◇◆プロローグ 皇帝と小恋◆◇
夏国の中心、皇都――その広大な敷地を誇る王城の中にある、宮廷の一角。
「ふっふふ~ん♪」
そこで、後宮に仕える下働きの下女――小恋は、今日も雑用仕事に従事している。
但し、今日はどこかの宮に出張してではなく、自分の暮らす下女用の施設の掃除だ。
今は、寮の庭で大量の洗濯物を洗っているところである。
『ぱんだー!』
すると、そこに元気なパンダの鳴き声が聞こえてきた。
……厳密には鳴き声ではないし、パンダは『ぱんだー!』とは喋らないのだが。
「雨雨」
ひょんな出会いを切っ掛けに、小恋が一緒に暮らしている子パンダの雨雨が、こちらにトテトテと歩いてくる。
「……あ」
そこで、小恋は気付く。
やって来たのは、雨雨だけではなかった。
「やぁ、小恋」
白銀の髪に、白銀の目――異国人のような容貌の、高貴な姿をした男性だ。
柔和に口元を綻ばせ、小恋に微笑みかける。
「皇帝陛下」
慌てて平伏しようとする小恋を、彼――皇帝は、即座に「必要ない」と止めた。
こうして、下女の元に一国の支配者である皇帝が訪ねてくるのも、奇妙な縁である。
「皇帝陛下、お体は大丈夫ですか?」
「ああ、もう問題は無い」
ニコッと、笑顔を浮かべる皇帝。
先日の暗殺騒ぎで、彼は体に妖魔の毒を打ち込まれ――一時は危険な状態に陥った。
小恋の力で毒はきれいさっぱり排除され、その後は宮廷仕えの医者達の処置で回復したのだが――それでもやはり、数日は安静な状態を強いられていたのだ。
「ちょっと、小恋の顔が見たくなってね」
「私の、ですか?」
なんと物好きな――と思う小恋の一方、皇帝は洗濯桶と、その中に溢れ返っている洗濯物を見る。
「……君と初めて会ったのも、ここだったな」
皇帝の呟きを聞き、小恋も、あの日の事を思い出す。
洗剤用の灰汁を作るため、木の根を燃やしていた時の事だ。
「あの日、ここで君の姿を初めて見た時、不思議な感覚を覚えたんだ」
「……はい」
それは、小恋も同感だった。
初めて皇帝を見た時、不思議な感覚に包まれたのを覚えている。
「………」
小恋は、皇帝の顔を見上げる。
皇帝もまた、小恋を見詰める。
……彼とは何か、不思議な縁を感じる。
どこか、通じ合えているような感じだ。
だから――わかる。
「疲れてるんですか?」
「え?」
いきなり小恋に問われ、皇帝は真面目に作っていた面貌を崩した。
どこか疲れているような、悩んでいるような様子を、小恋は彼から感じ取っていた。
「やはり、顔色に出ていたかい」
小恋の言葉を聞き、情けなさそうに微笑んで、皇帝は言った。
予想通り、お疲れだったようだ。
「何か、お悩みでも?」
「ああ」
皇帝は首肯する。
と、問い掛けたところで、悩みの種は小恋にもわかり切っている。
あの《清浄ノ時》とかいう邪教団が、本格的に動きを見せた。
未遂とは言え、暗殺されそうになったのだ。
毒は消して、体調や体力は戻ったかもしれないが、精神的な影響は当然あるだろう。
何より、獅子身中の虫。
この宮廷の中には依然、本性や思惑を隠し、敵が潜んでいるかもしれないのだ。
気が気でならないのだろう。
加えて、皇帝としての職務も当然あるだろうし……。
「何か、私に助けられることがあれば、ご協力しますよ」
「小恋……」
小恋の言葉に、皇帝は嬉しそうに笑う。
「いや、大丈夫だ。君は、自分の仕事に専念していてくれ」
「陛下!」
と、そこで、遠くの方から大声が聞こえ、何人もの宦官達がぞろぞろとやって来た。
「またこのような所にいらしていたのですが」
「少し気分転換に来ただけだ、すぐ戻る」
宦官達がやって来ると、一転、彼はいつもの厳格で冷徹そうな皇帝の顔に戻った。
小恋は即座に跪き、下女として分を弁えた態度を取る。
「お一人で出歩かれては危険です。邪教団の心配もありますゆえ」
「何より、今は竜王妃の件をどうにかしませねば」
「わかっている」
去っていく皇帝達を、首を垂れて見送る小恋……と、雨雨。
「……竜王妃?」
彼等が去ると、頭を上げて小恋は呟く。
確か、妃の一人の名前だ……。
「何か、その人関係で問題が起こっているのかな?」




