第十六話:スライムは動き始める
キッチンでキツネ尻尾を揺らしながら朝食を作るシマヅを見つめていた。料理を作る娘の姿はいいものだ。
「ぴゅふぅー(疲れた)」
昨晩は疲れた。本当に疲れた。シマヅが構いすぎるのだ。可愛いスラちゃんと言えども、あまりにべたべたされるとしんどい。……もちろん嬉しくはあるのだが。
俺の正体をわかっていながら、思いっきりぎゅっと抱きしめて寝たり、何時間も撫でまわすあたり、シマヅのファザコンは深刻だ。
調理が終了し、食卓に次々と料理が運ばれる。シマヅが増えた分、食卓がいつもよりにぎやかだ。
オルフェとニコラが屋敷の防衛設備を徹夜で行った影響で眠そうにしているのを後目に、シマヅは機嫌も体調も良さそうだ。
昨日は俺もあまり眠れていない。シマヅは俺を抱きしめて眠ったのだが、あまりに強く抱きしめられて寝苦しかったせいだ。
なので、シマヅが深い眠りについてから、ぴゅいっと抜け出した。だが、目の前で揺れる尻尾が魅力的過ぎて、もふもふのキツネ尻尾に飛び込んで……気が付けば朝だった。
……シマヅ恐ろしいやつだ。
おっ、朝食ができたようだ。
「さあ、オルフェ、ニコラたっぷり食べなさい」
「シマヅ姉さん、おはよう」
「ん。極東料理は久しぶり、美味しそう」
テーブルの上には、シマヅ特製の料理が並んでいる。
朝市で材料を買いこんで、作り上げたものだ。
シマヅの料理スキルの高さは、オルフェに次ぐ実力がある。総合力では一歩劣るが、極東料理ではシマヅが勝っている。
ちなみに、今はかっこいいお姉さんの仮面をかぶっている。
「あっ、シマヅねえさん。お米、売ってたんだ。今度私も買ってこよ」
「この街はいいわね。朝市を見てきたけど、欲しいものはなんでもあるわ。刀とか槍とか、ナイフとかいろいろ」
「シマヅねえ、朝から物騒」
「それが私の役目だもの」
【剣】のエンライト。ありとあらゆる武器を担うもの。
だからこそ、アッシュポートに並んでいる武具の数々に目を引かれたのだろう。
朝市で良かった。武具を取り扱う店のほとんどは昼を過ぎてから開く。おかげで、はやく帰ってこれた。
「それより、はやく食べなさい。冷めてしまうわ」
オルフェとニコラが頷き合う。
そして……
「「いただきます!」」
と言った。
普段は、精霊に感謝の祈りを捧げるのだが極東料理を食べるときだけ、その流儀に従う。
シマヅが作ったのは、味噌汁と出汁巻き卵、それに焼き魚。
エンライトの屋敷で食べているのと微妙に味付けが違う。
ふむ、豆で作った味噌ではなく、コーンを発酵させた調味料、醤油ではなく魚醤、出汁も海藻ではなく魚の骨をあぶってとっている。
味噌汁の具もシマヅは豆腐という大豆を使った食品を使うことが多いが、小魚を骨ごと砕いて作ったふわふわの肉団子を使っていた。
さすがのアッシュポートとはいえ、極東料理の調味料は手に入らなかったようだ。それでもちゃんと代用調味料を組み合わせて、仕上げるのだからすごい。
「ああ、ほっとするね。この味」
「ん。朝ごはんだけは極東料理がいい。昼や夜にするには軽い」
極東料理のどれもが脂と味付けが控えめというわけではないが、シマヅは自分の好みであっさり目のものを作る。
なので、昼食や夜食には物足りなく感じてしまうことがある。肉をがっつり食べたい食べ盛りの子が姉妹には多いからな。俺はあっさりしたほうが好きなので、夜にも極東料理を食べたいことがある。
「おかわりもあるわ。ふふ、やっぱり食べてくれる人がいると料理は楽しいわね」
