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◇◆六話 竜王妃のお気に入り◆◇


 小恋(シャオリャン)の提案した運動競技を一通り堪能し、満足した竜王妃(りゅうおうき)

 衛兵達も帰らせ(結局、彼等も何をしに来たのか自分達でもよくわからず帰らされた感じだが)、彼女は小恋ともう少し、この競技に関する知見を深めるため話をする事にした。


「小恋、この競技の腕を上達させるにはどんな特訓方法がある」


 庭の適当な石材に腰を下ろし、二人は向き合っている。


「んー……とりあえず、素振りとかですかね」

「そうか、素振りは武器を扱う武術の訓練でも基本中の基本だからな。やはり素振りが全てに通ずるのか」


 素振りは基本――そう呟いて、うんうん、と頷く竜王妃。

 そこで、だった。


「姫様!」


 小恋と竜王妃のみが残された中庭に、甲高い声が響く。

 振り返ると、一人の宮女の娘がずかずかとやって来るのが見えた。

 そして、二人の目前まで来ると、「ふんっ!」と腰に手を当てて、仁王立ちする。

 濃い青色の髪……濃紺の髪を、頭の両サイドで結わえている。

 そばかすの散った、生意気そうな顔だ。

 何者だろう。

 見た目はただの宮女だが、竜王妃の事を姫様と呼んでいたが。


美魚(メイユー)、何だ」


 竜王妃が、彼女の名を呼ぶ。

 一方、美魚と呼ばれた宮女は、ジロリと小恋を睨めつける。


「この前からずっと、この下女につきっきりで……そんな下女の何が良いんですか!」


 そして、そう叫んで喚き出した。


「あんたも、怪我が治ったならとっとと雑用係の宿舎に帰りなさいよ!」


 と、ついでに小恋にまで食って掛かる。

 何やら、かなり敵意を持たれているようだ。


「おい、美魚。そこらへんにしておけ」


 そんな彼女の苛烈な態度に、竜王妃は憮然とした顔を向ける。


「小恋がこの宮にいるのは我の命令だ。それに、そもそも元はと言えば、小恋の噂を我に聞かせ興味を惹かせたのは貴様だろう」

「……ふん!」


 竜王妃に諭され、美魚はその場に背を向ける。


(……なんだか、随分――若いというか幼いというか、勝気そうな感じの宮女だったなぁ)

「気にするな、あれは中々気分屋だ」


 去っていく美魚の背中を見ながら、竜王妃が言う。


(……竜王妃様にそこまで言われるとは……)


 一体、何だったんだろう――と、小恋は首を傾げていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 ――その翌日。


「じゃあ、この洗濯物も持ってっちゃいますね」


 場所は、幻竜宮。

 洗濯物の溜まった籠を抱え、小恋は庭へと運んでいる。

 洗濯仕事をしているのだ。


「本当にいいの?」

「ええ、折角動けるようになったんだし、一応下女としての仕事もしないとなので」


(そもそも嘘だが)、竜王妃を警戒して安静にしていた小恋も、こうして大手を振って体を動かせるようになった。

 そのため、宮女達の手伝いを買って出たのである。


「そんなことしなくてもいいのに」

「そうそう、雑用仕事は私達がするから」


 テキパキと動く小恋に、周りの宮女達が気を遣って言う。


「いいんですよ、ただ居座ってるのも気になるし、皆さんには、言わば私の嘘に付き合ってもらった形でしたから」

「それこそ、私達が助かるから協力していたようなものだから」

「そうそう、小恋のおかげで、竜王妃様は随分健康的になったというか、穏やかになったというか……」

「穏やかは、言い過ぎだけど」

「ええ、以前みたいに無暗に過激なことをしなくなったわ」


 と、宮女達も小恋に感謝している。


「あ、それで気になったんですけれど」


 洗濯物を庭に運び、お湯を溜めた桶に放り込みながら、小恋が問う。


「竜王妃様、傍若無人で唯我独尊って感じで、我儘し放題で宮廷への迷惑も顧みない……って感じの印象だったんですけど、実際は退屈をこじらせてしまっていたようなんですよね」


