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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第12話『王妃の微笑』
108/139

(108)【2】消えないもの(3)

(3)

 ユリシスが目を覚ました時、カーテンの向こうは真っ暗だった。

 ソファで寝てしまった事から体のあちこちが重だるく、痛かった。持ち上げた左腕が痺れていて、指先がぎこちなく動く。左半身に体重が乗ってしまっていたみたいだ。

 立ち上がり、左手をプルプル振りながらユリシスは扉の傍へ行き、紺呪石に魔力を注いで、居間の明りをつけた。

 どのくらい寝ていたんだろう。今何時ぐらいだろう。

 首を回すと肩がゴキゴキと音をたてる。

「いたたた……」

 今日はシャリーやネオに挨拶しに行けそうにないな、などぼんやりと考えた。

 水を飲もうと、書斎の前を通って台所へ向かった。――その書斎の扉が、ガチャっと開いた。ぶつかりそうになってユリシスは慌てて下がった。

「ん、おはよう。やっと起きたんだ」

「……お……おはよう……――ちょっと!! ギルの書斎で何してるの!?」

 ユリシスは、半身を部屋に残したままのゼクスの服の袖をグッと掴んだ。廊下に引っ張り出し、勢いよく壁に叩き付けたかったが、ゼクスは細身に見えるくせにガッシリとしていてユリシスの力ではほとんど動かせなかった。結局、ゼクス自らトントントンと足を軽く前に出して部屋から出てきた。

