◇◆十一話 幻竜宮への皇帝の訪問◆◇
久方ぶりに皇帝と再会を果たした小恋。
以前、下女用の宿舎の庭で会った時以来だ。
ここしばらく竜王妃に拘束されてしまっていたので、本当に久しぶりに会った感じがする。
「元気でやっているかい? 小恋」
「うーん、なんとも……竜王妃様に振り回されています」
頭を抱えて唸りながら答えると、皇帝は「それは大変だ」と、困り気味の笑みを浮かべた。
配下達の前では見せない、小恋にだけ見せる、砕けた表情。
それを久しぶりに見て、小恋もなんだか心が温かくなる気がした。
幻竜宮の中庭にて、皇帝と小恋はノンビリと会話を続ける。
「先日の暗殺騒ぎがあってから、皇宮を簡単に抜け出せなくなった。けど、君の様子を見に来たくてね」
「はぁ……」
そう語る皇帝の顔を見て、小恋は悩ましい返事を零す。
ありがたい話だが、ご自身が皇帝という立場であると自覚して欲しい。
いや、自覚はされているんだろうけど。
先日、《邪法士》の攻撃から自分を守るため盾になった時の事を思い出したりして、小恋は彼が心配になる。
「じゃあ今日は、私に会うためだけに幻竜宮に?」
「いや……それと、もう一つ」
そこで皇帝は、真剣な表情になる。
「竜王妃に会いたい。彼女と話す機会が、あまりにも無さ過ぎるからね」
「……それなら、正式に訪問をすればいいのでは?」
以前、皇帝が楓花妃の陸兎宮を訪れた時と同じように――。
と思ったが、小恋はそこで気付く。
「そうでした、あの暗殺事件があったばかりですものね」
「ああ、私の後宮への訪問は、宰相をはじめとした多くの臣下達からの提言で固く禁じられている」
皇帝は言う。
確かに、皇帝一族の殺害を目論むテロリスト集団が潜んでいるかもしれないのだ。
いくら皇帝と言えども後宮に寄り付くなんて、周りの者達が許さないだろう。
「何より、役人達を引き連れての訪問では、妃と心からの対話ができない。もしもできるとしたら、渡りの時くらいだ」
「渡り……」
〝お渡り〟とは、言うまでも無く皇帝が妃の寝屋を訪れ、一夜を共にすることである。
けれど、皇帝は現在、ほとんどの妃の元へ渡りをされていないと聞く。
慎重に時期を考えているからなのだろうけど、今のところお渡りをしていると聞くのは炎牛宮の金華妃を含め、数名だけだと楓花妃が以前に言っていた。
「私は竜王妃と、直接、心から対話をしたことがない。彼女が私の訪問を拒んでいるという点も含め、私は彼女の本心を知りたいのだ」
「………」
この前の楓花妃の時もそうだったけど、皇帝は妃達の事をとても気に掛けている。
役人達を連れず、公の会合ではなく、一人の人間として竜王妃と話をしたいのかもしれない。
「わかりました」
小恋は頷く。
きっと、ここまでやって来るのにも色々と苦労をしたはずだ。
皇帝がそこまでの想いでやって来たのなら、成就させてあげたい。
竜王妃との対談が上手く行くよう、傍で手助けしよう。
「私が一緒に、竜王妃様のところへご案内――」
しかし、その時だった。
「いらっしゃったぞ!」
幻竜宮の庭に、大声が響いた。
小恋の膝の上で鼻提灯を膨らませていた雨雨が、驚いて『ぱんだっ!?』と飛び跳ねる。
見ると、大勢の宦官達がこちらへとやって来ていた。
「やはり、あの下女のところだったか!」
どうやら、以前から皇帝が小恋の元へ行く事が多かったため、ここに来たのが予測されてしまったようだ。
(……私が庭にいるのは、この宮の宮女にでも聞いたのかな)
「陛下、戻りましょう! 禁軍の何将軍が、今後の警備体制に関してご相談したいとお探しです!」
「一人で皇宮を抜け出し、もしも不逞の輩に遭遇してしまったらどうするのですか!?」
「わかっている」
宦官達に見付かってしまった皇帝は、駄々をこねるような真似はすることなく、素直に彼等と帰って行く。
小恋は跪き、それを見送る。
「………」
去り際、彼は小恋へと申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
『ぱんだー……』
「皇帝陛下も大変だね、雨雨」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――その夜。
「竜王妃様! 今日の昼間、何と皇帝陛下がこの幻竜宮をお忍びで訪れていらっしゃったのですよ! 危険な身でありながら! これは、完全に竜王妃様への愛情が誰よりも勝っているという確たる証拠です!」
皇帝が密かに幻竜宮を訪れていたという話は、瞬く間に広がった。
なにせ、宦官達が宮に大挙してくる大事だったのだ。
そして勿論、その話にいの一番に食い付いたのは、美魚だった。
「竜王妃様、皇帝陛下とお会いしましょう! 陛下が宮に来るのを止められているのだとしたら、こちらから出向いてでも!」
竜王妃の自室にて。
皇帝と面会するよう、美魚は寝転がっている彼女へと、熱烈な説得を行っている。
「………」
その光景を、小恋も傍に立ち見ている。
今回ばかりは、美魚と目的が重なった。
小恋も、皇帝の為に、竜王妃との謁見が叶うならば叶って欲しいと思っている。
後宮への訪問が危険視されているなら、竜王妃の方から会いに行く。
もしそれでも不安なら、自分や爆雷、烏風も同席し、成功するよう助力するという手もある。
しかし。
「……断る」
美魚の提案に対し、竜王妃は嫌そうに呟いた。
「そうですね。最初は全く興味が無いという風に見せて、二度、三度、じらした後の方が効果的……」
「そういう意味ではない」
心底興味が無い、つまらないという風に、竜王妃は溜息を吐く。
「気乗りしない上に面倒臭い。我は皇帝に興味がない」
「………」
昼間、皇帝は言っていた。
竜王妃は、皇帝との面会を拒んでいる――と。
彼女の性格は、ここ最近共に生活してきた中で、よく理解している。
傲岸不遜、唯我独尊。
自身の興味を持つもの、気が向くもの、気に入ったもののみを求め、それ以外には――たとえ皇帝相手でも袖に振る。
それが、第二妃――幻竜宮の竜王妃。
「……本当に、単純に興味が無いだけ、ですか?」
気付くと、小恋は声を漏らしていた。
竜王妃は本当に、ただ単純に興味が無いから――皇帝に会わないだけ、なのだろうか?
