◇◆二十五話 後日談◆◇
こうして、陸兎宮を舞台にした皇帝陛下暗殺未遂事件は幕を閉じた。
敵の正体は、珊瑚妃に取り入り宮廷に潜伏していた邪教団『清浄ノ時』の構成員。
陸兎宮への皇帝陛下来訪と、珊瑚妃の邪心を利用し、この機に暗殺を遂行しようとしたのだ。
邪教団『清浄ノ時』は、夏国の転覆を目論む危険思想家達の集まりで、現皇帝を殺害し、自分達でこの国を支配しようと考えている。
あの《邪法士》のように、邪法や妖魔に関する知識や技術を持つ者が関わり、密かに機が熟すのを虎視眈々と狙っていたのだとしたら、これからは到底見過ごすことのできない脅威となるだろう。
一層の警戒が必要である。
――さて。
戦いが終息した後、陸兎宮へやって来た衛兵達によって、爆雷にのされていた件の《邪法士》は捕らえられた。
腕に枷を嵌められ、連行される《邪法士》。
この後、諸々の取り調べが待っている。
そして、此度の重要参考人は彼だけではない。
「………」
白虎宮主――珊瑚妃。
小恋に張り飛ばされた後、覚醒した彼女もまた、衛兵達によって捕らえられていた。
当然、今回の件とは無関係の一点張りで逃れられるはずがない。
青い顔をし、呆然自失の状態で腰を落とし、珊瑚妃は俯いている。
兵達も、妃が相手のためどうすべきか判断に迷っていたが、現場に居合わせた側近達の証言を受け、彼女も連行する決定に至ったのだろう。
手枷を掛けようとした――その時だった。
「珊瑚妃」
「へ、陛下……」
珊瑚妃の前に、皇帝が現れた。
白銀の髪の下の顔色は優れない。
毒が抜けたばかりで、まだ足元も覚束ない様子だが、意識は回復したようだ。
医者や側近達に付き添われながら、彼は珊瑚妃の前に立つ。
「陛下、わ、私は、決して――」
目前の皇帝に縋りつき、珊瑚妃は何か言い逃れを口にしようとした。
瞬間だった。
「珊瑚妃様!」
その場に姿を現したのは、楓花妃だった。
今は解毒が済んだものの、深刻な身体への浸食を受けたのだ。
視線も定まらず、滲んだ汗で顔が濡れている。
自力で歩く事など当然できないため、傍らで小恋が支える形を取っている。
そんなフラフラの状態でありながら、彼女はやって来た。
「楓花妃、様……」
楓花妃の姿を見て、珊瑚妃は瞠目する。
楓花妃は、改めて皇帝陛下へ向き直る。
「陛下……珊瑚妃様は」
「………」
皇帝は口を閉ざす。
しかし、聞くまでもないだろう。
彼女は、《邪法士》と共に皇帝陛下暗殺に関わった大罪人。
例え、仔細に関しては知らなかったとしても、その首謀者を宮廷に招き入れた張本人なのだ。
いや、そもそも、彼女はその計画を抜きにしても、楓花妃を己の欲の為に毒殺するつもりだった。
その時点で罪人には違いが無い。
「陛下……」
そんな、未来の確定した珊瑚妃を前にして。
瞬間、楓花妃はその場に跪いた。
「どうか……珊瑚妃様の処遇に、お慈悲を」
彼女の口にした懇願に、皇帝も、側近達も、その場にいた全員が目を見開く。
「楓花妃、何故庇う」
皇帝は、そんな己の立場さえ危うくなるような行動を取る楓花妃に、問う。
「この者は、お前を利用しようとした。それは、わかっているはずだ」
「……珊瑚妃様は、妾と一緒です」
乱れた呼吸の狭間から、楓花妃は言葉を紡ぐ。
「珊瑚妃様は、入宮した当初、右も左もわからなかった妾に親切にしてくださいました。それも、いずれ妾の事を利用し、陥れようとしての行動だったのでしょう……けれど、妾の宮に訪れた時、珊瑚妃様は妾に話してくれました。妃として後宮へやって来たけれど、もしも結果を出せなければ、自分には価値が無い。州に戻っても、居場所はない。家を追い出されたも同然……と」
