◇◆二十七話 白銀◆◇
「な……」
呂壬は絶句する。
目前で起こっている現象の意味が、理解できない。
自身が取り出した、呪文の書き込まれた小刀。
《清浄ノ時》の幹部である高位の邪法師より授かってきた、邪法の施された、竜王妃の力を呼び覚ます最後の呼び水になる道具。
その発動を邪魔し、自らが盾となった小恋の体に、それは突き立てられ――そして、吸い込まれた。
直後、彼女の体に異変が起きる。
髪と目が白銀に染まり、まるで呆けたかのように、虚空を眺めて停止している。
しかし……。
「ぐ……」
呂壬は、変貌した小恋を前に、生唾を飲み込む。
感じる。
眼前の小娘から発せられる、その強大な力を。
絶大な圧力を。
なんだ?
自分は、何を呼び覚ましてしまったんだ?
まさか、この娘も、《天竜》の力を持っていた?
いや、違う。
そんなわけがあるか。
ならば、この威圧感は、この肌に突き刺さるような恐怖感は。
この娘の中には、竜王妃の《天竜》に並ぶ、何か、強大な力が眠っていた?
この娘も、異形の血族?
止まること無く溢れる疑問、疑念、混乱する脳。
それを自覚し、呂壬は首を振るって思考に冷静さを取り戻そうとする。
今重要なのは、この状況の把握だ。
眼前の小娘――小恋は、覚醒の影響なのか、意識がハッキリしていないようで、身動き一つ起こさない。
ただ黙って、その白銀の瞳で、虚空を眺め停止している。
この小娘の正体はわからないが、対処するならば今の内だ。
命が危うい。
身の危険を感じ取っていた呂壬の行動は、単純で明快だった。
彼は懐に手を伸ばし、そこから攻撃用の札を取り出そうとする。
小恋を、手早く始末するために。
竜王妃をそうしようとしたように、操ろうとも考えたが、それに不安が勝った。
殺そう。
そう、逡巡も無く呂壬は考えた。
――そんな彼の思考を感知したかのように、小恋が呂壬に視線を向けた。
白銀の瞳が、虚無のような瞳が、呂壬を見据える。
ぞくり――と、呂壬の背筋が凍り付いた。
そして気付けば、小恋は呂壬の眼前まで接近を果たしていた。
「なっ――」
速い――どころの騒ぎでは無い。
呂壬は彼女の初動に対し、何一つリアクションを起こす事ができなかった。
その間にも、小恋は動く。
彼女の手から光が発生し、次の瞬間握られていたのは、太い光の矢。
小恋の《退魔術》――《風水針盤》の、妖力で作った、相手の妖力を打ち抜く矢。
だが従来のそれよりも太く――矢と言うよりも、槍に近い形状をしていた。
「ぐ、ぉぉおおおおおお!」
危機感を覚えた呂壬は、雄叫びを上げ、即座に自身の《邪法術》を発動し透明な壁を生み出そうとする。
「《邪法術》――《虚空回廊》!」
防御のため、障壁にしようと。
が、小恋の動きはそれよりも俊敏だった。
彼女は手にした光の槍を、躊躇無く、呂壬の胴体に突き刺した。
「がはっ――」
体をくの字に曲げ、悲鳴を上げる呂壬。
瞬間、彼の体から妖力が引きずり出され、消し去られる感覚。
「い、今のは……」
いや違う。
呂壬がその時覚えた感覚は、少し違う。
消し去られたのではない。まるで、突き立てられた槍を通して妖力を吸い取られたような……。
妖力を“食われた”。
そう感じた。
そして、それを証明する現象は、直後に起きた。
小恋が呂壬に手を翳す。
刹那、彼女の手の平の先から生み出された“透明な直方体”が、恐ろしい勢いで放たれ、呂壬の胸部に叩き込まれた。
呂壬の《邪法術》であるはずの力が、使用されたのだ。
「あ、ばっ――」
呂壬の体が吹き飛ぶ。
まるで水切りの小石のように、湖の湖面を何度かバウンドした後、彼の体は向こう岸の石壁に激突を果たす。
ここからでは直接確かめる術は無いが、言うまでも無く、気絶しているだろう。
激突の衝撃で、体の至る箇所がひしゃげているのが見えた。
一瞬、瞬く間、まるで蠅を払うかのように。
小恋は、呂壬を撃退した。
「お、おい……」
そんな小恋に、立ち上がった爆雷が声を掛ける。
先程呂壬から受けた攻撃のダメージは、まだ引いていない。
しかし懸命に肉体を酷使し、爆雷は小恋の安否を気遣う。
『………』
そんな爆雷を、小恋は振り返る。
依然、空虚な白銀の瞳を携え。
まるで、次の獲物を見付けたかのように、爆雷へと近付いてくる。
ダメだ。
相手が自分だと認識していない。
暴走状態だ。
早足で迫る小恋に対し、爆雷は息を呑む。
「……小恋」
が、その時だった。
竜王妃が目覚めた。
立ち上がり、彼女は小恋の前に立ちはだかる。
竜王妃を目前にし、小恋は、足を止めた。
「……戦いは、もう終わったのか?」
竜王妃も、今し方意識を取り戻したところだ。
足取りはふらふら。
おそらく、呂壬達に無理やり昏倒させられていたのだろう。
意識が混濁しているのかもしれない。
それでも、現状を読み取ろうとしている。
「……ありがとう、小恋」
吹き飛んだ呂壬、近くに倒れている《清浄ノ時》の構成員達。
それらを見回し、竜王妃は自分の身に起きたこと。
そして、小恋が自分の為に何をしてくれたのか、わかったのだろう。
「我を、助けてくれて」
『………』
「後宮へ帰ろう」
汚れ一つ無い眼で、竜王妃は小恋を見詰め、そう言った。
――その時だった。
彼女の言葉を聞いた小恋の身に、変化が起きた。
『竜王妃様……』
白銀の瞳が、明滅する。
纏っていた圧力のようなものが、納まった。
「うおおおおおおおお!」
その隙を逃さぬように、爆雷が動く。
密かに小恋の背後へ回り込んでいた彼は、後ろから小恋を抱き締める。
そして、思い切り、全身全霊で力を込めた。
彼女の体を、力任せに締め上げる。
『あ……』
「目ぇ覚ませ、小恋!」
爆雷の怪力により、無抵抗で締め上げられ、流石の小恋も抵抗する暇も無く――気絶する。
力が抜け、その場に倒れる小恋。
「気絶した、のか?」
「力業だが、なんとか暴走は収まったようだな」
心配そうな竜王妃と、息を荒げる爆雷。
二人は、突っ伏した小恋を見守る。
やがて――。
「う……」
倒れていた小恋が、微かに声を発し、頭を上げた。
「爆……雷?」
「……正気に戻ったか」
「あれ、呂壬達は……?」
爆雷は、湖の向こう側を指さす。
そこに、豆粒ほどではあるが、石壁にめり込んだ呂壬の姿が見えた。
「……えーっと……何があったの?」
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