第二十三話:大賢者は娘を導く
「ぴゅふぅーー」
苦労して、なんとか【嫉妬】の邪神レヴィアタンの体内から出てきた。
全身を震わせて、水気を払う。
振り向くと、【嫉妬】の邪神レヴィアタンが舌を出して倒れていた。
周囲が奴の血でちょっとした湖になっている。
回復が追いつかないほどの傷を受けた状態で、上空一〇〇〇メートルから墜落し傷口が開いたのだろう。
「ぴゅいっぴゅ(これで全力の三割以下だから恐れ入る)」
【嫉妬】の邪神レヴィアタンは、長年封印され続けてきたことによる飢えと、オルフェに魂へと流し込まれた【黒炎】のせいで、弱り切って、三割程度の力しか出せていない。
もし、レヴィアタンが万全だったらどうなっていたか。
【隷属刻印】があるので、オルフェの居場所はなんとなくわかる。こちらに向かってきているようだ。
邪神から目を離すのは怖い。ここで待機しておこう。
「ぴゅいー(これ食えるかな)」
邪神は俺にとって、最高の餌だ。
ぜひ、食べて【吸収】したいが全長一キロを超える化け物。
……食べきれるだろうか? オルフェたちを待っている間は暇だ。端のほうからゆっくりでもいいから食べていこう。
「ぴゅむぴゅむ(もぐもぐ)」
ぴゅいぴゅいもぐもぐ。
あれ、意外と美味しい。これなら、がんばれるかも。
◇
オルフェたちの姿が見えた。
シマヅとニコラも一緒のようだ。
俺はようやく、十メートルほど喰い進めたところだ。
まだまだ先は長い。とはいえ、収穫はある。いろいろとレヴァイアタンのことが【分析】できた。末端部ではスキルの【吸収】まではできない。まだまだ食べる必要がある。
栄養と魔力たっぷりなので、スライム細胞がどんどん増えている。これならスライムスリー復活も夢ではないどころか、スライムイレブンぐらい作れそうだ。
「スラ! 無事!?」
ニコラが一番最初に駆け寄ってくる。
「ぴゅい!(元気だよ!)」
俺がそう言うと、ニコラがぎゅっと抱きしめてくれた。
「良かった、スラが無事で。スラ、ごめん。もっとゲオルギウスが強かったら、スラに危ないことさせなかったのに。ニコラのせいで危険な目に合わせた」
「ぴゅいぃ……」
そう言われると申し訳なくなる。
ニコラは最高の機体を作ってくれた。むしろ、壊したことを怒るべきなのに。
ニコラが離れるのを待ってから、ぴゅへっと、できる限り回収したゲオルギウスの破片を吐き出す。
「スラ、ちゃんと拾ってきてくれたんだ。ありがと」
「ぴゅいぴゅー」
これぐらいしかできなくて申し訳ない。
「シマヅねえ、シマヅねえが拾ってくれたパーツを見せて」
「いいわよ」
どうやら、シマヅのほうも、ゲオルギウスの破片を集めていたようだ。
風呂敷を持っていて、それを広げるとばらばらの破片がでてきた。
「……ん、思った通り。基幹となる部品がだいぶ残ってる、二体分の破片と、予備パーツがあれば、なんとか一体は組み上げられる。良かった。基幹が全損してたら作り直すのに何年もかかった」
それは良かった。ニコラの数年がかりの汗の結晶だ。
直ると聞いて安心した。
「オルフェねえ、あの邪神、本当に倒せたの」
「わからないよ。だから、今、儀式魔術の準備をしてる。スラちゃんにだいぶ魔力を吸われちゃったけど、一発だけならなんとかなる。【嫉妬】の邪神は【憤怒】の邪神の力に弱いからね。生きててもとどめがさせるはず。クリスちゃんも助けないとね……どうやって助けよう」
言葉の通りオルフェは油断なく術式をくみ上げている最中だった。
……邪神はとんでもなくしつこい。
