◇◆十七話 幻竜州◆◇
「わー……こんな風景、初めて見たかも」
揺れる馬車の中から、窓の外を見る小恋。
そこには、広大な高原が広がっている。
今までの人生、山と後宮でしか暮らしていない小恋にとっては、当然馴染みのない風景だ。
「あ、見てください、竜王妃様。なんだか見たことのない鳥が飛んでますよ」
「ちょっと、はしゃがないでよ! 車が揺れるじゃない!」
小恋は、振り返って一緒の馬車に乗る竜王妃に話を振ろうとした。
しかし、その前に、同じく同席している美魚に叱られてしまったが。
「それに、姫様は今、お疲れなの! お体を休まれてるんだから、あんたも大人しくしてなさい!」
彼女の言う通り、竜王妃は豪奢な飾り付けの馬車の中で、横になってうたた寝している。
疲れている……というよりも、退屈そうである。
(……うーん……)
小恋は思う。
最近、竜王妃はなんだか、元気が無いように見える。
少なくとも小恋と一緒に過ごしている間に見られたような笑顔が、最近では見られない。
傲岸不遜で豪放磊落な彼女だが、やはり、今の自分が置かれている状況に対し、少なからず気がかりがあるのかもしれない。
(……この里帰りで、ちょっとは元気になってくれればいいけど)
そう――里帰り。
小恋は現在、竜王妃の故郷――幻竜州へと向かう馬車の中にいる。
竜王妃の里帰りに同行しているのだ。
先日の、後宮への侵入者騒ぎのせいもあり、彼女の存在は現在、宮廷内でも問題視が強まっている。
炎上中なのである。
その騒動の沈静化の為もあり、竜王妃を一旦、後宮から遠ざけた方が良いという判断が下され、彼女は里帰りと称して幻竜州に帰ることになったのだ。
で、その里帰りに、小恋も一緒に来い、と、竜王妃が聞かなかったらしい。
というのが、今小恋がここにいる理由だ。
「……爆雷は……あ、いたいた」
窓の外から後方に続く兵士達の列を見る。
その中に、周囲に目を光らせながら、何かを食べている爆雷の姿を発見した。
衛兵の携帯食か、それとも、どこかの村を通る際に何か買ったのか。
「あ! 何かおいしそうなもの食べてる! 爆雷のクセにずるい!」
「騒がないでって言ってるでしょ!」
今回の里帰りが決定し、出発の日の朝。
宮廷に、幻竜州から迎えの者達がやってきていた。
幻竜州公の家臣達に、兵士達である。
そこに、宮廷の武官達も加わって、竜王妃を守る兵団を形成。
長い旅路を、彼女を守りながら進行する形になったのである。
で、その宮廷から送られる武官には、爆雷も参加する事になった。
後宮の妖魔に関連する守護は、ひとまず烏風に任せ、小恋と爆雷は竜王妃の側にいることにしたのだ。
先日の、幻竜宮での事件もそうだが、それ以前の《四凶》の一件……。
竜王妃には、何らかの思惑が狙いを向けている気がするのである。
「……ん?」
そこで、馬車が停車する。
連動して、後ろに続く兵士達も進行を止めた。
「ここら辺で休憩のようね」
美魚が、横になっている竜王妃に囁きかける。
「姫様、何かお飲み物か、食べ物を用意させましょうか?」
「要らぬ」
竜王妃は寝転がったまま、蓮っ葉にそう答えた。
一方、小恋は馬車の外へ出ると、大きく背伸びをする。
「ん~~~~……」
晴れ渡った蒼穹。
風が駆け抜ける草原。
その真ん中を突っ切る街道を、小恋達は進んでいるようだ。
ここはどこら辺だろう?
