第9話 夜の対決
あれから1週間、あたしはアサルさんに話が出来ないでいる。キーニャさん達の為にも話をしたいのに、拒絶されることが怖くて姿を見ると足が竦む。今日こそはと覚悟を決めても声をかけられずに1日が終わってしまう。そして今日も夕方になってしまった。
「明日ですが、ガルガンチュア王国から来賓があり、晩餐会が執り行われます」
ザビーネさんが食堂にあたし達を集めて今後の予定の説明を始め始めた。いつものモノクルを光らせて厳しい表情だ。
「あたしらも出ろって事か?」
「王妃様の補佐という形でですが」
西の隣国、ガルガンチュア王国から大臣クラスの人物が訪れて重要な会議が行われる事になってる。ただ相手方も何回も我が国を訪れているから、それ程格式張ったものじゃない。多少失敗しても問題になる事はない。
「こちらの方が問題です。3週間後にアダマン帝国の皇帝が来訪される事になりました。かなり急な話です。この為の準備もしなければなりません」
ザビーネさんの目付きと表情はより一層険しくなる。
アダマン帝国の皇帝といえば、女帝グラディス・レイセオンだ。45歳ではあるが、光沢を湛えた黒髪に黄金の瞳を宿した美女で、とても四十路を越えているとは思えない美貌とスタイルの持ち主と知られている。息子の皇太子が25歳になり、そろそろ帝位継承するのでは、との憶測もあるが、噂でしかない。
30歳の時に夫だった前皇帝を病で亡くし、その意志を継いで皇帝になった女傑だ。建国から1000年を超えるアダマン帝国を更に強固にするべく積極的な対外、対内政策を推進し、武帝とも呼ばれてる。
「第一皇女もいらっしゃるとの情報もあります」
一番の末っ子ではあるが唯一の娘が皇女イヴェット・レイセオンだ。あたしと同じ16歳で漸く成人した、母親譲りの黒髪の美少女と噂だ。前皇帝の忘れ形見でもある。
「皇女様が~何をしに~来るのでしょう~?」
テクラちゃんが頭を捻って考えてる。彼女は頭が良く回るから、何か裏があるとか思ったのかもしれない。
「あそこの女帝がただ来るだけとは思えません。特に第一皇女を連れてくるあたり、縁談関係を持ち掛けてくるかも知れません」
「あんまり~良い予感は~しませんね~」
いつもの眠そうな目じゃなくて、目を細め眉間に皺をよせた賢者モードになってる。テクラちゃんがたまに見せる超思考スタイルだ。この時の彼女は怖い。
「望まれない客って訳だな」
カルラちゃんが軽口を叩いて肩を竦めてる。
「西のガルガンチュア王国と東のアダマン帝国の両大国に挟まれた我が国は上手く立ち回る必要があります。今回の目的の分析は該当部署が行っております。私達は粗相無きように振る舞うのです」
ザビーネさんはモノクルに手をかけ、険しい顔を崩さないまま、そう締めくくった。
「ルティ、ちょっと護衛を頼みたいの」
あたしはルティに護衛を頼み、薄暗く人気の無い女官舎の裏手を目指して冷え冷えする廊下を歩いてる。踝まで隠れる厚手のスカートに、セーターをしっかり着込んだ。春が近くなって暖かくはなってきたけど、夜は寒い。足元から忍び込んでくる冷気にぶるっと身震いしながらもひた歩く。
「今夜は行くのですね」
「……うん」
アサルさんが裏で鍛錬してるかなんて分からないけど、とにかく向かうんだ。3つの光の玉は無言であたしの後ろにふわふわ浮かんでる。肩には治癒者の本が入った鞄をぶら下げた。この本も勝手に持ち出してから1週間は経つ。流石にばれてるとは思ってるけど、未だにあたしに対する詰問もお咎めも無い。見逃されてるとは思いたくない。今の内にアサルさんと話をしなくちゃ!