 留守を守るのが自分の役目のはずなのにと、ユリシスはカッとなってゼクスをさらにドンと押した。

「ひ、人の家、勝手に……!」

「ん?」

「……何してたの!?」

「見た事もないような魔術書があったから、目を通してただけだよ。ごめん」

 あっさりと謝るゼクスに、ユリシスは少なからず拍子抜けした。そもそも自分の甘さにも非がある。彼ばかりを責められはしない。

「……いいけど。別に」

「うん、じゃあ、出かけようか」

「は?」

「本当は昨日行きたかった所があるんだ。今から出かけようか」

「え? 今から?」

「うん。さっ、さ、行こう行こう」

 そう言ってゼクスはユリシスの腕を取ると玄関へズイズイと歩き出した。ユリシスは足を半ば引きずられついて行くはめになってしまった。

 ――喉、渇いてるのに。お腹なんて物凄く空いてるのに……。

 ちょっぴり泣きそうになるユリシスだった。



 邸の外へ連れ出され、ユリシスはなんとか手を振り解いて鍵だけはちゃんとかけた。

 袖の皺を、嫌味に見えてしまう事も承知でばしばしと伸ばした。

 ゼクスにはこういった動作は無意味なのはわかった上だ。むしろ、だからこそ、ユリシスは自分を落ち着かせる為にこの仕草をした。

「行こう行こう、早く行こう」

 外は真っ暗で、ところどころに紺呪灯の光が道を照らしていた。家々の明りは消えているように思えた。

 ――……何時間寝てたんだろう……ゼクスもやたらと急かすなぁ。

 ゼクスはユリシスの手を再び取り、空いた手でささっと術を描き、宙空へ舞い上がる。

「わっわ……」

 ユリシスは慌てて両手でゼクスの腕にしがみ付いた。

 急の事で慌ててしまったのだ。ユリシスの足元にも力の流れがあるのでしがみ付く必要はなく、ゼクスに触れられる程度の距離にいれば十分だったのだが。

 ユリシスは悔しさ半分恥ずかしさ半分に、自分で術を描けばよかったと思った。

 ゼクスは西へ向けて飛んだ。



 虫や梟の声が夜風に混じる。涼やかに、時に凪いで空気はキンと鳴る。

 王都を出て辿り着いたのは、星と月の明かりだけが頼りの平原。前方の森は黒い塊に見えた。

 ゼクスが降り立ったのは、ユリシスにも見覚えのある場所だった。

 何度か訪れた西の洞……。

 ここであった事をひとつひとつ思い出してゆくには、まだ傷が深い気がした。洞の入り口にしても、中の暗い道にしても、その奥の豪華な装飾のあった部屋にしても。

 沢山の事があって、結局、ギルバートの事を思い出す……。

 それでも今、深く考え込まずにいられるのはノースウェルの言葉を思い出せるからかもしれない。

『彼を思い出すと笑っているところしか思い出せない』

 確かに、ふっと脳裏に浮かぶのは笑顔で、今でも頭を撫でてくれた時の手の感触は鮮明に蘇る。

 ユリシスは声にはせず「だいじょうぶ」と空気を口から吐き出した。すると、口元に笑みが浮かんだ。おまじないのように。

 ユリシスには不思議で仕方なかったが……理由もわからなかったが、今はそれでもいいと思った。

 洞の前でゼクスが魔術の明りをポッと灯した。

 鞘ごと腰から引き抜いた剣の柄の先端に光が宿り、前方を強く照らす。その灯りを掲げる為、剣は逆手に持っている。

「ちゃんと着いて来てね」

 ゼクスはそう前置きして先を歩いた。

 すぐ前、足元、すべてが真っ黒に染まり見通せない。

 ゼクスの手元の灯りだけが頼りだった。

 薄暗くて、ユリシスはゴツゴツした岩肌に何度も足を取られそうになってよろめいた。

 しばらくして、ゼクスが足を止めた。ユリススもその場で待った。

 ゼクスは左手に灯りを持ち、右手で魔術を描いていく。

 ふぅっと力が集まって沸きあがり、ゼクスの指先に魔力の光が灯る。

 ギルバートやアルフィードは魔力を集めるのが早く、また二種の術を同時に操っていた。一方、ゼクスの集める魔力は格段に濃い。

 ゆったりと集めた青白い光でゼクスはサラサラッと術を描いた。そのルーン文字は細くて小さい。それも当然で、術に対して必要な魔力量をその大きさでも満たしているからだ。文字は小さくてもそれぞれに乗っている魔力濃度が高いから、十分な力を含んでいる。

 こういう速さもあるのかとユリシスは感心した。

 そうして、小さな光の玉が生まれた。

 ――いや、見間違いだ。

 壁にゼクスが小さな丸い穴を開けたのだ。

 穴の向こう、壁の奥から漏れる強烈な灯りが光の玉に見えた。

 この壁の向こうに、以前――ユリシスの点けた久呪石の灯りが輝く部屋が……エナ姫と遭遇し、誰かに爆撃されて崩れかけた部屋がある。

 ギルバートと訪れたものの硬く閉ざされていた壁に――魔術の扉が作られ、開けられたわけだ。

 あの時は、確か……室内の剥がれ落ちた壁にルーン文字らしき傷が見えた気がして、確かめに来た。

 思い出してしまうと、その傷が何だったのか気になった。

 ――天井の絵の天使も……「神の遣い」も……何だろうって、そう思ったんだ。

「なに?」

 いつに間にか人一人通れるほどの大きさになった丸い光の穴へ先に頭を突っ込みかけていたゼクスが言った。

「え?」

「ため息してたけど。ここ嫌?」

「え……う、ううん。そういうわけじゃなくて……」

 曖昧にぶつぶつ言いながら、ユリシスもゼクスの空けた穴を潜った。

 我知らず、溜め息を吐いていたらしい。

 ――……確かめに来ようと思っていた疑問なんて、今までずっと忘れていた。

 その事実に気付いて……溜め息がこぼれてしまった。

 あの頃からすると、状況がずいぶんと変わったような気がしたのだ。、

「……ん」

 ユリシスはそのフロアのあまりの眩しさに呻いた。一瞬、目を背け、細めた。

 先に室内に入っていたゼクスは、たいまつ代わりにしていた剣をもう腰に佩いているようだ。

 目が、昼と変わらぬ明るさのその空間に慣れた頃……。

 ゼクスがフロアの中央で床に対して何かしら魔術を描いているのが見えた。

 術が完成した頃、二、三度フロアの明かりが瞬き、点滅後、ついには完全に消えてしまう。

「……え……」

 折角明るい状態に慣れたと思ったのに、またすぐに暗くなってしまっては……。

 ユリシスはまたしっとりと濡れたような濃い闇の中に置いてけぼりにされたような感覚に陥る。頼りは、ゼクスが再び腰から引き抜いている剣の鞘に灯る魔術の光。まだ灯りを点したままだったようだ。

