第二話:スライムはご主人様を喜ばせる
ヴィリアーズ公爵家のご令嬢を助けて、アッシュレイ帝国最大の商業都市であり、港街であるアッシュポートを目指して、ゴーレム馬車を走らせていた。
ただ、俺としてはヴィリアーズ公爵家とはあまり関わりたくなかったりする。
あの家の当主を嫌っているわけではない……それどころか親友だった。もっとも、十年前に喧嘩別れしたっきりで、その後は手紙のやり取りしかしていない。お互い内心では嫌ってないので定期的に手紙は書くし、その内容には親しみが込められている。
そして、彼の妻は……。ちくりと胸に痛みが走った。
「ぴゅふー」
やっぱり似ているな。
クリス・ヴィリアーズと名乗ったご令嬢を見て心底そう思う。
だめだだめだ。今の俺は可愛いスラちゃん。感傷的になるのは似合わない。
「スラちゃん、どうかしたの?」
「ぴゅいぴゅ(なんでもないよ)」
心配そうに問いかけてくるオルフェに返事をした。
オルフェはそうと頷いてぎゅっとしてくれる。
そんな様子を見て、金髪の大人びた少女、クリス・ヴィリアーズが口を開いた。
「あの、オルフェ様」
「何かな?」
公爵令嬢相手だが、オルフェはいつもの口調だ。
実はさきほど、少し自己紹介の場を設けたのだが、その中で恩人だからかしこまった口調はやめてくださいと頼まれていた。
それに加えて、えらい貴族様でも他国の貴族様だし、本人が言うならまぁいいかな? っとオルフェが判断している。
「その胸に抱いている赤いスライム、オルフェ様の使い魔ですか?」
「うん、そうだよ。可愛いでしょ。スラちゃんって、言うんだよ。ほら、スラちゃんも挨拶して」
しょうがないな。
主の命令ならそうしよう。
「ぴゅいっぴゅ!(僕は悪いスライムじゃないよ)」
なんとなく、いつもこう言いたくなる。
【無限に進化するスライム】という種族自体にかけられた呪いだろうか?
「よっ、よろしくお願いします。私はクリス・ヴィリアーズと申します」
「ぴゅい!(よろしく)」
「あの、スラさん。撫でさせてもらってもいいですか?」
「ぴゅいぴゅい(くるしゅうない)」
返事をしてやったのに、クリスは首をかしげる。
オルフェはその様子を見て笑った。
「スラちゃんは、いいよって言ってるよ」
「では」
顔を赤くし、鼻息を荒くして小さな手で俺を撫ぜる。
なかなか悪くない。
にしても、素直で礼儀正しい子だ。まさか、あのバカからこんな素直な子が生まれるとはな。
てっきり、あのバカに似て、無駄に熱くて、頑固で、諦めが悪く、一つのことしか見えない、そんな子だと思っていたのに。
「スラさん、ひんやりしてぷるぷるして気持ちいい。あの、オルフェさん。この子を売ってくれませんか? お値段は……」
そう言って提示した値段は、エンライトの屋敷を買い戻せるぐらいの値段。
さすが公爵令嬢。圧倒的な財力だ。
「ぴゅいー(ご主人さまぁ)」
俺はオルフェのほうを見上げてか細い鳴き声をあげた。
オルフェ以外の使い魔にされたら、俺は迷わず【隷属刻印】を解呪して、さっさと野良スライムになる。
かつての俺とは違い、中級~上級クラスにはステータスが高まっている。
もはや、一人でも生きていけるスライムだ。
オルフェたちと一緒にいるのは、娘たちが心配で……何より楽しいからに他ならない。娘に金で売られたらそのまま傷心旅行の始まりだ。
「スラちゃんは、売らないよ。大事な家族だから」
「ぴゅいぴゅー!(信じてた!)」
すりすりすりすりすりすりすり。
全力でオルフェの胸に飛び込んで、スライムすりすり。
「あはは、スラちゃん、くすぐったいよ。ごめんね。不安にさせちゃったね」
「ぴゅいー!」
家族か。
形は変わっても、ちゃんと家族は続いていたのか。お父さんは嬉しい。オルフェがいい子に育ってくれてよかった。
◇
馬車は走り続けて夜になった。
「狩りに行ってくるね。スラちゃんは今日はお留守番。クリスたちを守ってあげてね」