「………」
「珊瑚妃様は、背負っているもののために頑張っている方なのですじゃ。きっと、その想いをかの邪悪な者に利用され、付け込まれた……もしも、妾が珊瑚妃様と同じ立場だったとして、同じ行動をしなかったとは言い切れません。だから、どうか……」
騙され、利用され、毒殺までされかけて――それでも彼女は、珊瑚妃を擁護しに来た。
甘い、甘すぎる。
幼く、そして優しすぎる、純粋すぎる。
彼女の隣で傅きながら、小恋は率直に思った。
「……珊瑚妃、楓花妃はああ言っている」
「………」
楓花妃の心からの訴えを聞いた皇帝は、しかしそれでも表情を変えることなく、珊瑚妃に問う。
「お前は、あくまでも利用されていただけ。そういう考え方もできるが……」
それに対し、珊瑚妃は――
「……いいえ」
悲痛に歪み、絶望に打ちひしがれていた表情ではなくなっていた。
自分を救おうとする楓花妃の姿を見て、彼女の心が、何か変化を起こしたのだろうか。
険が薄れ、まるで憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。
「言い逃れはしません。楓花妃様のお言葉を聞いて、自覚しました。私は、彼女の言うような人間ではありません。私はあの《邪法士》と明確な共犯関係にありました。私の知る限りの事を、洗いざらい証言いたします」
「珊瑚妃様……」
手枷を嵌められ、罪人として、珊瑚妃は立ち上がった。
そして、楓花妃の方を振り返ると。
「楓花妃様……ありがとう。大丈夫よ。あなたは、私のような人間にはならない」
そう、悲しげに笑った。
「そして、こんな私の願いを一つだけ聞いてくれるなら……私はもう、ここには戻れない。白虎宮に、私が陛下から贈り物にいただいた子虎がいるの。名前は、玉。あの子だけが、気掛かりなの」
「………」
「大丈夫。あの子は優しくて頭が良いから、決して人や他の動物に噛み付いたり爪を立てたりしない。どうか……」
それだけ言い残し、珊瑚妃は後宮から姿を消した。
もう、ここに帰ってくる事は二度と無いだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……ここまでか」
一方――衛兵達に引っ張られ、連行されていた《邪法士》。
身に着けていたあらゆる邪法のための道具も武器も、全てが押収され――無力と化された彼は、不意に立ち止まり、空を見上げた。
「おい、何を立ち止まっている。歩け」
手枷の縄を引く衛兵が、足を止めた《邪法士》を振り返る。
「私では、大願成就には至れなかった……しかし、後の事は、同志に託そう」
《邪法士》は、一人ぶつぶつと呟き続ける。
「おい、聞いているのか」
「清浄の宿願、叶う事を」
苛立つ衛兵が声を荒げた、瞬間。
――《邪法士》の体が、その場で跡形もなく吹き飛んだ。
「は……お、あぁぁぁぁああああああ!?」
舞い散った血肉で顔を染めた衛兵が叫ぶ。
惨劇の場に、悲鳴が響き渡った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――あれから、数日が経過した。
話によると、皇帝暗殺を謀った《邪法士》は、連行中に弾け飛んで死んだらしい。
小恋が内侍府を歩いていると、宦官達がそんな立ち話をしていた。
(……おそらく、自害か、同胞に消されたのかな)
あの飛頭蛮の時と言い、極力証拠や痕跡を残さない事に徹底しているようだ。
同じく連行された珊瑚妃も、決して安全な立場とは言えないが、今のところ彼女の身に何かがあったという話は流れて来ない。
「そういえば聞いたか、あの『雑用姫』の件」
(……お?)
