第十三話:スライムは次女を出迎える
ニコラと過ごした日から二日経っている。
その間、俺は深夜に屋敷を抜け出しては、デニスのもとに向い少しでも成功率をあげるために知恵を貸していた。
魔術回路は二流程度でも、知識と経験はある。デニスの足りない部分を補ってやれる。
デニスの後押しをする形になるが、説得ができない以上、最悪を避けるにはこれしかない。邪神を人の器に収まるように限界まで弱体化させるように術式を変更させている。……それにデニスが気付かないように保険も仕込んでいた。
今日、デニスはぼそっともらした。
この研究が終えれば、七罪教団へ協力したことを告白し罰を受ける。また七罪教団に提供した術式には意図的な欠陥を仕掛けており、温泉村で現れた七罪教団の連中はデータ取りのためにデニス自身が完璧な術式を施したが、七罪教団の連中が教わった手法でやったところで、施術直後は問題ないが、しばらくすれば崩れ、待っているのは破滅ということらしい。
だとしても、これは大罪だ。公になればヴィリアーズ家は取り潰される。だから、家と親を失ったクリスのことを頼みたいと奴は頼んできた。
俺はその返事を保留した。即答など出来ようはずがない。
そして、屋敷に戻るところだ。朝になって俺がいなければ娘たちが心配する。
「ぴゅっ、ぴゅいー(それにしてもレヴィアタンか)」
デニスのサポートをしながらデニスが七罪教団から得た資料にも目を通していた。
デニスたちが利用するために選んだのは、【嫉妬】の邪神レヴィアタン。
その姿は空を泳ぐ竜。
一般的な翼と足を持つ竜ではなく、巨大なウミヘビといった容貌だ。
伝承によるとその大きさは数キロにもわたると言われる。巨大さは強さに直結する。その巨体のもつ破壊力は筆舌にしがたい。さらに天災規模の毒と炎を吐くことができる。
からめ手が得意な【暴食】の邪神ベルゼブブとは違い、純粋に強い。
そして邪神たちはすべて己の名を冠する特殊能力を持っている。
【嫉妬】 その力は他者への羨望と拒絶。
レヴィアタンが妬ましいと思った力に対して無敵となる。
たとえば、レヴァイアタンは魔術が使えない。魔術をうらやましい。そう奴が思った瞬間、一切の魔術が通じなくなる。
たとえば、レヴィアタンは剣を持たない。剣をうらやましい。そう奴が思った瞬間、剣で傷をつけることは不可能になる。
……つまるところ、確実に勝つには己の肉体のみで奴に殴り勝つしかない。奴より強い肉体を持ったものはいないので、奴はそれには嫉妬はできない。
または、奴が【嫉妬】できるのは同時に一つだけという点を突く。
ありとあらゆる種類の武装を持って、怒涛の連続攻撃による飽和攻撃。なら【嫉妬】が追いつかない。
そんなことが可能なのは……。
「ぴゅいっぴゅい(シマヅぐらいだよな)」
【剣】のエンライト。シマヅ。
剣とは武器の担い手という意味だ。シマヅはありとあらゆる武器を使いこなす。ニコラや俺が開発した多種多様な発明品を無数に装備し使いこなすことで、わずかだが【嫉妬】の邪神レヴィアタンにも勝算がある。
あの子のところに手紙が届くまでの期間、そしてそれを知ったあの子が、全力で駆けつけてくるとすれば……。
「ぴゅい(明日の夜だ)」
シマヅがいるのは、はるか北の戦場。
馬車で五日はかかる距離。
ニコラの機械バトですら丸一日はかかる。だが、シマヅなら可能だ。無尽蔵の体力と、早駆の馬すら凌駕する速度。
今、このときも、もふもふのかわいらしいキツネ尻尾をたなびかせながら走っているだろう。
……邪神のまえにあの子からオルフェとニコラを守ろう。
本気で怒ったあの子は洒落にならない。
「ぴゅいっぴゅー(シマヅの力を借りるのは前提に過ぎない)」
そのシマヅですら空から一方的に攻撃されればなす術もない。シマヅと言えど、空は飛べない。
なんとかシマヅを空に送り届ける必要がある。
……ニコラが研究し続けている試作型のあれがあるか。
竜か。因果なものだ。
ニコラは竜殺しのための武器をずっと研究し続けてきた。
竜は非常にかしこく臆病だ。
少しでも身の危険を感じれば、空を舞って逃げる。頑丈の肉体をもち、音速で飛ぶ奴らを仕留めるのは不可能に近い。
だから、竜に追いつく翼と竜を貫く攻撃力をニコラは求めた。
