◇◆五話 小恋の娯楽◆◇
――小恋が幻竜宮に囚われ数日が経った、ある朝の頃。
「小恋、何をしている」
竜王妃の私室。
小恋が起き上がり、身支度を整えているのを見て、竜王妃が問う。
「あ、竜王妃様」
いつもの作業用の服に着替えた小恋が、振り返り、ぺこりと頭を下げた。
「おかげさまで、もう体が回復しました」
お辞儀しながら、小恋は竜王妃に沿う報告する。
「そうか、ならば――」
竜王妃は早速、小恋に自分との対決を提案しようとした。
しかし、それよりも一瞬早く。
「で、数日間療養していて体が鈍っているので、筋肉をほぐすために、ちょっと外で準備運動をしてきてもいいですか?」
そう、小恋が言った。
「……なるほど」
顎に指を当て、竜王妃は考える。
怪我が治り、体調も万全。
しかし、当の身体が鈍っていては、平生の実力を出すことはできない――それでは意味がない。
「わかった。但し、逃げ出そうなどと考えるな」
運動を承諾した竜王妃は、念のため小恋に釘を刺す。
「大丈夫ですよ。そんなことしません」
そう言って、小恋は部屋から出て行った。
その場には、竜王妃だけが残される。
「竜王妃様」
するとそこへ、小恋と入れ違いに一人の宮女がやって来た。
「そろそろ、衛兵の方々が来られる予定の時間ですが」
実は今日、竜王妃は自分の稽古の相手をさせようと、宮廷の衛兵達を幻竜宮に呼んで、手合わせをさせる予定だったのだ。
「ああ、そうだったか……そうだ」
そこで、竜王妃は思い付く。
ちょうどいい、小恋のリハビリの相手もさせよう。
確か、おあつらえ向きにも、小恋が以前に叩きのめしたと聞く連中だったはずだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数刻後――。
「おい、またか?」
「ああ、まただよ」
この日竜王妃に呼び寄せられた衛兵達が、幻竜宮の広間に集まっていた。
「竜王妃様のわがままだ」
嘆息交じりに会話をする衛兵達。
竜王妃の傲岸不遜な我儘っぷりは、宮廷内でも有名だ。
この衛兵達も、彼女から難題を吹っ掛けられるのは今回が初めの事ではない。
何度か「暇潰し」「手合わせ」と称して、武闘の相手をさせられたことがあるのだ。
「けど、手を抜いて相手するなよ。言っても《竜の血族》だ。手強いぞ」
「前の連中みてぇに、怪我させられて仕事に支障が出る可能性もあるからな……」
そう雑談をしていると――。
「遅かったな」
そこで、広間に竜王妃がやって来る。
彼女の居丈高な姿を前にし、衛兵達は慌てて跪く。
現幻竜州公の娘にして、後宮においての序列は第二妃。
結局、これだけ彼女の傲慢が許されているのは、それだけ地位の高い存在だからだ。
「今日は、武闘の練習相手に衛兵共を呼んだのだが……少し目的が変わった」
竜王妃の発言に、「?」と疑問符を浮かべる衛兵達。
一方、当の竜王妃はきょろきょろと周囲を見回すと。
「ところで……小恋はどこだ? ココにもいないようだが」
自身の後方に控えている宮女に、そう問い掛けた。
「竜王妃様、小恋なら中庭の方に」
「中庭?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
宮女に言われ、幻竜宮の中庭へと向かった竜王妃と衛兵達。
「……ん?」
するとそこで、庭で何かを作っている小恋を発見した。
何やら、地面に大きな木の杭を打ち付けている。
「あれ?」
「おい、丸牙、あの下女、この前の……」
そこで作業をしている下女が、小恋だと気付く衛兵達。
その中で、他の衛兵達と比べて体格が一回り違う、巨体の衛兵が小恋の姿を見て苦い表情になる。
「げ、あいつは……」
彼は丸牙――かつて、小恋と組手を行い、瞬殺された男である。
「何をやっている?」
一方、竜王妃はカケヤ(杭打ち用の木槌)で杭を打ち付けている小恋に声を掛ける。
「あ、竜王妃様――」
竜王妃の存在に気付き、振り返る小恋。
そこで、その奥の衛兵達の姿も発見する。
「え? 衛兵……どうしてここに」
「そんな事はどうでもいい。何をしている、小恋」
小恋の疑問は無視し、竜王妃は指を差す。
「これは何だ」
現在、幻竜宮の広大な中庭に、大きな長方形の線が引かれている。
その長方形の中央付近の両サイドに、木の杭が打たれているのだ。
「ええ、ちょっとある準備を」
小恋は、その杭と杭の間に、宮廷内の倉庫からもらってきた網を広げてかける。
漁などに使われる網だ。
(……流石宮廷の倉庫、何でもあるね)
これで、大体の準備は完了した。
「今日はちょっと別の遊びをしませんか、竜王妃様」
「別の遊び? 武闘ではなくてか?」
「はい、昔父に聞いた、〝異国の競技〟?、なんですけど」
小恋は目前の、長方形の線と杭と網で作られた領域を指さす。
「これは、〝コート〟と言います。このコートの中央に張った網の両サイドに、対戦相手が一人ずつ立ちます。で、自分が立ってる側の線で囲われている地面、そこが自分の陣地になります」
「ほほう」
「で、ですね……」
説明をしながら、そこで小恋は、これまた手作りで拵えた、奇妙な木工細工を取り出す。
木を曲げて円形状にし、その円形の中に弓などに使われる弦を走らせ、握り手も付いている妙な形の工作品だ。
これも、倉庫から持ってきた材料で作ったのだ。
「妙なものが出て来たな。それは何だ?」
