◇◆二十五話 呂壬の野望◆◇
「竜王妃様を、覚醒させる?」
「本当はもっと念入りに準備を整えてから計画を実行したかったが、竜王妃が皇帝と仲睦まじくなり、いつ後宮へと帰るかわからなくなってしまったからな。急ごしらえの強行的な計画となってしまったが、致し方が無い。早急に事を進めた」
背後で、他の《清浄ノ時》の構成員達と爆雷が戦闘を交えている。
そんな中、小恋は、呂壬と会話を交えながら、互いの出方を探り合っていた。
「まさか……以前、幻竜宮に忍び込んだ占い師も……」
「ほう、察しが良いな」
小恋の呟きに、呂壬は返す。
「竜王妃が、本来なら外の人間が出入り不可な後宮に気に入った人間を招き入れていると、我々《清浄ノ時》は知った。その竜王妃を利用して、《邪法士》や妖魔を潜入させる作戦が密かに考えられていたのだ。加え、その潜伏作戦を利用し、竜王妃の中の《竜の血》を覚醒させ利用するという計画が、副次的に生まれた」
「………」
しかし、派遣した偽占い師――《邪法師》は失敗した。
小恋達に阻止されたのだ。
「そうか……」
あの夜、あの占い師に扮した《邪法師》がやろうとしていたのは、竜王妃を覚醒させるという、その儀式の準備だったのか。
「そこで、今回、竜王妃が私の潜伏している幻竜州へと帰省するという流れになったと知り、私はこの好機を利用することにした」
里帰りした竜王妃の隙を窺い、密かに後宮で行われるはずだった竜王妃覚醒の計画を踏襲し、決行に出た――というわけだ。
「彼女の中の《天竜》の力を目覚めさせれば、枷を失った強大な力が暴れ出す。それは天災の去来に等しい」
「なるほど。その力を利用して、宮廷を大混乱に陥れてやろう。そういう魂胆だったってわけだ」
「ああ、“本来の計画”なら、な」
そこで、呂壬がほくそ笑む。
「だが、私の場合は違う」
「?」
そこで、だった。
小恋の背後から、爆雷の上げた苦悶の声が聞こえてきた。
「おしゃべりの時間が長かったな。その間に、お前の仲間の処理は終わったようだぞ」
「爆雷!」
振り返る小恋。
見ると、爆雷に対し、《清浄ノ時》の構成員達が手をかざし、呪文を唱えている。
爆雷は、何か上からとてつもない圧力を掛けられ、それに抗うかのように、その場で踏ん張っている。
つまり、身動きを封じられている状態だ。
「ぐっ、くそっ! なんだ、こりゃあ!?」
必死に抵抗し、重力の檻から脱出しようとしている爆雷。
しかし、その姿を見て、呂壬は苦笑する。
「無駄だ。この地底湖の中には、私の計画を遂行するために既に様々な準備が施されている。万が一、お前達のような邪魔者が現れた際に、そうやって押さえつけるための術もな」
見ると、地底湖の壁や地面……あちこちに、呪文の書かれた札が貼られ光を発している。
「そうか……」
昨夜、竜王妃とこの地底湖に来た時、小恋は何かの気配を感じた。
あれは、この呂壬か、もしくはその仲間が、計画の準備に潜んでいた気配だったのだ。
「そいつらは単独では《邪法術》も使えない、才の乏しい者達だ。だが、集まり力を集中させれば、これくらいの術は使える」
そう言う呂壬へと、すぐさま小恋は飛びかかる。
先手必勝。
余裕か、自身の功績を誇りたいのか、のんびりと喋り続ける呂壬の虚を衝くように。
しかし――。
「うっ!」
呂壬に接触する直前、小恋の体が空中で、見えない何かに激突した。
「な!?」
そのまま地面に落下する小恋。
更に、地に伏したところを、呂壬の蹴りが襲ってくる。
「っ!」
即座に防御するが、蹴りの直撃を受け、体が吹っ飛ばされる。
地面を転がり、爆雷の近くに――瞬間、上空から圧力が襲ってきた。
爆雷と小恋は、仲良く地面に伏せさせられ、身動きを封じられる。
「邪魔をするな。そこで大人しく、私の計画が達成される瞬間を見ているがいい」