念には念を入れるべきだろう。
オルフェが魔力を高め始めたときだった。
邪神の腹が裂けた。
中から少女がはい出てくる。クリスだ。それを見てオルフェが術式を中断する。
「クリス、無事だったんだね」
「ぴゅい!(待て!)」
オルフェを制止する。
あれはクリスであって、クリスではない。
クリスに変化が表れ始めた。髪が白く染まり、眼が血の色に変わる。そして背中を突き破って竜の翼が生えた。
レヴィアタンは崩れ行く肉体を見限り、残されたわずかな力をクリスに注いで生き残ったようだ。
つまり、あれはクリスの姿をしたレヴァイアタンのコアだ。
「ただの人が、我をここまで追い詰めるとは。ナカナカ愉快であったぞ。楽しませてくれた礼だ。おまえたちを殺すのは最後にしてやる」
シマヅはすでに動いている。
武器をすべて失っているため、拳で殴りかかったのだ。
拳がクリスに突き刺さるが、ビクともしない。
武器が一つしかない時点で、【嫉妬】をもつレヴィアタン相手ではどうしようもない。やつはシマヅの肉体に【嫉妬】した。
オルフェが魔術を放つが、クリスは空を飛んで躱す。
「地を這う虫は、そこで見ているがいい。ワレが街を滅ぼし、力を取り戻すところを」
そう言って、やつは飛び去って行く。
「ぴゅいっ!」
「だめ、離れ過ぎて魔術が届かない」
「……まずいわね。ここは無人島、海上まで出られたら、追いつけないわ。船じゃ空を飛ぶ相手を追いかけるのは無理」
レヴァイアタンは少女の姿になって、飛行速度は明らかに落ちている。
時速百キロに届くか届かないか、巨竜のときと比べて十二分の一以下。
だが、それでも早い。
ゲオルギウスを失った俺たちにはどうしようもない。
ニコラがぎゅっとにぎりこぶしを作り、口を開いた。
「あの速度なら、街まで三十分はかかる。だから、ニ十分でゲオルギウスを直す、ゲオルギウスなら五分で追いつける。まだなんとかできる」
ニコラはポシェットから無数の工具を取り出し、両手を視認できない速度で動かす。
壊れた二機分の破片で一機を直そうとしている。
「いくらニコラでも無理だよ」
「オルフェねえ、無理でもやらないと。がんばれることがあるなら、がんばらないと。それが父さんと約束だから」
最後の一秒まで、手と頭を動かせ。
がんばって、がんばって、がんばり抜け。
それが、エンライトの姉妹と俺がした約束だ。
「ニコラ、わかった。ニコラに託す」
「ん、任せて。だってニコラは……」
ニコラは深呼吸をする。
覚悟を決め、力ある言葉を放つ。
「【錬金】のエンライト。ニコラ・エンライト。これより、エンライトを織りなす」
高らかにニコラは【錬金】のエンライトの名を名乗り、エンライトを織りなすと言った。
それは、ニコラにとって祝詞であり、ぜったいに成し遂げると言う誓いだ。これを口にした以上、ニコラは絶対に引かない
ニコラは極限まで手を早め、それでいて無駄な動きが一切ない。
超一流の錬金術士でも三日かかる工程を、ニコラなら三時間で終わらすだろう。
……だが、三時間だ。
理論上の最速、考えうる最短手順を、最速で走っても二時間と四十分足りない。
ニコラにもそれはわかっているだろう。
だけど、まだ気付いていない何かを、見つけ出すとことを信じ、全力で手を動かしながら思考する。
その姿を尊いと思った。
ならば、俺のやることは一つ。エンライトの姉妹にした約束には続きがある。それは……。
「ぴゅいっぴゅ!(敵の匂いがする)」
「あっ、スラちゃん! 敵って、いったい」
その場を離れる。約束の続きを果たすために!
