第2話 偽装婚約者
「はい、タオルです!」
「ありがとうございます」
あたしが笑顔でタオルを差し出せばアサルさんはぎこちなく微笑んで素直に受け取る。タオルを顔に押し当てて大きく息を吐いた。朝晩はまだまだ冷えるから体から湯気が立ち上ってる。
そんな様子をコルネリウスさんは呆けて呟いた。
「……ふたりが婚約したって話は本当だったのか」
コルネリウスさんの呟きは騎士団の総意だったみたいで、今朝の訓練所は奇妙な空気が立ち込めている。あからさまに困惑した顔の騎士達があたしとアサルさんの顔を見比べてる。
「あぁ、先日な」
「お前がなぁ……しかも気味悪い骸骨もあっさり捨てやがって」
「もう必要ないからな」
コルネリウスさんがあたしを見て肩を落とし、振り返って騎士達を見て深い溜め息をついた。若い騎士達はアサルさんの素顔を見たことが無かったようで、童顔で少年のような顔を見た瞬間に凍りついたみたい。しかもあたしとの婚約の話を聞いて倒れた人もいたと聞いた。
「しかも指輪まで……」
コルネリウスさんがジト目でアサルさんを睨んでる。
婚約したという証しの指輪はヴィルマ叔母様から渡された物。シルバーのリングに藍色と翡翠の2つの石が埋め込まれてる指輪だ。婚約指輪というのは婚約したふたりの瞳の色の石を埋め込む事になってる。だから藍色と翡翠の石なんだけど、何故かふたり分用意してあって、サイズも丁度ぴったり。都合よく作ってあったと説明された。
どう言うこと?
「婚約者だからな」
アサルさんは表情を替えずにさらりと答えてる。偽装と分かっててもあたしは照れて下を向いちゃう。嘘でも嬉しいもの。
「女を避け続けてたお前がなぁ」
そう言いつつあたしをチラッと見てまた深い溜め息をついた。今朝だけで10回は溜め息ついてそう。
「む、なんだ弛んでるぞ! シャキッとせんか!」
ヴィクトール騎士団長がうなだれてる騎士達を叱咤しながら足早に訓練所に入ってきた。見つかるとうるさいからさっさと逃げた方が良さそうね。でもそう思った時には遅かった。
「む。…………貴様、抜かった時は覚悟しておけ!」
キツイ文句でも来るのかと思ったら、アサルさんを一瞥すると訓練所の奥に消えていった。あたし達も今の内に消えましょう。
「アサルさん、行きますよ!」
あたしは彼の堅い手を握って訓練所の出口に歩き出した。怨嗟の視線が刺さってくるけど気にしてられない。
廊下を歩いてても視線が集まるのが分かる。しかもアサルさんに集中してる。彼が獣の骸骨を付け始めてから8年、若い人は素顔を知らない。でも銀髪は、先日の夜会の際に見せたアサルさん以外存在しない。少年のような顔をした彼を見て皆一様に口を開けてる。
「彼は今回の事を聞かされているようです」
アサルさんが顔を向けてきた。彼とはヴィクトール騎士団長のことね。あの人は苦手だけど、心配して貰えるのは嬉しい。
「恐らくですが、公爵3家には話がいっているのかもしれませんね」
という事は、父様と兄様にも話は伝わってるのかも。
「ウィザースプーン公爵が怒っていなければ良いのですが」
アサルさんは不安そうな顔をして下を見た。親衛騎士っていっても伯爵家の3男だもんね。父様にワーワー言われたら困っちゃうよね。
「嫌な事があったらあたしに話して下さいね。必ずですよ。あの事と偽装婚約で仲良く見せる事は別なんですから」
広い廊下を並んで歩きながら彼に顔だけ向ける。
あの事とは、アサルさんの苦しみや悲しみ、声にならない辛いことをあたしが聞いて、少しでも彼を慰める事だ。
「はい、ありがとうございます」
「偽装ですけど婚約者なんですから、ありがとう、で良いです」
「……ありがとう」
あたしの訂正に彼は口元に緩やかな微笑みの欠片を覗かせた。そんなの見たらあたしも嬉しくなっちゃう。勝手に頬がつり上がって口元が弛んでいく。きっとあたしの口は綺麗な三日月になってる。
「朝っぱらから熱いな。あ~熱い熱い」
いつの間にかカルラちゃんが傍にいてわざとらしく手でパタパタ顔を扇いでニヤニヤとあたしを眺めてる。彼女はすすっとあたしに近付いてくると指で脇をツンツンしながら「偽装かもしれねえけどさ、良かったな」って囁いてきた。あたしは素直に「うん!」と返事をかえす。あたしを気にしてわざわざ見にきてくれたんだ。爽やかにニカッと笑う彼女に胸が暖かい物です満たされていく。このお礼は何かで返さないと。
食堂に戻ればルティがいつもとは違いドレスを着て、耳をピンと立て、おすましをして待っていた。あたしを見つけると駆け寄ってくる。
「ルティ嬢、イシス様をお願いします」
「はいアサル様! 婚約者様をお預かり致します!」
アサルさんは小声だったのにルティったらわざわざ大きな声で周りに聞こえるようにしてる。テクラちゃんはクスクス笑ってるし、驚いた彼の耳がビクンて揺れてる。
