第1話 西の大臣
最終章開始です。
騎士団の訓練場でルティとカルラちゃんが向かい合ってる。審判を務めるヴァジェットさんの号令でさっと構えるふたり。右足を引き半身になって手を肩の位置にあげて構えるルティ。対してやっぱり右足を引いて半身に構えるカルラちゃん。構えはそっくりだけど違いは手を開いているか握っているかだ。ルティは平手でカルラちゃんは拳。
動きやすい道着に身を包んだふたりはあと一歩でお互いに手が届く距離にありながら不敵な笑みを浮かべて睨みあってる。
「はっ!」
カルラちゃんが気合と共に腰を落としてザッと右足を出すと右腕をルティの鳩尾にまっすぐ突き出す。対してルティは向かってくる拳を左手で払う様にいなして腰を捻り、一瞬で右足をカルラちゃんの顔の高さまで蹴り上げた。
「ちっ」
カルラちゃんが左腕を折り畳んで襲ってくる蹴りを弾く。防がれた瞬間、ルティの腰が逆回転を始めて左足が地を離れ、そのままカルラちゃんの右側頭部に向かう。
「ってぇ!」
辛くも右腕でガードをしたけどルティの蹴りをまともに喰らってカルラちゃんがふらついた。
ルティは右手で着地すると空中で身体を捻るようにして俯せになり、両足をカルラちゃんのお腹に突き立てる。
「がはっ」
お腹の前で腕をクロスして直撃は避けたけども勢いは殺せずに尻餅をついた。
ルティはすばやく起き上がり一旦下がって距離を置き、スカーレットの髪を振り払った。
「それまで!」
ヴァジェットさんの声が訓練場に木霊する。すると見学していた騎士達からどよめきが起きて静まり返っていた訓練場がざわつき始めた。
「くそっ、なんであの体勢から蹴りが来るんだよ! ったく、まぁ、師匠が認めただけはあるな」
すくっと起き上りながらカルラちゃんが負け惜しみを言ってる。でもちゃんと認めてるみたい。この辺がカルラちゃんの良いところだ。
「3回に1回しか勝てませんでしたけど」
「あの化け物に勝てる方がオカシイんだ!」
困った顔のルティの発言にカルラちゃんが叫びながら頭をガシガシ掻いてる。ふたりは同じ人に師事して武芸を学んでるんだけど、ルティの方が長く学んでるの。
「わしにはふたりの動きがとても人間のものとは思えなんだがのぅ」
陛下が感嘆の声をあげた。あたしもそう思う。
「そうですなぁ。ガルム師のお弟子さん達は素晴らしい」
陛下の隣にいる眼鏡をかけた中年の男性が相槌を打った。この人はガルガンチュア王国の外務大臣のスパーノ・メルカダンテさんだ。黒い髪と温和な顔で優しそうな人柄を装っていつの間にか懐に潜り込んでくる恐ろしい人だと聞いた。
「赤毛の彼女はイシスの侍女で護衛も兼ねてましてな」
「ほほぅ、彼の婚約者のウィザースプーン公爵のイシス嬢ですな!」
スパーノ大臣は人懐っこい笑顔をあたしに向けてきた。彼とはもちろんアサルさんの事だ。
目も笑ってるけど、その奥の青い瞳が怪しく光ってる。この人は怖い人だ。
あたしはにこっと笑顔の演技をする。
「それに対戦した彼女はジーク殿の意中の子を聞きましたぞ。なるほど可愛らしいですな!」
「僕にとっては世界一可愛いんです」
脇にいる眼鏡の青年が目を細めて嬉しそうに答えてる。この青年はジーク・アダルベルトさん。アダルベルト公爵家の次男でガルガンチュア王国に外交官として赴任してる人だ。スパーノ大臣に付き添う形で国に帰って来た。
丸い耳が乗っかった茶色い長い髪をうなじ辺りで縛って纏めてる、大きな丸眼鏡が似合う温和な顔をした虎族の好青年だ。カルラちゃんの事が大好きでお嫁にするって公言して憚らないらしい。
「はは、だから我が国の女性が袖にされてしまったのですな」
「いやぁ、あはは」
プルプル震えて恥ずかしさを我慢してるカルラちゃんを尻目にジークさんが乾いた笑いで誤魔化してる。
こんな事になったのは今朝の陛下からの話があったからだ。
「いきなりで済まぬがイシスよ、アサルと婚約をするのだ」
陛下から命令には驚くしかなかった。聞いた瞬間あたしの耳がおかしくなっちゃったのかと思って耳を手で引っ張った。
アサルさんも表情は動かなかったけど耳がピコンて立ち上がるくらい動揺してる。
「うむ、驚くのは仕方がないのぅ」
陛下がふぅとため息をついた。その時扉がノックされて「ジークです」と声が入り込んでくる。「良いタイミングだ」と陛下が呟き「入れ」と許可を出した。扉がきぃっと開くと眼鏡の彼がにこやかな笑みを浮かべて入って来た。
「御無沙汰しております、陛下」
彼はすっと跪いて礼をした。中々堂に入った動きに見える。
「駐在ご苦労だったな。早速で悪いが説明を頼む」
「はい」
彼はコホンと咳払いをしてくいっと眼鏡のブリッジを上げた。
「まず、アサル殿とイシス嬢の婚約についてですが、あくまで表面上のものです。言ってしまえば偽装です」
彼は腕を後ろにまわしてピシッと姿勢を正した。顔つきも真面目なものになる。温和な雰囲気は消えて、無表情なちょっと冷たい空気を纏った。
「これは3週間後に控えたアダマン帝国のグラディス皇帝来訪への対策です。彼女の狙いはアサル殿の奪取が目的です。正確に申せばその『血統』です」