 だから、比較的安全で興味を持ってもらえるようなものを提供すれば、ちゃんとしてくれる。

 それは昨日の事で、小恋も理解した。


「逆に、どうして今までそっちの過激な方向にばかり行っちゃってたのかなって。まぁ、周囲が特別視してて注意ができなかったというのもあるかもですけど、それでも手綱は取れるはずというか……」


 竜王妃が信頼を置くような側近がいなかったのか。

 いや、ほとんど初対面の小恋にも即座に胸襟を開いて接するほど、性格自体は大らかな人物だ。

 ならば、誰かが彼女を抑える事も可能だったはず……と、小恋は思ったのだ。


「それは……」


 と、小恋の疑問に、宮女達は顔を見合わせる。

 そこで――。


「あんた達、竜王妃様への贈り物が届いたわよ」


 軒先の方から声が聞こえた。

 振り返った小恋の視界に映ったのは、昨日の宮女。

 縁側に立つ美魚だった。


「贈り物?」

「ああ、あんたもいたのね」


 不満そうな目で小恋を見ながら、美魚が言う。


「ちょうどいいわ、下女。運ぶのを手伝いなさい」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 美魚に連れられ、幻竜宮の入り口付近へと向かうと、そこに大きな籠がいくつも置かれていた。

 蓋を開けると、中には竜王妃への贈り物だという高級そうな衣服がどっさりと入っていた。


「凄い量ですね」

「無駄口叩いてないで運ぶ準備をしなさい」


 美魚のきつい物言いにも、小恋は「はいはーい」と不平を言うことなく、持ってきた荷台に籠を乗せていく。

 竜王妃への貢ぎ物で山積みになった荷台を、小恋は引いて運ぶ。

 向かう先は、竜王妃の休む部屋。

 無論、美魚は手伝わない。

 黙々と、小恋の前を進んでいく。


「……姫様には、故郷である幻竜州のみならず、国中の多くのお金持ちや偉い人から贈り物が届くの」


 その道中――不意に、美魚が口を開いた。


「つまり、それだけ特別視されているってこと。その血筋、才覚、器、全てが高貴なものとして認められているの」

「はぁ」

「あんたには、この意味がわかる? まぁ、山育ちの野良娘にはわからないでしょうけど」


 と、小恋に嫌味を言った後も、美魚は言葉を止めない。


「そう、あの方は尊ばれるべき存在。皇帝陛下の寵愛を受ける唯一の存在になるべき……いえ、皇帝陛下にさえ特別扱いされるべき存在なのよ」

「………」

「だから、私は姫様に提案したの。姫様の偉大さを、宦官や女官、他の妃達に誇示するために、もっとこの後宮内で尊大な振舞をするべきだと」


 ……どうやら、竜王妃が我儘じみた行いをしているのは、この宮女が原因なのかもしれない。

 発言の節々から、小恋はそう感じ取る。

 一方、美魚は先程までの上機嫌を一転させ、落ち込んだ顔でぶつぶつと呟き始める。


「……なのに、姫様は降って湧いたあんたみたいなよくわからない存在に気を惹かれて……ああ、もう、邪魔ったらありゃしない」


 と言って、ギロリと睨んで来る。


「それは、私に言われても困るんですが」

「うるさいわね、あんたも折を見てこの宮から去ることを考えておきなさいよ。姫様が納得するような理由を付けて。あたしも考えておくから」

「………」


 この美魚という宮女。

 竜王妃の事を姫様と呼ぶこと等から、どこか他の宮女達とは違う雰囲気を感じる。

 一体、何者なのだろうか……。

 小恋は、少し警戒心を高める。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「姫様、今回も凄い贈り物の数々ですわよ!」


