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◇◆二十話 地底湖◆◇


 宴もたけなわではあるが――小恋(シャオリャン)は宴会を抜け出し、竜王妃の屋敷へと向かった。

 幻竜州公のお屋敷の敷地内にある、本邸に比べれば小さいが、それでも立派な邸宅――ここが、竜王妃個人の屋敷だ。

 そこで働く使用人に部屋を聞き、竜王妃の寝室へ向かう。


「竜王妃様、失礼しまーす……」


 恐る恐る扉を開けると、横になっている竜王妃の姿が見えた。

 竜王妃の寝室は広く、後宮の幻竜宮に負けないくらいの豪奢な部屋だった。


「……小恋か」


 寝転がった姿勢で振り返る竜王妃。

 竜王妃以外の、お付きや下働きの人間が控えていないか室内を見回すが、そのような人影は見当たらない。


美魚(メイユー)さんは、今はいないのですね」

「……一人になりたいと言ったからな」


 言いながら、寝台の上で体を起こす竜王妃。


「宴会は、抜け出してきて良かったのか?」

「ええ、州公のお相手は爆雷(バオレイ)に任せてきました」


 言って、小恋は続けて。


「それよりも、竜王妃様が心配だったので」

「……心配?」


 その小恋の含みのある発言に、竜王妃は黙り込む。


「竜王妃様こそ、大丈夫ですか?」

「大丈夫? 我がか?」


 小恋の心配に、首を傾ける竜王妃。

 心配される――という行為そのものを不思議がっているような感じだ。


「はい、先日から、元気が無いように思えます」

「………」


 そこで、竜王妃は少しの間、押し黙り――。


「……すまなかったな」


 そう、謝罪の言葉を続けた。


(竜王妃様が謝った……)


 と、別の意味で内心驚く小恋。


「我の里帰りに連れて行きたいなどと、わがままを言って。小恋には小恋の、後宮での仕事があるのにな」

「………」


 ……やはり、おかしい。

 小恋は、眉を顰める。

 元気が無い以前に、あの竜王妃がこんなに慎ましいなんて(失礼かもしれないけど)。


「皇帝陛下も、心配していました」

「………」

「心配で心配で、今回の里帰りにも黙って潜入していたみたいです。本当、変な人ですよね。一国の皇帝陛下のクセに」

「………」

「竜王妃様、暇なら私がいつでも組み手の相手になりますよ」


 竜王妃を元気づけるため、小恋は明るい声でそう言う。

 竜王妃は視線を伏せ、黙ったまま瞑目し……しばらくの後。


「……小恋、ちょっと良いか」


 寝台の上から足を下ろし、立ち上がりながら、小恋の前へとやって来た。


「はい、なんです?」

「一緒に、来て欲しいところがある」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 竜王妃に誘われ、小恋と彼女は、幻竜州公の屋敷の敷地内をどこかへと向かっていた。

 広々とした庭を抜け、どんどん突き進んでいく。

 大分、本邸からも、竜王妃の屋敷からも離れていく。

 どこに向かっているのだろう?


「ここだ」


 やがて辿り着いたのは、屋敷の敷地内の一角。

 目前には、巨大な岩が聳え立っている。

 いや、ただの岩山では無い。


「……洞穴?」


 その岩の下方には穴が空いており、奥の方に空間があることを示すように、くぐもった音が風に乗って聞こえてくる。


「そう、洞穴だ。付いてこい」


 竜王妃は、その入り口へと躊躇すること無く入る。

 仕方なし、小恋もそれに続く。

 真っ暗な洞穴を、小恋は先行する竜王妃の気配を頼りに進んでいく。

 どうやら洞穴は下方へと続いているようで、地下へと潜って行っているのがわかる。

 暗闇の中を、足下に注意しながら、右へ左へ、下へ下へ――そして、そこそこ歩き進んだところでだった。


「到着だ」


 先を行く竜王妃がそう呟いた。

 途端、狭い壁に覆われていた道が終わり、更に闇が晴れる。


「わぁ……」


 広大な空間が広がっていた。

 鍾乳洞……というやつだろうか?

