第四話:スライムは昔話をする
兄弟子であり、アッシュレイ帝国の公爵であるデニス・ヴィリアーズ。
そいつに正体を見抜かれてしまった。
デニスに鷲掴みにされたまま、書斎に運ばれる。
バレた理由はいくつか考えられる。一つ、【無限に進化するスライム】そのもとになったスライムについて俺たちの師匠が未完成だが研究しており、その資料を奴も持ってる。二つ、兄弟子は【魂】の研究に一時期はりこんでいてその権威だ。三つ、あいつの左眼は錬金術で造られた魔眼かつ俺の魂の色をよく知っている。普通は絶対に気付かれることがなくて、デニスが特別なのだ。
「ぴゅいー」
逃げようと思えば逃げられるが、こいつは昔から容赦という言葉を知らない。
シャレにならない魔術や霊薬を使いかねない。
かつてオルフェのことを世界で五指に入る。あるいは三番目の魔術士であると俺が評価したのはこいつの存在からだ。
オルフェは、まだデニスには届いていない。
デニスは、棚からウイスキーを取り出す。
その銘はラグバーリン。俺の大好物の酒だ。
喉を焼く強烈な風味と、その裏に隠れている仄かな甘み。それをレモンジュースで割って飲むのが好きだった。
……もともとは敬愛する師匠の大好物だったのだが、いつのまにか俺も大好物になっていた。
師匠はこの酒を【魔術の深淵】なんて呼んでいた。
「改めて聞こう。マリン、どうして死んだはずのおまえがスライムになんてなっている」
「ふ、ろ、う、ふ、し、の、け、ん、きゅ、う」
うっ、やっぱり【言語Ⅰ】を手にして、日夜特訓いているというのに話すのは難しい。
一音一音発音するだけで疲れる。
「不老不死の研究か……それは建前だ。そんなものを求めるような奴じゃない」
「む、す、め、しん、ぱ、い。やり、たい、のこ、って、る」
「やりたいこと……そしてそれは言えないということか。その体で会話が難しいようなら【精神感応】を使え。俺がチューニングをする」
【精神感応】。
いわゆるテレパシーの一種だ。
勘違いされがちだが、これは送り手だけでなく受け手にも相応の技量が求められる。
通信方式の事前共有がないと、思念の意味が伝わらない。
【風刃】という魔術スキルを得て、ようやく魔術回路が形成された。【進化の輝石】を使わずとも、少しずつ簡易的な魔術を使えるようにはなってきたし、デニスがサポートするならなんとかなるだろう。
『デニス。思念を送った。伝わっているか?』
「ふむ、伝わっている。それにしてもマリンとは思えないぐらいずさんで幼稚な術式だ」
『無理を言うな、この身の魔術回路ならこれが限界だ』
魔法系のスキルをもっと手に入れたいものだ。そうすれば魔術回路がどんどん複雑になり、できることが増える。今のところ、【言語】と魔法系スキル。その二つを優先的に集めたいと考えている。
今思えば、盗賊たちを全員食べてしまいたかった。
あいつらは生かしていても悪さしかしない。
あのとき、オルフェが躊躇ったのには理由がある。盗賊ごとき楽に倒せるだろう。だが、やつらは組織だって行動する。最悪なのは、街中で人ごみに紛れ込んで不意打ちを受けること。オルフェやニコラは気配感知も、身体能力も一般人よりは上だが特別強いわけではない。暗殺や奇襲には弱いという欠点があるのだ。
【剣】のエンライト、シマヅがそばにいれば問題ないが、現時点で盗賊などに恨まれるのはまずい。
「そうだな。むしろ、その貧相な魔術回路でよくやる。本題に入ろう。マリンがこのタイミングで我が屋敷に来たのは偶然か?」
鋭い視線。
一切の嘘を見逃さないという強い感情が見て取れる。
『偶然だ。俺の死後、一人の公爵が国の利益のためというのを建前に俺の研究を自分に引き継がせるように動いた。いろいろと、バカには見せられない研究があったから娘たちとともに研究成果を抱えて逃げてきた。アッシュポートを目指したのは、ここなら研究環境を整えやすく、収入も得やすいと考えたからだ。おまえの娘を救ったのは偶然だ。……信じられないことにな』
作為を感じる出来過ぎた偶然。
もし、あのときオルフェたちが通りがからなければ、間違いなくクリスはさらわれていた。
「偶然か。……何はともあれ父として礼を言う」
そう言うとデニスはグラスを持ち上げた。
スライムな俺にそんなことはできないので、ぴゅいっと机の上にのりグラスのそばに身を寄せる。
そして、乾杯をした。
「【魔術の深淵】、おまえと別れてから初めて飲む」
『俺もだ』
なんとなく、デニスと喧嘩別れしてから飲むのをためらっていた。
だが、やはりうまいものはうまい。それはスライムの身になっても変わらない。
『アデラは元気か? クリスを見て驚いた。本当によく似ている』