ジークさんはちらっとアサルさんを見たけど、彼の表情は変わらない。表情筋が働いてないのかもしれない。
「今回連れてくるイヴェット第一皇女を宛がうつもりなんでしょう。彼女は今年成人しましたから婚約ではなく結婚が可能です」
今度はその紫の瞳であたしを見てくる。感情の欠けたような冷たい視線に、あたしの背中にはぞぞっと冷たい何かが走った。
「現在王家に年頃の女性がおらず、わがアダルベルト家とリッベントロップ家は男性だけ。ウィザースプーン家には都合の良いことに年頃の女性でかつ美しいイシス嬢がいます。帝国が皇女を持ち出してくるならば我が国は彼女を対抗策として打ち出さなければ押し切られてしまう可能性が高いんです。本当は結婚が望ましいのですが余りにも時間が無さすぎます」
ジークさんはあたしから陛下に視線をずらし、この案の正当性をアピールする。その問に対して陛下は無言で頷いた。
「まぁ、結婚ではなく婚約であるから後日破棄しても経歴に傷はつかん。国の為の仕事と思ってくれ」
陛下はあたしに向かってすまなそうに眉尻を下げた。
「偽装とは言え仲睦まじくしていて頂けると効果抜群です」
陛下の補足をするようにジークさんが付け加えた。彼の顔は冗談を言っているモノではない。予想しない方向にどんどん話が進んでいくに連れて、あたしの顔も強ばってくる。
「カルラさん、テクラさんには後程説明いたします。彼女達の協力も必要ですから」
空気を読んだザビーネさんからも追い打ちが来る。ルティはニコニコしてるけど、あたしは嬉しいよりも不安の方が強かった。
帝国の第一皇女がアサルさんを奪いにくる。折角笑えるようになってあたしの事を見て貰えるかもしれないのに、アサルさんを奪われたくない。でもあたし、抵抗、出来るかなぁ……
「冗談ではなく国の存亡に関わりかねないのだ。しっかり頼むな」
最後の陛下の言葉は、モヤモヤしてるあたしの頭には入ってこなかった。
「イシス様、ルティ嬢。話があります。少々お時間を宜しいでしょうか」
考え事で固まっていたあたしにアサルさんが声をかけてきた。その顔は無表情ではなく真剣なものだ。あたしとルティは顔を見合わせて頷いた。
あたしにルティ、そしてアサルさんはあたしの部屋に集まって話をすることにした。3人でテーブルについて声が漏れないように顔を寄せ合う。
「先程の話ですが、あそこでは言えなかった事があります」
アサルさんが話を始めた。
「この城には既に帝国の手の者が入り込んでいます。勿論ガルガンチュア王国の手の者もいますが今のところ彼らは無害です」
「……アサル様、本当ですか?」
ルティの確認に彼は無言でゆっくりと頷く。
「正直に言います。イシス様の命が狙われます。私を取り込むのに婚約者であるイシス様が邪魔だからです」
藍色の瞳は真っすぐあたしを見つめ、嘘じゃないって事を伝えてくる。あたしを殺してまで、アサルさんを欲しいっていうの?
「ジーク様の提案は最高ではありません。だた今のところ最善なのです。彼とてこうなる事は理解しています」
動揺であたしの視界は焦点が合わないまま空間を見つめてる。ぼやけた視界の向こう側にアサルさんの顔が見えるけど、藍色の光しか目に入ってこない。
「今日、今から、決して独りではいないでください。必ずルティ嬢か私の傍にいてください。帝国は本気です」
アサルさんの低い声が頭の中に響いてくる。視線をルティの方にずらしても目にはいるのは滲んだ視界だ。
「あたし、殺されちゃうの?」
「させません! そんな事、私がさせません!」
あたしの呟きにルティが首を振って即答した。スカーレットの耳を振り回して否定してくれてる。視界はぼやけたままだけどルティが怒ってくれてるのはよく分かる。
でもあたしって、政略結婚の道具にされて、今度は国の為の道具なの?
「あたしって、なに? 道具、なの?」
目から涙が頬を伝わってテーブルに落ちていく。ぽろぽろと流れ落ちていく。
「お嬢様はお嬢様です! それ以外の何者でもありません!」
ルティがテーブルをバンバン叩いて必死に否定してくれる。
「怖い……」
「……イシス様」
あたしの視界に青い服が入り込んできた。顔を上げれば悲しそうな表情のアサルさんが目に入る。あたしの脇に手が差し込まれ、身体が持ち上げられてぐいっと抱き寄せられた。
「私もお守りいたします。大丈夫です、必ず守り抜きます。これが分かっていたからこその特級護衛対象なんでしょう」
アサルさんはあたしをぎゅっと抱きしめてくれてる。怪我を治して貰ってる時みたいに、身体中が暖かい波に包まれていった。暖かい手があたしの耳を優しく慈しむように撫でられ、あたしを支配してる不安と悲しみが窓に付いた水滴みたいに跡形もなく拭き取られていく。
「あたしを、守って……」
「御意」
あたしはアサルさんの逞しい胸に頭を押し付けた。不安が消え去るまでずっと押し付けてた。
お読みいただきありがとうございます。
イシスがリングアナウンサーみたいな感じになってしまいました。本当の彼女はこのやり取りを見てもこんな観察は出来ません……




