◇◆十二話 《邪法術》◆◇
「あれは……」
小恋は身構える。
月と星々以外、ほとんど灯の無い夜の幻竜宮。
そんな夜闇の中にあっても、占い師の背後の空間に生まれた口は、毒々しい程真っ赤で存在感を露わにしている。
白い牙、分厚い唇、粘膜がテラつく口腔――。
そこから伸びる長い舌が、虚空を舐め回すように蠢いている。
巨大なナメクジのようだ。
妖魔だとか、そういった類のものとは似て非なるもの。
あの占い師が生み出した、摩訶不思議な力。
(……まるで、《退魔術》)
以前、烏風が行ったのと似たような口上を行っていた。
そして相手は、《邪法術》と口走った。
「まさか……」
小恋の脳裏に、先日の陸兎宮での一件が蘇る。
「安心しろ、恐怖は一瞬だ」
困惑する小恋に向け、占い師が歩を進め出す。
高い音階の、女の声。
それに追従するように、不気味な大口も動く。
空中を浮遊するそれは、占い師の横を通過して、真っ直ぐ小恋に向かって飛んでくる。
(……こいつは、おそらく、《邪法士》!)
あの日戦った、あの宦官のような――。
小恋の中で結論が出るのと同時だった。
間近まで迫って来ていた大口――その口腔から食み出していた舌が、小恋に向かって伸びた。
蛙が蝿を捕食する時のように、小恋を絡めとろうと、巻き付いてくる舌。
しかし、雁字搦めにされるよりも早く、小恋は素早い身のこなしでその場から脱出。
直前まで小恋のいた空間を縛り上げる舌を尻目に、上方へと跳躍した小恋は空中にて、隠し持っていた弓と矢を取り出す。
そして、俊敏な動きで矢を番え、矛先を占い師に向けた。
更に、構えた矢に《妖力》を纏わせる。
「なに……」
瞬間、異常を感じ取ったのだろう。
占い師の双眸が、見開かれた。
「貴様……まさか」
小恋が矢を放つ。
《妖力》を纏った矢――小恋の《退魔術》により、狙った《妖気》を追尾するという力が付与された矢が、占い師に向かって迫る。
刹那、それを、大口から伸びた舌が鞭のようにしなり、弾き飛ばした。
「!」
「……貴様、後宮にいるという《退魔士》か」
ひゅいんひゅいんと、空を切り裂く音を立て、舌が占い師を守るように振り回される。
その向こうで、彼女は着地した小恋を睨みながら言う。
「話に聞いていた、梓を倒した者達の一人か」
(……梓?)
「ちょうどいい、私が処理する」
占い師は、胸の前で両の手を合わせ、印を結ぶ。
集中するように、視線を鋭くし、顎を引く。
「……静かに、迅速に、本当は見せしめにもっと苦しませてやりたいところだが……私の《邪法術》は、どうしてもそういう殺り方になってしまう」
「………」
油断なく次の矢を向けながら、小恋は考える。
……今の口振り。
この占い師、先日陸兎宮で皇帝暗殺を行おうとした、あの《邪法士》の仲間なのかもしれない。
つまり、現皇帝政権の転覆を目論むテロリスト集団――《清浄ノ時》の一員。
「《閻魔ノ舌》」
空中浮遊する大口が牙を剥き、舌を鞭のように振り回しながら襲ってくる。
その動きは見かけとは裏腹に、敏速で隙が無い。
「くっ……」
攻撃を回避しながら、小恋はなんとか矢を放とうとする。
小恋の《風水針盤》の矢は、狙った《妖気》を自動追尾する、必中の矢。
どんな角度から撃とうが、明後日の方向に撃とうが、狙った《妖気》に命中する。
しかし、それはあくまでも追尾するという能力であり、絶対に敵を射抜けると約束された能力ではない。
「今っ!」
小恋が撃った二撃目の矢。
その矢は、占い師に到達する前に、再び大口の舌によってはたかれ、破壊されてしまう。
鞭のように素早く放たれ、斧のような破壊力で対象を打つ。
あの舌の一撃は、相当な破壊力だ。
「なら……」
小恋は、続いて《妖力》で作った矢を生み出そうとする。
《妖力》を持つ者を射抜けば、内側の《妖力》のみを引きずり出す矢。
《退魔術》《邪法術》を使う者ならば、一時的に無力化できる。
しかし――。
「うっ!」
この矢を作るのには、集中力が必要。
加えて、必中の性能は無い。
必殺技ゆえに、タメが必要になる。
縦横無尽に襲い来る舌の攻撃。
それに翻弄されている今の状態では、矢を生み出すどころか、次の矢を番えるのさえ難しい。
苦戦を強いられる小恋。
その時――。
「あっ!」
一瞬の隙を突かれ、舌先が小恋の足首に巻き付く。
バランスが崩れ、空中に投げ出されたところを、全身巻き取られる。
(……しまった――)
牙を剥いた大口が、赤くギラつく口腔が、小恋を飲み込まんと迫る――。
「うおらぁっ!」
が、その直前。
疾駆の勢いをそのままに放たれた拳が、大口に打ち込まれた。
『グェェッ!』
濁った悲鳴が轟き、舌の拘束が弱まる。
すかさず、小恋は脱出する。
「爆雷!」
「危ねぇところだったな」
大口から距離を取りながら、小恋は駆け付けた衛兵――爆雷を見上げた。
「暇潰しに宮内の夜間警邏をしてたんだが、正解だったようだな」
「暇潰しじゃなくて、爆雷の仕事でしょ、本来の」
「増えたか……」
立ち並ぶ二人を前に、占い師は苦々しく吐き捨てた。