漸く裏手に出る扉が見えた。不安で胸が張り裂けそうだからか、やけに遠く感じる。本の入っている鞄をぎゅっと握って大丈夫、大丈夫だからと心を奮い立たせた。
「鍵が掛かってます」
ルティが灯りを持って調べてくれた。アサルさんが鍛錬してる時は開いてるはずの扉だ。鍵が閉まってるのは、居ないということ。
「外からは微かに物音がしますね」
ルティは長い耳の向きを変えながら音を探ってる。彼女の長い耳は遠くの音も聞けちゃうくらい優れてるの。
「いるのは間違い無さそうね」
一度大きく息を吸ってゆっくり吐く。夜の冷たい空気があたしの頭を冷静にしていく。スカートのポケットから針金を取り出し、鍵が掛かってる扉の前にしゃがみこんだ。
「お嬢様、何を?」
屈み込んでくるルティに「誰にも言わないでね」と釘を刺しておく。カチャカチャと少し弄ればガチャンと音がして鍵は開いた。
「思わぬところで役に立ったわね」
「お、お嬢様!?」
背後にいるルティが困惑の声を上げるのも構わずあたしは扉を開けた。
春が近づいて暖かくなったとはいえ日陰にはまだまだ雪が積もってる。その雪原にぽつんと置かれた小さなランタンに浮かび上がらされ、夜闇に溶け込み、寂しげに立ち尽くす獣の骸骨がいた。剣を携え、銀色の猫じゃらしの様な尻尾をぶら下げ、その窪んだ黒い目であたしを見つめていた。いつものローブは雪の上に無造作に投げられて、その重みでめり込んでいる。
「……鍵を掛けていたのですが」
「開けました」
吐き出される白い息にあたしも白い息で応える。そして胸一杯まで大きく息を吸い込んであたしの中にある不安を混ぜ込んだ白い息を吐き出す。
「少しお話をしませんか?」
あたしは窪んだ目の奥に大事そうに匿われてる藍色の瞳を逃がさない様に、緩やかに口に弧を描かせながら彼に向かって近づいて行った。
「イシス様、私は『死神』なのです。貴女を不幸にしかしません」
「知ってます。でも、アサルさんは『死神』じゃないって事も知ってます」
アサルさんはあたしが傍に辿り着く前に壁を作り始めた。そんなの作らせない。
「分かっていません! 既に3人が犠牲になっているのです!」
「それはユニさん、エレノアさん、キーニャさんですよね? 彼女達はここにいますよ。大好きなアサルさんが心配で、冥府に行けずにさまよっています」
あたしはギュッと雪を踏みしめながら一歩一歩アサルさんとの距離を詰めていく。足元からの冷気が爪先の感覚を奪っていくけど気にしない。
「……何故彼女達の名を?」
アサルさんは身動ぎせずにあたしを見つめてくる。彼の耳は驚きで張り詰めたようにピンと立っていた。
「彼女達はアサルさんを助けて欲しいって、あたしに訴えてくるの」
「彼女達は死にました!」
歩みを止めずに近寄ってくるあたしに警告の言葉が飛んでくる。アサルさんが悲しいのはわかるけど、過去の事はひっくり返らないの。
「死んだのはアサルさんのせいじゃないんです」
「私の力が足りなかったから、彼女達は死んでしまったのです! 死神には剣も、何も効かなかった! 全てが素通りした!」
獣の骸骨からは悲鳴とも取れる悲痛な叫びが漏れてくる。
今まで誰にも話すことなんか無かったんだろうね。アサルさんが、僕だって頑張ったんだって泣いてる子どもに見えた。今、彼は普段は封印してる感情を露わにしてるんだ。
「私は彼女達を守りたかった。だけど出来なかった!」
「アサルさんが悔やむ気持ちは分かります」
肩を震わせてるアサルさんの傍まで後少しの所まで来た。後数歩で彼に触れる事が出来る。
「貴女に、分かる訳が無い! 私がどれだけ苦しんでいるか!」
「あたしにはアサルさんがどれだけ苦しんだかは分かりません!」
あと少し。前に出そうとした右足に何かが絡み付いて引き抜けなくなった。既に身体の重心は移動しちゃって戻れない。左足で踏ん張って堪えようとしたら、ツルッと滑って視界がぐるんと回る。
「え、ウソ!」
「お嬢様!」
襲ってくる衝撃と冷気を覚悟しながら反射的にぎゅっと目を瞑った。でも、顔を襲ってくる筈の雪も氷の刺す痛みもあたしには来なかった。代わりにほっぺは鉄の板みたいに固くて、暖かいモノに押しつけられた。
「ふぇ?」
間抜けな声を上げたあたしの背中にはしっかりと腕が回されて、無様にバランスを崩した身体をがっしりと抱き留められていた。
ふぅ、という安堵のため息が耳に入ってくる。
「……イシス様は良く転びますね」
頭の上から優しく囁くような声が降りてきた。思わずアサルさんの背中に手を回して胸が潰れるくらいきつく抱き付く。
「お転婆は持病だもん」
小さい時には良く登った大きな木みたいに堅い胸板に顔を埋める。トクントクンと早めの心臓の音が伝わってくる。
あたしってアサルさんを助けたいのに、助けられてばっかりだ。でもここは負けられない。
「あたしにはアサルさんが今まで辛い思いをした苦しみはわからないの。だってあたしの知ってるアサルさんは、まだ小さい時に柔らかく微笑んでくれた姿なの。その姿しか知らないの」
抱き付く力を弱めて彼の顔を仰いだ。獣の骸骨の奥にのぞく藍色の瞳と視線が合った。
「だから、あたしに、その苦しみを話して。アサルさんが耐えた苦しみを教えて欲しいの。立ち止まりたいのは分かる。でも立ち止まってても先には進めないの」
あたしは見つめてくる藍色の瞳に必死に訴えた。壁をつくらないで、殻に引きこもらないで。
「叫びたくても声に出来ない想いはあたしが聞くから! 死神に勝つ方法も考えるから!」
叫んでいる内にどんどん気持ちが昂ぶってきて感情が暴走してきた。我慢してるけど、暖かいお湯みたいな涙が眼に溜まっては零れ落ちていく。
「アサルさんはたまたま治癒者に生まれただけなの。何も悪くないの。ユニさんもエレノアさんもキーニャさんも、アサルさんに笑って欲しいだけなの。昔みたいに笑って欲しいの! それだけなの!」
あたしは千々に乱れた感情を制御出来なくて駄々を捏ねてる子どもになってた。それでも止め処なく湧き上がる想いに冷静になれずに、ただアサルさんにしがみついて良く分からない事を口走っていた。
「キーニャさんが泣いてるの。アサルさんが可哀想だって! 小さな女の子みたいにポロポロ涙を流してるの! どうして死んじゃった後でも泣かなきゃいけないの? アサルさんもキーニャさんも可哀想よ! こんなのってないよ、酷いよ!」
あたしは止められない感情をただただアサルさんの胸に頭を押し当てて泣いていた。
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