第五話:スライムは新たな住処を手に入れる
ついつい寝過ごしてしまった。
朝までデニスと飲んでいたせいだ。
だが、楽しい時間だった。
デニスは仲たがいをしてしまった兄弟子であり親友。その親交を取り戻せたのは嬉しい。
「スラちゃん、やっと起きたんだね」
「ぴゅい!」
そして、今は街の中を歩いていた。
目的はアッシュポートでの拠点となる部屋借りるためである。
「スラちゃん、お酒を飲んで酔いつぶれるなんて、おやじくさいよ」
「ぴゅひ!?」
娘に親父臭いと言われてしまった。
これ以上に耐えがたいことはない。酒はしばらく控えよう。
先日は酔いたい気分だったのであえてアルコールを分解しなかったが、今度からオルフェたちのもとに帰るまえにはしっかりとアルコールを抜くと決める。
「オルフェねえ、念のため欲しい物件の条件を意識合わせしよう」
「うん、そうだね」
「まず、広い部屋がいい。せまいと不便」
「それは絶対必要な条件だね」
これは普通だ。
研究を行う際はいろいろな資料を広げたり、素材たちを並べたり、魔法陣を描いたりとひたすらスペースを食う。
【収納】できる俺がいるからと言って、窮屈な場所では研究ははかどらない。
「龍脈が通っているところが好ましい」
「それも同感」
そして、龍脈も重要だ。
龍脈とは大地に流れる魔力の道。
オルフェやニコラクラスになると、龍脈から魔力を引き出すことができるし、町全体を走ってる龍脈から情報収集もできたりする。
一流の魔術士としては、龍脈の有無は最重要と言っていい。
もちろん、デニスの屋敷にも最上級の龍脈が通っている。
「クリスは部屋をいくつか貸してくれたし、この街にいる間ずっと使っていいとは言ってくれてるけど甘えてられないもんね」
「ん。さすがに悪い。……それに私たちの研究を他人の家でするのは危ない」
いかにデニスが信頼できる男だからと言って、それは危険だ。
オルフェたちにとっては他人なのだから。
一応、デニスには俺の正体や、オルフェとニコラがエンライトを継ぐものだというのには気付かないふりをしてもらっている。
オルフェたちが信用できないのも無理はない。
「二コラ、ほかに何か必須条件がある?」
「ない。他の問題なら、たいてい我慢できるし、私が改築するからなんとかなる」
「私もないね。広さと龍脈だけで決めちゃおう。あとは値段かな? 歩きながら、この街の龍脈の位置は掴んだよ。あとは建物を選ぶだけ」
「さすが、オルフェねえ。頼りになる」
この子たちは本当に研究一筋なんだな。
新しい部屋を選ぶのに、可愛いとか、綺麗とか、日当たりとか、キッチンとか、そんな単語が出てこない。
お父さんとしては、もう少し女の子らしさを見せて欲しいと思ってしまう。
◇
デニスに紹介してもらった不動産屋に二人は向かい、その店主がじきじきに対応をしてくれていた。
デニスの紹介状があるので、ふっかけられることも、騙されてハズレ物件を掴まされることもないだろう。
公爵家の知人、それもマリン・エンライトと並び称される東の賢者デニス・ヴィリアーズの知人に喧嘩を売るようなバカはいない。
その予想通り、不動産屋の損にならない範囲で、かなりお得な物件が紹介されている。
デニスの顔が広くて役に立つ。
しかも、その紹介状にはデニスが保証人になると書かれていた。
これも非常にありがたいことだ。
不動産屋は、外から来た旅の人間を警戒する。保証人なしで不動産を借りようものなら、礼金をたっぷりとられるし、一年分の家賃を前払いしろなんて言われて当然だ。
だが、ヴィリアーズ公爵が保証人になっているのなら、保証金なし、前払いもせいぜい二か月で済む。
クリスを助けて良かったと改めて思う。
「この物件なんていかがでしょう」
不動産屋が提示してきたのは、破産して差し押さえられた貴族が作った屋敷だった。
なんと、その屋敷の部屋を分割して貸している。
なかなか面白い商売だ。屋敷そのものを貸すのなら値段が高くなり借り手が付きにくいが、部屋単位で貸すなら手頃な値段になるし、おそらくトータル金額では不動産屋もそちらのほうが儲かる。
オルフェはそれを見て考え込み、口を開いた。
「あの、すみません。地図を広げてもらっていいですか?」
「はぁ、地図ですか?」
店主がいぶかしげな目をする。
「ありがとうございます。そして、自信をもってすすめられる物件の図面を、すべてこの地図の上に並べてください」
「構いませんが、不思議な注文ですね」
そうは言いつつも店主はてきぱきと地図の上に図面を置いて行った。