ニコラとオルフェが空になったお茶碗とお椀を差し出す。
シマヅは手早くお代わりをよそう。そして、俺もお代わりが欲しいのでアピールをする。
「ぴゅいー!(おかわり)」
人間のときには行儀が悪くてできなかったが、いまは可愛いスラちゃんなので、遠慮なく味噌汁をごはんにぶっかけて食べることができる。
美味しい。スライムになれてよかった。
「父う……スラさんも美味しいかしら?」
「ぴゅい!」
「なら、良かったわ」
げぷっ。お腹いっぱい。
美少女で、家事も万能。シマヅはファザコンを治せばすぐにでも嫁に行けるだろう。
……それは絶望的だが。
食事が終わる。
シマヅが淹れてくれたお茶を飲んで、食休み。
俺はぴょんぴょんっと飛んで、オルフェの膝の上に移動。
「あっ、おかえりスラちゃん。いい子にしてた?」
「ぴゅいっぴゅ!(もちろんだよ)」
「あはは、スラちゃん。くすぐったいよ。そんなに私のところに戻ってこれたのがうれしいの?」
「ぴゅふぅ~(おちつく~)」
甘えられてよっぽどうれしいのか。いつも以上にオルフェの声のトーンが高い。
シマヅには悪いが、やっぱり抱きしめられるのならオルフェが一番いい。
シマヅの愛は重過ぎる。力を入れ過ぎだし、構ってき過ぎるので疲れる。シマヅは小動物に嫌われるタイプだ。たまにべったりされるのもいいが毎日はちょっと辛い。
オルフェを見習って、この安心感と柔らかく包まれている感を身に付けてほしいものだ。
「ぴゅへ?」
視線を感じる。
シマヅがこちらを見ていた。オルフェやニコラがいるのでかっこいいお姉さんの仮面をかぶっているのだが、隠しきれない何かが突き刺さる。
「シマヅ姉さん。スラちゃんがどうかしたの?」
「なんでもないわ。それより二人とも、何があったか聞かせて。どうして、あの屋敷を手放すことになったか」
オルフェとニコラが息を呑む。
一歩間違えれば、本当にシマヅは暴走しかねない。
あっ、オルフェが扉の結界を発動させた。ニコラがせわしなく罠を設置した場所を確認している……もしものときに力づくで止める気がまんまんだ。
万が一のときは俺も力を貸そう。スライムスリーは負けたが、俺は負けていない。父親の偉大さをどこかで見せないといけないのだ。
◇
オルフェの話が終わった。
成金デブ公爵が手を回し、大賢者の研究を成金デブ公爵が引き継ぐことになり、屋敷ごとすべてを引き渡せと国からの命令が下ったこと。
それでも、大賢者が秘匿していた研究成果を奪われないようにするため、俺ことスラちゃんが研究成果を【収納】して旅に出たこと。
いつか、成金デブ公爵が諦めて屋敷を手放したときに、すぐに買いなおす準備を進めていることを話した。
「そういうことなのね。オルフェ、ニコラ、よくやったわ。あなたたちのおかげで、父上の意図ではない形で発明品が世に出て、たくさんの人を不幸にすることは防げた」
シマヅが立ち上がり、二人の頭を撫でる。表情はおだやかだった。
オルフェとニコラがほっとした顔をする。
「私は用事が出来たから出掛けてくるわね。ちょっと害虫駆除」
「「シマヅねえ(さん)ストップ」」
二人が慌てて飛びついて足止めする。
シマヅなら本気でやりかねないし、できてしまう。
単体戦闘力では地上最強の一人だ。大軍相手の殲滅力ではオルフェに劣るが、ただ一人を必ず殺す。そういうことをするならシマヅは最適だ。
万の軍勢に飛び込んで、敵将の首を無傷で獲るなんて芸当も可能。
「オルフェ、ニコラ、どうして止めるの?」