そう言うと、呂壬は竜王妃の体を抱え、湖に一歩踏み出す。
すると、呂壬の体が湖の上に浮いた。
……いや、違う。
呂壬の足は、湖の少し上を歩いて行く。
まるでそこに、見えない足場があるかのように。
(……おそらく、あれが呂壬の《邪法術》)
小恋の矢が空中で弾かれたのも、先程呂壬の眼前で見えない壁にぶつかったのも、これだ。
――呂壬は、見えない透明な板のようなものを召喚する力を持つ。
今も、それを使って透明な橋を作り、湖の上を渡っているのだ。
小恋がそう考えている内に、気付けば、竜王妃と呂壬は湖の真ん中へと到達していた。
湖の畔から、かなりの距離がある。
「既に準備は整えている。無粋な者に邪魔されず、安全に、迅速に秘術を行えるように」
そこに立ち、呂壬は再び、仰々しく語り出した。
「街中で騒ぎを起こしているのは《清浄ノ時》の構成員だが、連中は所詮捨て駒。大半の注意をそちらに引きつけるための、な。そうとも知らず、州公も、大半の兵達も、私への注意を怠りそちらに向かってしまった」
高らかと、まるで自身を称えるかのように。
相当プライドが高いのか。
自分の功績を誇りたくてしかたがないのかもしれない。
「そして、私の計画が、以前まで進められていた計画と違う点は……竜王妃の中に眠る《天竜》の力を本格的に目覚めさせ、強大な力を纏う手駒とし……そして、私は、この娘を邪法にて操り、私の人形にするのだ」
「……人形」
もしそんなことになれば……こんな、不愉快なことは無い。
竜王妃が、《清浄ノ時》の、国の転覆と支配を狙うテロリスト達の、体の良い兵器にされてしまうなんて。
しかし、そんな小恋の怒りを余所に、呂壬は秘術を開始する。
唱えられる呪文。
すると、湖の各所に張られた札が、次々に光を発していく。
あらかじめ準備された邪法の力が、竜王妃の体に作用していっているのがわかる。
更に、呂壬は懐から数枚の札を取り出す。
これまた、呪文の書かれた札だ。
それらの札を順番に、竜王妃の体へと貼っていく。
一枚一枚、竜王妃の体に溶け込んでいく邪法の札。
それに伴い、徐々に、彼女の中からとてつもない力が湧き出てきているのに気付く。
呂壬の計画は、着々と進んでいく。
「くっ……」
助けたい。
彼女の元へ、向かいたい。
しかし、構成員達の術によって押さえつけられ、小恋は動けない。
「くそ……」
爆雷も同様。
どうすることもできない。
このままじゃ……。
「……あ」
そこで、小恋は気付いた。
光を放つ特殊な苔に照らされ、湖底まで見ることのできる湖。
その湖の中を、高速で進む――高速で“泳ぐ”何かがいる。
「あれは……」
小恋には、その正体がわかった。
ここに来て、少し前から気配も姿も消していた“彼女”。
(……そうか、そこにいたんだ)
彼女は湖の中を、まるで魚のような速度で泳ぎ進み――。
そして瞬く間、湖の中央に立っていた呂壬達の元まで到達すると、勢いよく湖面から飛び上がった。
「なに!?」
いきなり出現した予想外の来訪者に、呂壬も驚きの声を上げる。
「姫様を――返しなさい!」
その人物とは、美魚だった。
ただし、姿が少し違う。
彼女の下半身――腰から下が、まるで魚のようになっているのだ。
鱗に覆われた先には、尾ひれ。
まさしく、“人魚”。
彼女は驚愕する呂壬を尻目に、竜王妃の体をかすめ取り、再び湖に着水する。
「よし!」
小恋も、思わず叫ぶ。
美魚がやってくれた。
しかし、彼女の体の変質には、特に驚いていない。
小恋は昨夜、この地底湖で、彼女の正体を竜王妃から聞かされており、知っていたのだ。
美魚は人間ではない。
種族の名は――鮫人。
半人半魚の、妖魔だ。
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