「ぴゅい!」
そして野営の準備を始める。
明日の昼にはアッシュポートにたどり着くだろう。
ちょっとオルフェが売らないと言ってくれたのがうれしかったので、サービスをするつもりだ。
確か……ちょうどいいのがあったはず。
周辺の大きな石をばくばく食べてかき集めては吐き出し積み重ね、さらにお腹の中で調合した接着剤でくっつけ、ウォーター・カッターで形を整える。
大きくて立派な石釜が完成。
それから……。
「ぴゅぴゅぴゅー」
お腹の中に収容していた鉄のインゴット。
それをぐにぐにと変形させる。
調合などは得意だが、変形には苦労する。進化したことによりかなり細かい制御ができるようになったので、その実験だ。取り込んでいる鉄を極限まで分解して再構成。
そうすることで理想的な形にする。
「ぺっ」
そして、形を変えた鉄の塊を出す。それは巨大な筒状になっていた。
石かまどに横から大量に薪を入れてと。
最後に、大きな筒に……。
「ぴゅふーーーーーーーー(スラシャワー)」
温泉村で仕入れていた大量の温泉の原液に、この前の野営のときに飲んだ綺麗な湖の水を混ぜる。
完成した。
スライム風呂。
大金を積まれても俺を売らないと即断した娘へのご褒美だ。
お風呂好きのオルフェは絶対に喜んでくれるだろう。
「ぴゅいっぴゅ(やり遂げた)」
ちょっぴり疲れたが、なかなかの満足感がある。
ふと視線を感じた。
「あっ、あの、ニコラ様、スラさんがさっきから動き回っていましたが、あれってもしかしてお風呂造ってたんですか」
「ん、そうみたい」
クリスは目を見開いているし、ニコラのほうも冷静なふりをしているが、かなり動揺している。
「スライムってそんなことできましたっけ」
「スラは特別。……いろいろとおかしなことをするけど、ここまでおかしいことをしたのは初めて。本気で解剖して研究したくなった」
「ぴゅいぴゅっ!?(貞操の危機!?)」
ちょっと調子に乗りすぎた。
それでも、娘たちが喜んでくれるならそれでいいだろう。
◇
オルフェが採取したキノコと川魚をたっぷり使ったスープと、昨日仕留めた鹿肉の余りを使った串焼きで夕食が振る舞われた。
お嬢様であるクリスの口に合うかは心配だったが、こんなワイルドな食事初めてだとすごく喜んで食べた。
オルフェもニコラも姉妹が多いので年下の女の子にはすごく甘い。
本当の妹のようにかわいがっている。
ふふふ、エンライトの姉妹は魔性の娘たちだ。幼い女の子を俺の屋敷に連れて来て二日も経てば、その子は姉妹たちをお姉さまと慕う。巫女姫エレシアのように。クリスもそう遠くないうちに落ちるだろう。
「オルフェねえ、スラがオルフェねえを待っている間、すごいのを作った」
そう言って、ニコラは少し離れたところにあるお風呂を指さした。
「えっ、あれニコラが作ったんじゃないの? ニコラにしては気が利くなってすごく驚いてたのに」
「違う、スラがせっせと作ってた」
「そうなんだ。スラちゃん、ありがとう。すっごく嬉しいよ。お風呂は毎日入りたいんだ」
「ぴゅい♪」
満面の笑顔でオルフェは俺を抱きしめ頬すりまでしてくれた。
頑張ったかいがあるというものだ。
「じゃあ、ニコラ。早速入ろう。スラちゃん、頑張って大きなお風呂造ったんだね。三人ぐらいなら一度に入れそうだよ」
「行こう。オルフェねえほどじゃないけど私もお風呂は好き」
「もちろん、スラちゃんも一緒だよ」
「ぴゅい♪」
俺もお風呂は大好き。娘たちと一緒ならさらに好きだ。
俺たちはお風呂のほうに向かおうとする。
「あっ、あの、私もご一緒させてください!」
クリスが立ち上がって、おねだりする。
「三人でも使えるけど、クリスって私たちと一緒で落ち着く? 使用人の女の人と一緒のほうが良くないかな? もし、私たちの後が嫌なら先に使わせてあげるけど」
ちなみにオルフェは三人が嫌なわけじゃない。