「シマヅ姉さんが犯罪者になるよ! 公爵なんて殺したら、国中指名手配になるから! あの国に帰れなくなるの!」
「それでも構わないわ。大丈夫、私一人でやるから。だいたい、私たちから父上の思い出を奪うような国、こっちから願いさげよ。出ていってやる」
「ちゃんと、正しい方法で取り戻す準備をしてるから。今、巫女姫になったエレシアちゃんが私にお父さんの研究を引き継ぐ資格があるって認めさせようとしてる。屋敷だって、いつかちゃんと買い戻す。だから、危ないことはやめて!」
シマヅが振り向く。
「それはわかっているわ。でも、それだと納得できないの。汚い手を使って、父上の意思を歪めて、あなたたちを悲しませた。そんなやつがノウノウとしていると思うと虫唾が走るわ。汚い手を使ってきたのなら、こっちもルール無用よ。報いを与えるわ」
これは本気で切れている。
オルフェが必死に言葉を重ねるなか、ニコラが口を開いた。
「シマヅねえ、父さんの言葉覚えてる? 『無粋に対して無粋で返すのは無粋の極みだ。せめてこちらは小粋に決めよう』。シマヅねえこそ、父さんの意思を歪めてる。そんなやり方父さんは望まない」
静かな声。だが、その声には力があった。
懐かしいな。そう言ったことがある。
「そうね、そうだったわね。……ニコラ、あなたのほうが父上のことがよくわかっているようね」
「ん。わかってくれたらいい。それに、オルフェねえ」
「私だって、ちゃんと報いを受けさせるつもり、怒ってるのは私も一緒だよ。ちゃんと小粋な方法でやり返す」
オルフェの覚悟を込めた目を見て、シマヅが再び席に着く。
「わかったわ。……殴り込むのはやめるわ。ただ、オルフェの言う小粋な方法とやらに私も協力するわ」
「わかってくれて良かった。ありがとうシマヅ姉さん」
ふう、なんとか話し合いで解決してくれてよかった。
「それと、オルフェ、ニコラ。大事な話があるの。もうすぐ、【嫉妬】の邪神レヴィアタンが復活するわね。東の賢者ヴィリアーズがやらかすみたいよ?」
「ぴゅひぃっ!?」
驚いた声を上げてしまった。
いや、それとなくオルフェたちに協力させるように誘導してくれとは言った。
だが、こんなに真正面から言うなんて想像すらしてなかった。
オルフェとニコラも驚き、目を丸くしている。
「というわけで、協力して。お昼になったらエンライトの姉妹として、ヴィリアーズに乗り込むわ。どう転ぶにしても私たちの力が必要よ」
そう言って、お茶をすする。
……無茶苦茶をする。
だが、やらかされてみるとこれもありだと思ってしまった。
今は拙速こそが必要。邪神が復活するまでに時間がない。
何はともあれ、娘たちは邪神復活に巻き込まれた。
「それと、ニコラ。【嫉妬】の邪神は竜よ。あなたのアレ。使えるようにしていて。私に翼がいるわ。地を這う剣士では竜に届かない」
「……本当に、竜? わかった。ならアレの整備。それから限界までのチューンをする。ヴィリアーズにはオルフェねえと、シマヅねえ、二人で行って。時間がない。これから突貫で作り上げる」
ニコラが席を立って工房に向かった。
ニコラはかつて、竜によって故郷を滅ぼされた。
そして、異常なまでのタフネスを誇り、少しでも危険を感じたら、空を舞って逃げる竜を確実に倒すための兵器を目指し続けた。
彼女が求めたのは飛行能力と竜すら凌駕し追いつく速さ。さらには頑強な竜を打ち砕く攻撃力。
俺が知る限りは未完成。だが、最低限の機能は発揮できるはずだ。
シマヅを空舞う竜に届け、さらに攻撃力の提供。その両方を果たしてくれるだろう。




