◇◆五話 飛頭蛮(ひとうばん)◆◇
飛頭蛮。
妖魔の一種である。
飛頭蛮は、普段は人間の姿をした妖魔で、夜の間だけ首を独立して飛ばすことができる。
そして、人間に噛み付き、傷口から生命力を奪う力を持つ。
……そう、小恋はかつて父から教わった。
「飛頭蛮……か」
竹藪の中に隠れながら、小恋はそれを爆雷に説明する。
爆雷は頭上を見上げながら、忌々し気に眉間に皺を寄せた。
ちなみに、子パンダは大人しく小恋の傍らでお座りしている。
「……そうか」
そこで、何かに気付いたのか、爆雷が呟いた。
「何か、思い出したんですか?」
「死んだ宮女達の死因だ。首筋に噛まれたような跡があって、体の血が減ってたんだとよ」
きっと、飛頭蛮に吸われていたのだ。
此度の事件の犯人が確定した。
「追うぞ。ボコボコにぶちのめす」
「捕まえる、ですよね」
ふわふわと、夜空をどこかへと浮遊していく飛頭蛮を、気配を殺しながら追う二人。
しばらくすると、飛頭蛮の動きが停止した。
「……止まりました」
「ん?」
飛頭蛮は、何かを見付けたかのように下方を見下ろしている。
見ると、小恋達が潜む庭先から見える軒下の廊下を、一人の宮女が歩いていた。
厠に向かう途中だろうか?
「まさか……」
小恋が思うと、同時だった。
飛頭蛮が、鳶のように急降下した。
速い。
向かう先は真っ直ぐ、あの宮女だ。
「襲う気です!」
「まずい!」
爆雷が叫び、駆け出そうとする。
しかし、タイミングは手遅れだった。
宮女の元まで、そこそこの距離がある。
飛頭蛮が到達する方が、確実に先だ。
「え」
飛来してくる飛頭蛮に、宮女も気付く。
しかし、牙を剥き、食らい付かんとしてくるそれに気づいた時には、時既に遅し。
悲鳴を上げる事すら叶わない――。
「爆雷さん! 伏せて!」
その時だった。
小恋が動いた。
自身の服の下から、何か棒のようなものを抜き出す。
いや、ただの棒ではない――三日月のように曲がった形で、端と端の間に絃が結わえられている。
「お前、それ――」
爆雷も度肝を抜かれる。
それは、弓。
小恋が隠し持っていたのは、小弓だった。
夕方、仕事を終えてから爆雷と合流するまでの間に、後宮の倉庫で色々な道具を品定めしていた。
そこで見付けた素材で作った、簡単な弓だ。
同じく拵えた――真っ直ぐな木の棒の先に石の鏃を括り付け、反対側に羽を取り付けた矢を番え、瞬く間に照準を合わせ。
放つ。
ピィィィ――と、風を切りながら、矢は一瞬で飛頭蛮に到達。
「!」
その頭頂部を、矢が掠める。
直撃はしなかったが、回避した飛頭蛮は必然、宮女から離れる形となった。
最悪は阻止できた、ようだ。
「お前……弓なんて持ってたのか」
しかも、良い腕だ――と、爆雷は呟く。
小恋は、父から様々な武器の使い方を教えてもらった(父は、遊びと言っていたが)。
剣や槍でも戦えるが、父から教えてもらった技術の中では、一番得意で重宝していたのが、弓だった。
なにせ、獲物を仕留めるのに一番効率的だから。
「山で狩りをしていたから、得意なんです」
小恋は弓に矢を番え直しながら、廊下の先を見る。
飛頭蛮は宮女への襲撃を諦め、どこかへと飛んでいく。
逃げる気だ。
「追いますよ!」
「お、おう!」
小恋と爆雷は走り出す。
途中、腰を抜かして怯えている宮女には、部屋に戻れとだけ指示し、二人は飛頭蛮を追いかける。
その飛行する様子は、どこかぎこちない。
小恋の矢の攻撃が、少なからずダメージを与えているようだ。
「奴め、どこに行く気だ?」