オルフェたちが見えなくなったところで、【収納】から【進化の輝石】を取り出す。
ほんの一時だけ、絶大な力を魔物に与える至高の魔道具。
残り二つしかない、俺の切り札。
だが、ここで使わずどこで使う。
エンライトの姉妹にした約束の続き、それは……。
『がんばって、がんばって、それでもだめなら俺がなんとかしてやる』
ニコラは、戦いが始まる寸前まで、ボロボロになりながら、ゲオルギウスを強化し続けた。シマヅやスラが無事帰ってこられるように。
そして、今このときも限界を超えようと戦っている。
……ニコラは約束を果たした。がんばって、頑張りぬいた。
そして、俺を待ち望んでいる。俺は忘れない。スラとなった俺に、オルフェと同じようにがんばったら、父さんが現れてくれるかな? と言って涙を流した横顔を。
だから……。
「ぴゅい!」
【進化の輝石】をかみ砕いた。
強制的に、進化が始まる。
力が満ちる。
魔術回路が充実する。
思考が急激にクリアになる。
魔力上限の上昇を確認。
進化した魔力回路をさらに効率化。全盛期の自分を再現開始。
スライムの体から四肢を伸ばし、疑似神経、疑似魔術回路、疑似筋肉の形成が完了。
質感、色の完全再現。
疑似頭脳構成完了、仮想頭脳との多重化。
ありし日の自分を取り戻す。
俺の知る最強の存在、大賢者マリン・エンライトを形作る。
さあ、約束を果たそう。
~ニコラ視点~
修復を始めて、三分が経った。
修復完了時間は、当初の見込みの三時間から十分削った。
でも、いくらがんばっても、どうしても、それ以上に時間が削れない。
三時間で直すことにも意味がないわけじゃない。
三時間で直せれば、犠牲を最小限にできる。
……だけど、そんな妥協は許されない。
【錬金】のエンライトを名乗ったのだから。
それに、どんなときでも諦めないのが父さんとの約束だ。
まだ、可能性はある。
考えて、考え抜けば、もっといい手順が。
「まだ、まだ、できる。諦めない」
脳はオーバーヒート寸前だ。
無理な動きをさせている腕が悲鳴をあげる。
でも、まだやれる。
視界が急に暗くなる。
ああ、そうか、無理をし過ぎた。
たまに、私はこうなる。がんばりすぎて、強制終了される。
落ちてしまう。
こんなロス、やっている暇はないのに……。
地面にぶつかる前、優しい手に抱きとめられた。
硬くて、大きくて、でも、温かい手。
この手を知ってる。
忘れるはずがない。
だって、一番大好きな手。
ずっと待ち続けている手だから。
その手が私の意識を引き留める。
「と、う、さ、ん」
うまく言葉がでない。
だけど、体は動く。その人の顔を見ようとする。
「よく頑張ったな。ニコラ」
よく頑張った。めったに言ってくれない。だけど、なによりも好きな言葉。その言葉だけで、胸がぽかぽかになる。
「父さん!」
抱き着きたい。
抱き着いて、泣いて、再会を喜びたい……でも、それはしない。
まだ、私は仕事中だから。
その手を振りほどいて、再び、ゲオルギウスの破片と向き合う。
父さんの娘として、【錬金】のエンライトとして、そして、なにより私のプライドにかけて、仕事を放り出して父さんに甘えるなんて、そんな恥ずかしい真似はできない。
「いい子だ。そんなニコラだから、会いに来たんだ。ニコラに時間をやる。二人でその子をくみ上げよう。そして、教え残したことをこの場で教えよう」
気が付いたら、周囲にいくつもの魔法陣が出来ていた。
噂には聞いたことがある。
大賢者マリン・エンライトのみに許された【刻】の魔法。
空中に描かれた魔法陣がくるくる回り、オルフェねえもシマヅねえも、動きがやけにゆっくりになる。それだけじゃない、風に揺れる木々も鳥もすべてが信じられないほどゆっくりだ。
「これ、父さんの【刻】の魔法?」
「正解だ。さあ、がんばろう。ニコラに与えてやれる時間は二時間。ニコラ一人なら、まだ少し足りない。だが、俺となら間に合うだろう?」
そんなの考えるまでもない。
父さんと二人だ。世界最高の錬金術士が二人いて、とどかないはずがない。
それに、なにより……。
「うん、大丈夫。こうして、抱き着いて、甘えてもお釣りがくるぐらいの余裕がある。……父さん、ずっとずっと会いたかった」
やっと甘えられた。
父さんが微笑んで、ごつごつした手が私の頭を撫でる。幸せで、幸せ過ぎて、泣きそうだ。
……もう十分だ。
ここからは仕事の時間だ。
「父さん、手伝って。二人でゲオルギウスを直して。レヴィアタンに追いつく」
「任せておけ」
もう、言葉はいらない。
呼吸を合わせて、相手のやっていることを読み取ればいい。
父さんが示してくれた道を進む。
これは、たぶん最初で最後の奇跡。父さんがくれる全部を吸収しよう。そう決意し、大好きな父さんと一緒に、ゲオルギウスの修復を開始した。




