るかね。……私といいたいところだけど、魔力を使いきってしまったわ」
シマヅが悔しそうに拳を握り締める。
魔力回復ポーションもオーバードーズ寸前まで飲んでいて、これ以上飲んでも回復しない。
「私も、スラちゃんにだいぶ持っていかれてるから厳しいかも。となると、スラちゃんも厳しいかな」
俺も、もちろん残っていない。
手持ちの魔力回復ポーションを使い切っている。
そうしないと、マリンの姿をとろうが【刻】の空間を作れなかった。
だとすれば……。
「ニコラがいく。ニコラは魔力量だけなら、オルフェねえに負けない。それに、行きたい気分。最後はニコラの手で決着をつける」
ニコラが言い切る。
そして、愛おしそうに俺と一緒に組み上げたゲオルギウスを撫ぜた。
「ニコラ、任せていいんだね」
「ん。父さんがとっておきの武器を積んでくれた。だから、ニコラでも勝てる」
「わかった。じゃあ、ニコラに任せるよ」
「頼りない姉で、ごめんなさい」
オルフェとニコラが申し訳なさそうにするなか、ニコラが下着姿になり、ゲオルギウスに乗り込む。
「スラ、一緒に来て。ジェルはもうない。スラなら代わりができるはず」
「ぴゅい!(任せて)」
魔力の残りが少なくても、それぐらいならできる。
ニコラとゲオルギウスの間に体を潜り込ませて、その隙間を埋める。
「行ってくる。オルフェねえ、シマヅねえ、ちゃんとクリスを連れて帰ってくるから」
そういうと、ニコラが魔力スラスターを点火した。
スライムボディの柔らかさを調整。ニコラの体は鍛えてあるとはいえ、シマヅのような超人ではない。ちゃんと俺が守らないと。
そして、俺とニコラでくみ上げたゲオルギウスは天空に躍り出た。
◇
加速していく。
俺の改良案を取り入れたことで、スラスターの魔力変換効率が上がっており、速度が上がりつつも消費魔力は抑えられている。
数分で、クリス……いや、【嫉妬】の邪神レヴィアタンが見えた。
これだけ、まがまがしい瘴気を放っていれば、俺の【気配感知】なら10km以上離れていてもわかる。見つけることは造作もなかった。
見つけさえすれば、時速百キロに満たない奴は、ゲオルギオスからすれば、止まっているようなものだ。簡単に追いつける。
「人間、そのおもちゃを直せたのか。失敗した。あの場で殺しておくべきだった」
クリスの体を乗っ取り、馴染んできたのか、随分と流暢に話す。
「クリスの顔と声で汚い言葉を吐くな」
ニコラが怒鳴る。
「なにを怒る? むしろワレが怒るべきだ。貴様らのせいで、このざまだ。この肉の檻は窮屈だ。はやく代わりを見つけたいのう」
レヴィアタンは追い込まれて、クリスの体にすがるしかなかったが、クリスの体では性能がガタ落ちしている。
「ああ、ワレは妬ましい。そのたくましいからだが妬ましいな」
クリスの体が紫色に光る。
【嫉妬】の能力が発動したのだ。
奴はゲオルギウス、そのものに嫉妬した。
これで、肉弾戦は挑めない。
そして、俺たちは魔剣機構は直せていない。必要なパーツがなかったからだ。
やつはそれに気づいていた。だからこそ、ゲオルギウスに嫉妬した。
しかし、それは想定内だ。
ニコラがゲオルギウスを加速させ、距離をゼロにする。
「傷つけられなくても、捕まえることはできる」
ニコラが奴を羽交い絞めにした。
「それで、どうする? ワレが飢え死にするまで待つか」
「違う、父さんがくれた武器がある」
魔剣機構の宝石が輝く。
魔剣機構の代わりに追加した即席武装だ。
「なんだ、その光は、ワレが、ワレの力がはがれ」
魔力には波長がある。