「ちょっとルティ!」
「大事なことなので、聞き漏らしてはいけないと思い確認してしまいました!」
確信犯のルティは困った笑顔を浮かべ、わざとらしく頭を掻いてる。
「あ、お嬢様、急がないと遅刻してしまいます!」
今日からはルティも王妃様の侍女に加わる事になった。表向きの理由はアダマン帝国の皇帝を迎える準備が忙しいからだけど、本当の目的はあたしの護衛。アサルさんは陛下の護衛もあるからこんな形になった。
「わっ、急がなきゃ!」
「た~いへ~ん!」
あたし達は王妃様の執務室へ小走りで急いだ。
夕方からはガルカンチュア王国の大臣を招待しての晩餐会だ。会場となった部屋は天井も壁も金や銀の貴金属を豊富にあしらった飾りで彩られ、シャンデリアの灯りでより一層の気品を添えていた。
あたしは公爵令嬢という身分で王妃様のすぐ脇の席に座らされた。後ろにはカルラちゃん、テクラちゃんとルティが控えてる。あたしだけ座らされて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
アサルさんは陛下の後ろにいつもの青いローブを羽織って立っていた。ローブには色々勲章を付けて誤魔化してるみたい。あのローブの内側には護衛で必要な物も沢山入っているからだって。
晩餐会は和やかな雰囲気で滞りなく進んでいった。あたしも少しは料理に手を付けたけど食が進むような気分じゃなかった。命が狙われれると言われても実感はないけど、毒でも入ってたら、と思うと折角の美味しそうな料理なのに食べる意欲も無くなっていく。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「うん。お腹が空いてないだけ」
ルティが心配して声をかけてくれる。あんまり不安な顔は見せられない。目だけでアサルさんを追いかけて見れば藍色の瞳と交差した。表情は動かないけど銀色の三角の耳は小さくピクピクと動いた。分かってるって合図なのかな? 彼の耳は口よりもおしゃべりだ。
「食後の口直しで御座います」
男の給仕が背の高いグラスを配り始めた。もうそろそろ晩餐会も終わりだ。
「ふぅ、やっと終わるわね」
配られたグラスに口を付け一口含んだ。
何これ、凄い苦い!
「かはっ」
急に胸の真ん中がギリギリ痛み出した。痛みで息が出来ない!
痛む胸を押さえるけど何にも変わらない。苦しい!
「ルティ嬢!」
アサルさんに呼ばれたルティが顔を近付けて「どうしました?」と聞いてくる。あたしは痛みと息が出来ない苦しみでぎゅっと目を瞑ることしか出来なかった。
「どうやらイシス様はお体の調子が優れない様子です。隣の部屋で休憩いたしましょう」
ルティがあたしの様子がおかしい事に気が付いてくれた。椅子に座ったまま動けないあたしは、ひょいっと軽々と持ち上げられて運ばれていく。苦しい中でも誰かと仰ぎ見てみれば、あたしを抱き上げてるのは眉間に皺を寄せたアサルさんだった。
「大事な婚約者は他の者には任せたくないとみえる」
陛下がわざとなのか大きめな声を上げると彼方此方から「ははは」と意味深な笑い声が聞こえてきた。
「おいイシス、大丈夫か?」
カルラちゃんが心配して覗いてくるけど苦しくて答えられない。
「すぐに治しますから」
アサルさんの声が上から降りてきた時に、あたしの意識は途絶えた。
微睡む意識の中、目を開ければ視界には心配そうな顔のアサルさんと今にも泣き出しそうな顔のルティが入ってきた。ベッドに寝かされてるのか照明が眩しい。
「お嬢様!」
声を震わせながらルティが抱きついてくる。大きく息を吸っても胸の痛みはない。
「もう、大丈夫」
彼女の背中をポンポンと叩いてあげる。
「アサルさん、あたしはどうなったんです?」
「毒を盛られました」
「……そうなんだ」
食後の口直しを飲んだ直後に苦しくなったから、あれに毒が入ってたのかもしれない。
ガチャリと扉が開く音が聞こえた。
「アサルさん、捕まえました」
「よくやったヴァジェット。殺してないだろうな?」
「辛うじて。例の場所です」
「上出来だ。後で行く」
あたしからは見えないけどふたりの会話は聞こえる。その内容が、怖い。
でもアサルさんとヴァジェットさんが怒ってるのは声色から分かる。
「イシス様、お身体の調子は如何ですか?」
あたしの視界に入るようにアサルさんが近寄ってきた。
「アサルさんが治してくれたんですよね? 問題ないですよ」
「気が付かず申し訳ありませんでした」
彼は唇を噛んで悔しそうに呟いた。あたしはそれを否定するように首を振る。
「あたし、アサルさんなら何とかしてくれるって思ってますから」
不安にさせないようにニッコリ笑顔で答える。
でもあたし、早速狙われちゃったのね。
お読みいただきありがとうございます。




