◇◆七話 害虫対策とお誘い◆◇
――さて、先日の炎牛宮での事件から、数日後。
「んしょ、んしょ」
小恋は、今日も下女として雑用の仕事に呼ばれていた。
ちなみに、本日の仕事場も炎牛宮。
その宮内の調理場にいる。
「しかし、よく働くわね……」
「……ええ」
「凄い体力……」
小麦粉の詰まった袋を肩に担ぎ運ぶ小恋を遠目に見て、宮女達がひそひそと話している。
今回の仕事は、調理場の中の掃除。
テキパキとした動きで、厨房の調理道具や食材なんかの整理をしている。
「なんだか楽しそうね」
するとそこで、調理場に一人の女性がやって来た。
その人物の登場に、小恋の仕事っぷりを遠巻きに野次馬していた宮女達が慌てふためく。
「金華妃様!」
豪奢な衣装を着て、亜麻色の髪を結い上げている。
気品のある美貌を損なわない、自然な化粧。
紅を引いた口元。
豊満な肉付きの体。
どこか、儚い雰囲気を覚える。
(……あの人が……炎牛宮の妃、金華妃様)
当たり前の話だが、州を代表する妃なのだ。
美人に決まっている。
「わざわざ、このような場所に……もうご気分の方はよろしいのですか?」
「ええ、心配をかけたわね」
彼女にとっては、ここ最近ショックな事件が多かったはずだ。
自身の宮内で頻発する、原因不明の怪死事件。
その事件の容疑者として、直属の配下である副宮女長が捕まったのだ。
心労もかなりのものだろう。
「ありがとう。確かにショックは受けたけど、ひとまず事件が解決したとなれば安心だわ」
そう、健気な笑みを湛える金華妃は、続いて視線を小恋の方へと向ける。
「あなたが、下女の小恋ね。噂は聞いているわ」
……それは、良い意味の噂だろうか、悪い意味の噂だろうか。
身構える小恋に対し、金華妃は慈愛に溢れた笑みを浮かべた。
「先日から、この炎牛宮で色々と仕事をこなしてくれているそうね、ありがとう」
よかった――良い噂の方だった。
小恋は胸を撫で下ろす。
しかし、わざわざ下女に挨拶に来るなんて、良い人だ。
「今日は、何をしているの?」
「はい、厨房の掃除、整理整頓……」
会話をしつつも、小恋はしっかり手も動かす。
「それと、害虫対策を」
「害虫?」
「はい、あ、それです」
そこで、小恋が金華妃の背後の壁を指さす。
必然、女官達も含め、皆の視線がそちらに向けられた。
厨房の白い壁の上に、黒い塊がいる。
楕円状の体に、左右に揺れる二本の触覚。
壁に張り付く細長い足。
そう、厨房につきものの害虫――ゴキブリである。
「き……きゃああああ!」
その虫の姿を見るや否や、悲鳴を上げる宮女と妃達。
彼女達の絶叫に反応し、ゴキブリが寒気のする動きで壁を這い上がり逃げようとする。
瞬間、小恋が跳躍。
床を蹴り抜き、金華妃の頭上を軽々と飛び越え――。
「ハイっ!」
スパーン! と。
片手に持っていた雑巾で、壁のゴキブリを思い切り叩いた。
そしてそのまま、ささっと迅速に丸めて見えなくする。
小恋の華麗な手腕に、宮女達の間から「おお!」とどよめきが起きる。
体捌きは山での生活と、父との遊びの中で培った。
華麗な動きは、母が時々見せてくれた舞を見て教わったものだ。
「度胸があるわね」
「あたしなんて、あの虫を見ただけで体が震えて動けなくなっちゃう……」
ゴキブリを瞬殺した小恋に、宮女達は感心している。
「見慣れちゃえばどうってことないですよ。とは言え、厨房にゴキブリはつきものだし、どこからでも湧いてきますからね」
そこで、小恋は調理台の下あたりに潜ると、何やらごそごそとし出した。
「何を探してるの?」
金華妃がしゃがみ込み、小恋に問う。
「実は先日、別件でこちらの宮に仕事に来た時、ついでに仕掛けておいた害虫対策用のトラップがありまして……あ、あった」
そこで小恋が取り出したのは、ツボだった。
宮廷内の倉庫から見付けてきた代物だ。
口の小さいツボの中に砂糖水なんかを入れておき、更に口の周辺に油を塗っておく。
そうやって簡単に作った、害虫トラップである。
「あくまでも簡易的なものですけど、ゴキブリの数が多いと嫌でもトラップにかかるものも多くなる……おお!」
そこで、小恋は感動したようにツボの中身を見せる。
「ほら、こんなに捕れてますよ! 気持ちが良いですね!」
ツボの中には、どっさりひしめくゴキブリ達が――。
無論、それを見て、金華妃と宮女達は意識を失い、その場に倒れてしまった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「よし、今日のお仕事も終わり!」
一日の作業を終え、報告書にサインももらい、小恋は帰路に着いていた。
炎牛宮を出て、下女の宿舎へと向かう。
その途中だった。
「よう、小恋」
「あ、爆雷、久しぶり」
小恋は、爆雷に遭遇した。
「警邏の仕事中?」
「いや、俺の番は今終わったところだ」
あれから今日まで、《退魔士》の仕事の方には呼ばれていない。
小恋が爆雷と会うのは、久しぶりだ。
そこで爆雷は、小恋を見て「そうだ」と呟いた。
「小恋、いいところで会ったな。今から衛兵の訓練施設で、模擬試合の鍛錬があるんだ。かなりの数の衛兵達も集まってる」
「うん?」
それが、どうしたのだろうか?