飛頭蛮を屋根の外ではなく、後宮の中に追い込んだのは正解だったようだ。
外に逃げられたら、どこかへと飛んで行ってしまう。
しかし、建物の中なら、飛ぶ高さ、方向は限られる。
そう簡単には見失わない。
「こっちです!」
飛頭蛮を追跡し、二人はしばらく走る。
すると、やがて二人の前方に、荘厳で重々しい金属製の扉が見えてきた。
「あそこは……」
「宝物庫だ」
芸術好きの金華妃のコレクションが収められている宝物庫――と、爆雷が解説する。
見上げると、巨大な扉の上方に換気のための小窓が開いている。
飛頭蛮が、その小窓から宝物庫の中へと侵入したのが見えた。
「チィっ!」
二人は、宝物庫の扉の前で立ち止まることを余儀なくされる。
扉はでかい、しかも鋼鉄製。
極太の閂が通され、鍵が掛けられている。
厳重な警備態勢だ。
「どうしよう、鍵がないと開けられないみたいですけど……」
流石にこれは、小恋もお手上げだ。
と、思っていたら。
「どいてろ」
爆雷が小恋を脇に退け、扉の閂を両手で掴む。
「はい? あの――」
「ぐぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
猛獣のような雄叫びを轟かせ、爆雷は閂に力を籠める。
すると、メギメギと音を立てて閂が折れ曲がり――。
「ガアアアッ!」
そして、引き千切れた。
「ふぅ……よし、後で直させりゃいいだろ」
「ええ……」
小恋もドン引きである。
と言うか、どういう怪力?
「爆雷さんはゴリラですか?」
「あん? ゴリラってなんだ?」
「異国にそういう動物がいるって、昔父さんが。凄まじい筋力を持ってて、大抵のことは暴力で解決できる馬鹿力生物だと」
「ああ!? ふざけんな、誰がゴリラだ!」
「いやでも、森の賢者って呼ばれるほど頭の良い生き物だとも言っていたような」
「そうか、悪くないかもな、ゴリラ」
単純だな、この人。
とにもかくにも、鋼鉄の扉が開けられる。
しかし、宝物庫の中は静寂に満たされていた。
生き物の気配がしない。
「消えた……いや、どこかに潜んでるのか?」
「いいえ、撒かれたのだと思います」
宝物庫の天井近くには、換気用の小窓がいくつかある。
おそらく、飛頭蛮はこの宝物庫に入り、既に別の小窓から出ていった後だろう。
「クソっ! 遂に実行犯を見付けたってのに、逃げられたのか!」
「待ってください、爆雷さん」
そこで、既に小恋は気配の探知に入っていた。
爆雷が閂を破壊してくれたおかげで、宝物庫に入るまでの時間はそこまでかかっていない。
どこかに逃げたとしても、まだ距離は離れていないはず。
「ここで消えたように見せかけて、もしくは気配を殺して隠れているように見せかけて、宝物庫の外に逃げているとするなら……」
瞬間――小恋の肌が、妖魔の気配を感知する。
「爆雷さん! 私をあの小窓に向かって投げてください!」
「ああ!?」
「早く! あっちの方向から、気配がするんです!」
この一瞬の間にも、飛頭蛮は夜空を飛んでいく。
四の五の言っている暇はない。
爆雷も承諾し、小恋の体を担ぎ上げると――。
「どっ、せい!」
天井に向かって投げる。
しかし、本当に凄まじい馬鹿力。
父さんと、どっちの方が上かな? ――などと考えている間に、小恋は指定した小窓の近くまでジャンプ。
窓の縁に飛びつき、体を乗り出す。
狙い通り、ギリギリ体勢は整えられる。
そして、小窓の向こうには、どこかへと逃げていく途中の飛頭蛮の姿が見えた!