師匠の娘であり、デニスの妻。
そして、俺とデニスの喧嘩別れの原因であり、今まで娘たちを引き取り育てても、恋人を作らなかった理由でもある。
つまらない話だ。師匠は娘と己の遺産をすべて、俺たちのどちらかに継がせると言った。
そして、俺もデニスもアデラに恋をしていた。
とある試練で競い合い、俺は負けたのだ。実力で負けたわけじゃない。デニスに恋をしていたアデラがデニスと結ばれるために不正をした。
意外なことに、アデラの不正に対しての怒りはなかった。
だから、デニスにはアデラの不正のことを話していない。
むしろ、許せなかったのは自分自身のほうだ。
アデラの気持ちに気付いてやれなかった。彼女に罪を背負わせてしまった。彼女自身の気持ちに気付いていれば、俺は自分から友と恋した女性のために身を引いて祝福しただろう。
当時の俺は、この件で自らの欠陥を思い知らされたのだ。
師匠の得意とした【魔術】と【錬金】の研究だけに夢中になり、何も見えていなかった。だから、外に出た。幸いなことに俺にはありとあらゆる才能があった。すべてを極めようとした。
そして、娘たちと出会い、育て、ある程度成長できたと思っている。
こうして、親友とわだかまりなく酒が飲めるのはその証拠だ。
「アデラは死んだよ。二年前の話だ」
『そうか、おまえでもどうにもできなかったのか』
「俺の腕じゃ限界がある。師匠もアデラもバカだよ。絶対にマリンと結ばれたほうが良かった。俺じゃ届かないところまで研究は進んでいただろうし、アデラも幸せになれた」
『そんなことはない。そのことは俺が一番よく知っている』
酒を舐めるペースを上げる。
初恋の人にして、唯一愛した女性の死は胸を打つ。
「アデラのやつ、死に際に泣きながらおまえに謝ってた『マリン、ひどいことしてごめんなさいって』な。死ぬ直前に、試練のときに不正をしたと俺に話したんだ」
俺は返事をせずにただ、【魔術の深淵】を舐め続ける。
……デニスには申し訳ないが、ずっと俺のことを思い続けてくれたことが嬉しかった。
「マリン、どうして言ってくれなかったんだ? 試練のあと、言ってくれれば俺は……」
『親友と恋した女性、その幸せを壊すほど無粋じゃない。……それに、これで良かった。あのとき、師匠とおまえたちのもとを離れたから、より強くなれた。魔術の深淵に届いた。なにより、あの子たちと出会えた。それでいいんだ。俺は幸せな人生を過ごしたよ。……いや、悔いがあるからこうしてスライムになって生き延びたのだがな』
幸せすぎて、人生を終わらせたくなかった。娘が心配だった。
やり残したことが一つあった。
だから、スライムになってでも生きようとした。
……まあ、そんなかっこいい理由のほかにも、【無限に進化するスライム】という素材がどこまで強くなれるのか興味があった。
「マリン、すまなかった。そしてありがとう。ふがいない兄弟子ですまない。そして、改めてクリスのことに礼を言わせてくれ。あの子に何かあったら、俺は……」
まあ、その気持ちはわかる。
本当にあの子はアデラによく似ている。
『そんなに大事なら、その娘に【精霊石】なんて取りに行かせるな。狙われて当然だろう』
「あれを採取するのは、一流の魔術士であることも【錬金】の知識も必要だ。適任がクリスしかいなかった」
『【精霊石】なんて物騒なものを持ち出して、何をしようとしているんだ』
【精霊石】
それは、さまざまな条件が重なり龍脈を流れる力がどこかでせき止められ、奇跡的な確率で結晶化した宝玉。
溢れんばかりの魔力を持つだけでなく、神性が込められている。同時にひどく取り扱いが危険なものだ。
「……それは、俺の研究に使うためだ。ようやく基礎理論が完成。実践に向かっている。研究を一言で言い表すなら、邪神の力の有効利用。マリン、邪神は強大な力を持っている。それをただ強力な封印で封じ続けるなんてもったいないと思わないか? 封印された力の邪気を中和し、純粋な魔力して取り出す。そうすることで封印の再強化の手間を省きつつ、無限のエネルギーを人類は手にするんだ! 無限の魔力を確保できれば、街の街灯はすべて魔力で輝き、鉄の馬車が魔力で走るようになる! そして、俺の名は歴史に残るだろう」
「ぴゅいっぴゅ(これ、あかんやつや)」
思わず、【精神感応】ではなく素の声がもれた。
考えていることは理解できなくもない。
あれほどの魔力供給機関は他にない。
一応、オルフェも似たようなことをやって、邪神の力を引き出せるが、あれはオルフェだからできること。
どれほどの術式や陣を用意しようが、そんな便利に無限の力が引き出せるとは思えない。
『それは、大丈夫なのか?』