その目的はニコラの故郷、ドワーフの村を滅ぼしたとある竜を倒すため。それが役立つ時がくるかもしれない。
◇
「うううん、よく寝た。スラちゃん、おはよう」
「ぴゅい!」
昨晩はオルフェの腕の中にばれずに戻ってこれた。
オルフェの着替えを眺めながら、どうやって彼女に協力をしてもらうかを考えている。
いくつか成功率を上げるための術式と陣を考えたが、デニスでは不可能。オルフェの助けがいる。デニスが劣っているわけではない。魔術には適性があるのだ。
「いこっか、スラちゃん」
着替え終わったオルフェと共にキッチンに行く。オルフェは素早く朝食を作り、目をこすりながら降りてきたニコラも合わせて朝食を二人と一匹で食べる。
相変わらずオルフェの料理はおいしい。
そして、ニコラが青ざめた顔で口を開いた。
「オルフェねえ、シマヅねえから手紙が届いた」
姉妹たちの手紙のやりとりは、ニコラが作ったゴーレム鳩で行われている。
半径数キロ程度まで近づけば、姉妹たちの魔力の波長を感知してくれるので、おおまかな場所を指示さえすれば手紙が届くすぐれものだ。
「ニコラ、それでシマヅ姉さんはなんて?」
「一言だけ……『斬る』って」
オルフェの表情が凍り付く。
うん、完全にブチ切れているやつだ。
まあ、あの手紙の書き方なら思い出の場所を勝手にニコラたちが売り払ったように見えるからな。
「弁明の手紙は送った?」
「送ったけど、ゴーレム鳩が戻ってきた。シマヅねえ、とっくにこっちに出発してたせいで今どこにいるかわからない」
機械バトの探索範囲は数キロ。シマヅがこちらに向かっていておおまかな位置すらわからないのでは手紙が届かない。
ニコラはシマヅがこちらうに向かうルートを想定して鳩を飛ばしただろうが、どうやら外れだったようだ。
「ということは、全力の結界と罠で時間稼ぎしつつ。説得だね」
「ん。すみやかにシマヅねえを無力化してから説得。ご飯食べたら防衛システムの最終確認。シマヅねえの速さはゴーレム鳩よりちょっと遅い程度、すぐそこまで来てるはず」
二人は頷きあって、朝食を急いで食べ終えて立ち上がった。
俺は空気を読むスライムなのであえて別行動。邪魔はしないのだ。
それに、俺は俺でやることがある。
◇
日が暮れたころシマヅがきた。
この屋敷の窓という窓は閉ざされているし、屋敷内には無数の罠と防御結界が施されている。
俺とオルフェ、ニコラはもしものときのために一番安全なオルフェの工房にいる。
そこから外の様子をうかがっている。
「えっと、ニコラ、シマヅ姉さんにこっちの姿を見せるね」
「わかった」
オルフェの魔術で玄関の扉にたてかけられた鏡に二人の姿が映された。
そして、オルフェの工房の鏡にも来客の姿が映っている。
シマヅがいた。
キツネ色の髪と、キツネの耳と尻尾をもつ美少女、今年で十六になる。オルフェよりも控えめだが平均以上の形がいい胸、そして、鍛え上げられた均整のとれた体つき。
その魅力的な肢体は浴衣と呼ばれる極東の装束に包まれており、さらに羽織りを纏っている。
シマヅが纏っているのは普通の浴衣ではなく、動きやすいように下は短くしており、スパッツをはく独特のスタイルだ。
腰には三本の刀と呼ばれる、極東の剣。
そして、肩にはニコラが作った【砲】。さらには無数の暗器や爆薬を持ち歩いている。おそらく、姉妹たちの中でもっとも物騒な装いだ。
「ニコラ、まずいね。シマヅ姉さんの尻尾を見て」
「本気で怒ってる尻尾」
シマヅの場合、キツネ尻尾を見ればだいたいわかる。いつもはもふもふで柔らかな尻尾の毛が逆立ってすごく膨れている。
「ちょっと、声かけてみるね」
オルフェがチャンネルを開いた。映像だけなく音も伝えることができるのだ。
「えっと、シマヅ姉さん、屋敷を」
そこまでだった。
鏡が割られた。
シマヅが刀を突き立てたのだ。器用にもその一突きで扉を守る結界の起点を破壊し、屋敷内に入って来る。
オルフェとニコラが生唾を飲み、それぞれの結界と罠を起動させた。
おそらく、シマヅは二人の罠を容易く突破するだろうと俺は予想している。
「ぴゅいぴゅー」
そうなれば、俺の出番だ。
どれくらいシマヅが成長したのか確認しつつ、一度頭を冷やしてもらおう。
そのための仕込みは終わっているのだ。
……それに一度試してみたかった。超一流の剣士にどこまで今の俺の力が通用するかを。