図面が置かれたのは合計六枚だったが、二枚を残して四枚を返してしまう。
「私たちは、地図に残った、この二枚のどっちかに決めたいと思います」
「かしこまりました。ではこちらの物件のご説明を」
そうして、その二件の賃貸料金を含めた説明がされた。
オルフェとニコラの顔が微妙に歪む。
俺の想像通りだ。二人が想像していた以上にずっと高かったらしい。アッシュポートで部屋を借りるなら、それ相応の値段がする。
「二コラ、どうしようか?」
「……エレシアにもらった報奨金で半年分は大丈夫。それまでに商売を軌道に乗せればなんとかなる。借りよう。錬金術士は商売が得意。任せて」
ほう、二人とも意を決したようだ。
それはそれでありな選択肢ではある。ニコラの力を存分に振るえば金を稼ぐのは容易だ。
だけど、金稼ぎの能力を持つことと、金稼ぎにつながる発想ができるかは別問題。
その点、この二人は少し不安だ。
父として、商売を始めるときに陰ながらいろいろとヒントを送ろう。
「そちらの小さなお嬢様は錬金術士なのですね。驚きました。最初に地図に並べた物件の中から、二件を選ばれましたが、何を基準に選んだのでしょうか?」
「二コラは錬金術士で私は魔術士なので、龍脈の位置が重要になります。龍脈が通っていないと不便でして」
ほうっと、感嘆の声を不動産屋は上げた。
まさか、幼い少女二人組が魔術士と錬金術士とは思っていなかったようだ。
「魔術士と錬金術士のかたでしたか、それなら一つだけ普通の方には紹介できない物件がございますよ」
そう言って、店主は立ち上がる。
奥のほうまで行って棚から書類束を取り出し、茶色く変色し、いかにも、入れっぱなしになっていたという物件が出てきた。
そして、その物件を地図の上に置く。
「お客様、この物件には龍脈はきちんと通っておりますでしょうか?」
「ええ、ばっちりです! それも一本じゃなくていくつかの竜脈の合流地点、こんなに魔術的に恵まれた立地、他にはヴィリアーズ公爵の屋敷ぐらいです!」
「……やっぱり。そうでしょうね」
そう言って、店主は苦笑する。
そして、言葉を続けた。
「いわくつきの物件です。ここには魔術士のかたが住まれておりまして、実験の失敗で死んでしまい、売りに出されました。ですが、ご本人自体が、奇跡的な確率で、亡霊になり、その、出るのですよ。それだけでなく、そのかたの研究成果の魔法生物が暴走して屋敷を守り、とても人が住めない状況でして……」
「これだけ龍脈の強い力を受ける屋敷なら、龍脈の魔力で実体化してこの世にとどまることもありえます。強い念、それも生前が魔術士なら十分に。それにその環境に魔法生物を放置すれば暴走してもおかしくない」
そういったことが起こって当然と言える環境だ。
スライムに転生するほかに、そういう存命方法を考えたこともあるが、意味がないと判断した。
霊体には脳がない。脳がないというのは思考ができないことだ。
残留思念、強い想いだけが暴走する。そんなものに成り下がったところで何もなせはしない。
「はい、私どもも何度か、腕利きの方を雇ったのですが、返り討ちに合ってしまいまして。ほとほと困り果てておりまして。もし、屋敷にいる亡霊と暴走した魔術士の遺産をどうにかしていただけるなら、このお値段でお貸ししますよ」
そうして提示される値段は、さっき決めようとしていた物件の半分だ。
しかもこっちは、部屋貸しではなく屋敷丸ごと。
不動産屋にとっても、いつまでも金にならないで放置しているよりはずっといい。
オルフェもその気になって、頷こうとしている。
「ぴゅい!(ストップ)」
だが、それを止める。
この子はやっぱり世間知らずだ。
「どうしたのスラちゃん」
「ぴゅいぴゅい!(もっと値切れ)」
なにせ不動産屋からしたら、金にならないどころか毎年税金で赤字の物件。
それを再利用できるようにしてやるのだから、家賃半額程度ではわりに合わない。
だいたい、腕利きの魔術士が返り討ちになるような怪異が潜んでいる。それを討伐するのなら、もっと金をふんだくるべきだ。
【隷属刻印】で結ばれた俺たちは、細かな意思疎通は不可能だが、だいたいの感情は伝わる。
オルフェが気付いてくれるといいのだが……。
「あの、このお値段ではわりに合いません。魔術士としてこのクラスの怪異を討伐するときには、これぐらいのお値段はいただきます」
オルフェがそう言ってさらさらと紙に値段を書く。
超一流の魔術士を雇うのであれば適正価格だ。