 ゼクスの傍に駆け寄ると、今度は彼の足元の床に黒い小さな丸が生まれ――一気に大きくなると、それは真っ暗で底の見えない穴となって口を開いた。

「えっ……うそっ」

 立っていた床にこもった音を立てて開いた穴に、ユリシスはゼクスに抱き込まれ、吸い込まれるように落下を始めた。

 穴、闇の入り口の直径は、成人の肩幅より少し広い程度だった。

 ゼクスと穴に落ちるのはこれで二回目だ。

 足を下にして落下していたが、すぐにゼクスの次の魔術に包まれる。足下に滑り込んできた風の魔術に二人は乗っかって、ゆっくりと降下していった。その時にはゼクスもユリシスを離していた。

 ゼクスは「少し長い間飛ぶことになるよ」と言った。

 暗すぎて、上下左右の感覚もわからないまま十分あまりが過ぎた頃――。

 ゼクスの着地する音で地面に辿り着いた事がわかった。ユリシス自身の足もザリッと砂を踏んだ。硬く、平らな地面の上に細かい砂利が薄く散らばっているような感じの地面だ。

「ついてきて」

 それからしばらく、やはり灯りはゼクスの手元の剣の柄だけで、闇の中を進んだ。

 ボーッとただ1点の灯りだけを見て歩いていると少しふらふらする。

 ――……どこへ、行くんだろう……。

 ユリシスは他人事のようにぼんやりと考え、喉に手を当てた。ひどく喉が乾いている。空腹はピークを過ぎていて、全身を軽いだるさが覆っている。独特の気持ち悪さがある。

 しばらく歩いて、ゼクスは足を止め、剣を腰に戻した。

 ユリシスは顔を上げ、後ろからゼクスの横顔を見た。彼の周囲で精霊達がざわついている。

 少し、大きな術を描く気なのだ。

 ゼクスの指先に青白い光が集まっていく。濃い色で魔力が溜まると、ルーンを描き始めた。

 線は指の早い動きに細くなる。軌跡が浮かび上がる。

 ユリシスは目を見開いて前のめりにその小さなルーン文字に近づく。すぐに気付いた。

 ――古代ルーン魔術だ。

 魔術の青白い軌跡が唯一の灯り。それは少しずつ広がりを見せる。

 ここが部屋だとわかった。

 人が五十人ほど入っても十分ゆとりがありそうな広さ。天井はとても高いようで見えない。ゼクスが魔術を描いている対象である壁が鮮明に浮き上がり始める。

 壁、ではなかった。

 巨大な扉だ。

 でかい丸い盆がそこに貼り付けられているだけのようにも見えるが、目を凝らせばビッシリと古代ルーン魔術の封印の記述が読める。

 ――これを、解く気?