 竜王妃の元へとやって来た、小恋と美魚。

 美魚は籠を開け、中から高級で美麗な装飾の衣服を取り出し、広げて見せる。


「今日も、(シア)国中から姫様を称えんと高価な貢物が次々に」

「……ふぅん」


 しかし。

 綿布団(クッション)の上で寝そべっていた竜王妃は体を起こし、届けられた服の一つを適当に広げて見ると――。


「つまらん、また服か」


 ぽいッと、投げ捨ててしまった。


「こんなにあったところで、服など二つ三つあれば充分だろう。一生掛かっても着られない量の服を持つことに、何の意味がある」

「もう、いっぱいあることが重大なステータスなんです」


 ごろりんと寝返りを打つ竜王妃に、美魚が胸を張って言う。

 しかし、彼女がいくら力説をしても、竜王妃の表情は変わらない。

 相変わらず、退屈そうだ。


(……服、いらないんだ)


 小恋は、山積みになっている衣服を見る。

 どれもこれも、使っている素材は絹だろう。


(……絹)


 小恋は少し考え、やがて口を開いた。


「……竜王妃様は、服をもらっても嬉しくないのですか?」

「何よあんた、口を挟んで来るんじゃないわよ」


 割って入って来た小恋に、美魚が棘のある声を放つ。


「嬉しくないというより、こんなにあっても意味が無いという話だ」


 一方、竜王妃は溜息交じりに言う。


「服など、一日に何度も着替えるわけでもないし、着る以外に使い道も無いし」

「あ、じゃあ、再利用しましょう」


 さらっと、小恋が言った。

 その発言に、竜王妃も美魚も、一瞬何を言われたのか理解できず、呆けてしまう。


「は? あんた、なに言ってるの?」

「要らないのであれば、再利用しましょう。ちょうど今、大掃除の最中なんですよ」


 訝る美魚の一方、小恋は籠の中から適当な服を取り出す。

 そして、それを思い切り、ビリッと引き千切った。


「な……ななな、なぁっ!? 何てことしてんのよ、あんた!」


 青褪める美魚。

 小恋の突然の行動に、竜王妃も目を丸める。


「雑巾にします」


 そんな彼女達の動乱など、どこ吹く風。

 ケロリとした顔で、小恋が説明する。


「絹の雑巾って繊維のきめが細かいから、汚れが良く落ちるんですよ」

「バカじゃないの!?」


 小恋の突然の行動に、ぎゃーぎゃーと言葉にならない声を発して怒る美魚。

 だが、一方の竜王妃は――。


「なるほど、それは名案だ!」


 どこか楽しそうな表情で跳び起きると、小恋に続き贈り物の衣服を掴み出す。

 そして二人揃って、絹の服を破りまくり始めた。


「あ、ああああ、あわわわ」


 それ一枚で、平民がひと月ふた月は暮らせるだろう金銭と、同じだけの価値を持つ衣服が布切れに裁断されていく。

 美魚が言葉を失う一方――。


「よし、これだけあれば充分でしょう」

「では、掃除に行くか」


 引き千切った大量の絹切れを持って、小恋と竜王妃は部屋を後にした。

 向かう先は、以前、竜王妃の手合わせでも使っていた大広間。

 ちょうど今、雑用係も数名呼んでの大掃除中なのだ。


「おい、手伝いに来たぞ」

「「「「「りゅ、竜王妃様!?」」」」」


 突如現れた小恋と竜王妃に、その場にいた宮女達も困惑する。


「おお、確かにピカピカになるな」

「いいでしょう。調理器具の黒ズミとかを掃除するのにも良いんですよ」


 さも当たり前のように掃除を始める、小恋と竜王妃。

 床や柱を雑巾がけしていく彼女達に、雑用手伝いでやって来ていた他の下女達も「リュウオウキサマ!? リュウオウキサマナンデ!?」「竜王妃様が掃除仕事!?」「どういうこと、何が起こってるの?」と、混乱している。

 そんな彼女達も放っておいて、小恋と一緒に掃除を進める竜王妃。

 そもそも怪物級体力の持ち主である彼女達の仕事っぷりもあり、大広間は目に見える速度で綺麗になっていく。


「姫様! 姫様が掃除仕事なんて、何を考えてるんですか!」


 そこに、やっとこの事態に追い付いた美魚が現れ、声を荒げる。


「それに、そこの下女! 好き勝手して、いい加減に――」

「うるさいぞ、美魚」


 しかし、美魚に竜王妃が釘を刺す。


「偶にはこういうのも良いではないか。我は楽しんでおるのだ。貴様の言う通り、好きなように振舞ってな」

「そ、それは……」

「最近は貴様の提案よりも、小恋のやる事の方が面白いぞ」

「っっ!」


 小恋と一緒に掃除を楽しむ竜王妃。

 その姿を見て、美魚は「キーっ!」と感情を昂らせる。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 ――その夜。