「マリンと別れてからそれだけを研究し続けた。俺にはおまえほどの才能はない。だが、【魔術】と【錬金】以外にもありとあらゆる分野に手をだしたお前とは違い、俺は【魔術】と【錬金】だけに特化し、さらに、邪神をエネルギーとして活用することを目的に必要な技術だけを研究してきた。その分野でならおまえに勝る。安心して見ているがいい。人類の夜明けはもうすぐだ」
彼の言うことも一理あるだろう。
俺は面白そうと思ったことはとりあえずなんでもする。それに比べてやつは、いつでも一つの事に一直線だった。一つの研究に対する熱量は奴のほうが上だ。
そして、彼は俺が認める数少ない魔術士にして錬金術士。あながち絵空事でもない。
……ただ、どうしようもなく胸がざわつく。
『わかった。応援する。しばらく俺たちはこの街に滞在する予定だ。問題が起きれば助力するから声をかけろ』
「頼りにさせてもらうよ、親友。まじめな話はここまでだ。……お互い、すれ違ってなくした時間を取り戻そう。可愛い娘の話を肴にしながらな」
『それはいい趣向だ』
娘自慢なら誰にも負けるつもりはない。
そして、それはデニスも同じようだ。
敬愛した師匠の好物だった【魔術の深淵】を片手に俺たちはひたすら娘を褒め続ける。
数十年分のわだかまりが溶けてきた。
気が付けば夜が明けていた。
「そういえば、そのスライムは【無限に進化し続けるスライム】らしいな」
『ああ、【吸収】した魔物の力を得られる』
「なら、面白いものがある。千年生きて、力と知恵をつけた竜が落とした鱗だ。鱗一つでも竜のものなら【吸収】して意味があるんじゃないか?」
『ほしい!』
「二枚あるからな。研究用には一枚あればいい」
そう言って、酒が回って千鳥足でデニスは部屋を出ていき、透き通る緑のうろこをもってきた。
風の魔力の匂いがする。風の古龍の鱗だ。
「娘を助けてくれた礼だ。遠慮なく受け取れ」
「ぴゅい!」
もぐもぐぱくぱく。
遠慮なく【吸収】する。
千年を生きた竜なんて、滅多に見られるものじゃない。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。
「ぴゅいぃぃぃぃぃ!?」
体の中で魔力が暴れる。
さすがは竜だ。鱗一枚でこれほど力が湧いてくるなんて。スライムボディが波打つ。
そして、たしかな力が俺の中に宿った。
「ほう、それが【進化】か。すごいな。【吸収】し続ければやがて最強に至る。現時点の強さではなく、可能性にすべてを賭けた魔法生物。さすがは天才マリン。面白いものを作った」
『褒めていただいて光栄だ』
魔術回路の数が増えた。これでさらに複雑な魔術が使える。
そして、スキルも得ている。【風の加護】。風を扱う力をすべて強化する常時発動型スキル。とんでもないレアスキルだ。
「さて、もう一飲みしよう」
『もちろんだ』
酒をちろちろ舐めながら、優しい気持ちになっていた。
とはいえ、胸に湧き上がる不安は消えない。邪神は人が玩具にしていいものではない。
だから、【分裂】した。邪神ベルゼブブのスキルだ。スライムボディから二体ほど、目に見えないほどの小さな分裂体を生み出してやつの髪に張り付ける。もう一体はクリスのところに、
もし、彼らに何かがあれば分裂体が知らせてくれる。これで少しは安心できる。
そうして、俺たちは朝まで飲んだ。翌日、クリスがやってきてデニスを怒っていた。その光景は親友と初恋の人と共に過ごした懐かしい日々を思い出させて……。
思わず俺はぴゅいっと鳴いて、クリスの後ろにいたオルフェの胸に飛び込んで甘えた。
俺だってたまには、娘に甘えたくなるときがある。オルフェがぎゅっと抱きしめてくれて、気持ちがおちついていくる。
そして、俺はそのまま眠りについた。あえてアルコールに毒耐性は働かせていない。今日は酔いたい気分だったのだ。
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種族:スライム・カタストロフ
レベル:22
邪神位階:卵
名前:マリン・エンライト
スキル:吸収 収納 気配感知 使い魔 飛翔Ⅰ 角突撃 言語Ⅰ 千本針 嗅覚強化 腕力強化 邪神のオーラ 硬化 消化強化Ⅱ 暴食 分裂 ??? 風刃 風の加護(new!)
所持品:強酸ポーション 各種薬草成分 進化の輝石 大賢者の遺産 各種下級魔物素材 各種中級魔物素材 邪教神官の遺品 ベルゼブブ素材
ステータス:
筋力B 耐久C+ 敏捷B+ 魔力C+ 幸運D+ 特殊EX
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