◇◆八話 四凶◆◇
「小恋、妖魔はどっちだ!」
「ええっと……ああ、もう! この先を曲がって真っ直ぐです!」
先行する竜王妃は、止まる気配を見せない。
仕方が無し、後を追いかける小恋は諦めて素直に道案内をする事にした。
その後ろに爆雷と烏風が続き。
「はぁ、はぁ、ちょっと、ま、待って……」
そして、美魚が続く。
五人は広大な幻竜宮の中をあっちへこっちへ駆け回り――。
やがて辿り着いた先は、幻竜宮の中庭だった。
「ここか?」
「はい、ここです」
小恋の《風水針盤》を以てしても、《妖気》の感知を長時間行う事は出来ない。
集中力がいるし、体への負荷も大きい。
探知する《妖気》の量や濃度が小さかったり、遠距離のものを深く探ろうとすると、更に負荷が大きくなる。
そのため、体へのダメージを抑えるため、ある程度操縦が必要なのだ。
ただでさえ広大な幻竜宮の中で妖魔を探すとなれば、一際繊細なコントロールが必要である。
さて。
そうやって辿り着いた先が、この中庭である。
竜王妃と小恋の視線の先には、先日作ったばかりの、例の競技のためのコートがある。
そして、その、ネットを掛けた杭の一方の上に――。
「……いた」
何かがいる。
そこまで体は大きくは無い。
比較的大きめの犬くらいの、毛むくじゃらの塊だった。
宮女の証言に照らし合わせると、似ている部分が多い。
目も鼻も口も無い――。
と言っていたが、体毛が分厚くて見当たらないだけかもしれない。
背中には一対の翼が生えている。
尻尾も生えており、ぶらぶらと揺らしている。
そして、何やら空を見上げて声を上げており、その声がどこか、笑い声のようにも聞こえる。
「ありゃあ、何だ……」
と、爆雷は臨戦態勢を取りながら、その異形を睨む。
美魚は、不気味な生物の登場に怯えている。
「小恋、どう思う?」
烏風は、眉間に皺を寄せる。
「……烏風と、ほぼ同じ気持ちだと思うよ」
小恋もまた、警戒心を高める。
「……お前ら二人がそれだけ警戒してるってことは、相当やべぇのか?」
爆雷の質問に、頷く小恋。
「多分だけど……あの妖魔の名は、渾沌」
「……渾沌?」
「《四凶》と呼ばれる、高名な妖魔の内の一匹の名だ」
小恋の台詞を引き継ぐようにして、烏風が解説する。
「大昔から、多くの文献・伝承に残されている存在で、扱いとしては妖魔というよりも《四神》や《霊獣》に並ぶかもしれない」
「つまり……どっちかっっていうと、化け物っつぅより伝説の生き物、って感じかよ」
警戒心を高める小恋達。
目前の存在が、太古より悪名と恐怖を残してきた《四凶》の一角となれば、自分達で対処できるか不安な部分もある。
それでも、戦うしかない。
小恋は背に背負った弓に手を掛け、爆雷は腰の剣の柄を握り、烏風は両手を重ねる。
その時だった。
「《四凶》だか何だか知らぬが、おいこら、妖魔!」
三人の前に、竜王妃がデンっ! と、立ち塞がった。
仁王立ちである。
「偉ぶるのもここまでだ! 貴様が如何なる妖魔であろうが、この我が、幻竜宮の主として成敗してやる!」
「ちょ……」
威風堂々と宣戦布告する竜王妃に、小恋は慌てて止めようとする。
刹那、渾沌が空に向けていた顔を、こちらへと向ける。
「おい、こっちを見て――」
爆雷が呟くよりも、渾沌が動き出す方が速かった。
足場である杭を蹴り、その丸い――どの生き物に類別することも難しい妖魔が、竜王妃へと飛び掛かって来た。
その口から、笑声のような呻き声を上げながら。
「危ない!」
小恋と爆雷、烏風が同時に動く。
弓を番え、構える時間も無い。
仕方が無い――徒手空拳で応戦するしかない。
小恋は爆雷に一瞬目配せする。