「姫様! ですから、この下女を早く元居た場所に帰すべきです!」


 幻竜宮――竜王妃の私室の一つ。

 寝そべる竜王妃を前に、美魚が小恋を早く追い出すようにと騒いでいる。

 そしてその場には、小恋と、本日竜王妃の傍に付いている宮女が一人、居合わせている。


「あの」


 小恋は小声で、隣の宮女に問い掛ける。


「美魚さんって、一体何者なんですか? なんていうか、ただの宮女じゃないですよね?」

「ええ、ちょっとね」


 と、宮女もひそひそ声で説明する。


「彼女は、元々幻竜州の出身で、幼い頃から竜王妃様の侍女として仕えていたの。竜王妃様が後宮に来るのが決まったのと同時に宮女として採用されて、本人の希望で幻竜宮付きになって、それ以来、竜王妃様にべったり。竜王妃様自身も昔馴染みだし彼女の事を別に嫌っていないというか、むしろ歯に衣着せぬ物言いで気に入ってるんだけど」

「へぇ」


 なるほど。

 だから、この宮の他の宮女達よりも少し特別な立場にあり、横柄な態度が多くても許されているのか。


「うるさいぞ、美魚」


 しかし、残念ながら。

 今の竜王妃は、小恋の方がお気に入りのようだ。

 喚く美魚に、鬱陶しそうな視線を向けて言い切る。


「小恋はまだしばらく、この宮に置く。我がそう決めた。貴様にとやかく言う権限はない」


 その断言に、美魚は絶句する。

 一方、小恋が「それはそれで困るなー……」と、内心で思っていると――。


「あのぉ……」


 そこに、一人の宮女がやって来た。


「竜王妃様に、ご報告がありまして……」

「何よ、今大事な話の最中なの!」

「何かあったんですか?」


 ヒステリックになっている美魚を無視し、小恋が問い掛ける。


「はい……最近、幻竜宮内で不気味な生き物が目撃される事件が多発しておりまして」

「不気味な生き物?」


 彼女の説明によると、夜になると、この幻竜宮内で、宮女がたびたびその〝生き物〟を目撃することが増えて来たのだという。


 ――背中から翼が生えた、目も鼻も無い不気味な生き物が、気味の悪い鳴き声を上げていた。


 ――まるで、笑い声のようにも聞こえた。


 最初は一人二人程度だったのだが、目撃者の数が増加しているのだという。


「恐ろしい……」


 小恋の隣の宮女も震え上がっている。


「またその話? どうせ寝惚けて見間違えたんでしょ」


 と、美魚は聞く耳も無いような感じだが、小恋には心覚えがあった。


「それって、もしかして妖魔?」


 小恋が呟くと、竜王妃が布団の上で体を起こし、胡坐をかく。


「妖魔か……だとしたら命知らずだな。この幻竜宮で騒ぎを起こすとは」


 最近の事件もあり、妖魔の存在は宮廷内でも認識されつつあった。

 それに関連し、竜王妃がふと「ん、そういえば?」と、何かを思い出したように小恋を見た。


「小恋、貴様、妖魔退治の専門家ではないか」

「え? あ、はい、専門家と言われるとそうとは言い切れませんが」

「うむ……これは、ちょうどいい暇潰しになりそうだ」


 そう不穏な事を言い、竜王妃が立ち上がった。


「小恋、面白そうだ。我等で、その妖魔を狩るぞ」


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― 新着の感想 ―
[一言] あぁ、いるよね、虎の威を借る狐どころか、龍の威を借るネズミって。 美魚のお世話焼きって、本当は自分のステータスのためってのが少なからずあるんじゃないですか? 今、ちょうどプライベートでそうい…
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