皇都のある鍼馬州は出たと思われるので、とすると、もう幻竜州に入っているのだろうか。
「飲むかい?」
そう考えていた小恋に、そこで、横から竹筒が渡された。
水の入った水筒だ。
「あ、いただきます」
ちょうど、喉も渇いていたところだ。
小恋は水筒を受け取ると、栓を抜いて口に含む。
「……ん?」
と、そこで気付く。
今、自分に水筒を渡してくれたのは、誰だろう。
……何やら、聞き覚えのある声だった。
……いや、まさか、あの人がここにいるはずが……。
思いながら、首を回す。
そこに、兵士の格好をして、皇帝が立っていた。
「……っっ! こ、皇帝陛下!」
思わず水を吹き出す小恋。
宮廷の衛兵の姿に変装しているが、その顔を見ればわかる。
銀色の髪と目をした、異国人のような人物。
紛れもない、皇帝だった。
「なにしてるんですか!」
「内緒で付いて来させてもらったんだ。大丈夫、知っているのは一部の禁軍兵と側近だけだから」
「いや、宮廷の重役の人達は知ってるんですか?」
「きっと今頃、私の側近達が説得してくれているよ」
皇帝は屈託の無い笑みを湛えて言う。
……今頃、宮廷中大騒ぎになってなきゃ良いけど……。
『ぱんだ~!』
その足下では、パンダの雨雨がコロコロと転がって遊んでいる。
(……ちゃっかり雨雨もいるし……)
「陛下……ご自身の立場とかわかってるんですか?」
「心配してくれるのかい。嬉しいよ」
皇帝は軽快に笑う。
しかし直後、真剣な眼差しになった。
「でも、直接幻竜州の州公に会うためには、こうでもしないと叶わない」
「幻竜州の、州公?」
「ああ」
幻竜州公――つまり、竜王妃の父親。
「現幻竜州公は、色々と豪快で気難しい人物なんだ。私も、皇帝に即位してから今まで一度も会ったことが無い」
「………」
そういえば、先日も内侍府長の水が言っていたような気がする。
幻竜州は横暴である――と。
「竜王妃が里帰りするこの機会に、直接顔を合わせて話をしたい。幻竜州と宮廷との間で停滞している問題の解決や、今後の事。公共事業の相談……そして何より、竜王妃の事も」
「………」
やはり彼は皇帝として、国の事も、そして自身の妃の事も、本気で考えているようだ。
その為の、今回の行動なのだろう。
(……うーん、大変だ)
仕事が増えた。
何が何でも守らないといけない人が、二人に――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――その後も、竜王妃の行列は街道を進む。
幾つもの農村や畑を通過し……やがて。
「あ、見えてきた」
馬車の窓の外に、大きな城壁に囲われた都市が見えてきた。
あそこが、幻竜州の中心都市。
幻竜州公の住まう場所だ。
「………ん?」
そこで、小恋は気付く。
何か……おかしい。
城壁に近付くに連れ、前方を行く兵士達の間からざわめきが起こり始めている。
そして、都市内に入るための大門の手前まで達したところで、行列が停止する。
「………すいません、ちょっと」
小恋は馬車のドアを開け、外に出る。
見ると、門の前に、立ち塞がるようにして何人もの兵士達が並んでいる。
その格好は、竜王妃を迎えに来た幻竜州の兵士達と同じ格好……。
つまり彼等も、幻竜州の兵なのだろう。
「何をしている! そこをどけ!」
互いの軍勢が、至近距離まで迫ったところで。
行列の先頭にいた兵士(彼も幻竜州の兵。列の先頭にいると言うことは、役職は上の兵なのかも)が、まるで迎撃の体勢を取るかのように待ち構えている彼等に、困惑気味に叫ぶ。
「姫様を連れて参った!」
「姫様……何の話だ?」
そこで、幻竜州側の兵団の中から、一人の人物が前に出た。
まだ若い、端正な顔立ちをしている。
纏った衣装から、地位の高そうな人物だとわかる。
「呂壬殿、これはどういうことですか!?」
先頭の兵士が叫ぶ。
「我々は、姫様を迎えに皇都へ向かい、今帰ってきたところ――」
「そのような話は聞いていない」
それに対し、呂壬と呼ばれた人物は冷酷な声音で返す。
どこか、水を彷彿とさせる人物だ。
「怪しい一団が、この都市に接近していると見張りの者から報告が上がったのだ。来てみれば、武装した集団……これ以上、この都市に近付くことは許さない。即刻撤退せねば攻撃する」
「そ、そんな……州公は!? 州公にお話を――」
しかし、そんな必死の声も聞き入られず。
「追い払え」
呂壬の指示を受け、幻竜州の兵士達が一斉に襲いかかってきた。