首を傾げる小恋に――。
「どうだ。お前も来ないか?」
「……ううん?」
そう、爆雷は当たり前のように誘ってきた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
爆雷に連れられた小恋は、後宮を出て、王城敷地内のある場所へと連れて来られた。
訪れたのは、武官の施設の一つ。
全体的に粗暴で不潔な雰囲気が漂う、正に男達の場所と言った感じだ。
後宮とは正反対である。
「へぇ……おお」
衛兵の扱う武器や、様々な鍛錬器具がそこかしこに見当たる。
それらを目の当たりにし、小恋はちょっと懐かしい気分になった。
父が語り、教えてくれた武器なんかも目に留まったからだ。
やがて、爆雷と共に到着したのは訓練場。
中からは、男達の気合の入った雄叫びや、何かがぶつかり合う音が響いてくる。
爆雷が扉を開けると、中には既に、多くの衛兵達が集まっており、予想通り組手の訓練を行っていた。
「何やってたんだ、爆雷! もう鍛錬は始まってるぞ!」
「こちとら仕事帰りだ、大目に見ろ!」
衛兵の一人が、やって来た爆雷を凄い剣幕で叱責するが、爆雷も負けずに食って掛かる。
本当に血気に逸るな、このゴリラ君は――と、小恋は隣で思う。
一方、訓練場内の衛兵達――強面で筋骨隆々の男達は、物珍しそうに小恋の方をじろじろと見てくる。
「ん? そいつは何だ?」
爆雷の前までやって来た衛兵も、小恋に気付き小首を傾げる。
「後宮の下女だ」
「何故下女が……掃除でもさせるのか?」
「違う、訓練に参加させる」
真面目な顔で言った爆雷に、相手の衛兵はぽかんと呆けた顔になる。
「下女だが中々の手練れだ。面白いと思ってな」
瞬間――訓練場内に爆笑が響き渡った。
皆が声を上げて笑っている。
「ああん? 何がおかしい」
「いや、そりゃそうでしょうよ」
訝る爆雷に対し、小恋は冷静に呟く。
武官の特訓に下女を呼び込むなんて、冗談にしても酷い話だ。
というか、本気で参加させる気だったんだ。
見学程度だと思ってたけど。
「おい、下女、すまんな」
目元を擦り、小恋達の前に立っていた衛兵は、自身の頭を突きながら言う。
「こいつはどうにも、こっちの方が少し足らない」
「あん? どういう意味だ」
「はい、存じてます」
「お前もどういう意味だ」
殺気立つ爆雷を宥めながら、小恋は――。
「でも、別にいいですよ、参加しても」
そう言った瞬間、場内のざわつきが止んだ。
男達が、胡乱な眼差しを小恋に向けている。
「私も、仕事以外の運動も久しぶりなので」
「おいおい、本気か?」
腕をグイグイ引っ張って、ストレッチを始めた小恋に、嘲笑交じりに衛兵は言う。
「場合によっちゃあ怪我じゃすまないぜ、お嬢ちゃん」
「はい、大丈夫です」
こちとら山生まれの山育ち。
擦り傷切り傷程度、日常茶飯事だ。
今更恐れるようなものじゃない。
「はぁ……おい、爆雷、お前が連れて来たんだから、お前が責任もって止め――」
まったく気後れしていない小恋に、衛兵も面倒臭くなったのだろう。
会話の矛先を、爆雷に切り替えた――その時だった。
「いいぜ、俺が相手になってやる」
訓練場の中央に、一人の男が進み出て来た。
剃髪に髭を生やした、見るからに厳つい巨漢だ。
「おい、丸牙」
「武官の世界ってものがどれだけ厳しいか、教えてやる」