魔剣機構のコアとなる魔石を使って、奴が一番嫌がる波長に魔力を変換するようにしたのだ。
それが出来たのは奴を食って、【分析】したからだ。
レヴィアタンが弱っていなければ、意味をなさなかっただろう。
だが、やつは消滅寸前だ。この魔力の波長は猛毒へとなる。
奴が苦しみながら、魔力を高める。これは【嫉妬】の予兆だ。
「【嫉妬】は止めたほうがいい。そうした瞬間、肉体が砕ける」
ゲオルギウスの鋼の腕は今もクリスを締め上げている。
耐性を変えようものなら、宿主ごとへし折られるだろう。
「おのれ、人の分際でえええ」
レヴィアタンは最後の力で、全身から紫色に発光する刃を生やした。それは、がりがりとゲオルギウスの装甲の薄い部分を削るが、致命傷にはなりえない。
ただ、魔力スラスターがやられたようで、ゆっくり落ちていく。
「絶対に逃がさない!」
それでもニコラは魔力光の照射を止めることも腕の力を緩めることもない。
海面に叩きつけられる。
「付き合い切れん、ワレは逃げる。そこの抜け殻と抱き合ってろ」
紫色の光色の粒子がクリスの背中から抜けていく。
クリスの髪と目の色が戻る。
紫の粒子は、小さなとかげのような竜になる。傷つき疲れ切ったレヴィアタンの慣れの果てだ。
もはや、飛べないゲオルギウスなら、そんな状態でも逃げられると思っているのだろう。事実、魔力スラスターをやられて、ゲオルギウスはどんどん沈んでいる。
だが、甘い。俺がいる!
ゲオルギウスの隙間から抜け出し、全力のスライム跳び、トカゲサイズのレヴィアタンが目を丸くする。
大きく口を開けてぱっくり。【吸収】すると、【暴食】の邪神を吸収したときのように強制的に進化して気を失う可能性がある。ここでの気絶はまずいので、ひとまずは【収納】しておく。
「ぴゅふぴゅっ!(スライムは跳べる!)」
スライムは飛べないが跳べるのだ。
振り向くとニコラがクリスを抱いて水面に浮かんでいた。
「スラ、グッジョブ!」
「ぴゅい!」
ニコラと笑いあう。
どうやらニコラは沈んでいくゲオルギウスから、なんとか抜け出して気を失ったクリスを拾って浮かんできたようだ。
……待て、ゲオルギウスは今もどんどん沈んでしまっているのでは?
「ぴゅいっぴゅ!(拾わないと)」
全力で潜るが、スライムの力ではある程度まで潜ると、それ以上進めなくなる。
どんどん、ゲオルギウスが遠くなる。水圧に抗うがどうしようもない。
……結局、ゲオルギウスは見えなくなってしまった。
水面に顔を出す。
「ぴゅいー(ごめん、ニコラ)」
「スラ、そんな申し訳なさそうにしなくてもいい。ゲオルギウスはまた作る。父さんのおかげで、また成長した。一から作れば、もっとすごいのができるから。何年かかってでもやりとげる。……それにちゃんと、父さんがくれたものは頭と心にあるから。スラが無事で良かった」
「ぴゅいぴゅー(ニコラー)」
水面に浮いてニコラの頬にすりすりする。
「やめて、今は、海水が顔にかかるから。さて、どうやって戻ろっか?」
ここは海上で陸まで数十キロ。普通に泳ぐにはつらい。
だけど、俺には妙案があった。
「ぴゅいーー(スラ風船)」
全力で空気を吸い込んで、体長の何倍にも膨らむ。
さらに体の一部を掴みやすい取っ手に変形する。
「ぴゅいぴゅ(つかまって)」
ニコラがクリスを抱えたまま、俺がとってに変形させた部分につかまる。
「ぴゅふうううううううう」
空気を吐き出して推進力に変える。凄まじい勢いで海上を進む。
これを繰り返せば、泳ぐよりずっと早いだろう。
さあ、はやくオルフェたちのところに戻ろう。きっと俺たちを心配しているだろうから。