通常なら、小娘が何をいっているのか? っと馬鹿にされるのだろうがヴィリアーズ公爵の紹介状がある。彼がわざわざ紹介状を書くぐらいの相手だと考えると説得力が増す。
「……ですね。一流のさらに上の魔術士ならその値段になります」
だからこそ、不動産屋は超一流の魔術士に怪異の討伐を頼まなかった。
実際、デニスあたりなら討伐はできただろう。
だが、それをすると赤字になってしまうのだ。
「はい。なので、この条件では厳しいです。かといって、こんな大金を要求するつもりもないです。だから……、賃貸料金はこの値段でどうですか?」
提示したのは不動産屋が提示した料金のさらに半分。
不動産屋は顔をしかめているが、飲むだろう。
これでも、十分すぎるほど不動産屋が得をするのだから。
「それから三年契約にしてください。三年の間は条件は変えないと契約書を書いていただきます。そして……、現状復旧はなし、三年後、契約更新をしないにしても、元の悪霊つきの状態で返されても困りますよね? 条件をのんでいただけるならこの場で契約します」
オルフェが微笑する。
うまい条件だ。
「ははは、これは手厳しい。いいでしょう。この場で契約を結びましょう。いいのですか? もし怪異をどうにもできなければ三年間、家賃を払い続けるだけになりますよ?」
オルフェはにっこりと微笑む。そこには確かな自信があった。
不動産屋はそれを見て苦笑して、契約書を作り出した。
家賃は相場の四分の一以下。
契約期間は三年。その間の賃貸価格の変更はなし。
オルフェは現状復旧の義務を契約書から外させたのは、ニコラががっつり改装して後から直すのが面倒だという理由が一つ。
もう一つは、こう言っておけばオルフェたちが去ったあと、また怪異が復活することを恐れて、向こうが契約更新のタイミングで値上げを言い出しにくいから。
ふむ、ちゃんと足元を見る気になればちゃんと見れるようだ。
「あの、ごめんなさい。契約書に一文足してもらっていいですか? 今の屋敷にあるものは私たちの所有物にしていいと」
「ええ、かまいません。正直なところ、あの魔術士の私物なんて怖くて触れませんから処分してもらったほうが助かります」
ほう、ちゃんとそこにも目を付けたか。
これで魔術士の遺産をそのまま手にすることができる。
契約条文が付け足された契約書に、さらさらっとオルフェがサインする。
「サインをしました。それから、二か月分の家賃の前払いです。確かにこの屋敷は私たちが借り受けました」
「お互い、いい取引になりましたね。感謝します。魔術士と錬金術士のお嬢様がた」
そうして、無事契約は完了した。
いい屋敷を安く借りれた。これは大きい。
しかも、屋敷にあるものはすべて俺たちのものになる。
不動産屋を出ると、俺たちは人気の肉料理店でランチをとった。
「オルフェねえ、いい部屋が借りれたね」
「うん、広いし、龍脈も風水的にも最高! 郊外にあるけど、市場に来やすい立地だし、抜群の研究環境だよ! 図面を見ただけで興奮した! 建物全体が魔術的な意味を持ってるんだ! こんな設計ができる魔術士の遺産が手に入るんだよ。楽しみだなぁ。人の研究ってかなり勉強になるし。その人の歴史が埋まってるんだ。はやく、屋敷に行きたいよ!」
さすがはオルフェ、もう【魔術】のことで頭がいっぱいだ。
肉料理をもぐもぐと食べながら、ぴゅいっと笑う。
実を言うと、あの屋敷の持ち主を知っている。
オルフェの予想しているとおり超一流の魔術士だ。
魔法生物の権威、数少ない俺が尊敬する魔術士の一人、そいつの遺産と研究成果は、オルフェの成長に役立つだろうし、俺自身もやつの作った魔法生物を吸収したい。
「オルフェねえ、しっかり準備しよう。超一流の魔術士の屋敷は城塞、無数の罠が仕掛けられてる。……亡霊になった魔術士は強い」
「その覚悟はしてるよ。それにしっかりと【浄化】してあげないとね。想いに引きずられて残ってると可哀そうだし、ちゃんと逝かせてあげるよ」
そうして、二人と一匹はご飯を食べ終えた。
昼からさっそく、魔術士の屋敷に向かう。
怪異を倒して、屋敷を手に入れ部屋の片づけをしないといけない。
さて、今から新居が楽しみだ。
魔物と魔法生物はまた違った趣がある。ましてや、俺とはまったく別の系統の魔法生物。ここでないと二度と出会うことはないだろう。
たっぷり食べてレアスキルを得て強くなろう。
もしかしたら、はやく人間になりたいという目的に一気に近づけるかもしれない。
期待に胸を焦がしながら、俺はぴゅいっとオルフェの腕の中で鳴いた。