「で、これは〝ラケット〟と言って、これで毬を打ち合うんです」
もう片方の手に手毬を出し、小恋はコートの方をラケットで指す。
「境界の網に引っかかったり、打ち返せなかったり、打ち返した毬が相手のコートの線の中の地面に一回以上触れなかったら負けです」
「……ほう」
竜王妃は、真剣な眼差しのまま答える。
少し、惹かれている様子だ。
(……よしよし、興味を持ってくれたかな)
竜王妃が、彼女の本心を語った夜の後――小恋は考えた。
腕自慢の男を呼んだり、今回みたいに衛兵を呼び出したり。
彼女のやっていることは、とても危険な行為だ。
退屈からスリルを求めて、どんどん過激な方向に向かっているように思える。
だから、ここで誰かが、少しは歯止めをかけてやらねばならない。
そう、小恋は思った。
そこで、今回、父から教わった異国の知識を参考に――比較的安全な運動で勝負ができる道具を開発したのだ。
「まぁ、折角貴様が用意したのだし、貴様の病み上がりの肩慣らしにもなるだろう。試しにやってみるとするか」
「はい」
というわけで早速、コートの両サイドに小恋と、ラケットを受け取った竜王妃がそれぞれ立つ。
「おい、何が始まるんだ?」
「知らん」
「というか、俺達何のために呼ばれたんだ?」
ギャラリーの衛兵達の間には、ざわつきと困惑が広がっている。
「いきますよ!」
まず、小恋が毬を竜王妃の方へとラケット打つ。
(……ええっと、本当は最初の一打はコートの外から打たないといけないんだっけ? お父さんが細かいルール教えてくれたはずだけど……ほとんど忘れちゃったな)
「これを打ち返すのか?」
一方、自陣に飛んできた毬に向かって、竜王妃もラケットを振るう。
「ふっ!」
力強く、しなやかな動きではじき返された毬は、速度を増して小恋の陣へと戻ってきた。
それを、小恋も反応し駆け寄ると、打ち返す。
『パァン!』『パァン!』と、今初めて始まったものだとは思えないほど、スムーズに往復が続く。
「おいおい、凄いな」
「あの毬、結構な速さだぞ?」
「よく反応できるな」
その光景に、傍観していた衛兵達の間からも感嘆の声が湧き始める。
「むむ! 正しく、これは西欧に伝わる伝説の武術、泥煮守!」
「知っているのか、磊田!」
小恋と竜王妃の試合風景を見て、衛兵達の中の、謎の二人組が騒ぎ出した。
お前等、どこから湧いて出た。
そうこうしている内に、試合は進んでいく。
「くっ!」
「よしっ!」
やはり、ある程度の知識があった小恋の方が有利なようで、鋭い打球を返されると、竜王妃も押し負けて毬を打ち返せない場面が多かった。
しかし、戦いが進むにつれ……。
「おっと!?」
「ふん、なるほど、打つ際に踏み込んで体重を掛ければ、重く速い打球を返せるのか」
竜王妃も負けてはいない。
徐々に、毬への反応や打球の速度が上がっていく。
流石は天性の才能、《竜の血族》――早くも、この遊戯に順応し始めているようだ。
白熱する試合。
衛兵達も騒ぎを止め、見入り出した。
「っとぉ!」
「ははっ! 今回も我の勝ちだな!」
気持ち良く撃ち抜いた打球が、小恋の脇を掠めて通過していった。
その光景に、竜王妃は楽しそうに笑う。
「………」
そこで、竜王妃はハッとしたように表情を固めた。
「……笑っているのか、我は」
暇潰しに提案されたこの遊戯に、いつの間にか熱中し、そして楽しんでいる自分に気付いたのだろう。
(……よし)
と、小恋は手応えを感じた。
大々的に他者に迷惑を掛けない遊びで彼女の退屈気分を回復させ、満足させれば、少しは今の傲慢な生活も改まるかもしれない。
加えて、自分との手合わせなどという物騒な戦いの事も忘れさせることができるかもしれない。
その思惑は、達成できそうだ。
――気付けば、小恋と竜王妃がこの遊びを始めてから、結構な時間が経過していた。
現在、点数は少しだけ小恋の方が上である。
「そういえば小恋、この競技、何点獲得した方が勝ちなのだ?」
「あ」
竜王妃に聞かれて気付いた。
そういえば、大勢に関する勝敗のルールを決めてなかった。
何点取ったら勝ちなんだろう、これ。
「ははっ、まぁいい、中々面白かったぞ、小恋」
流石に、彼女も体力の限界が来たのかもしれない。
それは、小恋も一緒だが。
竜王妃は汗を拭いながら、コートから出る。
しかし、気分はご満悦な様子だ。
「満足頂けたようで何よりです」
「うむ、後ほど詳細な試合方式を教えよ。我が幻竜州に報告し、民の間で流行らせる」
「え?」
「選手を育成し、いつか大規模な大会も開こう」
笑顔で、何やらスケールのでかいことを言い出している竜王妃。
一方、この日、彼女に呼ばれて幻竜宮に集められていた衛兵達は――。
「……あれ、そういえば俺達は何のために来たんだっけ?」
「まぁ、いいじゃねぇか、面白かったし」
「おい、お前等」
途中から、完全に観客と化していた衛兵達に、竜王妃が言う。
「次に呼ぶまでに、この競技を練習して来い。まずは、宮廷内で大会を開くぞ」
……あれ、別の方向に話が大きくなっていってる?
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「………」
幻竜宮の庭の物陰に隠れ、その光景の一部始終を見ている、怪しい影が一つ。
その人物は――幻竜宮に仕える、宮女の一人だった。