むしろ、彼女の口振りからは、皇帝と会うことを強く拒絶している風すら感じる。
「ちょっと、あんた、何を勝手に――」
そんな疑問を抱く小恋に、毎度のことながら美魚が食って掛かりそうになった――。
その時だった。
「美魚様、昼間呼び寄せた〝占い師〟が待っていますが」
一人の若い宮女が、竜王妃の部屋を訪ねてきた。
そして、美魚へとそう報告する。
「今それどころじゃないわ!」
「占い師?」
小恋が言うと、美魚はジト目を向けて溜息を吐く。
「あたしが昼間に呼んだ客人よ。皇都の巷で話題になってる占い師で、是非竜王妃様にお会いしたいって言って来たみたいで」
「ふぅん……」
どうやら、竜王妃の気を惹くために、美魚がまた勝手に面白そうな民間人を呼んでいたようだ。
しかし、今はそれよりなにより、皇帝陛下に会えるかもしれないという、一世一代のチャンスがやって来たのだ。
これを成功させたなら、小恋をギャフンと言わせられる――とでも、思っているのかもしれない。
その占い師とかいう人も可哀そうだが、タイミングが悪かった。
「とりあえず、客室に案内して。今日は泊まらせて、また明日話をするわ」
「あ、はい……」
美魚に指示され、宮女は竜王妃の部屋から去っていく。
幻竜宮内には、後宮としては珍しくいくつか客間があり、爆雷や烏風も使用を許可されている。
「さてと、そんな事はさておき……」
(……自分で呼んでおきながら、この娘も中々自分勝手だなぁ……まぁ、わかってることだけど)
その後も、美魚は説得を続ける。
しかし、竜王妃は結局頷かず、「今日はもう寝る。出て行け」と、そのまま寝てしまった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――深夜
「うーん……どうしたものか」
悩みながら、小恋は人の気配の無い幻竜宮内を歩いている。
皇帝と竜王妃を会わせるために、どうすればいいか……。
竜王妃の気が向かなければ、皇帝も宮を訪れられないし、役人達も竜王妃を特別視しているため、強くは出られない。
何より、現在皇帝の行動は抑制されている。
となると、竜王妃が皇帝へ会いに行くという形だが――それも、竜王妃が気乗りしてくれないと不可能。
「うーん……ん?」
静寂と、涼しい風が吹き込んで来る、縁側の廊下。
そこで小恋は、前方に人影を発見した。
「………」
言うまでも無く、時間は深夜。
この時間帯に外を出歩いている者など、厠に起きた宮女とか、それくらいだ。
しかし、その人物は宮女の格好はしていない。
黒い外套のような衣装を纏い、口元まで隠している。
何やら、ごそごそ……怪しい動きで、周囲を見回している。
「誰?」
「!」
少し距離を取った状態で、小恋が声を掛ける。
その人物が、こちらへと顔を向けた。
……口元を布で隠しており、顔の鼻より上しか見えないが、やはり、小恋の記憶にも無い人物だ。
体格は小柄で、どうやら女性っぽい。
「……もしかして」
そこで小恋は、昼間の事を思い出す。
確か、美魚が〝占い師〟を呼び寄せたとか……。
「見られたか」
鈴が鳴るような高音の声。
やはり、性別は女のようだ。
しかも、おそらくだが、まだ若い。
「私は準備を進めなければならない。迅速に、処理させてもらう」
女の行動は、確かに迅速だった。
小恋の方へと歩を進めながら、両手を持ち上げ。
「安心しろ。痛みはない。一瞬だ。抵抗しなければな」
「……何を」
即座、小恋は臨戦態勢を取る。
そんな小恋の前で、女は両手を合わせ――何かの印を結ぶ。
見覚えがある。
あれは、烏風が《退魔術》を使う時に行っていたような――。
「呱々老醜、掃いて梔子、背負い煽らば、死して已む無し」
女が口上を口にした――次の瞬間だった。
ぞわり、と――彼女の背後の空中が、まるで蜃気楼のように歪んだと思うと、真横に裂けた。
そこから赤黒い、巨大なナメクジのような塊がこぼれ出る。
まるで、空中に〝口〟が生まれ、そこから飛び出した舌のように。
「《邪法術》――《閻魔ノ舌》」