そのアイコンタクトに、爆雷も気付いて頷きを返す。
二人は同時に竜王妃の前へ飛び出すと、襲い掛かってくる渾沌との間の壁となった。
まず先に手を出したのは、小恋。
接近する渾沌に対し、掌手を繰り出す。
と言っても、小恋の拳では一撃で妖魔を昏倒させられるだけの力は無い。
彼女が行うのは、あくまでも牽制攻撃だ。
俊敏に繰り出した牽制に、渾沌は突進を止めて回避のための行動を取るだろう。
そうやって行動を制限させたところを、一拍遅れて爆雷が追撃の拳を叩き込む。
爆雷の人間離れした鉄拳の一撃なら、妖魔にも確実にダメージを与えられるはずだ。
そんな流れになる――はずだった。
一瞬の目配せで、類稀なコンビネーションを発揮する二人――となるはずだった。
しかし、そこから想定していなかった事態が起きる。
と言っても、決して悪い意味ではない。
――小恋の張り手を正面から食らった渾沌が、簡単に吹っ飛ばされたのだ。
「……え?」
既に烏風が魑魅魍魎を召喚し、竜王妃と美魚を守るための壁にしていたが、その必要もなかった。
吹っ飛んだ混沌はコートの方へと吹っ飛んでいき、そのままネットを越えて向こう側の枠の外まで転がっていった。
これが競技ならナイススマッシュである。
「え、あれ?」
ナイススマッシュを炸裂させた小恋も、思わす動揺する。
意外と、弱い?
見ると、渾沌(?)はフラフラとふらつきながら体を起こしている。
今の一発で、相当ダメージを食らったようだ。
これが、伝説の《四凶》の一角――渾沌?
もしかして、伝承にこそ描かれてはいるけど、その実態は不気味なだけであまり強くない?
「いや、油断しない方が良い」
悩む小恋の後ろから、烏風がやって来て言う。
「そうだ! あいつ、相当やべぇ奴なんだろ!? ともかく、一気にぶっ倒すぞ!」
「あ、ちょっと待って」
小恋が止めようとするが、それよりも早く爆雷が突っ走る。
「なんだ、この黒い牡丹餅どもは。散れ散れ。おい、そいつを我にも殴らせろ」
更に竜王妃も、前に積み上がり【きゅー】【きゅー】と鳴いている魑魅魍魎達を払い除けると、自身も駆け出す。
そして二人は、立ち上がったばかりの混沌にパンチを食らわした。
再び吹っ飛び、地面に四肢を投げ出して倒れ伏す渾沌。
やっぱり、あまり強くない。
「ん? 終わりか?」
「どういうことだ、こいつ……」
ぶっ倒れた渾沌を前に、逆に動揺する竜王妃と爆雷。
すると。
【ぶみー! ぶみー!】
遂には、渾沌はそんな感じに鳴き声を上げ始めた。
あの笑い声にも遠吠えではなく、むしろ豚の鳴き声のようだ。
「……烏風、あれって本当に《四凶》の渾沌なのかな?」
「私達の勘違いだった、ということかい?」
小恋に聞かれ、烏風も首を傾げる。
しかし、その双眸を鋭く尖らせ、思案を述べる。
「……確かに、妖魔には似たような特徴を持つものも多い。人間に似た声を上げる妖魔と言えば、《リョウシツ》や、《アツユ》などと呼ばれる妖魔もいる。私達が伝説の《四凶》の一角、渾沌だと思っているだけで、もしかしたら別の妖魔の可能性も……」
烏風の語りに、小恋が耳を傾けていた。
その時だった。
「……ッ!」
小恋の首筋に、刺さるような気配が感じ取られた。
《風水針盤》を使ったわけではない。
妖魔の気配――というわけではなく、純粋に、禍々しい殺気のようなものが感知できたのだ。
振り返る。
見上げた先は、幻竜宮の屋敷の上。
そこに、何かがいる。
今宵は、月が見えない。
光の無い雲に覆われた空は、得体の知れないものが蠢く闇そのもののように見えた。
その闇の中――屋根の上に、三つの異形が鎮座している。
