63.黒竜
翌日、結論から言います。
大丈夫じゃなかった。ぜんっぜん、余裕で大丈夫じゃなかったです。
「おまえたち、我の山で何をしているんだ。あちこちでドッカンドッカンしやがって」
黒竜って意外と口が悪かった。2回目のループで出会ったときは、いきなり戦いになったから知らなかった。
前日のキャンプを出て、私たちが黒竜の住処まで辿り着いたのがついさっきのこと。私の肩から降りたリルが『ごぉー』って吠えると、空が暗くなり、稲妻とともに黒竜が現れたのだった。
真っ黒な鱗に、ギラギラと赤く光る眼。私の記憶にあった以上に大きな体と、自在に動く翼。
『こくりゅう、ひさしぶり!』
「おまえ……フェンリルか? どうしたんだ、その格好は」
『いいでしょ? きにいってる』
「それでも……神の力をもつ神獣か、おまえは」
構造的になかなか表情を読み取りにくいはずの黒竜がドン引きしているのがわかる。そして、リルの後ろにいる私たちを舐めるように見回した後の、さっきのセリフだった。こわい。
アオイは勇者リクの後ろに隠れてガタガタと震えている。ちなみにリクの脚もがたがたで、頼りないことこの上ない。
王国騎士団は離れた場所に退避している。ここまでの私たちの消耗を防ぐための護衛だったのだから当然だった。
とりあえず、リルにお願いしてみる。
「リル、その格好だと話にならなそうだわ。元の大きさに戻って」
『えー。きにいってるんだけどなぁ』
リルはしぶしぶ、ぴょんと飛び上がりぐるんと一回転した。一瞬で大きなフェンリルの姿になる。私よりもずっと大きくて『せなかにのる?』って聞いてくれたけれど、今は遠慮しておく。
すると、こちらを睨み続けていた黒竜が口を開いた。
「……おまえ、聖女だな」
「はい」
「ニーナはどうした」
ニーナ?
『はじまりのせいじょのなまえだよ。そっか、そういうなまえだったかも。ひさしぶりにおもいだせた』
そういえば、出会ったばかりのころリルは『主がいなくなると名前を忘れる』と言っていた。黒竜は私がリルと一緒なのにはじまりの聖女ではないから怒っているのだと思う。
「ニーナではなくその聖女と一緒なのはなぜだ、フェンリル」
『ニーナはもうしんじゃったんだよ。ずっとまえにね。あれからずいぶんじかんがたって、ぼくはセレスティアによばれたんだ』
「……人間はすぐに死ぬな」
いつか、エイムズ伯爵家のライムちゃんが言っていたみたいなことを黒竜も言う。外見は怖いけれどどこか寂しそうに見える。
「ここまで……あなたが住む山を荒らしてきてしまったことは事実です。申し訳ございません」
「ああ、その通りだ」
私の謝罪に、黒竜は鼻をふんと鳴らす。足元の草がぶわっと揺れる。
「我は確かに腹を立てている。だが、お前を攻撃することはない。安心しろ」
「どうしてですか?」
「自分より強い者を攻撃することはない。当然のことだ」
「え」
「セレスティア、と言ったな。お前は我よりも強い」
わざわざ重ねる黒竜に、私は首を傾げた。え、だって、そんなはず……ない? 2回目のループでここに来たとき、出会った瞬間にアオイの前髪が焦げて、いろいろ戦って、私は黒竜が最後に放った炎に焼かれて死んだような。勇者リクも一緒だったのに。
……どういうこと?
「あの。黒竜さんが攻撃するのはどんな相手なのですか……?」
「我は賢い。簡単に勝てる相手しか攻撃しない――つまり、ほとんどの生き物は攻撃するな」
な、なるほど。
「ただ、人間はしつこいし大量に殺しても面倒だ。そこのフェンリルのように幼体化して隠れやり過ごすこともある。人間は、倒したと思わせないと次から次へとやってきてこの山々を燃やすからな」
意外と人道的?なとこ、ある……?
でも、つまり。今の話をふまえると、過去のループで黒竜に打ち勝ってきた勇者たちの存在はなに……?
ぽかんとした私の考えを察したように、黒竜はさらに続けた。
「お前たちのような人間は、倒したと見せかけて追い返す。そしてまた昼寝をする。それだけのことだ」
「あの。私たちのことも追い返すのでしょうか……?」
『えっ……あそばないの……?』
リルはショックを受けている。ちょっと違うけれど、かわいい。それを見た黒竜は、徐にこうべを垂れた。――私に向かって。
「強き者には従う、それまでのこと。遊ぼうと言うなら遊んでやってもいいが」
「ええと、持ち帰って検討します」
主に、後ろのほうで震えているリクとアオイに。黒竜とフェンリルとはじまりの聖女の遊びなんて、なんだかものすごそうな予感しかしない。
これならリルが言っていた通り話し合いで穏便に済ませられそう。次に眠るまでずっとこの山にいてください、ってお願いすれば何とかなりそうでほっとする。
黒竜の話はまだ終わらなかった。
「お前は力だけではなく聖女としてもそれなりの資質を持っているようだな」
「聖女としてそれなりの資質、でしょうか」
「ここに辿り着くまでに、お前の供が焼き尽くした大地に命を与えている。まぁ、そこは評価してやってもいい。特別に、今我に見えたものを教えてやろう」
黒竜は、私が道中で『豊穣の聖女』の力を使ってきたことを知っているのだろう。あらゆるものを見通す力。黒竜の目。さすが、伝説の存在だった。そして、次の言葉が告げられる。
「――聖女。お前の人生はこれで何回目だ?」
ギラギラとした赤い瞳に、私は息を呑んだ。