小恋が《退魔士》と協力し、不可思議な術を用いて敵を退けた事。
被害に遭った皇帝と妃の命を救った事が、武勇伝として宦官や女官達の間で伝わり出しているようだ。
今まで内緒にしていた、小恋が妖魔退治に携わる力を持っているという情報も出回り始めている。
まぁ、内侍府長の水が烏風を雇ったり、妖魔の存在を認知し始めた時点で遅かれ早かれ知られていた事ではあるが。
「……皇帝陛下から勅令を下されたり、もしや最初から只者ではなかったのでは?」
「……女官達の間では、『雑用姫』と揶揄していた者達が何か仕返しがあるのではと怯えていて」
「……まだ顔を見ていない妃達の中には、是非一度会いたいと興味を持つ方もいるそうで」
(……なんか、大事になりそうな雰囲気)
とりあえず逃げるように、小恋はその場を後にし、陸兎宮へと戻る。
あれから数日が経ち、陸兎宮も元の状態に戻りつつあった。
今日も、紫音や真音をはじめとした宮女達がせっせと働き、綺麗で趣のある内装を保っている。
「お体は大丈夫ですか? 楓花妃様」
「あ、小恋」
小恋が宮に戻ると、いつもの中庭で、楓花妃が体を動かしていた。
軽い体操をしていたようだ。
楓花妃も大分体調が回復した。
最近までは体を休めるためずっと寝ていたが、今ではこうして自力で動けるようになっている。
加えて、今の彼女の立場も以前と大きく変わった。
先日連行された珊瑚妃が、皇帝陛下暗殺に関しては全て自分に端を発した事だと証言し、楓花妃には一切疑いの余地が無いことを伝えてくれた。
更に、小恋だけでなく、彼女も最近の評判に加え、身を挺して皇帝を守った行動が、側近達に評価されたようだ。
序列が第十一妃から、第七妃へと昇格した。
「ところで、小恋」
小恋と一緒に柔軟体操を終えた楓花妃が、縁側で休みながら、小恋へと話題を振った。
「小恋に、話があるのじゃが」
「なんです?」
「小恋の今後についてじゃ」
楓花妃は、どこか寂し気な表情になる。
「陸兎宮主として、大変助かったのじゃ。小恋、そなたのこの宮での仕事も、もう数日で最後とするのじゃ」
「……え」
皇帝陛下から直接下された、『楓花妃を助ける』という使命。
一応、陸兎宮は見事に復活を果たし、彼女を追い詰めていた珊瑚妃もいなくなった。
怪奇現象の発生源であった《邪法士》も消えた。
皇帝から依頼された小恋の仕事は、終わったとも言える……が。
「皇帝陛下に言われたのですか?」
「いや妾が自分で下した結論じゃ」
楓花妃は先日、小恋に、自分をずっと傍で支えていて欲しいと言った。
そんな彼女が、真逆である別れの言葉を告げている。
「えーっと……私が自分で言うのもなんですけど、いいんですか?」
「うむ。ここ数日、ずっと体を休めながら考えていたのじゃ」
楓花妃は言う。
「妾は心の底から小恋の事を信頼している。頼りになって格好良くて、いつも妾を助けてくれる大好きなお姉ちゃん……でもそれは、小恋に甘えているのと同じ事なのじゃ」
「………」
「……珊瑚妃様が連行される前に妾が言った言葉……もしも自分が珊瑚妃様の立場だったら、同じように利用されていたかもしれない……あの言葉は、珊瑚妃様を庇うための嘘なんかじゃなく、本心で、そう思ったからなのじゃ」
わかっている。
だからこそ、珊瑚妃の目が覚めたのだ。
「妾は、自分の心の弱さを自覚しておる。これから強くならないといけない。小恋のように強かで、冷静で……小恋がいなくても大丈夫なように」
「……楓花妃様」
「それに、この後宮の中には、今もきっと、妾のように小恋の助けを必要としている人がいるかもしれない。妖魔が絡むような事件の被害も、金華妃様がそうであったように、今も起こっているかもしれないのじゃ。妾だけが小恋を独占して、甘えていてはいけない」
弱いままではいけない。
自分一人で、強くならないと。
そう言った楓花妃の言葉に、小恋は頷きを返す。
彼女の決意は、本物だ。
「あ、あ、でも、小恋の気が向いたら、いつでも陸兎宮に遊びに来て良いぞ。本当に、いつでも良いからの」
「……ふふっ、わかりました」
ということで、小恋は陸兎宮付きの任を解かれることになった。
また普通の下女の立場に戻るということだ。
寂しくないと言えば嘘になるが、嫌ではない。
別に楓花妃とはもう会えないわけではないし、彼女が成長の為に下した大切な決断だ。
何より、下女としての仕事はやりたい事が出来て自由で楽しいので。
「よし! 最後の日は、盛大にお別れ会を開くのじゃ!」
「はい、楽しみにしてますよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――一方、その頃。
「なんで、呼び出されたのが俺とお前なんだ?」
「知らないよ。ただまぁ十中八九、今回の件に関する事じゃないかな」
場所は内侍府。
内侍府長職務室の中で、爆雷と烏風が待機している。
二人とも、内侍府長の水に呼び出されたのだ。
「小恋は一緒じゃなくて良かったのかよ?」
「さぁね。私と君だけのようだし、おそらく今後の宮廷内の警備体制に関することかも――」
と、そこで、室内に水が入って来た。
爆雷と烏風は無駄口を止め、姿勢を正す。
「此度の一件、二人ともご苦労だった」
静寂に包まれた執務室内。
水が、低い声音で二人に労いの言葉を告げる。
「……今日、お前達二名を呼び立てたのは、話しておきたい事があるからだ」
決して広くはない室内を警戒するように見回し、水は言う。
「話しておきたい事、ですか?」
「ああ」
爆雷が言うと、水は視線を鋭く細めた。
「……小恋の、両親の事についてだ」