 天井からツララ状の尖った岩が伸びている。

 そして小恋の眼前には、巨大な湖が広がっていた。

 地底湖だ。

 不思議な場所である。

 その地底湖の水そのものが碧色に光っており、その明かりで空間が照らし出されているのだ。

 まるで、昼間のように明るい。


「ここは……」

「《天竜》を祀る地下湖だ」


 目を瞠る小恋に、竜王妃が説明する。


「水が光っているのではなく、水の中の特殊な苔が光っているのだそうだ」

「はえー、ヒカリゴケってやつですかね」


 昔、父から教わった知識を思い出しながら、小恋は言う。

 そこで、竜王妃は湖の縁に腰を下ろし「ふぅ……」と溜息を吐く。

 小恋も黙って、彼女の横に座った。


「小恋……我は、このまま後宮を出ようかと考えている」

「え……」


 竜王妃の口走った、いきなりの爆弾発言。

 小恋もたまらず驚く。


「もしかして、後宮がつまらなくなっちゃいました?」

「……いや、そういう意味では無い」


 竜王妃は子供のように膝を抱える。


「あのまま我が妃の一人としていても、皇帝にとって……いや、多くの者にとって迷惑なのだろう」


 そんな竜王妃の発言に、小恋は再び驚く。

 彼女は、ちゃんと宮廷のことを考えていたのだ。


「でも、このまま竜王妃様が後宮を去れば、幻竜州と宮廷との仲は更に悪化するんじゃ。皇帝陛下も、それは望まないはずです」

「………」

「……それに、竜王妃様は、あまりこの幻竜州にも居たくないのではないですか?」


 小恋の言葉に、竜王妃はハッと顔を上げた。

 そして、「……流石、お見通しだな」と、苦笑する。


「どうして、そう思った?」

「幻竜州公……お父上や、あまりこの土地の人達と、仲が良さそうに見えなかったので」

「……小恋、聞いてくれるか」


 そこで、竜王妃は自身の出生を語り出した。


「我は、この幻竜州で生まれ、幼かった頃、よく男児に混じって遊んでいた。体を動かすのが好きだったからな」


 それは、よくわかっている。

 後宮での彼女の趣味や趣向を見ていれば、当然。


「男友達と、よく冒険したり、運動をしたり、木登りしたり、野生の狼の群れと喧嘩したりして遊んだ。この地底湖にも、密かに入り込んだりしてな」

「遊びの範疇を越えてるものもある気がしますが……ちなみに、その友達っていうのは……」

「普通の民の子供だ。屋敷の中では、我は州公の子ということで特別扱いされていたが、よく屋敷を抜け出して民の友達と遊んでいた。対等な友達だと思っていた」


 だが……。


「そんなある日、我の中の《竜の血》が目覚めた」

「………」

「《竜の血族》の血の力を最も色濃く受け継ぐ一族、それが、我の一族。目覚めた力は、この体に恐ろしい膂力をもたらす」


 ふと、小恋がそこで思い浮かべたのは、爆雷の馬鹿力。

 もしかして、《竜の血族》の力とは……退魔術の才能の一種なのでは……。


「友達と遊んでいる時だった。この地底湖の存在を教わり、秘密基地のように気に入って、頻繁に訪れていたのも悪かったのかもしれない……我は、目覚めた力に気付かず、友達の一人に大怪我を負わせてしまった。力の加減がわからなかったのだ」

「………」

「幻竜州の民は、その肉体が戦闘に特化した民族。その中でも、我に目覚めた《竜の血族》の力は、歴代の中でもずば抜けているそうだ。同じ幻竜州の民でも、比類無きほどに」

「………」

「だが我は、そんなことよりも友達に怪我をさせてしまったことを後悔した。そんな我の後悔などお構いなしに、父上も、親類も、皆が我の力が目覚めたことに喜び、持て囃し、更に特別扱いするようになった」

「その、友達は?」

「二度と会いには行かなかった。合わせる顔も無かった」

「………」

「正直、嬉しくもなんともない。うんざりした。我はただ、友達と鬼ごっこや冒険をしていたいだけだった」


 それは、竜王妃が初めて語ってくれた、彼女の胸の内。

 特別な才能を持ち、軽々と他者を傷付けてしまう力を持ち。

 誰にも理解されないと、本心を奥底へと隠してしまった、彼女の本音。


「特別扱いをされて育ち、この州から出たくて、後宮へと入る事を望んだ。誰も反対はしなかった。逃げ出してやって来た後宮も、最初の内は退屈だった」


 だが――と、竜王妃は、小恋の顔を見る。


「そこで、我は美魚と出会い、そして、お前とも出会った」

「………」

「美魚も面白かったが、お前は一層、我の心を強く動かした」


 グッと、竜王妃が体を寄せる。


「小恋、我と共に後宮を去って、ここで我と美魚と一緒に過ごさぬか?」


 真剣な眼差しで、彼女は言う。


「我には、お前が必要だ」

「………」


 これは、竜王妃の心からの発言だ。

 弱り切った彼女の、ある意味、助けを求めるような声だ。


「……それは」


 だが、小恋は言い切る。


「それは、できません」


 小恋は後宮で生きると決めた。

 最初は、ちょっとした好奇心からだった。

 しかし今は、仕事にやりがいを見付け、爆雷や烏風、楓花妃、雨雨、それに皇帝陛下――親しい、守りたい人達もできた。

 後宮を離れることはできない。


「……そうか」


 自分と同じくらい真剣な目の小恋に、竜王妃はそれだけ返す。

 きっと彼女自身、そう断られることはわかっていたのだろう。

 それでも、落ち込んでいるように見える。


「……でも」


 そんな彼女に、小恋は続ける。


「竜王妃様が後宮に戻ってくれるなら、私は時々一緒に遊ぶ、対等な友達でいられますよ」


 その小恋の発言に、竜王妃は思わず言葉を失う。


「……そうだな」


 微笑する小恋の顔を見て、やがて、彼女も笑みをこぼした。


「そういえば、竜王妃様。私、気になることがあるんですけど、美魚さんって……」

「ああ、お前には説明していなかったな。実は奴は――」


 和やかな空気になり、竜王妃と小恋は、仲の良い友達同士のように会話をする。


「……ん?」


 そこで、だった。

 小恋が不意に、その場で振り返る。


「どうした?」

「……いえ」


 視線の先には、無骨な石壁や、乱雑に点在する岩があるだけ。

 ……何か、気配を察知した気がしたのだが。


「……気のせい、かな?」



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