煌々と輝く双眸が三組、こちらを睥睨している。
「あれは……」
小恋同様、烏風も気付く。
その三匹の姿は――正に、先程語っていた《四凶》と呼ばれる妖魔……その渾沌を除く残りの三体に、当てはまっていた。
一匹は――羊のような体をしている。
四足獣だが、厳かな呪文の刻まれた仮面で顔を隠している。
あの仮面には魔除けの効果があると言われている。
饕餮と呼ばれる妖魔だ。
一匹は――虎のような巨大な体躯に、針のような体毛が生えている。
眉間に皺を寄せ、牙を剥いた顔は、怒っているかのように凶暴そうなもの。
背中には翼が生えている。
暴虐の化身。
窮奇と呼ばれる妖魔だ。
最後の一匹は、体を長い体毛で覆われており、更に長い尾が生えている。
毛が長すぎて、中の本体が見えない。
その長い尾は強靭で、空間を掻き回し嵐を起こすという。
檮杌と呼ばれる妖魔だ。
正に《四凶》の特徴に合致している。
「まさか……」
【ふっ、私達の事を知っているようだな】
【否、知らぬわけがないだろう】
妖魔達は、言葉を発した。
おぞましくも猛々しい、奇妙な声音で。
【私は饕餮】
【俺様は窮奇】
【吾輩は……檮杌】
それぞれ名乗る妖魔達。
その中で、羊のような体に仮面をつけた妖魔――饕餮が、爆雷と竜王妃の方を指さす。
【そして、そこに居る渾沌を加え、我等こそ貴様等が《四凶》と呼ぶ存在だ】
「なに……」
その言葉に、爆雷と竜王妃も饕餮達を見上げる。
竜王妃は、態度を変えることなく威風堂々と妖魔達を睨み上げた。
「仲間か。ちょうどいい、貴様等もこの妖魔と同じようにボコボコにしてやろう」
【ふっ、渾沌如きを倒したくらいでいい気になるな】
そんな竜王妃の言葉にも、渾沌を除いた《四凶》……つまり、《三凶》は不敵に嗤う。
【くくく、渾沌は我等《四凶》の中でも最弱】
【そう、マジで最弱】
【……他の三匹ほどの長所の無いガチの最弱】
仲間達にめっちゃディスられる渾沌。
当の本人も、地べたに四肢を投げ出し【ぶみー!】と悲しそうな鳴き声を発している。
「おい、お前ら言い過ぎだぞ! 渾沌が泣いてるじゃねぇか!」
と、何故か近くにいた爆雷が渾沌を擁護する。
泣いているかどうかはわからないが、それはともかく爆雷も人が好過ぎる。
さっきまでボコボコにしてたくせに。
「で、かの高名な《四凶》が揃いも揃って、この宮に何の用?」
そこで小恋は、警戒を解くことなく、眼前の《三凶》の目的を窺う。
【勘違いするな、俺達は貴様等に用は無い】
地鳴りのような声を発したのは、狂暴面の虎の妖魔、窮奇。
【左様……吾輩達は厄災の気配を察知する】
長い体毛と尾を持つ妖魔、檮杌が続く。
「厄災の気配?」
【予言しよう……間も無く、お前達の身にとても残酷な事が起きる。特に、最大の悲劇に見舞われるのが……】
呪文の描かれた仮面をつけた羊の妖魔、饕餮が言いながら、前脚を持ち上げる。
その蹄の先が向けられたのは――。
「む?」
竜王妃だった。
【かの忌々しい《竜の血族》が苦しむ姿が見られそうで楽しみだ】
「なに?」
【ゆめゆめ覚悟せよ】
瞬間、《三凶》は小恋達に背中を向ける。
そして、闇の中へと飛び去った。
「おい! 待て! どういうことだ!?」
いきなり言いたい事だけ言って去っていった妖魔達に、爆雷が叫ぶが――もう遅い。
――間も無く悲劇が訪れる。
そんな不吉な予言を残し。
「……ん?」
【ぶみー】
そこで、小恋達は気付く。
その場に、《四凶》の内の一匹――渾沌だけが残って、呑気にゴロゴロと転がっていた。
「あれ? ……おーい、もう一匹忘れてるぞ!」
「……もしかして、置いてかれた?」
【ぶみー】