ただ、身分の高い人たちは同性にすら肌を見られるのを嫌がる傾向があるからそう言っているだけだ。
「その、オルフェ様と一緒がいいんです」
「……もしかして、そっちの人?」
「違います!」
顔を真っ赤にしてクリスが否定する。
「実は、今もちょっと怖いんです。オルフェ様と一緒にいると安心だし、汗でべとべとでお風呂入りたいですし……だめ、ですか?」
「そういうことならいいよ。ニコラも、スラちゃんもいいよね」
「ん。了承」
「ぴゅい♪」
可愛い女の子なら大歓迎だ。
「ありがとうございます!」
それから、使用人の女の人に覗かないように見張ってもらいつつ、お風呂のほうに向かった。
◇
そんな経緯で三人仲良くお風呂に入る。
オルフェは相変わらず、よく成長してくれた。
ニコラは肉を食べよう。もっと肉を。
そして、クリスは現時点でニコラより成長している。そしてこれからも成長するだろう。この子は大人になれば絶対にすごい美人になるだろうな。
ということを、オルフェに抱きしめられてお風呂に入りながら考えている。
露天風呂もなかなかいいものだ。
星がきれいに映る。
「そういえば、クリスはどうして襲われたか心当たりがあったりする? あの盗賊たちはクリスを狙っていたみたいだけど」
さすがはオルフェ。馬車には目もくれずリスクを冒してまで強力な魔術士と共にいるクリスを狙ったことには気付いていたみたいだ。
「……たぶん、お父様の研究と関係があります。私を人質にして奪うか妨害したかったのかと。ごめんなさい。研究の内容は、言えません」
「そういうこと。ああっ、ヴィリアーズってもしかして、あのヴィリアーズ!?」
オルフェ、気付くのが遅い。
それは減点だ。
「どのヴィリアーズかはわかりませんが、西のエンライト、東のヴィリアーズと呼ばれている、あのヴィリアーズです」
ヴィリアーズの名を聞いてオルフェが動揺している。
まあ、あそこはうちのライバルだしな。
「そう、エンライトと並び称されるあのヴィリアーズだったんだね」
エンバースと偽名を言っているので、張本人なのに微妙な言い方になった。
「ええ、国が東にもすごい人がいるんだって祭り上げているだけで、エンライトには遠く及びません。だけど……、大賢者マリン・エンライト様に比べて偉大な研究や発明の数は劣っても、たった一つ、突き詰め続けた究極の世界を変える発明の功績で覆します。父が生涯をかけて取り組んだ研究。その成果がやっと現れようとしているのです。絶対に邪魔なんてさせません」
そう言って、クリスは迷わずに馬車から持ち出した小さな包みに隠されていた宝石付きの首飾りを握りしめる。よほど大事なのか、風呂というのに身につけていた。
……まあ、大事に決まっているよな。”それ”は俺ですら手に入れるには難儀する。
「そっか、お父さんのために頑張るって素敵だね。私頑張ってる女の子は好きなんだ。絶対、クリスを家まで送りとどけてあげるよ。エンラ……ごほんっ、エンバースに誓ってね」
「オルフェ様!」
そう言って、クリスはオルフェに抱き着いた。
さっき、この子はそっちの気はないと否定したが怪しくなってきた。
「ちょっ、クリスくっつきすぎだよ」
「オルフェ様が素敵すぎて我慢できませんでした。お姉さまって呼ばせてください」
「あははは、それは勘弁して、妹も、妹分も間に合ってるんだ」
オルフェはとまどいつつも、面倒見が良くて可愛い女の子は好きなので抱きしめ返し、頭を撫ぜてやっている。
そして、二人に挟まれて、サンドイッチ状態の俺もすごく喜んでいる。
オルフェもクリスもすべすべの肌に柔らかい感触。お風呂でほてっていることもあって最高だ。
「ぴゅいぴゅー(幸せ)」
星空を見上げて、前後の幸せな感触を楽しみながら、こんなに幸せになれるなら野営のたびに毎回お風呂を作ってもいい。
そんなことを俺は考えていた。