そこからの小恋の動作は完璧だった。
弓を構え、矢を番え、双眸が刹那にして対象に照準を合わせ――。
「獲った」
弓が戦慄く。
放たれた矢が、飛蛮頭に命中を果たす。
「ぎゃ」と小さな悲鳴が聞こえ、飛頭蛮の頭部が落ちていくのが見えた。
「爆雷さん! 飛頭蛮を仕留めました!」
「おお!」
「飛び降りるので受け止めてください!」
「おい!?」
窓の縁から飛び降りる小恋を、爆雷が慌ててキャッチする。
「お前……そこらの男より度胸の塊だな」
「この程度でビビってたら、山で一人暮らしなんてできませんよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
落下地点へ向かうと、そこには頭部が一つ転がっていた。
飛頭蛮だ。
小恋の撃った矢は、その顔に深い傷を負わせていた。
まぁ、最初から命中させるつもりはなかったが。
「遂に捕まえたぞ」
爆雷が、飛頭蛮の頭を、両手でがっちりと掴む。
飛頭蛮は、長い髪で顔を覆っている。
それにより、こうして接近するまで表情等が全く見えなかった。
「どうする、小恋。内侍府長のところまで持ってくか?」
「待ってください」
爆雷に問われた小恋は、呼吸を荒げている飛頭蛮に言う。
「飛頭蛮は、夜が明ける前に必ず本体の肉体に戻らないといけないんです。さもなければ死んでしまうから」
「………」
「何が目的で、宮女を襲っていたの? 教えて。さもないと、体のところには帰さない」
「……ぐ――」
そこで、小恋にとっても爆雷にとっても、想定外の事が起こった。
がくり、と、飛頭蛮の頭部が、力が抜けたかのように下を向く。
「お、おい」
爆雷が何事かと頭を上に向けさせると、飛頭蛮の口から血が流れ落ちた。
「こいつ、まさか!」
「……舌を噛み切って、自害した」
小恋は呟く。
「な……くそっ! こいつの目的は、一体なんだったんだ!?」
「………」
悔しそうに地面を殴る爆雷と、動かなくなった飛頭蛮。
この飛頭蛮は、一体どこから来たのか?
そして、何故宮女を襲っていたのか?
「……別の妃の陰謀とかじゃ、ないですか?」
刹那、彼女の脳は、その可能性を口に出していた。
「……なに?」
「私の母は、かつて後宮で暮らしていたそうです」
記憶の中、幼い頃、母が語っていた話を思い出す。
後宮内では、妃達が皇帝の寵愛を奪い合っている。
今考えたら、年端もいかない娘になんてことを話していたんだろうと思うが……その天然さが、あの人の人柄だった。
「この後宮には現在、十二の州から選び抜かれた十二人の妃がいると聞いてます……まぁ、その内一名は、現在私がぶっ飛ばして放逐されましたが。代表の妃が皇帝の子を身籠れば、その州は大きな力を持つはずです」
「……だから、妃が他の妃の暗殺を狙っていた?」
母も言っていたが、それは別に珍しい事じゃない。
他の競争相手の足を引っ張り、引きずり落とすのも、立派な計略の内だ。
と、小恋は想起する。
「チッ……せめて、こいつの本体があるところがわかれば」
そこに、この飛頭蛮の仲間や、何かの手掛かりがあるかもしれない。
爆雷の言いたいことは、小恋にもわかる。
しかし、宮廷は広大だ。
捜索はほとんど不可能に近いだろう。
そもそも、宮廷の中にいるのかもわからないし……。
「……あれ?」
そこで小恋が、地面に横を向いた状態で置かれている、飛頭蛮の後頭部を見て、何かに気付く。
「……爆雷さん、もしかしたら、わかるかもしれません」
「……なに?」
「この飛頭蛮の、体がある場所」