 次の瞬間、魔力波動がゼクスの足下がらどんと押し出された。

 気合の風圧、気配。ゼクスが一気に魔力を解き放って術を起動する。

 ゼクスを中心に爆風のようなものが感じられた。実際には風など起こってはいないが、魔力の流れで圧されるのだ。

 四方八方の壁が一気に光を放つ。あまりのまぶしさにユリシスは両腕で顔を覆った。

「……ユリシス、ユリシス。目を開けて」

 ゼクスの声にユリシスはゆっくりと両手を開いた。顔をしかめ、片目ずつ開くと、正面にゼクスがこちらを向いて微笑を浮かべて立っていた。

 辺りは、夜明けの光がすべて差し込んで来ているのではないかと思うほど、眩かった。壁からも天井からも床からも光が溢れ出ている。

 ゼクスの後ろの、例の丸い扉は、変化が無かった。

 だが、力を感じる……見た目には何も変わったところはないのだが、巨大な扉の内側で変化がある。脈動でもはじめたかのように思われた。

 ゼクスはこの扉――何らかの設備を、起動したのだろうか。

 左右を見渡す。

 周りが光ったのは、あちこちに久呪石が埋め込まれている為だ。まさか天井や床にまで久呪石が仕込まれていたとは思わなかった。

 床はキッチリと四角く成型された白い石が敷き詰められていた。白い石には点々と煌く輝きがある。久呪石を混ぜた粘土でも固めた石なのだろう。

 ゼクスはこれらの久呪石に魔力を注ぎ、室内を眩く照らしたようだ。同時に、正面の扉の古代ルーン魔術にも何らかの干渉をしたらしいが。

 建築様式のあれやこれやまでなんてユリシスにはわからなかった。が、ここへ降りてくる前の、以前ユリシスが久呪石に光を灯したフロアに似ている気がした。

 壁に装飾を施すなんて事のまずない庶民的な生活を営んでいたユリシスからすれば、十分贅を尽くして見える。柱がただの円柱ではなく、幾筋も線が入ってあちこちに細かい彫刻のデコレーションが見える。別世界のようでもある。

「さ、ここからはユリシスの出番だよ。ほら」

 そう言ってゼクスは一歩避け、ユリシスを巨大な丸い盆のような扉へ誘った。

 扉は直径でユリシスの背の五倍はある。この巨大な扉には、床や壁に施された久呪石や柱を飾っている装飾が一切ない。

 遠目で見るとのっぺりと黒い。こういう印象のものを他にも見た事がある。

 ――……魔封環だ。

 扉に近づいて右手を伸ばす。表面には、びっしりと古代ルーン文字が刻まれていた。

 知らずにユリシスは舌なめずりをしていた。そっと手を下ろしてゼクスを振り返る。

「どうすればいいの?」

「それを開けてくれたら完璧」

 ゼクスは扉を指差して微笑って言った。

「これを……?」

 ユリシスは再び壁を埋め尽くす巨大な丸い扉を仰ぎ、見回した。小さく息を吐き出して、再びゼクスの方を向いた。

「これ……すごい大変だと思う……」

 その言葉に対し、ゼクスは小さく頷いた。

「構わないよ。多少時間かかっても……出来そうにないって言われなかっただけでも、俺嬉しいね」

「…………」

 現代ルーン魔術ならばまず出来ない。

 扉にびっしりと描かれているのは古代ルーン魔術の……ギルバートが囚われていた塔の屋上にあったルーンを思わせる。複雑な記述や文様が立て続けに並んでいる。

 二割は解呪に伴うルーンのようで、先ほどゼクスが解いてしまったらしい。

 残り八割をユリシスが起動すればいいようだが、この古代ルーン魔術の構造は複雑怪奇極まりない。

 ユリシスが扉から五歩ほど下がり、両足を肩幅に広げて術を描き始めようとした時――。

「――それで?」

 肩の上まで上げていたユリシスの右腕はピクリと動いて止まった。

 ギクリとして、心臓が高鳴った。粗野でハスキー、なおかつ凄みのある、しかし若い男の声。

「そいつを起動して何が起こるかわかっているのか」

「まさかこの地下に他の人が入って来れているとは思ってなかったなぁ……」

 ゼクスはゆらりと入り口の方に体を向けた。

「邪魔だけは、しないでくれるかな?」

 ゼクスの声は普段とは違って随分と棘を含んでいるように聞こえた。

 ザザッと地を鳴らす音が聞こえた。

 臨戦態勢を取ったのかもしれない。

 ユリシスは振り返る事が出来なかった。

「邪魔……? いいね。めいっぱいしてやろう」

 不敵な笑みを含む声。

 ユリシスは何度か瞬きをしてから、そっと振り返る。

 入り口に、眩い光の向こうに、眦に濃い赤の刺青を入れた長身の男が立っていた。既に、両足を大きく開き、両腕を下げて術を描く態勢に入っている。

「……アルフィード」

 ユリシスは、強い罪悪感――いや、羞恥と呼ぶべきか、自分自身でも判別不可能な感情に胸が痛くてたまらなくなっていた。最初にあのハスキーな声が届いた時……あの言葉を聞いた瞬間から――。

 眉間に深い皺を寄せ、ユリシスはアルフィードから目を逸らした。

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